表紙

シンボウ先生(森望)の老いの科学・長寿への道



 

『第3回 遺伝子の老化:二重らせんとジム・ワトソンの老い』

 まずは遺伝子から
 前回は「長寿」の話をしたので、今回は「老化」の話をしよう。
 生き物は、動物でも植物でも、卵から成長していずれ成熟し、そしてしだいに年老いてゆく。例外はない。みな「老いある世界」に生きているのだ。その生命の基本は「遺伝子」にある。そんなことは誰でも知っているだろう。遺伝子・DNA、それは生命の設計図なのだ。だから、遺伝子がしっかりしないと、生命は危うい。老化のしくみを知る上でも遺伝子がどうなるか? それはとても重要な問題である。遺伝子はどう年をとるのか? それを話す前に、そもそも「遺伝子」がどのように科学のまな板に上がってきたか、それをさっと復習しておこう。
 遺伝子の百年 1853-1953:ブリュン、バーゼル、ケンブリッジ
 中学校の生物で「遺伝」の勉強をするとき、教科書に真っ先に出てくるのはオーストリア帝国のブリュンの修道院の神父だったグレゴール・メンデルによるエンドウ豆の交配実験だった。メンデルは牧師としての仕事の合間に、教会の裏庭にエンドウ豆を植えた。花の色は赤か白、タネの表面はなめらかかシワシワか、それを区別しながら、いくつもの交配実験を重ねていった。最初の植え付けは1853年だったという。それからしばらくして、日本でいえば幕末の1865年にその町の自然協会で最初の研究成果発表をしている。それが親の「形質」が子に伝わる、1:3とか1:2:1とかの分離比の話だった。いわゆる「メンデルの法則」である。しかし、この発見の重要性は当時認識されず、1900年にのちの科学者によって「再発見」されるまで、ほとんど埋もれたままだった。
 一方、のちに「核酸」と呼ばれるようになる化学物質、「ヌクレイン」を細胞からはじめて抽出したのは、スイスのバーゼルにいたフリードリッヒ・ミーシャーである。1869年というから、メンデルの「発見」の数年後のことだった。だが、この時点ではまだこれが遺伝物質だとは考えていない。この核酸については、1900年頃、ロシアから米国へ帰化したフィーバス・レヴィンによって「ヌクレオチド」という単位構造が明らかにされた。さらにDNAとRNAが区別されたり、化学構造も解明されたりしたのだが、素材となる種類がたった4種類しかないことがわかって、生命の情報分子ではなかろうという考えが広まった。多くの科学者はより複雑なタンパク質やウイルスに「生命情報」の根源を求めた。
 機運が変わったのは1950年頃からである。1951年から英国のケンブリッジ大学にいたジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが、近くの大学でDNAの結晶のX線回折写真をとっていた他の研究者のデータから発想を得て、いわゆる「二重らせん」というダブル・ヘリックス構造を明らかにした。その姿形は、生命がゆるぎなく繋がっていくことを確信させるものだった(図1)。1953年の4月25日の英国の科学雑誌ネイチャーに掲載されたたった1ページ半の論文は、20世紀の生物学史上もっとも重要な論文のひとつだといわれる。


 図1 ワトソンとクリックによるDNAの二重らせんモデル(1953年)。

 

 こうしてDNAの姿形が見えてきた。それからしばらくして、科学者たちは遺伝子のひとつひとつを釣り上げる技術を手にした。いわゆる「遺伝子クローニング」の時代になって、生命科学は様変わりした。そんな時代の変化を、英国の科学者シドニー・ブレンナーは ”Before Cloning, After DNA” と形容した。つまり、生命科学における紀元前(BC)と紀元後(AD)を分けたのだ。メンデルがエンドウ豆の種を蒔いてからちょうど百年目、DNAはついに「遺伝情報」を担うにふさわしい姿としてその「二重らせん」構造が理解されるようになった。

 二重らせん:生命の糸と絲
 「二重らせん」構造は、よく「生命の糸」と形容される。親から子へ、子から孫へ、生命をつなげる。そのしくみを彷彿とさせる、シンプルでありながらとても美しい形をしている。よく物理学の根本的な原理はすっきりとした単純な数式で表示できるといわれる。凡人にはおまじないのようだが、「E=mc2」、かのアインシュタインの方程式などは、その代表だろう。こちらは生物学の根本原理である。
 実は、原理という意味では生物学には「セントラルドグマ」というものがある(図2)。DNAの二重らせんに端を発して、RNAを写し取り(転写)、それがタンパク質に変換(翻訳)される、というものだ。この最初のDNAがくるっと回る、それは「複製」を意味しているのだが、ひとつのDNAをコピーして、まったく同じものを次の世代に受け渡す、それが可能となるとてもシンプルな形として、この「二重らせん」は受け入れられた。


 図2 セントラルドグマの概念図。1958年頃、フランシス・クリックを中心に編み出された生物学の基本原理。

 

 一時よく街に流れた中島みゆきの「絲」という唄がある。縦の糸と横の糸、それが織りなすのは人との出会いであったり人生なのだが、その大元にはそれぞれの人の遺伝子DNAがある。その糸が「二重の絲」なのだ。

 相補性:補い合う命
 DNAの糸は、縦と横ではない。それは上へ向かう糸と、下へ向かう糸だ。その上下への絲が絡み合う。それぞれは全く同じもののように見えながら、本当は違う。大事なのは「等価」とか「平等」ではなくて、「相補的」という概念だ。上への糸と下への糸は互いに「相補」するもの、それが大事なことだった。
 これは思うに、男と女のようなものだ。人生を紡ぐには、同じようで同じでない、人としては同じなのに、何か根本的に違う、そんな存在が違いを確かめ合うように、そしてあい補い合いながら人生を紡いでゆく。そんな姿が、この「二重らせん」の中に読み取れる。最近はよく「男女平等」が叫ばれるが、「男女相補」こそがあるべき姿のような気がしてならない。それぞれに役割があるのだ。個々人の個性をよしとするように、男と女の個性をよしとする、互いにないものを補い合って、それで完結する。人生とは、生命とはそんなものだ。

 らせん階段:ATとGC
 DNAの二重らせんを結びつけているもの、それはATとGCの階段である。一捻りのらせんの中に十の階段がある。その階段のひとつひとつがATかGCのペアリングなのだ。らせんの横の繋がり、ペアリングも大事だが、縦のつながり、すなわちいわゆるAGCTのランダム(そうにみえるが実は秩序立った)配列はさらに大事だ。というのは、それこそが「遺伝情報」を保持するものだからだ。
 らせんの縦のつながり、どこまでも続くその道は、ジャックと豆の木の蔓のように、天までも続く。というのも、一個の細胞のDNAは引き延ばせばおよそ2メートル、そして一人の人間の身体を構成する細胞数は40兆個ほどだから、単純に一人の人間のDNAをすべて繋げてみると、それは地球と太陽の間を200往復する。つまり月へ届くどころでなく太陽もすり抜けて太陽系の彼方へ突き進んでゆくことになる。そんなすごい量のDNAを、私たちはふだん何気なく駆使して生きているのだ。

 遺伝子の老い:サビと化粧
 そんなDNAも人の一生の間にいろいろな変化を受ける。以前書いたことだが、「コンサートホールにも四季がある」ということだ。細胞は老化すると酸化しやすくなる。鉄がサビるようなものだ。DNAの中では特にGというグアニンの酸化が起きやすい。また放射線などの影響で糸が部分的に切れる。そんなダメージも老化とともに蓄積する。それらを直そうとする反応、つまり「修復系」も働くのでさほど深刻にはならない。ただし、それがうまくいかないときもある。
 一方でCというシトシンには、老化とともに「メチル化」という化学修飾(いわば化粧)が頻繁に入る。その頻度は年齢とともに増える。そうなるとクロマチンと呼ばれるDNAを含むタンパク質との複合体は「固い」状態になって、DNAの情報の読み取りがしにくくなる。つまり遺伝子発現が「抑制」されがちになるのだ。とはいいながら、一方では遺伝子発現が「漏れる」というか、本来発現してはいけないようなものが発現されてしまうといったおかしなこともおこっている。これはいわば、尿が出にくい、と思いながら、尿漏れもする、そんな感じだ。要は、「制御系が甘くなる」のだ。細胞の核の中での制御装置の精度が老化とともに緩んでゆく。
 この遺伝子のメチル化修飾は加齢とともに進む。つまり遺伝子レベルでの老いの記録となる。例えていえば、遺伝子レベルでの「年輪」のようなものだ。遺伝子の端っこにおこるので「エピジェネティック・クロック」ともいわれる。いわば「エピゲノム時計」だ。この変化を追えば、その人の生物学的な年齢を推定できる、という考え方もある。

 染色体の老い:テロメア短縮
 以前の『老いなき世界』の議論で強調されたのはエピゲノムの調節系だった。それは遺伝子の「メチル化」やクロマチン(染色糸)での「アセチル化」などの修飾、いわば「遺伝子の化粧」、「エピゲノム修飾」だった。しかし、遺伝子の老化でもっとも明瞭なのは「テロメアの短縮」といわれる現象だ。たくさんの遺伝子がよりあつまった染色体、その末端が老化とともに短くなる。テロメアDNAと呼ばれる反復配列が細胞の分裂ごとに切れてゆくのだ。そしてあまりに短くなると、細胞はもう分裂できなくなってしまう。いわゆる「細胞老化」だが、細胞の分裂ごとに、チケットが切り取られる。私たちは「生命の回数券」を少しずつ切り取りながら、生命をやりくりしているようなものだ。
 ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見からほぼ30年後、遺伝子の老化に関して、「遺伝子の化粧」(エピゲノム時計)と「テロメアの短縮」(生命の回数券)という老いの姿が見えてきたのだった。

 ケンブリッジとアメリカ:30年後の「おいしい」
 そんなことがわかってきた1980年代の半ば、林望氏、つまりリンボウ先生はケンブリッジ大学の図書館で日本の古文書と格闘していた。不肖、シンボウはというと、ロサンゼルス郊外の研究所で遺伝子進化の夢物語を追い求めた。それぞれの小さな研究の世界でも、イギリスは美味しく、アメリカも美味しかった。(前回の話、参照)
 研究者としては駆け出しの時代だったが、そんな時に、私は運良く、かの「二重らせん」のワトソン先生にも、クリック先生にも会うことがあった。カリフォルニア工科大学(通称、カルテック)でのひと時だった。それぞれ、別の日に講演に来られたのだが、どちらからも強烈なオーラが放たれた。そうして絶大なる感化を受けて、私はその後もずっと「遺伝子」と関わりながら生きていくことになった。

 而立・還暦・卒寿
 30にして立つ、60にして振り返る、90にして去る、ということだろうか、人生にはそれぞれの節目がある。いまは「人生百年時代」といわれるから、無論、堂々と百歳の自分を思い描いてもいいのだが、自分的にはやや謙虚に、90歳でも御の字と思っている。米寿を超えて卒寿まで行けたら、それはすばらしいことだ。誰もがいうことだが、理想は80歳代でも元気に歩いていることだろう。
 「先のことはわからない。」カリフォルニアの大学の広大な芝生の中の小道をたまたま運良くワトソン先生と二人きりで歩きながら、恐る恐る言葉を交わした。その日から、再びワトソン先生に会う日があろうとは、全く想像もしていなかった。

 還暦DNA:拝啓ワトソン先生
 1953年の「二重らせん」からちょうど60年目の年だった。日本の西海岸の大学で、少し先輩格の先生と居酒屋のカウンターで研究の雑談をするうちに遺伝子談義に熱がこもって、いつのまにかワトソン先生を呼ぼう、という話にまで盛り上がった。そして、学長招聘の形でワトソン夫妻を4泊5日で長崎へ招待する、という話にまでなってしまった。医学部生への講義や、全学での講演会の他に、大学の附属図書館ではちょうど私が館長でもあったので、大々的に「ワトソン・ウィーク」と称して展示と講演会と映写会も含めていろいろなイベントを走らせた。そんな中で、恐れ多くもワトソン先生に少しばかり御前講義をした。60年目の節目、「還暦DNA」の話。2013年、ちょうど「二重らせん」の年からの「還暦」祝いの年だった(図3)。
 ワトソン先生(愛称はジム)はいつも夫人のエリザベスさん(愛称はリズ)と一緒だった。とても若い、秘書のような感じの方だが、植物に関心が強く、大学の図書館でお見せした江戸時代のシーボルトの大型本『日本植物誌』の図譜にいたく感動しておられた。ワトソン先生は講演をし、テニスをし、そしてたくさんの握手とサインをして、限りないオーラを振りまいていかれた。夫人からはお礼にと、ワトソン先生が名誉所長をされているニューヨーク郊外の研究所の風景と樹木の本『知識の土壌』をいただいた。その扉のメッセージには、ワトソン先生の署名も、また「二重らせん」のイラストも添えてあった(図3)。その年のクリスマスカードは、冗談だろうが、二人のウェディングの姿だった。自分にはこれこそが「人生の二重らせん」のように思えてならなかった。


 図3 還暦DNA。左から、長崎大学附属図書館での還暦DNAの展示パネルの扉、ワトソン先生への「還暦DNA」の御前講義(2013年11月26日)、ワトソン夫妻のサイン入りのCSH研究所の樹木の本、ワトソン夫妻からの2013クリスマスカード。

 

 朝顔の蔓:ワトソン先生の百寿への道
 その時のワトソン先生は85歳だった。今はもう「卒寿」をも卒業された。目指すは「百寿」である。今でも趣味のテニスを欠かさない。健康長寿の鏡のような方だが、その根本には、いうまでもなく、健やかなるDNAがある。遺伝子こそ健やかなるべし。
 長崎でのお別れの時に、ワトソン先生へは明治時代の古写真の複製を差し上げた。小川一真の撮影とされる朝顔の写真である(図4)。朝顔には蔓がある。ジャックと豆の木の蔓に比べればか細い蔓だが、これも「二重らせん」だ。そして傍には明治の時代の和装の女性がさりげなくたたずむ。年老いたワトソン先生だが、それこそが重要と思われたようだった。
 さて、それからしばらくして2016年の秋に面白いニュースがあった。アサガオのゲノムプロジェクトが完結したという。「朝顔の遺伝子」、そのすべてが明らかになった。やってのけたのは日本の研究グループだ。岡崎の基礎生物学研究所を中心に、慶應大学と九州大学の共同研究の成果だった。43,000個もの遺伝子のうち70個ほどがアサガオの色形を決める。中にはトランスポゾンといって「動く遺伝子」もある。それによって変幻自在。とても鮮やかな色と形が日本の夏を彩ってくれる(図4)。なんだか百年後の、いや150年後のメンデルの実験のような気がしないでもない。時代が変わっても、人の興味や感動は同じなのだ。


 図4 ワトソン先生へのお土産写真(左):小川一真の作とされる(長崎大学附属図書館所蔵)。朝顔の花の多様性は遺伝子によって生み出される(右)。「アサガオの全ゲノム解読」のニュースのホームページ(基礎生物学研究所)より。

 

 ワトソン先生の「二重らせん」の発見の物語は、時に「オリンポス山へのはや登り」とも揶揄された。まさにそれで科学界のオリンピック、ノーベル賞の金メダルをとったのだが、先生はそれも売り払ってしまった。メダルはあろうがなかろうが、真実は残る。それで十分なのだ。「二重らせん」の概念、それはともすれば永遠に老いることなく、ワトソン先生の百寿への道をそっと照らし続けるのだろう。
 暑い夏、朝顔市のたつ7月。入谷でも不忍池でも、そんならせんの遺伝子を思いながら、艶やかな朝顔を眺めつつ、そぞろ歩きでもしてみたいものだ。でも、いまだに長引くコロナ禍の中、今年の朝顔市は「無観客」なのだろうか? せめて密を避けての宵のウォークは許されてほしい。ごく普通の日常が戻る日は、まだまだ遠い。




No.1『第1回 老化と寿命:まずは、夢のない話から始めよう』
No.2『第2回 松と亀:アメリカもおいしい』



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