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平野寅次郎のYR散歩



 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。H目白台ブロックを歩きます。距離は12kmで一気に歩きましたが、16坂あるので2回に分けてレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄駅は開始地点近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『H目白台ブロック-1』
 

 [98.目白坂(めじろざか)] 延長440m、高低差24m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 駅から「江戸川公園」に向かい、神田川を渡り、「音羽通り」の最初の左の坂が開始地点(写真下左)です。長い坂で、右側に寺や神社が並んでいます。

 

 左側にある「関口小学校」の先が終了地点(写真下左)、その先の左側には「ホテル椿山荘東京」(写真下右)があります。

 

 説明板には[西方清戸(清瀬市内)から練馬経由で江戸川橋北詰に抜ける道筋を「清戸道」といった。主として農作物を運ぶ清戸道は目白台地の背を通り、このあたりから音羽谷の底地へ急傾斜で下るようになる。この坂の南面に、元和4年(1618年)大和長谷寺の能化秀算僧正再興による「新長谷寺」があり本尊を「目白不動尊」と称した。そもそも三代将軍家光が特に「目白」の号を授けたことに由来とある。坂名はそれによって名付けられた。かっては江戸時代「時の鐘」の寺として「寛永寺」の鐘とともに、庶民に親しまれた。寺も明治とともに衰微し、「目白不動尊」は豊島区の「金乗院」にまつられている。]と記載。
 

 [99.目白新坂(めじろしんざか)] 延長440m、高低差21m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「目白坂」を下り、開始地点に向かいますが、上る時と反対側を歩いて違った景色を見てください。「目白坂下」を左折すると、開始地点(写真下左)です。「目白通り」の一部に位置し、バスも通り、交通量が多く広く長い坂道です。写真は車が来ない時を待って撮影しています。

 

 写真下左は坂の途中、写真下右は終了地点で、左側から来る「目白坂」と合流します。明治時代に開削された新坂で、「目白坂」のバイパスになった坂です。

 

 [100.鉄砲坂(てっぽうざか)] 延長135m、高低差17m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「巳白新坂」を下り、「音羽通り」に戻り、左折します。これからは「音羽通り」の左側にある坂を歩きます。開始地点は「音羽通り」起点が多いですが、0mにならない場合は一本左側に入った道まで行ってください。開始地点はアプリが指定しますので。写真下左は開始地点、狭い坂道(写真下右)入口でした。

 

 説明板には[関口3丁目と目白台3丁目の境。この坂は音羽の谷と目白台を結ぶ坂である。坂下の東京音楽大学学生寮のあたりは、江戸時代には崖を利用して鉄砲の射撃練習をした的場(角場・大筒角場ともいわれた)であった。その近くの坂ということで「鉄砲坂」とよばれるようになった。」と記載。
 

 [101.三丁目坂(さんちょうめざか)] 延長222m、高低差19m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「鉄砲坂」を下りて「音羽通り」に戻り左折、進むと、左側の「大塚警察署」の手前が開始地点で坂を上ります。写真下右は終了地点からの振り返りです。

 

 旧音羽三丁目から西の方目白台に上る坂とのことで「三丁目坂」と呼ばれた。坂下の首都高速道路の下はかって「弦巻川」が流れていたとのことです。
 

 [102.鳥尾坂(とりおざか)] 延長120m、高低差18m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「三丁目坂」を下りたら、「音羽通り」の1本手前の道を右折して首都高速道路沿いに「関口台公園」先まで進むと開始地点で、上は首都高速道路です。写真下右の右側の緑地は「関口台公園」です。

 

 写真下左は坂の途中、写真右は終了地点で、右は「独協学園中学校・高等学校」、その先の白い塔は「東京カテドラル関口教会」です。

 

 説明板には[関口3-9と11の間。この坂は直線的なかなり広い坂道である。坂上には「独協学園」、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」がある。明治になって旧関口町192番地に鳥尾小弥太(陸軍軍人、貴族院議員、子爵)が住んでいた。西側の「鉄砲坂」は人力車にしても自動車にしても急坂すぎたので、鳥尾家は私財を投じて坂道を開いた。地元の人々は鳥尾家に感謝して「鳥尾坂」と名づけ、坂下の左わきに坂名を刻んだ石柱を建てた。」と記載。
 

 [103.七丁目坂(ななちょうめざか)] 延長145m、高低差21m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「鳥尾坂」を下りて、右折、首都高速道路沿いに進み、「関口3-1」の住居表示が開始地点(写真下左)です。写真下右を上りきると終了地点です。旧音羽七丁目と八丁目の間を通る坂なので「七丁目坂」と名づけられたとのこと。

 

 [104.胸突坂(むねつきざか)] 延長109m、高低差20m 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅

 「七丁目坂」を下りる途中から右折して、「目白通り」(目白新坂)に出て、坂の左側を上がります。「ホテル椿山荘東京」の前を通過し、「講談社野間記念館」の角を左折、「永青文庫」前から下ると開始地点(写真下左)で、坂の右側は「芭蕉庵」です。写真下右は坂途中からの振り返りです。都電荒川線早稲田駅から来る場合は神田川・関口庵を目指します。

 

 坂を下り開始地点に行く時、急坂を駆け上がってきたお嬢さんに思わず「頑張れ!」と声を掛けたやさしい寅次郎でした。終了地点の「永青文庫」は肥後熊本の大名 細川家が約700年の間に蒐集した歴史資料や文化財、美術品の博物館で一般公開しています。説明板には[関口2-11と目白台1-1の間。目白通りから蕉雨園(もと田中光顕旧邸)と永青文庫(旧細川下屋敷跡)の間を神田川の駒塚橋に下る急な坂である。坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれる。東は「関口芭蕉庵」である。坂が険しく、自分の胸を突くようにしなければ上がれないことから、急な坂には江戸の人がよくつけた名前である。ぬかるんだ雨の日や凍りついた冬の日に上り下りした往時の人々の苦労がしのばれる。]と記載。写真下左は「神田上水」の改修工事に参画した松尾芭蕉が住んだといわれる場所に建てた「芭蕉庵」、写真下右は「胸突坂」坂下前の「神田川桜並木」で見事です。左奥の建物が「ホテル椿山荘東京」です。

 

 [105.幽霊坂(ゆうれいざか)] 延長259m、高低差20m 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅

 「胸突坂」の開始地点に戻り、右折し、右側の塀沿いに歩き、肥後細川藩主細川越中守の下屋敷跡の「肥後細川庭園」を右折して進むと開始地点(写真下左)で、右側は「肥後細川庭園」の塀、左側は「目白台運動公園」です。写真下右は終了地点手前で、右側は実業家 前川喜作が設立した男子学生寮「和敬塾」です。

 

 まだ一部は「幽霊坂」の名を思わせる、木の覆い繁る細い坂です。終了地点は「目白通り」との合流地点です。近くには「故田中角栄首相邸(目白御殿)」や「日本女子大学」があります。
 

 これにてH目白台ブロック8坂を踏破しました。残りの8坂はH目白台ブロック-2をご覧ください。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。H目白台ブロック16坂の残り8坂をレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄駅は開始地点近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『H目白台ブロック−2』
 

 [106.豊坂(とよさか)] 延長256m、高低差20m 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅

 「幽霊坂」を下り、右折して進みます。右側に「稲荷」(写真下左)が見えますが、この道ではなく、次の道が開始地点(写真下右)です。

 

 坂は大きく曲がり(写真下左)、終了地点は「目白通り」との合流地点(写真下右)で、正面右は「日本女子大学」です。

 

 説明板には[目白大1丁目7と9の間。坂の名は坂下に「豊川稲荷」があることから名づけられた。江戸期この一帯は、大岡主膳の下屋敷で、明治になって開発された坂である。坂を下ると神田川にかかる「豊橋」があり、坂を上ると「日本女子大学」前に出る。坂下の神田川は井之頭池に源を発し、途中、善福寺川、妙正寺川を合わせて、水量を増し,区の南辺を経て、隅田川に注いでいる。江戸時代、今の「大滝橋」のあたりに「大洗堰」を築いて分水し、小日向台地の下を素掘りで通し、江戸市民の飲料水とした。これが「神田上水」である。」と記載。
 

 [107.小布施坂(おぶせざか)] 延長273m、高低差20m 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅

 「豊坂」を下り、開始地点に戻り、右折して進みます。「豊川浴泉」(写真下左)が開始地点で脇の道を行きます。終了地点(写真下右)は「目白通り」との合流地点です。

 

 説明板には「江戸時代 鳥羽藩主 稲垣摂津守の下屋敷と、その西にあった岩槻藩主 大岡主膳勝正の下屋敷の野良道を、宝暦11年(1761年)に新道として開いた。その道がこの坂である。坂の名は、明治時代に株式の仲買人で財をなした小布施新三郎という人の屋敷がこのあたりに一帯にあったので、この人の名がとられた。古い坂であるが、その名は明治のものである。」と記載。
 

 [108.日無坂(ひなしざか)] 延長232m、高低差18m 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅

 「小布施坂」を下り、開始地点に戻り、右折すると、「目白台1-13」の住所表示が開始地点(写真下左)です。写真下右は坂の途中で、豊島区と区境の坂です。

 

 途中からは階段に変わります。写真下右は終了地点からの振り返りです。狭い上に樹木に覆われて日の光もまばらだったことから名がついたようです。

 

 [109.幽霊坂(ゆうれいざか)] 延長126m、高低差4m 最寄駅 都電荒川線 鬼子母神前駅

 先ほど同じ名前の坂を歩いて来ました。今回は終了地点から前に進みます。「目白通り」に出て「不忍通り」との合流点流点から「不忍通り」の右側を歩きます。ここは「清戸坂」途中で「清戸坂」の説明板近くの右側の道が開始地点(写真下左)です。写真下右は坂の途中で平坦な坂です。

 

 かっては坂の西側に「本住寺」があり、その墓地が竹垣の間から見えたため、この名が付いたとのこと。坂の近くは江戸時代には旗本屋敷で、明治34年(1901年)「日本女子大学校」(現在の日本女子大学)が設立されました。
 

 [110.薬罐坂(やかんざか)] 延長228m、高低差7m 最寄駅 都電荒川線 鬼子母神前駅

 「幽霊坂」の開始地点に戻り、右折し、下ります。「目白第3-1」の住所表示が開始地点です。2本の道がありますが、右の広い道です。途中左側には明治後期から昭和戦前に建てられた和洋折衷の「村川家住宅」(西洋史学者村川氏宅)が文化財として残されています。

 

 説明板には[目白台2丁目と3丁目の境。江戸時代、坂の東側は松平出羽守の広い下屋敷であったが、維新後、上地され国の所有となった。現在の筑波大付属小学校一帯にあたる。また、西側には広い矢場があった。当時は大名屋敷と矢場に挟まれた淋しい所であった。「やかん坂」のやかんとは、野狂とも射干とも書く。犬や狐のことをいう。野犬や狐の出るような淋しい坂道であったのであろう。また、薬罐のような化物が転がり出た、とのうわさから、「薬罐坂」と呼んだ。別名の「夜寒坂」の起こりは、この地が「夜さむの里道」と、風雅な呼び方もされていたことによる。この坂を挟んで、東西に大町花月(評論家・随筆家)と窪田空穂(歌人・国文学者)が住んでいた。]と記載。説明板の坂名は(夜寒坂)が併記されていました。
 

 [111.清戸坂(きよとざか)] 延長645m、高低差12m 最寄駅 有楽町線 護国寺駅

 「不忍通り」に戻り、右折して進むと、首都高速道路手前が開始地点(写真下左)で、広く長い坂を上ります。終了地点は「目白通り」との合流地点(写真下右)です。

 

 説明板には[目白台2-9と2-10。延宝4年(1616年)御三家 尾張コ川家の御鷹場が、中清戸(現在の清瀬市)に造られた。将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。これが現在の「目白通り」である。「首都高速道路(5号線)護国寺出入口」(護国寺側)から「目白通り」に向かっての広い坂の道は昔から“清戸道に登る坂”ということで「清戸坂」といわれた。江戸時代、この坂の北側一帯は、雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地)で坂の道に沿って雑司ヶ谷清土村百姓町があった。明治10年代から雑司ヶ谷の北側は牧場と牛舎が建ち、平田牧場といった。牛乳を売る小売店があり、人々が休憩をした。旗竿には「官許の牛の乳」とかな名とローマ字で書かれていたという。]と記載。説明板の坂名は(清土坂)が併記されていました。
 

 [112.小篠坂(こざさざか)] 延長 199m、高低差7m 最寄駅 有楽町線 護国寺駅

 「清戸坂」の左側を下りて交差点を横断、「護国寺」の墓地に沿った道が開始地点(写真下左)です。写真下右は終了地点近くです。

 

 説明板には[豊島区との境を接する坂である。この坂道は、江戸のころ、護国寺の北西に隣りあってあった。“幕府の御鷹部屋御用屋敷”から、坂下の「木浄寺」(豊島区雑司が谷)に下る道として新しく開かれた。往時は笹が生い繁っていたことから、この名がついたものであろう。坂下一帯は、文京の区域も含めて、住所表示改正まで、雑司ヶ谷町と呼ばれていた。]と記載。説明板の坂名は(小笹坂)が併記されていました。
 

 [113.希望の坂(きぼうのざか)] 延長66m、高低差8m 最寄駅 有楽町線 護国寺駅

 「小篠坂」の開始地点に戻り、左に少し進むと、開始地点(写真左)です。 最後の113坂目にふさわしい名前です。希望に向かって上りました。左側は「護国寺」の墓地、正面の終了地点は「区立青柳小学校」・「区立青柳幼稚園」でした。この坂の名は青柳小学校の皆さんから募集、坂道は子どもたちが楽しく学べる通学路であり、希望に満ちた子どもたちの将来を願って「希望の坂」としたとのことです 。

 

 これにてH目白台ブロックの16坂を踏破です。IVV距離認定は12kmです。
 文京113坂も全踏破(合計距離86km)です。お疲れ様でした。
 アプリの記録帖の「完登証」を押すと「完全登坂証」が出てきます。


 

 [“文京の坂113”を歩いた平野寅次郎の感想]
 

・文京区には何と名のついた坂が多いことを思い知りました。むかしの方々、毎日の生活で上り下りされる今の方々の足腰は鍛えられますね。  

・このアプリの基本は坂下から上り、次の坂へはいったん坂を下りで向かいます。たまにはそのまま前に進む場合もありました。どこから歩いても良いのですが、坂の番号は次に行きやすい設計で付けられているようですので、番号順にまわりました。多分、距離もこのコースで設計されていると思います。  

・スマホを持ちながら、坂を上ったり、下りたり、迷ったりしていると、「どうしましたか?」、「どこへ行きたいのですか?」と、多くのご親切な方々に声を掛けていただきました。お騒がせをいたしました。  

・スマホデビューの寅次郎でしたが、アプリの現在地(青点)に助けられて何とか113坂を踏破(完登)することが出来ました。  

・文京区教育委員会の坂の説明板は大変勉強になりました。記載内容は往時の人々の気持ちがよく表れているので、出来るだけ原文を記載しました。特に坂の名前の由来がいろいろあり面白かったです。  

・一番苦労したのは開始地点に来ているのに「あと0m」にならず、行ったり来たりしたことです。  

・1ブロックは一気に歩ける距離ですが、分けて歩く時のために開始地点近くの代表例の最寄駅(バスを除く)を書きました。でも、かなり離れている場所があります。  

・「コロナ禍」にあっては「密にならないアプリを使ったYRは新しい歩き方」として、もっと広まって欲しいと思いました。


 

平野寅次郎 拝



No.1『湘南ふじさわウォーキング協会(FWA) 江の島コース12km』
No.2『JVA・JWA 九段・皇居コース 10km』
No.3『竹の湯コース10km』
No.4『靖国神社・迎賓館・清水谷公園・大使館・千鳥ヶ淵・北の丸公園 12km』
No.5『湯島天神と不忍池〜西郷どんコース 約5km』
No.6『小石川植物園・護国寺・小石川後楽園 13kmコース』
No.7『さんぽみち連絡 5km 東大コース』
No.8『神田明神・湯島天神・水天宮・日本橋コース 10km』
No.9『さんぽみち連絡 小石川後楽園コース 6km』
No.10『谷根千コース 5km』
No.11『第三玉の湯コース 10km』
No.12『東京スカイツリーコース Aコース 14km』
No.13『不忍池・西郷どん・神田明神・湯島天神  5km』
No.14『水天宮・日本橋・神田明神・湯島天神 コース 10km』
No.15『東京スカイツリーコース A-bコース 11km』
No.16『神楽坂―神宮外苑・国立競技場―外濠公園 20km』
No.17『文京の坂113 @湯島ブロック−1』
No.18『文京の坂113 @湯島ブロック−2』
No.19『文京の坂113 A水道橋ブロック 6km』
No.20『文京の坂113 B本郷ブロックー1』
No.21『文京の坂113 B本郷ブロックー2』
No.22『文京の坂113 C白山ブロック−1』
No.23『文京の坂113 C白山ブロック−2』
No.24『文京の坂113 D駒込ブロック 7km』
No.25『文京の坂113 E大塚ブロック 12km』
No.26『文京の坂113 F小石川ブロック−1』
No.27『文京の坂113 F小石川ブロック−2』
No.28『文京の坂113 G小日向ブロック−1』
No.29『文京の坂113 G小日向ブロック−2』








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