宮下充正名誉会長のウォーキング日記


2023年度(2023年4月〜)

2.10 2.3 1.13 1.1 12.3 11.26 11.18
11.4 10.28 9.18 9.1 8.5 8.3 6.17
6.12 6.6 6.4 5.27 5.23 5.21 4.6


2022年度(2022年4月〜)

2.25 2.21
1.21 1.2 1.1 12.17 11.27 11.20 11.8
11.4 10.13 9.23 9.2 8.21 6.18 5.12


2021年度(2021年4月〜)

3.29
3.24 2.25 2.8 1.2 1.1 12.21 11.28 11.27
11.20 10.8 9.24 9.20 8.25 8.24 7.9 6.11
5.24 5.14〜16 5.5 4.30 4.29 4.25 4.16 4.11


2020年度(2020年4月〜)

3.26 3.22 3.17 3.7 1.1 12.16-17 12.10 12.6
12.5 11.22 11.21 11.20 11.19 9.30 9.15 9.2
8.15 7.9 6.14 6.6 5.27 5.18 5.17 5.2
4.7


2019年度(2019年4月〜)

3.26 3.5 1.22 1.1 12.26 12.14 11.24 11.16
11.9 10.26 10.22 10.11 10.9 10.6 9.30 9.22
9.16 9.2 8.29 8.3 7.13 7.7 6.22 6.21
6.16 6.9 6.6 5.19 5.4 4.7


2018年度(2018年4月〜)

3.27 3.15 3.9 1.25 1.23 1.10A 1.10@ 1.1
12.20 11.25 11.17 11.10 10.27 10.21 10.19 10.13
10.5 10.1 9.28 9.22 9.18 9.15 9.13 9.8
9.4 9.1 7.1 6.23 5.20-26 5.11 4.13 4.7


2017年度(2017年4月〜)

3.23 3.17 3.10 2.25 2.17 2.16 2.15 1.13
1.2 1.1 12.22 12.9 11.18 11.9 11.5 11.3
11.1 10.22 9.28 9.27 9.24 9.21 9.18 9.17
9.16 9.9 9.2 9.1 8.31 7.23 7.16 7.12
7.10 6.30 6.25 6.8 6.6 5.12 5.8 4.15
4.9 4.5



2012〜2016年度の記事はこちらをクリックしてください



2024・2・10「学士会館」
 私どもが62年前に結婚式を挙げた東京神田にある「学士会館」が、古くなったので修復されると報道されました。2月10日が連れ合いの85歳の誕生日なので、子どもたちが「学士会館」でお祝いの会を開いてくれました。結婚式は人前結婚と称して、参加者の前で結婚するという「誓詞」を読み上げる方式でした。5人の子どものうち2人は幼くしてなくなりましたが、幸い息子と2人の娘たちは50歳を超え、みんな元気に暮らしています。これも周囲のさまざまな人たちのお陰と、感謝しています。

誓詞を読み上げる    学士会館前で記念写真


2024・2・3「雪上かんじきウォーク」
 山形県鶴岡市の希望する市民に「50万歩への挑戦」という冊子を配布し、日ごろからウォーキングを実践することを勧めて、30年ほどが経過しました。その間、里山ウォーク、ノルディック・ウォーク、水中ポール・ウォーキングなどいろいろなウォーキング・イベントを、鶴岡市スポーツ課の職員が中心となって展開してきました。そして、雪が積もる冬季も歩こうと雪上かんじきウォークが加えられ、月山、湯殿山など雪がたくさん積もる地域で毎年行われてきました。
 2024年2月3日に、月山のビジターセンターから雪原と林道を歩く計画が立てられ、80名の人たちが参加して行われました。例年より積雪が1m50pぐらい少ないということでしたが、白銀の雪原には動物の足跡がはっきり残っていました。雪がやんで曇り空ではありましたが、尾根伝いの雪道からは遠くに庄内平野、日本海を眺めることができました。
 今年は完歩するぞと、1月中には20万歩以上歩くトレーニングをして参加しました。参加者の中で最長老なので致し方ありません、80名の人たちの最後尾になりましたが、どうにか10400歩でフィニッシュできました。使い慣れない筋肉を使ったのであちこち筋肉痛になりました。でも、歩き終わって甘いあずきがたっぷりかかった餅をおいしくいただくことができました。

雪上ウォーク      一休み      あぶなっかしい足どり


2024・1・13「地域包括ケア」
 70年前東京大学入学以来の友人は、親の跡を継いで大規模病院の寺岡記念病院の会長として医療に従事、同時に「地域包括ケア」を充実するために社会福祉法人新市福祉会の理事長を務めています。彼からの依頼を受けて、“福祉文化の里”を標榜している施設の職員や地域住民を対象として、「100歳までウォーキングで健康寿命を目指す」と題して、2024年1月13日広島県福山市で講演をしました。
 その前に、老人たちから変に見られないように白衣を着て、介護老人保健施設を見学しました。脳障害の後遺症や認知症などを患う、さまざまな老人を、職員が熱心に世話をしていました。大変な仕事ですが、皆さん笑顔で接しているのを見てとても頼もしく思いました。 “福祉文化の里”構築にむけてどのようにすればよいのか問われましたが、まず必要となる人材の確保が必須でしょうが、明確に答えることができませんでした。とりあえず、町の中を流れる芦田川の遊歩道をさらに魅力あるものに変え、現在健康な人たちが歩く習慣を身につけることが不可欠と強調しました。いま健康な人たちでも、高齢になれば病気に罹ることは避けられません。歩く習慣があれば、病気になっても回復が早く、直ぐに元に戻れますと説明し、「歩かないより、歩いた方がずっといい」と締めくくりました。高齢者の3割が元気でいれば、高齢者が増えても介護の人材を確保できると思っています。

老人施設                  講習会


2024、年の初め「皇居と浅草寺」
 今年は、つくづく長く生きたものだと思いました。
毎年のように元旦の朝6時に家を出て、地下鉄で大手町まで、そこから皇居一周です。晴天でしたが風が冷たい朝でした。私は、一周歩くつもりでしたが、子どもや孫など若い人たちと同じ速さでは歩けませんから、大手門から日比谷公園の角を右に回り桜田門から皇居へ入るルートを選びました。そこで、一周した家族たちと合流できました。地下鉄で帰宅。歩数は一万歩弱でしたが、今年も無事歩けて満足でした。
 2日は「厄除け」のお札の交換に、浅草寺に出かけました。9時15分と昨年よりやや早く家を出たのですが、浅草寺の周囲には大勢の警察官が交通整理を始めていました。今年は外国人、東南アジアからの人が目立ちました。警察官の誘導で、みんな並んで仲見世の通りを本堂に向かってぞろぞろと歩き。願い事もないので本堂でお賽銭を長げ入れ、無言で頭を下げました。新しい「厄除け」のお札を500円購入。「花やしき」側へ出て、みんなで記念撮影をしました。孫たちは、おみくじを買って「大吉」だったと喜んでいました。

               二重橋                    浅草寺で家族と                本殿の人混み    


2023・12・3「昭和記念公園を歩く」
 (一社)全日本ノルディック・ウォーク連盟が主催する「東京ノルディック・ウォークフェスタ」が、2023年12月3日東京都立川市にある昭和記念公園で開催されました。新聞やテレビで広く広告されている機能性表示食品「ロコモア」で有名なサントリーウエルネス(株)が、顧客を対象にフェスタへの参加者を募集したところ、予想以上の1400名近い応募があったそうです。“ノルディック・ウォーク実践”の健康への効用を理解する人たちが増えたのでしょう。
 午前と午後との2回に分けて、500名近い人たちが広い芝生の広場に集まり、ポールを借りて、5q、3q、1qのルートに分かれて歩き出しました。公園の周囲の広い歩道を歩きましたが、黄色に染まった“いちょう”、初冬の陽を浴びて真っ赤に色づいた“もみじ”の街路樹を背景に記念写真を撮るなど、とても楽しそうでした。参加者はノルディック・ウォークの初心者がほとんどでしたが、これを機会に歩く習慣を身に着け、健康な生活を送れるようになれば、イベント企画は大成功だと思いました。

 

     参加者が集合                サントリーウエルネス社員と一緒


2023・11・26「フルコンタクト空手大会」
 「(一社)全日本フルコンタクト空手コミッション」の顧問に就任して、2年となります。第1回に続いて、今年は「第2回全日本学生フルコンタクト空手道選手権大会」が、「第17回全日本ジュニア空手道選手権大会」と並行して、2023年11月26日「国立代々木競技場第1体育館」で開催されました。ジュニア大会では、たくさんの幼児、小学生、中学生、高校生が、性・体重別に個人戦が行われました。選手たちは障害を避けるためヘッドガードやパンチンググローブなどの防具を身に着けて競技を行いました。優勝した選手には大きなトロフィーが授与され、喜びを隠さず記念写真に納まっていました。
 空手に熟達した学生たちは、性・体重別に防具を着けずに行われます。拳での頭部への攻撃は禁止されていますが、予期しないで顔面に当たり脳震盪を起こすといった競技もたまに見られます。昨年の大会では、勝敗の判定がよくわからなかったので、観客が分かり易いように、勝敗判定の基準を示すのがよいと助言しました。今年は競技会開始前に、模範演技を行いながら判定基準の解説をしてくれました。この解説のお陰で、拳で胸を、足で下肢を、それぞれ打ち込む音が聞こえる2分間の激しい競技の勝敗を予測することができました。
 今年の参加者は昨年に比べ人数が大幅に増え、大会の運営もスムースに行われました。今後の発展が大いに期待されます。ところで、素早い動作が衰える高齢者にとっては、空手の動きはとてもよい運動といえます。空手の型を基本にしたシニアむけの運動プログラムが構成され、子どもたちが使用しない日中に、空手道場での中高年齢者むけの教室が開催されることが望まれます。

 

防具をつけての競技      学生の競技     


2023・11・18「市民のエクササイズ参加」
 30年ほど前から、山形県鶴岡市の市民に対する健康増進運動プログラム推進の手伝いをしてきました。コロナの流行のため、ここ3年は出かけることができませんでした。今年は3月の「雪上ウォーク」、9月の「スリーデーウォーク」のイベントで歩きました。11月は「水中ポール・ウォーキング」講習会と「フィットネスダンスフェスタブル」に参加しました。
 「水中ポール・ウォーキング」は、温浴施設、水泳プール、マシンエクサイサイズ用フロアのあるスパールという暖房の効いた大規模な運動施設で18日11時から行われました。プールでは講習会前まで幼児の水泳教室、中高年者の水泳教室が行われていて、雨風の強い寒さの中とてもにぎやかでした。ここでは長さの違う水中用の30組のポールが用意されていて、プールの民間委託をうけた団体のインストラクターが指導に当たりました。強風と雨の中でしたが、10名近い参加者が1時間ほど実施しました。
 19日は、運動公園の中にある広いフロアで「フィットネスダンスフェスティバル」が行われました。「日本フィットネス協会」が20年ぐらい前に始めたイベントです。だれでも知っている唱歌、歌謡曲のリズムに合わせて、からだを動かすというイベントです。始まったころには全国で10ヵ所近くの自治体で行われていましたが行われましたが、今ではほとんどが行われていません。現在は鶴岡市だけが、熱心な愛好者のお陰で行われているそうです。とても驚いたのですが、男性も交じっていましたが、中高年の女性たちが、インストラクターの指導の下、1時間にわたって踊っていました。
 ところで、隣接するフロアでは、障がい者による「ポッチャ」の市長杯大会が開かれていました。このように、鶴岡市の皆さんは、競技スポーツばかりではなく、さまざまなスポーツやエクササイズに参加していました。全国の自治体でこのようなイベントが定期的に行われ、たくさんの人たちが健康で日々を楽しんで欲しいと願っています。

 

水中ポール・ウォーキング講習会      フィットネスダンスフェスティバル     


2023・11・4「賑わいを取り戻した日本スリーデーマーチ」
 国際市民スポーツ連盟(IVV)が認定する日本最大の国際的ウォーキング大会「日本スリーデーマーチ」は、コロナ禍でしばらく規模が縮小されて実施されてきました。今年の第26回大会は、外国からの参加者が100名近くと増え、以前の賑わいを取り戻して2023年11月3、4、5日に実施されました。
 季節外れの真夏日でしたが、森林公園を通るルートを歩きました。東松山市の中央会場から森林公園まで7qぐらい歩き、すっかり汗をかき疲れてしまいました。公園の芝生に靴を脱いで寝転んで休み、たくさんのウォーカーが通り過ぎていくのを眺めながら、外国を含め日本中からたくさんの人たちが歩きに来るこの大会が、末永く続くことを願わずにはいられませんでした。

 

    中央会場              休憩


2023・10・28「韓国国際ウォーキング・フェスティバル」
 コロナ禍で入国できず、4年振りにソウルで開催された表記の大会へ、2023年10月28、29日参加しました。街路樹は紅葉し始め晴天に恵まれ、日本人、中国人、アメリカ人などを交えて、第9回大会は盛会に行われました。新興市街地の広い歩道から、サイクリングとウォーキングとが平行する河川敷の道を、ソウルのシンボル123mの高さの“ロッテタワー”を遠くに眺めながら、気持ちよく歩けました。若い人たちに追い越されながらでしたが、14000歩と約8qを完歩できました。昼食には食肉市場内にある、店で購入した肉を食べさせるレストランで、1人当たり300gの肉を焼くという豪快な食事をしました。2日目も8qを歩くことができ満足しました。ところで、がんの手術後という70歳代後半の韓国の宣会長は私と同じようにゆっくりと、大腿を骨折した後の70歳前半の中国の金代表は杖をしながら歩いていました。病人同士、記念にツーショットを撮ってもらいました。
 ところで、外国からの観光客が増えたこともあってか羽田空港は混雑し、出入国に1時間30分もかかってうんざりしました。

  

ロッテタワー          宣会長と              金代表と


2023・9・18「湯野浜ノルディック・ウォーク」
 日本で初めて山形県鶴岡市で、ノルディック・ウォークの大会を開催してから、節目となる25年が経過しました。最近の4年間は、コロナの流行のために中止となっていましたが、今年は「つるおかスリーデーウォーク」と名づけて。1日目は「2400段の羽黒山修験のみち」、2日目は「酒の町大山の下池・上池をめぐる里山歩き」、3日目が「湯野浜海岸を歩くノルディック・ウォーク」が催行されました。
 2日目の5qを選んで歩きだしましたが、歩き始めの登りで、汗をタオルでふき取るほどかいてしまいました。うかつにも飲み物を持参していなかったので、2qぐらいで一休み、その後歩き続けました。再び、途中の休みどころで、ペットボトルの冷えた飲み物を購入して飲み干し休みました。しかし、残り1qぐらいのところで、歩き続ける意欲が薄れて、迎えの車を呼んでフィニッシュ地点まで運んでもらいました。午後はホテルで休憩していましたが、気分が悪く熱中症に罹ったものと思われました。その後しばらくホテルで寝て過ごし、夕方になってようやく回復しました。高齢であることを忘れて、高温のなか水も持たずに歩くという無謀なことをしたものだと、深く反省した次第です。
 3日目は、砂浜を3q歩くルートを選択しましたが、前日の熱中症の影響か足取りも軽くとはいかず、2度ほど休んで水分を補給してフィニッシュしました。しかし、日本海からの風を受けながらの、砂浜のウォーキングはとても気持ちよいものでした。

 

                海辺を歩く                  足取りは重いがまあ元気


2023・9・1「第18回飛騨神岡ツーデーウォーク」
 体調もようやく戻ったようなので、「第18回飛騨神岡ツーデーウォーク」に参加するため、2023年9月1日に北陸新幹線の富山駅で乗り換え、高山線で飛騨神岡町へ出かけました。ちょうど「おわら風の盆」の初日と重なっていたため、大勢の観光客で高山線への乗り換えには、整理券を配布して人数を制限して誘導するほどでした。
 夜7時から「ツーデーウォーク」のコラボレーション企画として「多くの人が豊かな高齢期を過ごすために」と題する講演会が開催されました。高齢者がほとんどで50名くらいの人たちが集まりました。およそ1時間話をしましたが、居眠りする人もなく熱心に聴いてくれました。
 翌日は、常設の「ひだ流葉・数河高原カントリーウォーク」の出発点、流葉スキー場入口の広場で開会式、ウォーミング・アップをした後、13q、6qのコースへとそれぞれ出発していきました。3年振りの大会で、みなさんとても嬉しそうでした。高原の山間でも今年はとても暑かったそうですが、数日前から朝晩は冷えてきて秋の気配が感じられるようになったといいます。すすきの穂が色づき始めていました。

 

のぼり旗         すすきの穂


2023・8・5「世界マスターズ水泳大会」
 2年に一度、世界マスターズ水泳大会が開かれてきました。今年は久し振りの日本開催となり、参加する学会の後に行われるというので、初日の800m自由形にエントリーしました。スイスにある本部とのネットでの申し込みで面倒でしたができました。約8,000名のスイマーが世界中から、博多の町に集まりました。
 8月5日の結果は、世界3位といっても、哀れなものでした。熱はありませんでしたが、10日間近く扁桃腺炎か咽頭炎で寝込んでの参加でした。水深3m、水温25度、足がつけるとこはありません。途中3回は、ターンはできましたが、タッチ版に手も足もつかず記録がありません。とにかく溺れそうで、水も飲んでしまったようです。記録は、6月11日の広島での記録、18:17:91に比べても2分近く悪いタイムでした。

 

 会場入り                       世界3位


2023・7・31〜8・3「ISB Fukuoka」
 2023年に創立50周年をむか国際バイオメカニクス学会が、福岡市で、内外の研究者1500名を集めて、2023年7月30日から8月3日まで開催されました。コロナの影響で対面での大会は見送られてきましたが、今回は久しぶりに会えるのでみなさん関心があったようです。
 7月31日の午後は、開会式に続いて、50周年記念講演が行われ前半は高齢研究者による歴史、後半は若い研究者による今後の方向を探るといった内容でした。大会会長を引き受けた布目福岡大学教授は教え子の1人であり、乞われて歴史部分の講演を引き受けました。20分間とはいえ、久し振りの英語のスピーチでしたので緊張しました。「私はこの60年間何をしてきたのだろうか」と題して、日本バイオメカニクス学会の成長を、国際バイオメカニクス学会の発展とともに私自身の研究についてまとめました。
 壇上に登るのに手助けがありましたが、話始めると思ったより大きな声で、ゆっくりと話ができました。最後に「ご清聴ありがとうございました」述べると、大きな拍手があり、また司会者からも褒められました。加えて、数名の教え子から、よかったとおだてられ嬉しくなりました。

 

支えられて登壇          最初のスライド       熱がこもった口調になった


2023・6・17「ノルディック・ポール・ウォーク学会大会」
 第8回が山梨県で行われて以来、学会大会はコロナ禍のため“対面での大会”ができませんでした。その間、“リモートでの大会”が続きましたが、2023年6月17日、長野県小海町において第12回大会が「新しい社会を見据え、ノルディック・ポール・ウォークの可能性を拓く」をテーマに、100名近い人たちが参加して行われました。福崎千穂大会会長の講演、私の基調講演、シンポジウム、一般発表が行われました。懇親会の後、夏至にフィンランドで行われる焚火(コッコ)が点火されました。
 翌18日には、小海町が主催する“フィンランディアウォーク”が、地元の人を交えて行われました。雄大な八ヶ岳を仰ぎ、ヘラブナを狙う釣り客がたくさんいる静かな松原湖の周辺の道を歩きました。

 

フィンランデイア・ウォーク       コッコへの点火    

 

記念撮影


2023・6・12「もみじCUP」
 マスターズ水泳大会は、4月から6月初めまではプールの長さが25mの短水路で行われます。6月5日で終わった札幌会場からは、長さ50mの長水路で行われるようになります。その初めに行われるのは「もみじCUP 2023マスターズ水泳広島大会」です。昨年参加した後、心筋梗塞に罹りちょうど1年になります。札幌から広島1週間しか空いていませんでしたが、2023年6月11日200m自由形と800m自由形に出場しました。
 この大会では、3位までに賞状が手渡されます。表彰者は、過去の水泳選手です。今年は、平泳ぎで金メダルを獲得した田口信教さん、水泳選手から俳優となって活躍している藤本隆宏さん、オリンピック2大会連続で200mバタフライ銅メダルを獲得した星奈津美さんでした。200m自由形は2位で星さんから、800mは1位で藤本さんから、それぞれ賞状をいただきました。心臓に負担がかからないようにと、ゆったりと泳ぎました。幸い完泳できましたが、旅の疲れか体調が思わしくなく、記録も去年より大幅に低下していました。参加することに意義があり、加えて有名な水泳選手から賞状を手渡され喜びました。

   

水泳中         200m2位         800m1位


2023・6・6「レインボートラウト」
 札幌市での水泳大会後十勝平野を流れる音更川へ行き、2023年6月6日に釣りを楽しみました。コロナ禍前には何度か、札幌市に住む友人と、東京都と長野県に住む4人で渓流釣りをしてきました。2人はフライフィッシング、1人はルアーフィッシングですが、私はミミズ、イクラの卵、ブドウ虫などを使っての餌釣りです。音更川は標高1960mの石狩岳から流れ出し“糠平瑚”に注ぎ、帯広市近くで“十勝川”に合流する川です。今年はクマが出るというので、山の奥へは行けないので、平野を蛇行して流れる場所を選びました。近くに小学校があるので、定期的にドカンという音を鳴らして、クマから子どもたちを護る場所でしたので、安心して釣りができました。
 病気で脚が弱ってしまい足元がしっかりしないので、ゆっくり釣り歩きながら釣りをしました。まずは、25pぐらいのトラウトが釣れて、黄色の花が咲く川べりで記念の証拠に撮影してもらいました。その後、何匹か釣れましたが、昼近くになって大きな魚がかかり、上流へ下流へと逃げ回り、そのたびに竿を立てて釣り上げられるように、魚が弱るのを待ちました。うまい具合に、レインボートラウトの鮮やかな虹色の丸々と太った大物を、釣り上げることができました。
 夕方釣り終わって、ホテル近くの居酒屋でジャガバタ、イカの丸焼き、アスパラの天ぷら、長芋のサラダなど地元の特産品を食べながら、釣り談義を楽しみました。健康に留意し、歩く能力を回復させて、来年も来られるようにという思いが強くなりました。

 

   釣り音更川      やっと釣れた大物


2023・6・4「1500mを泳ぐ」
 成人むけに、5歳刻みで記録を競う、マスターズ水泳大会が行われて35年近く過ぎました。記憶によれば、1988年に「東京オリンピック1964」が行われた代々木の室内プールで泳いだのが初めてです。東京大学を定年退職後は、機会あるごとに各地の大会に参加してきました。77歳ごろから“がん”や“心筋梗塞”に悩まされて、出場を控えてきましたが、2023年6月4日札幌市の平岸プールで、531名が参加した「2023年日本マスターズ水泳短水路大会」において、1500m自由形に挑戦しました。とにかく50mを69秒平均で泳ぎ切ることができました。
 4月から2か月にわたって全国25か所で行われた2023年の短水路大会の記録は男女別、種目別、5歳刻みの年齢別に集計されます。私の総合ランキングは、85歳〜89歳区分で、自由形100m9位、200mと400m4位、1500m1位という結果でした。とにかく泳げる幸せを喜んでいます。

 

   50mプールを横使いして25mプールに      87歳のからだ


2023・5・27「偲ぶ会」
 整形外科医矢野英雄先生は、2年前に急逝されました。コロナ禍で葬儀が行われず、「偲ぶ会」が2023年5月27日、最後の勤務先であった富士温泉病院のある山梨県石和温泉のホテルで65名近くの参加者が参加して行われました。矢野先生が最近取り組んでいたのは、下肢に障害がある人たちに、ノルディック・ウォークや水中ポール・ウォーキングを勧めて、手術をしないで治療することでした。そうして、「100歳までウォーキング」という会を組織し、自ら会長として歩くのに困難な人たちに、末永く歩こうと呼びかけてきたのでした。その会を運営している人たちによって、「偲ぶ会」が計画されたので、参加者の7割は杖なしでは歩くのが困難な人たちでした。しかし、皆さん元気で、割り当てられた短いスピーチで、矢野先生の思い出を語っていました。私は名誉会長として、はじめにするようにと言われましたが、自分より年の若い人の「偲ぶ会」での挨拶は、とても難しいものでした。

 

   偲ぶ会                  挨拶


2023・5・23「日韓友情ウオークゴール祝賀会」
 20年前に始まった朝鮮通信使日韓友情ウオークは2年に1度行われ、2023年5月23日第9次ウオーク隊が東京に到着しました。ソウルから2000qを歩いて53日かけてのウォーキング・イベントです。日本スリーデーマーチの主催者になっている朝日新聞の記者であった遠藤靖夫さんが、会長として牽引してきました。
 私は、ウォーキング大会は草の根の国際交流の役を果たすと評価してきました。日韓の間でシャトル外交が開始され、2国間の障壁が除かれようとしているとき、すばらしい成果です。今年は、特に在日韓国人が大勢参加しての盛会な祝賀パーティでした。韓国側の代表者宣相圭韓国体育振興会会長も、病身にもかかわらず参加されていました。
 挨拶に立った人たちは、継続こそ大切で今後も若い人に受け継がれることを望むと述べていました。

  

祝賀パーティ                       往時の服装を着た隊員         宣会長


2023・5・21「日本マスターズ短水路大会」
 2023年5月21日、四国高知市の“くろしおアリーナ”で行われた大会へ、3年振りに参加しました。400近いスイマーが全国から参加。25m自由形へは90歳を超える人が参加していましたが、長距離種目は私が最年長でした。200m自由形は恥ずかしながら、距離を間違え150mで一旦止まってしまい5秒ほど遅れてのゴールでした。一緒に泳いだ人は15〜20歳若い人たちで、200mでは50m、400mでは100mも遅れてゴールでした。記録は、昨年のロングプールよりも悪く、1年という老化の影響か、心筋梗塞の後遺症の影響かわかりませんが、とても残念でした。
 高知を選んだ理由は、成人女性を対象として水泳指導を始めて、300名を超える集団を作り上げたカリスマ山ア誠子さんと、その仲間に会いたいと思ったからです。県営や市営プールのコースを借りて、行政の力を借りずに作り上げた45年の長い歴史を持つ水泳愛好会で、全国では高知しかありません。
 もちろん、初カツオのたたきも食べる目的もありました。レースが終わった21日6時30分から、8名の年配の女性たちと会食です。高知の女性はアルコールに強いので有名で、ジョッキのビール5杯を飲み上げる人もいて、3時間という長い時間会話を楽しむことができました。

   

200m1位             400m1位  


 

ミセス水泳クラブのみなさんと           山崎誠子さんと       


2023・4・6「今仙技術研究所」
 愛知県犬山市にある“今仙技術研究所”を、2023年4月6日訪問しました。“歩行を測定し歩きを判定する装置”を新作したというので見学に行ったのです。所内には8mの歩行路があって、側面と正面から歩行中(往復)の全身の動きをビデオで連続撮影し、歩行速度、歩幅、からだの各関節を分析するという仕組みです。私がふつうに歩くときは、速度が平均3.7km/時、身長に対する歩幅が平均38%と数値が歩行直後に診断され、「股関節屈曲が小さい歩きになっています、大股でカカトから着地する歩きを意識しましょう」というコメントが、付記されていました。たくさんの対象者に歩いてもらい、それらのデータをAIに学習させ、身長を入力すれば、股関節、膝関節、足関節などの動きが判定できるようになっていたのです。
 関連制作所も訪問しました。ここでは電気車椅子が、利用する人のからだの特徴に合わせて、オーダーメイドで制作されていました。特に、折りたたむと自動者の荷台に積むことができるという最新の車椅子に試乗してみましたが、とてもスムースに操作できていました。また別に、膝関節から下を切断した人のための補装具の制作もしていました。特に足を前に出し着地したときは膝部分が固定され、体重が前方へ移動すると膝部分が屈曲するという工夫がなされた歩きやすい製品ができあがっていました。また、パラアスリート用の反発力のある特別な補装具が作られていました。実際にパラリンピックでメダルを獲得したときに使用した本物が展示されていました。
 これまで、歩ける人たちに歩ける能力をよりよく、より長く歩けることを、私は強調してきました。その際、歩けない人に注意を払っていないという反省に絶えず悩まされていましたが、“今仙(IMASEN)”が、最新の技術を応用して、下肢に障害のある人でも屋外を移動できる用具を制作しているのを見て、私が悩むことはないと安心しました。

 

             電動車椅子         パラアスリート用補装具       


2023・2・25「雪上ウォーク」
 山形県鶴岡市は雪の降る冬でも、市民が歩くようにと「雪上ウォーク」と名づけたイベントを20年近く開催してきました。最近は羽黒山、湯殿山周辺の2m近い深い雪の中を歩いてきましたが、今年から「たらのき代」という小規模なスキー場で初めて行われました。雪という予報でしたが、ときどき晴れの曇り空の下で40名くらいの市民が集まって、新しく履きやすいスノーシューを使うようになっていました。リフトで400mぐらい登ってから、スノーシューを履きほとんど平らな雪の中を歩きました。残念ながら月山、鳥海山が眺められませんでしたが、小動物の足跡を見ながら元気に歩けました。参加者の中で最高齢となった私も、東京で歩くトレーニングをしたおかげで歩くことができました。
 鶴岡市では今年9月16〜18日の「鶴岡スリーデー・ウォーク」が開催される予定です。コロナ禍で県外からの参加者を制限してきましたが、今年は全国のウォーカーに呼びかけ、「羽黒山修験のみち」、「大山上池・下池めぐり」、「ノルディック・ウォークイン湯野浜」と変化に富んだイベントが予定されています。

  

             雪上ウオーク                    開始前の挨拶          たらのき代にて         


2023・2・21「高齢者がんばれ!高齢者向け施設・用具の提案」
「私自身が高齢者になって、子どもの遊び場のような、お年寄りむけの小規模公園があってもよい気がして絵にかいてみました。また別に、現在のディケア施設では、高齢者が歩ける能力を回復できません。それをカバーするための簡易で安全な「筋トレ用具」を作成したいと、考えました。アイディアでしかありませんが、何れか一つでも実現に向かうことが願いです。」

高齢者がんばれ!
高齢者向け施設・用具の提案


1.お年寄りの小規模公園(15〜20u)
幼児がブランコ、滑り台などが設置されている幼児用小規模公園では、子どもたちが楽しそうに遊んでいる。同じようなお年寄り向けの小規模公園が設置されれば、雨の日を除けば近所のお年寄りが集まって楽しい時間が過ごせる。
期待される効果としては、@独居老人が外出の機会が増える、A歩く能力が保持され寝たきりになるのを防ぐ、B結果的に医療費・介護費の削減につながる。

@腰掛けられる幅(40cm)の階段
20cmの高さから50cmの高さまで5cmきざみの階段を、上りと下りをつなげて設置する。片側には手すりを付ける。テスト:両腕を胸の前で組み、高い段から腰掛け立ち上がり、立てなくなる高さを確かめる。
エクササイズ1:やっと立ち上がる高さより10m低い台に腰掛け、1日10回立ち上がる(脚力の強化)


(両腕を胸の前で組み、腰かけ膝をやや曲げて立ち上がる。立ち上がり約1秒、腰かけるは約2秒)
エクササイズ2:手すりに片手でつかまりながら、低い段から一歩一歩上り、下りをする(階段上り下りの能力の強化)1日5回程度

 

A幅20cm、長さ10mの直線路
テスト:直線上をまっすぐ歩き、線上からはみださないか、からだが左右にゆれないか確認、エクササイズ:1日5回往復する(直立歩行姿勢のバランスの向上)

B幅3〜5m、10cmきざみの横線を見印とした歩行路(長さ10m)
テスト1:通常の歩行で歩いてみて一歩の平均歩幅を確認
エクササイズ1:一歩一歩通常より歩幅を長くするように1日5回反復する(脚力、歩行能力の改善

 
 

テスト2:立ち幅跳び、あるいは、立ち幅跳びの距離を確認
エクササイズ2:左足、右足で踏み切って跳ぶのを1日5回反復する(脚力、跳躍力の改善)

 
 

C高さ180mから20cmきざみの鉄棒
テスト:適当な高さの鉄棒に足が地面から離れるようにぶら下がれる時間を確認、エクササイズ:より長くぶら下がれるように1日5回反復する(肩関節の伸張、握力の強化)

Dブランコ
安全に腰掛けられるブランコを設置
ゆりかご、あるいは、ロッキング・チェアにすわってからだが揺られる感覚でリラックスする

2.脚力強化の用具
ディケア施設は空間が狭い。だから、利用者は座って体操、遊戯、唱歌などを行って、時間を過ごす場合が多いと思われる。それでは独りで歩く能力の向上は望めない。そこで、狭いところでも設置可能な脚力強化、歩行能力の向上を目標とした用具を開発する。

@立位での踏み台
左右の足を乗せる踏み台の下にスプリングを置く。左足に体重を乗せるとかかと部分が下がり、右側の台のかかと部分が上がり、次に右足のかかとに体重を乗せると左の踏み台のかかと部分が下がるような仕組みとする。そうすれば、台の下のスプリングの反力が負荷となる。左右の膝を交互に伸ばす脚伸展筋群の負荷運動となり、5〜10分間実施すれば下肢筋群の強化が期待される。上体の姿勢を安定させるために、横に固定されたバーに両手を乗せて行う。スプリングの代わりに、2個のシリンダーをつないだものを使えないか?

A自重を利用した脚伸展エクササイズ
やや傾斜をつけた背もたれのある椅子に腰掛け、両膝を曲げ両足を前方の固定した踏み板に乗せる。椅子部分の下にレールと滑車を装着して、下肢を伸ばせば体重の一部が負荷となる運動となる。下肢の力を抜けば、体重によって膝が曲がり元の位置に戻り、再び下肢の伸展運動ができる。(背の部分に重りを加えれば抵抗力は増加)
椅子部分を水平にして背もたれを固定し、前方に可動な踏み板部分にスプリングを装着すれば、ほぼ上記のレジススタンス運動ができるだろう。スプリングの代わりに、2個のシリンダーをつないだものを使えないか?

 
 

B自力でからだを揺らす
ロッキング・チェアに腰かけ、上肢、体幹、下肢の筋群に力を入れて前後に揺らす。

C歩行能力の測定装置の作成
いつもの歩き方でマットの上を歩く、あるいは、立幅跳び、片足跳びを行う
(幅2m、長さ6〜10m  圧力マットのセンサーから、足の圧力の空間的・時間的 変化をPCに取り込んで、歩行スピード、平均歩幅、跳躍距離を測定する)

 

 

2023・1・21「豊かな高齢期を過ごすために」
 67年前(1956年)に東京大学へ入学したときの同級生寺岡さんは、脳神経外科の医師となって、親の病院を受け継ぎ病院長となりました。現在は、総合病院の他に社会医療法人「社団陽正会」と社会福祉法人「新市福祉会」を併設し、地域の高齢者の医療、介護にも携わっています。寺岡さんは2023年4月から、「高齢者健康医学研究センター」を開設し健康な高齢者を含め、望ましいこれからの超高齢社会の構築に向かって、積極的に取り組むことにしたそうです。
 その発足を記念して、講演会が広島県福山市の新市公民会で開催されました。近くの岡山大学、広島大学の医師たちや地域の介護に携わる人たちが参加しました。高齢になると病気にかかることは多くの人が避けることができません。そうした中で、私は、地域の医療、福祉にかかわる人と普通に暮らしている人たちが、一緒になって全国の模範となる“高齢者が明るい気持ちで毎日を暮らせる豊かな社会”をこの機会に作り上げて欲しいと述べました。その基盤となるのは、高齢者とその予備軍である中高年の人たちが、介護を必要としないからだを保持するために習慣的に歩くことが不可欠であると強調しました。
心筋梗塞になってからの初めての講演でしたが、1時間30分自分で演台の上を歩きながら話をすることができました。

 

講演会ポスター                    福山講演     


2023・1・2「浅草寺まで歩いて初詣」
 毎年1月2日は、浅草寺へ一家で初詣をしてきました。天気がよく暖かいので、自動車で行く家族とは別に、独りで歩いて行くことにしました。8時30分に小石川から坂を下り本郷の台地を登って、東大を抜けて不忍池に下りました。池からは何度も入院した東大病院が眺められました。
 上野公園の入り口には、時間前なのにパンダを見たい人たちの長い行列。京成上野駅は、大きな荷物をもった外国人で混雑。浅草までの商店街はまばらな人たちでしたが、国際通りまで来ると、すでに警察官が交通整理に乗り出していました。仲見世通りは人が途切れることのないほど。10時30分、お参りをして本殿を下ったところで家族と一緒になり、自動車で帰宅しました。
約2時間のウォーキング、13000歩。今年は1,2日でそれぞれ1万歩を越えて歩けました。この調子を続けたいものですが、1月3日にはふくらはぎの筋肉痛で調子に乗って歩いてはいけないと実感しました。

 

不忍池         浅草寺  


2023・1・1「皇居一周」
 1月元旦の早朝皇居を走って一周する習慣を始めて30年が過ぎ、2019年はその前年の暮れに“血栓性静脈炎”と診断されて、ポールを持って歩くようになり、2020年、2021年と続きました。それでも10000歩を越えていました。2022年は“膀胱がん”治療中のため短くして半周を歩きました。2023年1月1日は“心筋梗塞”が発症した半年後なので心配でしたが、一周歩こうと挑戦しました。晴天で風のない快適なウォーキング日和でした。三宅坂にある彫刻の前を下って行く途中でスナップ写真を撮ってもらいました。間違いなく80歳後半の老人の顔つきで歩いていました。
 無風で皇居の堀は波もたたず、桜田門と丸の内のビルが美しく映っていました。家から出て家に帰るまで、12000歩。80歳を過ぎていろいろな病のため走れなくなり、歩くスピードも落ちてきました。今年1年無事であることを祈るばかりです。

  

      懸命に走っています     30年でお濠は変わらずとも、高層ビルが林立   やっぱり80歳後半かしら        


2022・12・17「大分県にあるクアパーク長湯」
 全国の温泉場を紹介する冊子に、大分県は3箇所の名前が掲載されていて、有名な“別府”、“湯布院”と並んで“長湯”があります。ここに「クアパーク長湯」という歩行浴のできる温泉施設ができたので、2022年12月17日に竹田市へ出かけました。滑床の芹川沿いに円形の深くて大きな浴槽があり、そこから50m近い歩行浴ができる細長い浴槽があります。温度はあまり高くない炭酸泉で、浴衣を着て男女が一緒に利用でき、長期間滞在し入浴と歩行浴を繰り返すと健康の回復・増進によいといわれています。1泊しかできませんでしたが、60分間ほど入浴した後、皮膚が赤くなるほどほてり、からだは芯から温まりました。
 近くには阿蘇山の大噴火によってできたという日本のナイヤガラといわれる“原尻の滝”、九州3位の樹齢1000年を誇る籾山八幡宮の大ケヤキ、滝廉太郎の“荒城の月”で有名な岡城址の石垣が眺められます。帰りは、大分空港の近くにある胎蔵寺から300段の石段を登って、不動明王と大日如来の“磨崖仏”を見上げてきました。藤原時代からあったと伝えられる、素朴で巨大な石仏でした。

  

クアパーク長湯                    原尻の滝          大日如来像          


2022・11・27「東京ノルディック・ウォークフェスタ」
 第9回となる「東京ノルディック・ウォークフェスタ」が都立小金井公園で、2022年11月27日に開催されました。ノルディック・ウォーク大会始まって以来最多となる1500名が、晴天の下、枯れ葉散る中を歩きました。というのも、サントリーウエルネス(株)が販売する“歩き”に役立つという「ロコモア」の愛用者に参加を募ったからです。予想以上の参加者が集まったので、ポールメーカー3社が800組のポールをレンタルすることになりました。
 経験者はウォーミングアップの後、10q、3qのルートをそれぞれ歩き始めました。他方700名ぐらいの初心者は、40名に分かれて芝生の広場で、指導員から歩き方の講習を習いました。最初はぎこちない歩き方でしたが、40分を過ぎるころには上手にポールを扱えるようになりました。来年は、このようなイベントを日本各地で開催し、高齢者になって歩行困難になるのを防ぐ、役に立ててほしいと思いました。

  

     ポールを使って歩き始め         全員集合            ロコモア      


2022・11・20「フルコンタクト空手道」
 顧問の1人となった「一般社団法人日本コンタクト空手コミッション」が昨年設立され、第1回の「全日本学生フルコンタクト空手道選手権大会」が、東京の代々木第1体育館で2022年11月20日開催されました。フルコンタクト空手は、実際に相手を倒す実戦空手として強さを追求する理念の下に、伝統各派が練習方法を研究し、ルールに沿って闘うスポーツです。すでに、10歳以下の子どもから大学生まで、格闘技の1つとしてたくさんの人たちが参加し発展してきました。
 私は60年前、教師として勤務した名古屋大学において担当した“体育実技”の1つの種目として空手の突きとけりを中心に空手の型を、15週にわたって指導した経験がありました。高校時代まではやったことのない運動様式でしたが、腰をすえて掛け声とともに力一杯左右交互にこぶしを突き出す動作、片足で立って、もう一方の膝を曲げてつま先をけり出す動作を反復させました。その結果、しだいに動きがスムースになり、力がこもった突きやけりができるように上達していきました。もちろん、突きやけりに対して防御する動作も指導しました。わが国では、初めての試みでしたが好評だったと記憶しています。
 このような経験から、直接相手を突く、けるといった競技がどのように行われるのか、興味深く観戦しました。対戦する様子は、私のカメラでははっきりととらえ切れないほど素早い動きでした。また、はっきり勝敗が判る試合もありましたが、勝利した理由がよく判らない試合もありました。同時に開催されていた全日本ジュニア空手道選手権大会のプログラムには、試合規約が掲載されていましたが、学生選手権のプログラムには判定基準などの記載がなく、率直にいって初めて観る人には不親切でしょう。別に、観戦していた試合では、試合の続行が不可能になるような負傷は見られませんでした。選手はそれだけの防御できる能力も身につけていると思われました。
 ここ数年で学校での部活が民間委託となるようです。空手の一層の普及のためによい機会ですから、各地にある空手道場は受け入れる体制を早急に整えるべきではないかと思いました。加えて、道場の空いている時間帯に高齢者を対象に「カラテ・エクササイズ教室」(仮称)を開催したらと思います。筋肉の衰える高齢者に、すばやく上肢や下肢の筋肉を活動させる機会を週2〜3回与えることは、健康寿命の延伸に役立つでしょうし、多くの人に空手を理解してもらえる役に立つでしょう。

  

     ポスターイメージは女子        選手宣誓            決まった一瞬      


2022・11・8「皆既月食」
 もう見ることができないと報道され、見納めかと屋上に上って東の空を仰ぎました。子どもや孫も一緒に見ながら、写真に収めようと努力しましたが、所詮素人カメラ。うまく撮れませんでしたが、分刻みで時間とともに月がかけていくのを、最後は赤い真ん丸の月を見ることができました。

 

2022・11・4「日本スリーデーマーチ」
 洪水、コロナの感染などで中止されていた日本スリーデーマーチが、埼玉県東松山市を中心に2022年11月、3年振りに制限なしで開催されました。私は、中日の4日に参加しました。以前よりは参加者数は少ないようでしたが、晴天に恵まれ気持ちの良いウォーキングでした。病い上がりで無理をしないようにと10qコースを選択し、幸いにも中間地点に近い森林公園まで休むことなく歩き通せました。歩数は、退院以来の最も多い15000歩を越えていて、さすがに疲れました。来年はもっとたくさんの人たちが参加することを願っています。



2022・10・13「那覇ノルディック・ウォーク」
 今年新たに、沖縄ノルディック・ウォーク連盟が発足しました。そして、最初のイベントは、本土に復帰して50年になったのを記念して「沖縄・世界平和への祈りを捧ぐノルディック・ウォーク」と名付けて、2022年10月9日に開催されました。ほとんど破壊された沖縄は、見違えるように復興しました。しかし、最近のロシアによるウクライナ侵攻のニュースをテレビで見て、沖縄の人たちは戦争の悲惨な過去を思い出し、“世界平和を祈る”という思いをこめてイベントの名称を付けたと地元の主催者は言いました。
 那覇市の奥武山運動公園にある沖縄随一の霊峯山と称される「沖宮」の宮司、上地一郎沖縄連盟名誉会長による祝詞に続いて、みんなで世界平和を祈願しました。まだ暑いので朝6時にスタートして、「御嶽」をめぐるイベントです。運動公園を出ると、鹿児島から海を越えて続く沖縄本島を北から縦断する国道58号線の終点です。そこから国道を北上しました。そして、信心深い沖縄の人たちが大切に守る「御嶽」を8個所参拝し、およそ15q歩きました。最後に、参加者一同、宮司直筆の「奉拝沖宮」という御朱印帳をいただきました。
 来年の2回目からは、本土の人たちも歩きやすい冬季に行う予定を立てているそうです。

  

  国道58号              沖宮               沖宮拝所跡      


2022・9・23「思いもよらなかった孫の結婚式 」
 コロナ禍で延期していた孫の結婚式、披露宴に、2022年9月23日出席しました。子ども(ひ孫)は、すでに1歳半で、3名の披露宴となりました。年を取ってこんなめぐり合わせに遭遇できる喜びを実感しました。
 心筋梗塞で緊急入院、10日間の手術・治療後に無事退院して1か月、神父による結婚式からフランス料理の披露宴まで5時間近く、正直なところ疲れてしまいましたが、あっという間の楽しい時間を過ごせました。



2022・9・2「誕生日」
 今日は86回目の誕生日です。10年前に86歳のころは何をしているかなど思ってもいませんでした。なってみると、病気との対応の日々でした。40〜50分の散歩以外はテレビを見るか小説を読むかの毎日です。家にたくさんある山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平、内田康夫の本はすでに何度も読んでしまいました。
 そこで、久し振りに「やっと訪れた春」という江戸時代の出来事を題材にした小説を買い求めました。著者は74歳で、成人病の経験があるか、知識があるのでしょう、私の体調に関わりのあるさわりが書かれていました。
 小説の主人公は68歳、今では88歳ぐらいに相当するでしょう。はばかりが近いと嘆いていました。ある日、近習目付として下城する殿の後ろを歩いているときに、漏らしてしまい他人に知られてはまずいとお堀に跳び込んでごまかしたというのです。その後始末で、致仕を申し出て登城を控えている間の出来事が主題です。
 泌尿器のがん治療の後遺症で、排尿トラブルに悩まされている私には、よくわかる話でした。また、私もあわやでしたが、主人公の父親は、43歳(今でいう63歳)で「心の臓の発作」で鬼籍に入ったと書かれています。
 私は毎朝お茶を見ながら大きな梅を一個食する習慣がありますが、主人公の庭には大きな梅の木があって、大きな実を収穫し“梅干し”に加工する経過を、主人公の一連の出来事と重ねて描写しています。また、私の趣味の渓流釣りの岩魚についても、塩水に浸けた岩魚を串に刺し、遠火で半刻ばかり炙って、からからに干す“岩魚の焼き枯らし”を入れての酒がうまいと紹介されていました。


2022・8・21「心臓は止まらなかった」
 いろいろな研究文献から、定期的に運動を実践していれば心血管系の疾病を予防できると、信じていました。ところが、そうはいきませんでした。今年は、膀胱がんの対応に追われて運動不足で体力が相当低下していました。そこで、水泳のマスターズ大会に参加するという目標を立て、筋力と水泳のトレーニングを続けてきました。まず、6月中旬に広島で行われた大会で、200m自由形と400m自由形で優勝できました。この勢いを9月の全日本選手権大会まで保持し、もう泳ぐことはない1500m自由形に挑戦することにしました。幸い、抽選で出場が認められました。7種類の筋力トレーニングを10回反復、3セットを週2日、別に週4日間は1日に2000mまで距離を伸ばして泳ぐようにしました。トレーニング効果ははっきりと表れて、持ち上げる重量は増え、泳ぐスピードも速くなってきました。ところが、8月になって胸に痛みを感じるようになりました。激しく泳ぐときに胸が苦しくなるのは当たり前とトレーニングを続けてきましたが、8月13日はベッドに入っても痛みが取れませんでした。心臓外科を専門とする友人に電話をかけ相談したところ、東大病院の緊急治療室へ連絡を取ってくれ車で駆け付けました。心臓の筋肉へ血液を送る3本の動脈のうち、2本に99%と90%の狭窄が見つかり、胸部内科でまず1本のカテーテル形成術を14日の未明に受けました。ある程度回復した17日に2本目の形成術を受けました。2回の処置は無事終了し、21日に退院しました。徐々にリハビリテーションを行い、自由に動ける状態に戻したいと願っています。予定していた水泳大会、ウォーキング大会、北海道釣り旅行、その他の飲み会、すべてキャンセルという結果になってしまいました。長寿を目的に生きているわけではありませんが、寿命は延びたようです。


2022・6・18「もみじCUP」
 昨年1月初めに膀胱がんが見つかり、1年半の闘病のおかげか17日の健診で、がん細胞は消えていたのが観察されました。喜び勇んで2年ぶりに、2022年6月18、19日に開催された広島のマスターズ水泳大会“もみじCUP”に出場しました。
 200mは3分51秒70と念願であった4分を切ることができましたが、400mは前半ひかえめに泳いだので8分26秒06でしたが、昨年11月に泳いだ記録を20秒ほど短縮できました。
 当たり前ですが順位は1位で、400mの表彰はベルリンオリンピック100m平泳ぎで金メダルを獲得した田口信教さん、200mの表彰はシドニーオリンピックに出場し現在俳優として活躍している藤本隆宏さんでした。

   

  現在は俳優として活躍されている藤本隆宏さんと   ベルリンオリンピック金メダリストの田口信教さんと


2022・5・12「筋力トレーニング」
 朝日新聞夕刊(2022/5・11)の「筋力指導けがに注意」という見出しで記事が掲載されました。“生活センター”へ、筋力トレーニングで“けが”をしたり、体調不良になったりという訴えが、5年間で100件を越えたと報道されていました。
 私は、がん治療のため長期間運動らしい運動ができずにいましたので筋力が低下してしまい、満を持して4月8日からトレーニングを再開しました。優れたトレーナーがいる、筋力トレーニング・マシンがよい、50mプールが併設された広い施設であるという私にとっては良い条件がそろっているからです。難を言えば家から片道1時間ほどかかりますが、それも豊洲という私の住む文京区の家とは異なる都市空間への散歩と思い、「アシックス・スポーツ・コンプレックス」で週1〜2日通うことにしました。
 インストラクターの指導に従い、毎日7種目の運動を8回反復、3セットを実施すると決めました。軽い負荷重量から、しだいに増やしていくようにして、初日はベンチプレス18kg、レッグプレス65kgでしたが、12回目の5月12日には、それぞれ28kg、85kgへとトレーニング負荷重量が増えても余裕をもって持ち上げられるようになりました。このように、うまく処方されたプログラムで行えば、“けが”もせず筋肉痛にもならず、85歳をすぎても筋力が増加するのを実感しています。


      アームカール  バックスクワット


2022・3・29「首都医校退職記念講演」
 26歳で新設の「東京家政学院大学」の専任講師となってから、「名古屋大学」「東京大学」「東洋英和女学院大学」「放送大学」そして「首都医校」と、教員生活ほぼ60年が経過、辞任することにしました。2022年3月29日に、教員の間で行われる“組織活性化会”において、記念講演をすることになりました。「私は なにをしてきたのだろうか?」と題して、私が行ってきた研究成果を話しました。冒頭、博士論文となった「水泳の科学」と、新書の「トレーニングの科学」とそれを映像にしてNHKで市民大学講座として「トレーニングを科学する」を冒頭で紹介し、その後、”子どもを丈夫に育てる“、”中高年齢者にとって運動はよい“、”中高年齢者へのウォーキングのすすめ“、”下肢に不具合があっても可能な水泳・水中運動“、”運動するのが うまい へた“、”減量への挑戦“と続けました。最後に、2022年になっての出版となった「Medical Nordic Walking NoI, NoII. NoIII」と「入門スポーツ科学」を紹介しました。
 講演の最後に、元アスレティックトレーナー主任であった内田さん、元副校長であった植田さん、そして、卒業生の杏(孫)からのビデオメッセージが披露されました。孫の杏が子ども(ひ孫)を抱いて映し出されたので驚きました。また、学校からの記念品として獲物を両手に持った肖像画(写真から模写したもの?)が贈られました。
 夕方学校から帰るとき、学校の出入り口からタクシーまでの通路の両側に2列に並んでたくさんの教員が「ご苦労さまでした」「お元気で」と手を振って送ってくれました。これではもう戻ることはできないと、妙に情けなくなりました。


講演中               記念品           孫からのビデオメッセージ


2022・3・24「最後の卒業式」
 総合コ・メディカル専門学校である首都医校の校長としての14年間にわたる勤めは、本年度をもって辞めることにし、今年が最後の卒業式となりました。コロナ感染拡大防止から、卒業式は全校学生が一緒になって行うことができなくなり、今年もいくつかの学科に分かれて、2022年3月24日に行われました。私は、看護学部助産師学科と歯科医療学部歯科衛生学科の合同卒業式に出席しました。きれいに着飾った卒業生たちは、学内にあるホールに間隔を置いて着席しました。
 私は「本年度は、感染拡大防止の観点から、授業の実施、特に実習授業に抑制が掛かり満足な授業が行われませんでした。しかし、教職員、学生の協力の下、代替授業によって補い、無事卒業を迎えることができたことは喜ばしいことです。」と挨拶し、全員に卒業証書を手渡しました。


最後の卒業式


2022・3・9「東京大空襲77年目」
 第二次世界大戦中に住んでいた、江戸川区の平井・小松川へ毎年3月9日に出かけるようにしてきました。昨年は、病気でいけませんでしたが、今年は出かけました。
 毎日報道されるウクライナでの戦争の映像を見ていると、77年前に家の前の道の上をグラマン戦闘機が低空飛行して機銃掃射したこと、家から50mぐらい離れた銭湯に爆弾が投下されるその爆風で家の窓ガラスが割れたことなど、子ども心に怖かったのを思い出します。
 ウクライナの建物のほとんどが石造りであるのに比べ、すべてが木造の家屋でしたから東京の下町は3月9日の深夜からのB29爆撃機による焼夷弾の投下によって、焦土となってしまいました。ウクライナと違って日本から仕掛けた戦争であったかもしれませんが、ロシアと同じように、アメリカ合衆国は空襲の理由をいろいろ述べていていたのでしょうが、10万人が1晩でなくなるといった市民を巻き添えにする戦争は許されるものではありません。


2022・2・25「メディカル ノルディック ウォーキング」
 日本にノルディック・ウォークが紹介されて、35年が経過しました。その間、一般社団法人全日本ノルディック・ウォーク連盟は、普及活動に力を注ぎ、日本各地でノルディック・ウォークを実践する人びとが増加しました。
 連盟では、ノルディック・ウォークの医・科学的研究成果と、望ましい指導法を印刷物としてまとめ、インストラクター向けの「Medical Nordic Walking」と題して、2016年4月からNoI, NoII, と発刊し、2022年2月にNoIIIが完成しました。広く、世のため人のために役立つことを願っています。


Medical Nordic Walking


2022・2・8「尿道狭窄」と「35年の成果」
 尿道に管を何度も通す治療を受けましたので、副反応として尿道狭窄が発生してしまいました。そのため、2021年12月に、経尿道的内尿道切開術を受けました。その後、狭窄が進行しないようにと、尿道にバルーンカテーテルを挿入、設置された状態が年末年始をはさんで続きました。家にいるときは、尿を貯める袋にカテーテルをつなげば済みますが、外出するときは、カテーテルの先を栓で塞ぎ、尿意を覚えたら栓を開けて便器に流すという面倒がつきまといます。運動不足解消のため、共用トイレのある近くの公園をポール持って歩くことにしました。外周約500mの公園です。幸い、1月はほとんど晴天でしたので、新型コロナワクチン3回目の接種日を除いて、31日間で合計21万歩歩きました。今後、3月初旬に再度尿道切開術を受けることになります。
 大学に講座制が設けられていたころ、東京大学教育学部の“体育学講座”に隣接して、“スポーツ科学講座”の新設を文部省に申請し、1987年4月初代の主任教授となりました。以来35年が過ぎました。まだ完成とはいえませんが、ようやく“スポーツ科学”を包括する体系が出来上がった気がします。”がん“で、もたもたした1年でしたが、なんとか「入門スポーツ科学」を杏林書院から出版できることになりました。分かり易い文章でまとめたつもりです。スポーツに関心のあるたくさんの人たちに読んでもらいたいと願っています。


入門スポーツ科学カバー


2022・1・2「浅草寺初詣」
 いつものように2日の午前中は、浅草寺へ出かけました。かなり早い時間でしたが、人出は多く賑わいを取り戻しているようでした。老夫婦、息子夫婦、娘2人、孫娘3人と、途中から結婚した孫が夫と子ども(ひ孫)をつれて参加しました。大勢の家族が連れだって初詣ができるのは、とても幸せなことです。
 家内安全の古いお札を収め、自己負担額が100万円を超えるという病院通いが少なくて済むようにと現実的なお願いをし、新しい家内安全のお札を買い求め、紀文堂の“うずら焼き”、やげん堀の“七味唐がらし”、船橋屋の“いもようかん”を、買って帰りました。

 

人出が多い仲見世    みんなで記念撮影


2022・1・1「元旦ウオーク」
 去年は自覚症状がまったくありませんでしたから、膀胱にガンがあるとは知らずに、皇居一周歩きました。年末にガンが消えたと診断され、2022年1月元旦早朝に、恒例の皇居を歩きました。同行してくれたのは息子夫婦、娘、孫の4人でした。みんなと同じ時刻にフィニッシュできるようにと、私は大手町から右回りに皇居前の道を日比谷公園の角で右に曲がり、警視庁の前で桜田門を抜けて二重橋前に出ました。左回りに走ったみんなは、すでに到着していました。歩数は8000歩とまだ歩けるという自信が持てましたが、あと何年続けられるのか不安をぬぐい去ることはできませんでした。
 今年も快晴で、たくさんの人たちが走り、お堀の松と石垣が朝日を浴びてきれいでした。東京駅が見えるところで記念撮影をしました。

 

朝日に映える堀の石垣    朝日を浴びる東京駅


2021・12・21「がん消滅」
 今年の水泳大会出場は無理かなと思っていましたが、11月20日東京都マスターズ水泳大会400m自由形1位、28日の日本マスターズ水泳スプリント選手権大会100m自由形、25m自由形3位。12月2日4回目となる手術の前で思い切って泳げませんでしたが、まあまあの成績でした。昨日2日の手術の報告を受けました。膀胱内の8か所から採取した検体では、膀胱粘膜、上皮に異型は認めないという組織診断から膀胱がんは消失していると主治医から告げられました。来年4月1日には再発しているかどうか引き続き検査の予定です。いろいろな人たちにご心配をかけました。命が惜しいわけではありませんが、なぜか嬉しい気分になりました。


水泳大会金メダル


2021・11・28「日本マスターズスプリント大会」
 今週末は、「第8回日本マスターズスプリント選手権大会」が2021年11月28に千葉国際総合水泳場25mプールで行われました。来週入院、手術の前ですが出場可能となりました。25m自由形は8人中3位と、予想していたよりも記録がよくありませんでした。100m自由形は棄権者が多く3人中3位でした。しかし、久しぶりに会長の高橋繁浩さん(元平泳ぎチャンピオン)、マスターズの世界記録を100回以上塗り替えてきた大崎嘉子さん、まだ2004年に樹立した日本記録がいまだに破られていない山田沙知子さんなど、懐かしい人たちに会うことができました。また東大水泳部のOB富永航平さんが30〜34歳区分の100m平泳ぎで、すばらしい世界記録(59秒10)をマークしました。
 来年は世界マスターズ選手権が福岡で行われます。ぜひ参加するようにと役員から要請がありました。元気に泳ぎたいと願っています。


賞状


2021・11・27「指導者研修会」
 全日本ノルディック・ウォーク連盟の公認指導員研修会が、2021年11月27日東京の青少年センターで行われました。対面の研修会は久し振りで、全国から熱心な指導員が60名ほど集まりました。対面の講演は、私にとって最後かもしれません。高齢となった自分を例に、高齢者が抱える問題を中心に90分間立ったまま話をしました。
 人類が経験のしたことのない2つの課題に直面しています。その1つは、気候変動による平均気温の上昇です。1.5℃上昇すれば、夏季は日中のノルディック・ウォークはできなくなります。そうなれば、運動不足解消には、水中を歩くか、泳ぐしかありません。もう1つの課題は、高齢者人口の増加です。これは、独居老人、孤独死、老老介護の増加、という厄介な問題です。この問題の解決には、豊かな社会保障が必要でしょう。しかし、多くは望めません、元気な高齢者を増やし、周囲の衰えた高齢者を介護するというのが現実的方策と伝え、指導員は周囲の人たちにノルディック・ウォークを普及する重大な役目があるのですと述べ、「歩かなければ 歩けなくなる」「歩けなくなれば 寝たきりになる」だから「歩いた方が ずっといい」と締めくくりました。


講演2021


2021・11・20「久し振りの水泳大会」
 がんが見つかって11ヵ月、ようやく病室が空く予定なので、12月1日入院、2日手術という病院からの通知を受けました。からだは動かしていなければと、週に4〜5回1000m〜1500m泳いでいました。そして、「東京都マスターズ水泳大会2021」に、2021年11月20日に参加しました。400m自由形です。最年長の私に、審判長からあまり頑張らないようにという注意を受け、スタートからあまり疲れないように泳ぎ、350mのターンのときにまだ余裕があったのでやや速く泳ぎました。結果は公表され、前半の各50mは67秒ぐらいで泳いでいましたが、最後の50mは59秒と結構よいタイムでした。80歳の時の7分45秒59から、8分47秒65へと、5年間でおよそ1分遅くなっていました。しかし、同じ年齢区分での競争相手がなく、1位でした。


「数字は50mずつのラップタイム、( )内は、50mの時間(分:秒:)」


2021・10・8「まだ続くがんとのつき合い」
 2021年10月8日、膀胱へ内視鏡を挿入して組織を採取し、がん細胞のあるなしを確認する予定でした。すっかり準備が終わって内視鏡を挿入し始めると、尿道に2ヵ所狭窄しているところがあって、入らないので中止となりました。病理組織学的にがん細胞がないことが確認されれば、膀胱がんを克服したとされるはずでした。今後、麻酔下で尿道の狭窄部分を手術で拡張し、同時に膀胱の組織を採取するというのです。厄介な治療が残ってしまいました。
 同時に、放射線検査CTを受けました。今年1月21日の所見では、「前立腺がん術後の明らかな局所再発なし。膀胱に隆起性腫瘍がみられ、既知の膀胱がん病変と考える。」とありました。10月1日の所見では「前立腺がん術後、膀胱がん腫瘍切除術後の局所の再発を指摘できません。」印象として「再発転移は認めません」ということでした。しかし、主治医は膀胱がんの治療は難しいので、組織の病理組織学的検査の結果をみないということでした。
 90歳になる谷川俊太郎さんの「散らないアジサイが呟いている」と結んだ詩が、10月6日の朝日新聞夕刊に掲載されました。私も「散らないアジサイ」なのかなと、つくづく見てしまいました。


花過ぎてもアジサイはアジサイ


2021・9・24「久し振りの釣り」
 釣りといっても、“何釣り”かと聞かれます。イワナ、ヤマメ類を対象とする渓流釣りをもっとも好んで楽しんできました。きれいな水が流れる山間の魚を求めて沢を歩くのは、心身の健康保持にとてもよいと思い続けてきたのです。ところが、渓流の上りはきつく足場も悪いので、脚力が低下するとバランスを失い転んでしまいます。
 今年は、社会的には緊急事態宣言の下で、東京を離れて釣りに行ける雰囲気ではありませんでした。個人的には“がん”とのつき合いで歩く能力は低下し、渓流を歩く自身がありませんでした。来年以降、老化や病が進みからだの調子によっては、釣りに行けるかどうかわかりません。9月末で渓流釣りは禁止となります。最後になるかもしれないと、2021年9月24日信州へ出かけ釣りに挑戦しました。あまり流れの急でない渓流を選んで釣りはじめ、およそ3qの距離、3時間かけて釣り登りました。転ぶこともなく、大小5匹のイワナ、ヤマメを釣り上げました。
 大きなヤマメの腹には、卵が詰まっていて、みりんと醤油漬けにしました。3日ほどで美味しく食べられるでしょう。別に、今年は豊作で、宿の主人が裏山で採ってきた松茸を、蒸し焼き、すき焼き、おすまし、ごはんに入れてご馳走してくれました。歩ければ、自然の産物に出会えると、改めて長寿と歩ける健康に感謝しました。

 

釣果             釣る


2021・9・20「敬老の日」
 文京区から「お祝い」として、金5000円が贈られてきました。ネットで調べると、85歳から99歳までのすべての人へ送られたようです。
 秋の長雨が続いていたので、最近は泳いでばかりいました。泳ぎの合間には、水中で腿を高く上げて300m歩きました。しかし、足腰が弱ってはいけないと、“彼岸の入り”と重なった「敬老の日」の朝8時、快晴の中を少々長い距離を2本のポールをもって歩いてみました。春日通りから白山通りへ出て一ツ橋へ、内堀通りから東京駅まで歩きました。ほぼ10000歩で、これ以上歩くと座り込みそうになってしまいました。
 狭い庭には、曼殊沙華ともう終わりに近づいた朝顔が咲いていました。

 

今年は早く咲き出したヒガンバナ 夏の名残りを惜しむ朝顔


2021・8・24「がんと在る毎日」
 週末には予定されていたウォーキングやノルディック・ウォークのイベント、マスターズ水泳大会は、軒並み中止になって20か月も続いています。別に、週1〜2回は友人と飲みながら昔話を楽しむこともできなくなりました。
 病院での受診以外、予定のない毎日の連続です。個人の内面を重視する作風から、“内向の世代”と呼ばれた古井由吉の「除夜」に引用されている「起きて今朝また何事をいとなまむ」という日々を実感しています。
 同年代の友人の死亡の報に接していて、命を失うことをそれほど恐れてはいませんが、からだの具合が悪いと病院へ行くという習性を捨てることができません。今年の初め膀胱がんが見つかり3回にわたって入院し、経尿道的膀胱腫瘍摘除術を受けました。その後再発防止が目的のBCG注入療法を、週1回の頻度での通院治療を受けて9か月が過ぎます。85歳の誕生日の次の日9月3日が最終の8回目の治療です。結果がどうなるのか。腫瘍が消えていれば、トレーニングを再開し体力の回復をはかり、ウォーキングや水泳の大会への参加、渓流釣りに挑戦したいと期待しています。腫瘍が消えていなければ、抗がん薬注入療法、あるいは、外科治療を選択することになります。


2021・8・25「2050年ごろ死を迎える人たちへ」
 ここ13年間校長を務めてきた首都医校、看護師、理学・作業療法士、救急救命士、臨床工学技士、歯科衛生士、はり師・きゅう師、介護士など医療・福祉にかかわる公的資格を持つ人材を養成する高度医療専門学校です。チーム医療を標榜していますが、150名近い教員は日常的にコミュニケーションができないので、“組織活性化会”と称する集会を開催しています。
 2021年8月25日、全校の教員たちを6つのグループに分けて、クイズに答えるというゲームを行いました。その合間に、吉本興業所属の芸人で医師免許を有している宮本駿さんから「楽しく医学を学ぶために」と題して、手振り身振りを交えての芸人らしい医学にかかわる講演がなされました。その後、教員の平均年齢から、表記のような題で30分ほど話をしました。最近“老い”にかかわる書籍がベストセラーになっていますが、人生100年時代“老いて”からではなく、30年ぐらい先を見通して死を迎える計画をたてるべきですと話しました。終りに、私の泳いでいる動画を見せて、2050年ごろの平均気温は1.5度上昇していますから、屋外でウォーキング、ランニングはできません。今のうちに水泳に親しんだ方がよいと締めくくりました。


2021・8・24「がんと在る毎日」
 週末には予定されていたウォーキングやノルディック・ウォークのイベント、マスターズ水泳大会は、軒並み中止になって20か月も続いています。別に、週1〜2回は友人と飲みながら昔話を楽しむこともできなくなりました。
 病院での受診以外、予定のない毎日の連続です。個人の内面を重視する作風から、“内向の世代”と呼ばれた古井由吉の「除夜」に引用されている「起きて今朝また何事をいとなまむ」という日々を実感しています。
 同年代の友人の死亡の報に接していて、命を失うことをそれほど恐れてはいませんが、からだの具合が悪いと病院へ行くという習性を捨てることができません。今年の初め膀胱がんが見つかり3回にわたって入院し、経尿道的膀胱腫瘍摘除術を受けました。その後再発防止が目的のBCG注入療法を、週1回の頻度での通院治療を受けて9か月が過ぎます。85歳の誕生日の次の日9月3日が最終の8回目の治療です。結果がどうなるのか。腫瘍が消えていれば、トレーニングを再開し体力の回復をはかり、ウォーキングや水泳の大会への参加、渓流釣りに挑戦したいと期待しています。腫瘍が消えていなければ、抗がん薬注入療法、あるいは、外科治療を選択することになります。


2021・7・9「がん治療の続き」
 がんが見つかったとき、膀胱を摘出しない保存治療には3つ方法があるといいます。1つ目は経尿道的切除術で、3月、4月、5月と手術を受けました。2つ目は抗がん剤を膀胱内に注入する方法で、3つ目はBCG膀胱内注入療法です。BCGの生菌を生理的食塩水に溶解してカテーテルで挿入して膀胱内に注入する免疫療法の1種です。1週間に1回、合計8週間注入します。主治医と相談の上BCGを注入する治療を選択し、2021年7月9日、1回目の注入をしてもらいました。副作用が多いということでしたが、尿道にやや痛みを感じる程度で済みました。
 東大病院では、完全にがんが消失したのが66%、50%以上縮小したのが23%という治療成績だそうです。9月3日が8回目です。どうなっているのでしょうか?


2021・6・11「膀胱がん:続き」
 がんは、がんなのでしょう。克服するのは難しいという実感です。今年の1月5日、血尿で膀胱がんが確認され、東大医科学研究所付属病院で「経尿道的膀胱腫瘍切除術」を3月、4月と受け、5月に3回目の手術後「寛解に近い」という診断で退院。しかし、6月11日、3回の病理診断の経過から新規の腫瘍が発生する可能性が高いので、再発予防のための「BCG膀胱内注入療法」という治療を7月から行うからと同意を求められました。週1回(2時間)の割合で8回繰り返すという外来治療です。再発して膀胱全摘除という事態になれば、もう泳げなくなります。今年は、がまんの夏と覚悟しました。


2021・5・24「膀胱がん3度目の手術」
 今年1月初旬に突然の血尿で、緊急検査の結果「膀胱がん」と、東大病院泌尿器科で診断されました。東大病院では空きがないので、白金台にある昭和初期に建てられた古い建物の裏に新しい病棟が立てられた東大医科学研究所附属病院で3月3日に経尿道的膀胱腫瘍切除術を受け、さらに4月6日同様の2度目の手術を受け、2021年5月20日3度目の手術を受け5月24日無事退院しました。採取した検体の病理組織診断は5月11日に東大付属病院で受け、その後の治療の方針が決まる予定です。切除術を執刀した医師は、退院証明書に転帰の理由として「治癒に近い状態(寛解状態を含む)」と記していました。寿命は、しばらく先延ばしとなったようです。体力の回復を図り、元気にみんなと会いたいと希望しています。ご心配をかけました。


東大医科学研究所附属病院


2021・5・14〜16「荒川一人歩き」
 だれでも知っている歌“故郷”が生れた信州野沢村では、恒例のツーディ・ウォーク大会が開催され、両日とも350名ほどのウォーカーが歩いたそうです。黄色い野沢菜の花が一面に広がる景色が想いだされます。
 緊急事態宣言下で、私は“一人歩き”を続けることにしました。子どものころ住んでいた荒川沿いには、河口から1qごとに標識があって、距離がわかるほぼ直線の舗装ロードが続いています。2021年5月14日地下鉄東西線の南砂町駅から荒川の土手に着いて、まず河口に向かって歩き、行き止まりから東京湾を眺め引き返し、葛西橋まで歩き、疲れたので南砂町駅に戻り地下鉄で帰宅、14000歩でした。15日は、地下鉄都営新宿線で東大島駅から上流に向かいました。小松川橋をくぐり木根川橋から京成押上線の八広駅から電車に乗り帰宅、12400歩でした。16日は予定されていたマスターズ・水泳大会が中止になり、前日の八広駅から上流に向かって歩きました。日曜日で川沿いのロードは、サイクリングする人、ランニングする人、ウォーキングする人でにぎやかでした。埋め立てた河川敷のグランドでは、野球、サッカー、ゲートボール、フリスビーに興ずる人たちでにぎわっていました。歩き過ぎを避けるため、北千住駅から地下鉄に乗り帰宅、10300歩でした。河口から合計14q、歩いたことになりました。
 20日に予定されている3回目の膀胱がんの手術を乗り越えられるようにと、歩いたのです。

 

標識        大人の野球


2021・5・5「連休中の一人歩き」
 緊急事態宣言によって、水泳プールもトレーニングジムも閉鎖されてしまいました。そこで、1日10000歩を目標に、人出の少ない午前中に、ノルディック・ウォークを続けることにしました。5月1日は、護国寺から音羽通りを抜け、新見附橋を渡って昔勤務した東京家政学院大学を通り、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、千鳥ケ淵沿いを歩き、九段坂を下りて神保町を左へ曲がって後楽園でバスに乗り帰宅、長く闘病生活をしていた親友の訃報に接し枕花を持参して寺へ、19700歩。2日は、東大、不忍池、上野駅を通り、浅草の隅田川テラスを駒形橋から東武線の鉄橋で引き返し、蔵前橋でバスに乗り帰宅、13800歩。3日は、伝通院から安藤坂をくだり、神楽坂を上り下り、一口坂を上って歩き易い外濠公園を通って、飯田橋、水道橋から神保町の交差点を渡り淡路町で地下鉄に乗って帰宅、14500歩。4日は、春日通りを大塚に向かって歩き、東池袋三丁目で左へ曲がり、サンシャインシティビルでさらに左に曲がって、護国寺の裏を通って、豆大福で有名な群林堂で“柏餅”を購入し帰宅、11000歩。
 毎日歩き続けたからなのでしょう、両ひざに痛みを覚えシップを貼って休養せざるを得ませんでした。連休5日目は、1日中家で静養という結果でした。


2021・4・30「1日おきの病院通い」
 4月5日に膀胱がんの検査・治療の手術を受けました。そのとき得られた検体の病理診断を聞きに、2021年4月26日東京大学病院へ出かけました。上皮と筋層との間の間質に細胞の増殖が見られるので、次の3つの選択肢があるので、選べといわれました。@もう1度深く掘って取り除く、A取り除けなければ、制がん剤を投与する、Bそれでも駄目なら、膀胱を取って人工膀胱に置換するという選択でした。順番通りにして下さいと頼みました。
 4月28日は、日本医科大学の呼吸器内科で間質性肺炎の疑いが残っているのでX検査を受け、前に比べ変化が見られないので、膀胱がんが一応収まったら再度検査しようという診断でした。4月30日は東大医科学研究所附属病院で、3度目の手術の予定を立ててもらい、5月20日手術の予定となりました。何日続くのか、先が見えない、気の晴れない毎日です。


2021・4・29「雨の中のモール・ウォーキング」
 連休は自宅で過ごそうという、強い要請が出されました。一方、適度に運動はしましょうと勧められています。水泳プールやスポーツジムが休業では、運動といっても、歩くか走るしかありません。連休初日の2021年4月29日は、一日中雨の予報。東京駅の地下街は、雨に降られても歩けると、朝8時に地下鉄に乗って東京駅に出かけました。アメリカの大きなショッピング街で行われている、高齢者に人気のある「モール・ウォーキング」です。
 地下鉄の駅から京葉線のフォームまで歩き、引き返しました。1階のきれいに整備された八重洲口への自由通路を通って、広い東京駅を横切ります。八重洲北口から“一番街”を南口まで歩き、八重洲通りを引き返しました。まだ、4q程度でしたので、地下1階の自由通路を丸の内側に向かって歩き、東西線の大手町駅へ出て丸ノ内線の大手町駅から、帰宅しました。6500歩、約5qの距離でした。
午前10時前でしたから、人影はまばらでコロナウイルス感染の心配はありませんでした。もちろん、歩くために歩いている人の姿はありませんでした。

   

京葉線ホームへ   一番街   自由通路   大手町駅


2021・4・25「一人ウォーク」
 3回目の緊急事態宣言が発出された初日、衰えた脚力を回復させるようにと、午前中歩くことにしました。文京区にある「113坂」のいくつかを歩いて不忍池、JR上野駅前から浅草へと出かけました。家の近くの「播磨坂」を下り、「石坂」を登って東大から「弥生坂」から「暗闇坂」を下ると不忍池です。上野の山の下の京成駅を通り抜けるとJR上野駅。そこから仏壇屋が並ぶ浅草通りから春日通りまで歩きました。これ以上歩く気が無くなりましたので、蔵前橋からは都バスで家の近くまで乗り帰宅しました。
 11510歩、距離8.2q、心拍数平均87拍/分(最高114拍/分)でした。上野駅を過ぎて疲れたので、コンビニで座ってジュースを飲んで休まざるをえませんでした。東京大学、竹下夢二美術館、不忍池、JR上野駅など、見どころは続くのですが、一人の気楽さも時と場合によりけりと思うこの頃です。

  

播磨坂  不忍池に咲く菖蒲  夢二


2021・4・16「戴灯式」
 昨年度はコロナ感染予防で中止となった「戴灯式」を、看護師志望の2年生を対象に行われました。先生方が、看護師志望の学生には、厳かな戴灯式を是非経験させたいという強い要望があったからです。来賓、保護者は呼ばず、席の間隔をあけて行われました。
 147名の学生に対して、校長として、75歳を過ぎて何度も入退院を繰り返した自らの経験から、患者にとって看護師が心強い存在であることを冒頭で話し、「これから病院での本格的実習、そして、国家試験という関門が待っています。健康なからだと心をもって、輝かしい目標にむかって進んでください」と締めくくりました。

 

戴灯式


2021・4・11「膀胱がん2回目の手術」
 2021年4月5日膀胱がんに対する精査・加療のため、東大医科学研究所付属病院へ入院しました。3月3日に取り出した検体11個の所見から、初回と同じ「経尿道的膀胱腫瘍切除術」を4月6日に受けました。多量の出血は見られず、手術はうまくいったようです。
 体調を考慮しながらからだを動かすようにとのリハビリテーションで、手術翌日から病院内を毎日1307歩、3372歩、2975歩きました。10日の午前中に退院、家の周囲を午後4511歩、翌日の午前と午後で8480歩と、歩数から見れば順調に回復したようです。採取した検体の病理組織診断は、4月26日です。どんな結果になるのか。とにかく、自分でできるのは歩くか、泳ぐかです。コロナ禍が収束した後、全国のウォーキングや水泳大会へ参加したいと思っています。


2021・3・26「59回目の結婚記念日」
 2021年3月26日の夕方、大相撲の中継を観ていたとき、よそに住む娘が結婚記念日のお祝いにとケーキをもって来ました。まったく忘れていた記念日です。2人とも大きな手術を受けましたが、介助なしで生活しています。
娘たちと乾杯、やってきた孫とケーキを頂きました。幸せな記念日でした。

 

結婚記念日


2021・3・22「がん病理診断」
 2021年3月3日に手術して、採取した膀胱がんの組織診断の報告を22日に受けました。「尿路上皮において核の腫大や細胞の増殖が認められる。核異型は多くの部分はG2、high grade相当であるが、一部G3相当の異型の強いのも混じっている。腫瘍の間質浸潤はみられるが、筋層浸潤ははっきりしない。」とあり、わかり易くいえば“やばい”状態のようです。4月6日に再度手術を受け、結果によって今後の治療方針を決める予定です。
 歩く、泳ぐなど定期的運動実践は、がんの進行、転移を抑えるかもしれないと思うことにします。


2021・3・17「ひ孫誕生」
 初めてのひ孫が3月10日に生まれ、母親とともに家に来ました。とっても小さくて怖くて抱けません。男児ですが、名前はまだありません。


おっかなびっくりで見守る


2021・3・7「2つ目のがん」
 前立腺がんの摘出術を受け6年が経過しました。がんは高齢者につきものの病気と聞いていましたが、2021年1月6日初めての血尿を見て驚き、直ぐに山王病院で受診しました。9日内視鏡で膀胱に腫瘍が2個あることが判明、12日東大病院泌尿器科で治療を受けることになりました。採血、採尿、心電図、胸部・腹部のX線撮影後、膀胱がんと診断、21日にCT検査、22日に改めて内視鏡検査を受け、他の臓器への転移はないので「経尿道的膀胱腫瘍切除術」を受けるよう申し渡され、手術の期日は未定で入院手続きをすませました。
 がんが見つかって2週間経過しても連絡がないので、病院に問い合わせたところ未定という返事。転移はないし進行が遅いので担当医師は急いでいないと、腹をくくり待つことにしました。血尿を見て止めていたビールを飲むようになり、入院時のためにからだを鍛えておこうと週4日水泳、2日ウォーキングを実施して待っていました。
 2月17日になってようやく、東大病院から電話があり本郷キャンパスはしばらく空きがないので、東大医科学研究所附属病院でなら3月3日手術が可能といわれました。本郷の泌尿器科のスタッフが兼任しているので、ほとんど処置に変わりがないというので、受諾しました。3月1日にPCR検査と下肢の静脈血栓のエコー検査を受け、2日入院、3日午後4時から全身麻酔下での約60分間の「膀胱悪性腫瘍手術(電解質溶液利用経尿道)」を受けました。
 出血もほとんどなく、うまく切除できたという結果でした。膀胱内に尿道カテーテルが挿入され、生理的食塩液を膀胱内へ点滴されながら尿に血液が混じっていないか観察されました。3日後にカテーテルが取り外され、排尿に血液が混じっていないので、術後4日目に退院となりました。
 血尿を見て驚いて、2ヶ月が経過。サンプルの検査結果を判断し、3月22日東大病院で予後の治療の方針が決められる予定となりました。2つ目のがんは、無事乗り越えられそうです。この年齢になってもからだに異常が見つかると、当然のように病院で受診し治療を受けるのは、まだ命が惜しいのかとちょっと不思議な気がします。

 

  癌らしきものの内視鏡写真      最近の私



2021・1・1「老いにもコロナにも負けず歩く」
 大晦日、東京都の新型コロナ感染者が、1337名と大幅に増加しました。できる限り外出しないようにとの自粛要請でしたが、2021年1月元旦、35年続けてきた皇居一周に、6時30分に出かけました。息子夫婦、娘、孫は走り出しましたが、私は数年前からポールを持って歩くようになってしまいました。数年に一度の寒波という予報でしたが、東京は青空で風もなく、すがすがしい朝でした。
 今年は、fitbitというGPSによる移動距離と心拍数の変化が記録できる腕時計を身につけて出かけました。茗荷谷から大手町までの地下鉄へ行き、皇居を一周した地図が記録されていました。地下鉄の乗っている間は記録されず、歩いた時間は106分、距離は7.8q、歩数は10,870歩、平均心拍数は72拍/分、推定消費エネルギーは367.8キロカロリーでした。
 山茶花の向うに陽をあびた堀の土手、三宅坂を下りると桜田門の姿が堀の水面に美しく映えていました。追い抜いていくたくさんのランナーたちは、明るい年になってくれるようにと祈っているのでしょうか、元気いっぱいでした。
 空港でもホテルでも、マスクの着用、検温、手の消毒など予防策はほぼ万全で、旅行客も少なく、体調の崩れを感じることなく無事帰宅できました。

 

さざんかと堀の土手              桜田門    


2020・12・16-17「GOTOトラベル」
 物忘れが多くなった連れ合いの認知症発症を遅らせるには、寒くなったら暖かいところで気分転換するのがよいと思い10月に企画し、「GOTOトラベル」キャンペーンを利用して12月16日から19日まで石垣島へ出かけました。コロナ感染の第3波が高くなって、都知事が「GOTOトラベル」の中断を宣言するのを心配していましたが、65歳以上の東京発の自粛要請に止まりました。コロナ感染予防のために引きこもりがちで、認知能力の低下を抑えた方がよいと自粛せずに出かけました。
 石垣島へは、3年前に格安パック旅行で行ったことがあるのですが、連れ合いはまったく記憶していませんでした。しかし、パイナップルジュース、ゴーヤチャンプル、島とうふ、海ブドウ、ソーキそば、近海の魚のてんぷらなど、地元の食材を味わうことができたようです。また、天候は、晴れたり曇ったり、ときどき雨が降ったりでしたが、気温は20度を超え太平洋を眺めながらの砂浜のウォーキングを楽しむことができました。私は、朝夕、防波堤からの小魚釣りを楽しみました。朝晩、雲の色がさまざまに変わり、道端のブーゲンビリアの花も、ハイビスカスの花も色鮮やかで、南国を堪能することができました。
 空港でもホテルでも、マスクの着用、検温、手の消毒など予防策はほぼ万全で、旅行客も少なく、体調の崩れを感じることなく無事帰宅できました。

  

ハイビスカス              釣る人            釣果、いかにも南の魚


2020・12・10「矢野英雄先生急逝」
 冨士温泉病院名誉院長矢野英雄先生は、2020年12月10日の朝胸が痛いと秘書に電話をし、間もなく亡くなられたという連絡を受けました。2日前に近況報告のメールを頂いたばかりでしたので驚くばかりです。先生は、股関節に不具合のある人たちへ“ノルディック・ウォーク”を勧められ、病院に隣接するバラ園に専用の道を造り患者さんへ開放されました。また、水中で使えるポールを開発され、病院にある温水プールで水中ウォーキングの指導もされてきました。
 先生ご自身も毎日ウォーキングを実践し、介助を必要とすることなく急逝されたのです。まさに“直角死”です。ご冥福をお祈り申し上げます。


  矢野先生 



2020・12・5「全国公認指導員研修会」
 全日本ノルディック・ウォーク連盟は「Medical Nordic Walking NOII」という指導者用テキストを2020年9月に発刊しました。その内容を中心にした、指導者研修会が12月5日東京において開催されました。密を避けるため300名収容の部屋を借りて、150名限定に参加希望者を募りました。ところが、新型コロナウイルス感染者急増の3波を受けて、当初は100名を越える申し込みがありましたが、キャンセルが相次ぎ50名となってしまいました。
 90分にわたって「人生100年時代〜健やかに老いる〜」と題して、超高齢社会がもたらす問題について一緒に考えましょうと話を始めました。そして、さまざまな研究成果を紹介して、下肢と上肢を使って歩くノルディック・ウォークは、高齢者がこころとからだを健康に保つ上で、もっとも有効な手段であと強調しました。

 

     公演            マスクを着用した参加者


2020・12・6「ノルディック・ウォーク東京フェスタ」
 毎年東京の東部に位置する東京湾の埋め立て地で行われてきた「東京フェスタ」は7回目を迎え、2020年12月6日に、東京西部に住む人たちもアプローチしやすい新宿駅に近い新宿西口公園で開催されました。今回は、家族連れが遊ぶ広い西口公園と、休日で閑散とした高層ビル街を歩こうという企画でした。
 コロナウィルス感染拡大防止のため、参加者は手の消毒をした後、検温検査を受け、体調のチェック用紙に住所、氏名を記入し登録しました。「都知事は不要不急の外出は控えるようにと要請していますが、家に閉じこもって心理的に圧迫感を覚え、運動不足で体調不良に陥っている人たちにとって、外出することは必要緊急な事態です。密にならないよう、気をつけてみんなで楽しく歩きましょう」と、スタート前に挨拶しました。
 公園の広場からは、12年も務めてきた新宿西口コクーンタワーが一望でき、紅葉の残る公園からビル街へと、次々にスタートしていきました。

 

        スタート前挨拶          コクーンタワー 


2020・12・5「全国公認指導員研修会」
 全日本ノルディック・ウォーク連盟は「Medical Nordic Walking NOII」という指導者用テキストを2020年9月に発刊しました。その内容を中心にした、指導者研修会が12月5日東京において開催されました。密を避けるため300名収容の部屋を借りて、150名限定に参加希望者を募りました。ところが、新型コロナウイルス感染者急増の3波を受けて、当初は100名を越える申し込みがありましたが、キャンセルが相次ぎ50名となってしまいました。
 90分にわたって「人生100年時代〜健やかに老いる〜」と題して、超高齢社会がもたらす問題について一緒に考えましょうと話を始めました。そして、さまざまな研究成果を紹介して、下肢と上肢を使って歩くノルディック・ウォークは、高齢者がこころとからだを健康に保つ上で、もっとも有効な手段であと強調しました。

 

     公演            マスクを着用した参加者


2020・11・22「富山湾の釣りー教え子と旧交を温める」
 すでに70歳を越えた教え子、恵土孝吉金沢大学名誉教授、小野寺孝一富山大学名誉教授が現役で勤務していたころ、富山湾に面した氷見、新湊の防波堤から海釣りをしたことがありました。飛騨からの帰路、富山で1泊して海釣りをしようと連絡したところ、両人ともできるという返事をもらいました。
 2020年11月22日日曜日は、北アルプスがくっきりと眺められる快晴でし、しかも小アジが釣れるというので、すでにたくさんの親子連れが釣っていました。持参した仕掛けに、餌をつけて座って竿を出し、まずベラが続けて2匹釣れましたが、小さいのでリリース、3匹目にやや大きいメバルが釣れました。教え子たちは、20センチを超えるキス、30センチ近いフグ、10センチぐらいの小アジ30匹を釣り上げていました。宿泊を予定していたホテルのコックが魚を調理してくれるというので持ち帰りました。フグ、キス、メバルは、小さいのにきれいにさばいて刺身になり、小アジはから揚げになって食卓に並べられました。新型コロナウイルス感染防止のため、斜めに座っての夕食でしたが、昔話に花が咲きました。できれば、また一緒に釣りがしたいと言って別れました。

  

               教え子と海釣りを楽しむ    フグ、キス、メバルの刺身     フグの刺身       


2020・11・21「神岡町ノルディック・ウォーク」
 「Sport in Lifeプログラム事業」の一環として、2020年11月21日にノルディック・ウォークのイベントが開催されました。コロナ感染拡大防止のために、参加者は氏名を登録し、体温が高くないのが確かめられました。スポーツ用品の専門店が少ない地方都市ですから、協賛企業のヨネックス(株)から提供された試し履き用の新しいシューズが、参加した100名近い市民の興味を引いたようです。歩き終わった後、履き心地がよかった人たちが購入していました。スタート前に、ポールを持っての歩き方を指導しました。その後、飛騨市ノルディック・ウォーク研究会のボランティア指導員が、出発前の準備運動を指導、コース案内をしてくれました。
 前半は、神岡町の真中を流れる高原川の「藤波八丁遊歩道〜がおろの道〜」と名づけられたコースです。(“がおろ”は渓谷に棲む主)頭上の紅葉はきれいで、足元の20mぐらいの眼下に渓流が眺められます。このコースの渓流の反対側には、廃線となった鉄道の上を2台の自転車をこいで往復する「レールマウンテンバイク」という人気の高い施設があります。歩いている人たちの横を、手を振りながら次々とバイクがすれ違って行きました。後半は、山沿いの道で、神岡城、豪族の館など旧跡を見ながらのコースです。
 飛騨市には、古川(5.0q)、河合(5.3q)、宮川(4.8q)、神岡(4.5q)の4地域にそれぞれ、ノルディック・ウォーク用のコースが整備されていて、市はわかり易いマップを作成し配布しています。さらに、高齢者には、ポールを無料で提供しています。子どもには、イベントごとに貸与するポールが用意されています。他の自治体では見られないほど熱心に、ノルディック・ウォークの普及に取り組んでいました。


            ポールウォーキングの指導      コースマップ         レールマウンテンバイク


2020・11・20「飛騨市アクアウォークプログラム」
 平成の合併で誕生した飛騨市の旧宮川村に、温泉を利用した「まんが王国」という大きな温浴施設があります。施設の真ん中に、大人の腰ぐらいの深さの円形の温泉プールがあります。「飛騨シューレ」の山田ゆかり代表理事は、9年前から地元の高齢者に週1回水中でのエクササイズを指導してきました。合併前の古川、河合、宮川、神岡から、送迎バスを用意して高齢者を集め指導してきたのです。約45分間の水泳運動の後は、温泉に入り疲れをいやし、食堂で昼食を食べて帰るという、とても魅力ある運動教室です。
 最年長は93歳、皆さん喜々として運動しています。私も一緒に運動し、水の中でのからだの動かし方、特に手のひらや足の甲で水を押しやる運動は、より強く筋肉を働かせるので効果的と指導をしました。ちょっと難しいようでしたが、しだいに慣れてきて動きがスムースになってきました。
 運動のできる場所があり、送り迎えの交通手段を整え、熱心な指導者がいれば、楽しく運動を継続でき、介助を必要としない生活を実現して喜ぶ高齢者の姿を、まさに目の当たりにしたのです。

 

水中運動                みんなで水中エクササイズ


2020・11・19「Sport in Lifeプロジェクト事業」
 文部科学省の「第2期スポーツ基本計画」は、2021年度までに成人の週1回以上のスポーツ実施率を65%程度とするという目標を掲げています。それを受けてスポーツ庁は、2020東京オリンピックのレガシーとして、2021年度末までに新たなスポーツ実施者を1000万人増加させる、スポーツを通じて健康で活力のある社会を実現させるという、「Sport in Life推進プロジェクト」を立ち上げました。このプロジェクト参加に応募した団体の中から、全国で11カ所の団体が選ばれ委託事業がスタートしました。その1つに、岐阜県の「飛騨シューレ」があります。「飛騨シューレ」は、子どもを中心とした住民の健康・体力づくりを目指して、一般社団法人として飛騨市に誕生した団体です。
 プロジェクトの具体的な事業は、日ごろ運動を実践していない小学校低学年の児童を主な対象として、週1回合計16回、下校後さまざまなスポーツを体験させ、スポーツ好きな子どもに育てるという内容です。この事業を遂行するには、市民の理解と協力が欠かせません。そのため、飛騨市教育委員会スポーツ振興課の協力を得て、市民を対象とした講演会が、2020年11月19日公民館で開催されました。「望ましい 人の一生〜たくましく育て、健やかに老いる〜」と題して話をしました。高齢化率50%を超えた飛騨市は、高額な医療・介護費を必要とする高齢者の増加と、それを支える働き盛り人口の減少という“ひずみ”に悩んでいるはずです。この“ひずみ”を乗り越えるためには、将来働き盛りとなる子どもをたくましく育てのるが、長い目で見ればもっとも重要ですと話しました。そして、高齢者が健やかに老いる、働き盛りが仕事に励む、子どもが健康に成長するためには、地域ぐるみで日常的な運動実践が不可欠ですと強調しました。新型コロナウィルス感染者がゼロという飛騨市でしたが、60名近い中高年齢者が集まり熱心に聴いてくれました。


講演会


2020・9・30「GoToトラベル初利用」
 東京発着が除外されていた「GoToトラベル」が解除となった前後の9月30日から10月2日にかけて、北海道へ出かけました。往復の航空券は事前に購入していたので対象となりませんでしたが、帯広市の「ふく井ホテル」の宿泊費のうち、10月1日分が割引きの対象となり、加えて「おびひろ割り」3,000円割引が適用され、2泊で15,400円のところが9,810円の支払いですみました。昼食、夕食費をまかなえる額となり、キャンペーンで得したという実感。
 目的は、1年ぶりの北海道での川釣りです。産卵期に入って活発に餌に食いつく、天然のニジマスが主な対象です。遠くの山々から広々とした平原を流れる、十勝川のいくつもの支流で試みました。最初の佐幌川は、水量が多く釣りになりません。然別川へ移り10〜12pのヤマメ、20p前後のニジマスがたくさん釣れました。音更川では、30p近いニジマスの強い引きに満足、最後に5匹釣り上げ、納竿しました。
 今年になってから、初めての飛行機に乗っての遠出。広い大地に沈む太陽に感動し、日常では見られない景色に満足する3日間でした。外出自粛から解放されて、旅行に行く人が増える理由がよくわかります。
 一方、川釣りは、思っていた以上にからだに負担がかかり、初日の夕方川底の石でバランスを失い転んでしまいました。とっさに身を伏せて腹ばいで川の中に倒れたので、びしょ濡れになりましたが怪我しませんでした。一緒に釣りした二人は70歳近い。やっぱり川釣りは疲れるといいます。しかし、夕食にジンギスカン鍋を食べながら釣果を語り合う楽しみは至福のとき、来年もまた挑戦することになりました。私も毎日歩き体力を保持して、来年もまた行きたいと思いました。

  

強い引き      卵を抱えた大型の雌     やや大型の5匹


2020・9・15「胃に棲むピロリ菌退治」
文京区胃がん検診(胃内視鏡検査)は、年齢が偶数年に当たる成人を対象に無料で行われています。2020年7月17日に近くの山村クリニックで受診しました。内視鏡で映し出された胃内部の様子から、サンプルを採取し精密検査をした方がよいと診断されました。病理専門医の診断結果、「胃粘膜に中程度の炎症、うっ血がみられ、活動性の胃炎の所見である。悪性所見はみられない」でした。
 これらの結果は、胃内部に生存するピロリ菌が原因で、胃がんを誘発する危険が高いので、除去しましょうという助言を受けました。ピロリ菌は、母親から感染したもので、80年間以上棲みついていたことになります。これまで10年以上、受けてきた胃のX線検査、内視鏡検査の結果でも、萎縮性胃炎が見られるという診断でした。長い間共生してきた細菌を除去してもよいものかちょっと心配でしたが、医師の指示に従うことにしました。
 ボノサップ・パックと呼ばれる2種類の除菌薬と酸分泌抑制剤を12時時間の間隔を置いて、1日朝晩2回服用します。服用する7日間は、暴飲、暴食を控えるようにとのことでしたので、禁酒を続けました。薬の作用で下痢することがあるといわれました。確かに3日目ごろから下痢が続きましたが、5日目ごろからは止み、無事1週間が過ぎました。その後、胃腸の調子が良くなった実感があり、1ヵ月後にピロリ菌が無くなったか調べてもらい、9月14日医師から完全に除去できたといわれ、とにもかくにも一安心です。


2020・9・2「十二支を七巡して」
 私の誕生日は9月2日で、“くじの日”、“くつの日”です。今年は、84歳となりました。毎年“くつの日”に合わせて、神田明神をスタート、フィニッシュとする靴に感謝するウォーキング・イベントが開かれてきましたが、今年はコロナの関係で中止となりました。私は、涼しくなったので、朝5時30分からポールを持って、近くにある500mの播磨坂を3往復歩きました。
 午前中は連れ合いに付き添って、開胸しての僧帽弁形成術受けて10ヵ月後の検診に東大病院へでかけました。採血の結果では、血液中のBNPの濃度が手術前の206、術後6ヵ月の193から、今回は151へと下がっていました。BNPとは、心臓を護るため心臓から分泌されるホルモンで、40以下なら直ちに治療が必要なく、100以上に上昇すると治療が必要となることがあるといいます。この値の推移から、順調に回復していると思われ安心しました。
 夕食は、久しぶりに近くの店で、娘、孫娘たちと外食。帰宅して、ケーキの上に立てられた8本と4本のローソクを一息で吹き消せた自分の健康をかみしめつつ、家族みんなでケーキを楽しみました。


誕生日


2020・8・15「終戦から75年」
 75年の節目にあたり、終戦の日どうしていたのか思い出してみました。小学校3年生であった1945年の当日は、学童疎開で長野県旧真田町の旅館にいました。唯一残っている写真をみると、19名の男児に5名の先生が一緒だったようです。8月15日の昼頃、いわゆる「玉音放送」があるから聴くようにといわれましたが、天皇陛下の言っている内容は、まったく理解できませんでした。そもそも、戦争そのものの全体像がわかっていなかったと思います。
 疎開前、東京の家にいて、近くに投下された爆弾の衝撃で家の窓ガラスが割れ、グラマン戦闘機によって家の前の道が機銃掃射され、3月9日の夜中にB29から投下された焼夷弾が途中で破裂し花火のように見えたことは、子ども心に強い恐怖を感じたのでしょう記憶に残っています。そんなことから、漠然とアメリカ軍が優勢で、日本が攻撃されている程度はわかっていたようです。
 終戦後、周囲の人の話や学校での教育によって、当時がどんな状態であったのか全体像がしだいにつかめるようになったのです。よく見聞きする“戦争体験を語り継ぐ”という役割は、とても大切なことだと思います。


集団疎開


2020・7・9「八ヶ岳山麓・小海町」
 松原湖を中心に広がる八ヶ岳山麓高原は、北欧のフィンランドに似ていることから、毎年6月に「夏至まつり」が行われてきました。湖畔に造られる簡易なサウナは人気で、3日間のまつり期間中のサウナ入浴券は、たちまち売り切れたそうです。また、小海町は住民の健康増進ばかりではなく、観光客を呼び込む目的でウォーキング大会を開催してきました。ウォーキング・ルートには坂が多いため、両手にポールを持ってのノルディック・ウォークに力を入れています。
 小海町役場は「ノルディック・ポール・ウォーク学会」の事務局を請け負っています。学術団体の事務局を自治体が引き受けるのは、日本では初めてのことと思われます。通常の学会業務は、会員の入会、会費の徴収、学会大会の告知でそれほど面倒ではありません。しかも、余分な事務負担がかかると思われますが、“小海町”という名前が全国の学会員へ直接発信できるというメリットがあると思われます。
 ところで、今年度は「コロナ禍」のため、学会の変更を余儀なくされました。学会の開催、延期、中止を決めるのは学会長ですが、関連する当事者の意見を無視できません。学会長は山梨県、今年度予定された大会長は神奈川県、次年度予定されている大会長は鹿児島県、全日本ノルディック・ウォーク連盟事業本部長は大阪府と、それぞれ離れたところに住んでいます。このため、小海町の事務局は、メール、電話などで何度も連絡を取り合って、次のように決まりました。今年度開催予定の学会は2年後に延期され、次年度の学会は、すでに予定されていた鹿児島県で行われます。
 このような面倒な手続きをうまく処理してもらったので、2020年7月9日学会の最高顧問として、お礼の挨拶に出かけました。雨が止んだ2時間ほど、濁りのない渓流で釣り楽しみました。
 豪雨の中でしたが、地元の釣り師に案内してもらったポイントは、1投目から25pのイワナがかかり、わずか2時間ほどで7匹という釣果でした。
 町長と関係職員と一緒に、調理してもらったイワナの塩焼きで楽しい夕食でした。また、冬の間凍結した松原湖に沈めておいた「湖底浪漫」と名づけられた珍しい日本酒を試飲しました。アルコール分が19度と高いのですが、とても美味しいのは驚きでした。

    

              釣り風景              日本酒のラベル        


2020・6・14 「外出自粛解除」
 「家で運動していた つもりだった」という投書が掲載されました(朝日新聞2020・06・14)。ようやく、図書館が開かれたので40分歩いて往復した翌日、大腿部はパンパンで筋肉痛。家でラジオ体操をし、なるべく歩くようにしていたのに、運動ではなかったようですと81歳の女性が書いていました。
 同じ年齢の連れ合いは、心臓弁膜症整形術、右心耳閉鎖術を受けて、7ヵ月が経過しました。介助つきで歩くのがやっとでしたが、冬から春にかけて歩くように努めました。かなり歩けるようになったときに、外出自粛要請がなされましたが、人出の少ない午前中に歩き続け、ようやく1万歩(5〜6q)続けて歩けるようになりました。
 梅雨がはじまり、外出を毎日続けるのが困難です。6月14日午前中は曇りでしたので、飛鳥山へ行きました。東京アラートが解除され、公園では幼い子どもを遊ばせる親たちがたくさんいました。飛鳥山のJRの線路沿いの崖には、アジサイの花が見ごろで大勢の人が写真を撮っていました。帰る途中、巣鴨のお地蔵さんをお参りに寄りましたが、高齢の人たちも嬉しそうに歩いていました。“密”を避けろといわれ続ける中で、家の外へ出て歩き、友だちと会話することは必要なのだと思います。
 とは言え、みんなでした方が良い事とみんなと同じでなくてもよい事それぞれが、「自分事」としてお互いに理解し共有される社会であってほしいと思います。

    

          父親と遊ぶ           アジサイを撮る人たち     賑わうとげぬき地蔵通り     


2020・6・6 「北アルプス探訪」
 緊急事態宣言が解除されたので、気分転換をはかろうと、北アルプスが見える上高地へ行きました。随分久し振りです。ダムに沿って曲がるくねったトンネルの道を抜けると、“焼岳”が眼前に広がっていました。以前来たときは、“大正池”には枯れ木が立ちならんでいましが、今では、ほとんど埋め尽くされて川となっていました。駐車場からところどころに雪が残る“穂高岳“を眺めながら、“梓川”沿いに森の中を河童橋まで歩きました。外出を自粛しているのでしょうか、初夏の土曜日でしたが人影はまばらで、水が流れる音と、鶯の鳴き声が聞こえるだけです。12時ごろ、穂高岳と梓川眺めながら木陰のベンチで、昼食をいただきました。自然の中でのお弁当が、こんなに美味しいものであったかと感激でした。
 帰路、秘湯“白骨温泉”を通って、昔イワナの釣れた“乗鞍岳”山麓にあるキャンプ場へ行きました。牧草地に流れる小川は幅1〜2mと狭いのですが、奥深い山から流れる水量は多くとても澄んでいます。イワナは1匹しか釣れませんでしたが、牧草にまじってワラビが芽を出していて、季節を告げる高原ワラビを摘み取ることができました。
 北アルプス探訪12,000歩。人工物に取り囲まれた生活から、ときどきは離れ大自然の山並みを眺め、清らかな流れに沿って森の中を、何歳になっても歩きたいと思いました。

  

           池の無くなった川と穂高岳         乗鞍岳             今日の収穫                


2020・5・27 「がん5年サバイバー」
 がん治療成績の指標として、5年生存率があります。がん発症後5年間生存したがん患者を、5年サバイバーといいます。国立がん研究センターの2019年の報告によりますと、がん以外の原因のケースを除いた5年相対生存率は、全がんで66.1%と前回よりやや上昇しています。部位別にみると、前立腺がん98.0%、乳がん92.5%。大腸がん72.9%、胃がん71.6%と高く、低いのは、肺がん40.6%、肝臓がん40.0%、膵臓がん9.6%です。このように発生部位によって、生存率に大きな違いがあります。
 私は5年前に前立腺がんの摘出手術を受け、今年の3月で5年が経過し腫瘍マーカーであるPSAの値から、現在のところがんの転移はないと診断され、晴れて5年サバイバーとなりました。ただし、PSAの値が、0.01から0.09へとわずかですが上昇傾向にあるので、2ヵ月後の2020年5月27日に東大病院へ行きました。
 コロナ感染対策で、当然のように院内はマスク着用が義務化されていますが、加えて病院の入口には数名の監視人がいて、手の消毒、体温検査を受けてはじめて再診の手続きができました。採血後のデータから、PSAの値は0.08と上昇傾向はみられませんでした。リンパ節、骨へ転移することが多いので、今後は連携する山王病院で経過観察ということです。
 31日自粛を解除して外出、近くの白山神社へ出かけました。往復1万歩、まだ早いのですが、季節の花を、楽しめました。

  

       白いあじさい            ピンクのガクアジサイ        アジサイの中に咲くユリ   


2020・5・18 「大塚バラロード」
 家から歩いて30分ぐらいのところに、「都電荒川線」と呼ばれる下町の人たちに親しまれてきた路面電車が走っています。この路線の「大塚駅」と「向原駅」との間、やや坂道ですが約500mの両側に、バラが植えられています。近くの住民が手入れしているのでしょう、今が見ごろです。路地裏という感じのする場所ですが、バラは色とりどり、大きさも大小、見事というしか表現できない風景です。また、一部にはそれぞれに、興味深い名前がつけられていています。家から往復で7550歩、手ごろなウォーキング・コースでした。


    

バラロード        バラと都電                バラの名前    


2020・5・17 「豊洲ぐるり公園」
 数年前に東京湾埋め立て地“豊洲”を一周する、ウォーキング、ランニング、サイクリング専用道が整備されるという話を聞いていました。新型コロナウィルス感染拡大を防ぐため不要不急の外出を自粛するようにという要請が出ていましたが、高齢者は太陽の光を浴びて運動するべきだという助言もあります。雨上がりで快晴となった豊洲へ、2020年5月17日(日)の朝早くでかけました。
 家からはバスと地下鉄を乗り継いで約50分で地下鉄豊洲駅へ。そこから徒歩10分ぐらいで、広い豊洲市場の建物を一周する「豊洲ぐるり公園」の専用道路の入り口に着きます。全長4.8kmという標識を確認して、運河沿いのコースを右回りに歩き出しました。コースは2つあって、1つは潮風が身近に感じられる海抜約2.0mの幅の広い道です。もう1つは並行して海抜約6mの見晴らしの良いやや狭い道で、途中に休憩所を兼ねたきれいなトイレが、5カ所設置されています。この2つの道は、途中数カ所で階段あるいはスロープで、行き来できるようになっています。また、400mごとにスタートとゴールまでの距離が表示された標識が立っていますから、自分の位置を確認できます。  半周したあたりから、レインボーブリッジが見えてきます。くっきり晴れていれば、ビルの合間に富士山が見えるようで、“お台場”と結ぶ“富士見橋”があります、そこから右に大きく回ると、対岸の“晴海ふ頭”に向かって、竿を立てて釣りをする人が大勢いました。晴れた日曜日とあって、子ども連れや年配の夫婦はウォーキングを、若い人はランニング、サイクリングを大勢で楽しんでいました。しかし、広々としているため“密”状態になることはありません。
 4.8qのゴールは、大きな造船所があったところで、道に造船した船名と製造年が刻まれていました。また、当日は臨時休業でしたが、歩き終わってゆっくり休めそうな飲食店がいくつも並んでいます。家からの往復を入れて、14300歩と高齢者には十分な運動量でした。
 埋め立て当初から計画されていたのでしょう。道を中心とした例を見ない、広くて長い公園です。片道5q、往復すれば10qです。豊洲市場の見物を兼ねて、一度歩いてみたらどうでしょう。また、市民スポーツ連盟のイヤーラウンドコースとして、認定されればと思いました。



ルートマップ                レインボーブリッジ  


      ボードデッキで様々な活動                  ゴールの標識




2020・4・16- 5・2 「コロナ疎開」
 長野県知事は、4月23日から5月6日まで県境を越えての旅行を自粛してもらい、県内のホテル、旅館への休業を依頼しました。連れ合いが新型コロナウィルスに感染すると重症化する“心臓に持病がある”、“高齢である”という2つの条件に当てはまるため、2020年4月16日長野県鹿教湯温泉へ夫婦で疎開しました。私にとっての疎開は、1945年3月の東京大空襲後以来の75年ぶりになります。コロナウィルスとの“戦争”と表現する人がいます。人間同士ではありませんが、今回も戦争によるものと諦めることにしました。
 毎日会う人はわずか2〜3名と密な環境ではなく、感染する可能性はきわめて低い生活です。桜が咲いてから寒い日が続き、満開の桜を堪能。桜の背景に見られるカラマツの葉は、萌黄色に変わり始めました。道端の野生のボケの赤い花、ヤマブキの黄色の花が色づきはじめ、姿は見えませんがあちこちから鶯の鳴き声が聞こえます。都会では味わえない春を、身近に感じる日々が続きます。
 運動不足解消には、渓流釣りをするしかありません。宿の近くの沢で、雨の日を除き毎日挑戦していますが、1日2〜3匹と釣果はあがりません。しかし、途中で土筆を見つけ摘み採ってきて、袴を取り除き湯がいてからゴマ油で炒め醤油とみりんで味付けしました。また、フキノトウも見つけ、こちらは油で炒め味噌とみりんで和えました。どちらも、野性味があってお酒がすすみました。釣果のイワナとヤマメは塩焼きにし、こちらも新鮮でおいしくいただくことができました。75年前とは天と地ほどに異なる静穏で豊かな疎開となりました。


 

        フキノトウ     ふき味噌       土筆油和え    イワナとヤマメ     


2020・4・7-10 「健康診断とコロナ騒動」
 同じ健診センターで、毎年1回過去50年間健康診断を受けてきました。半世紀を超えて51回目となる検査を2020年4月7日に受けました。ほとんどの検査項目は、従来のデータと比べ大きな変化は見られませんでしたが、胸部のレントゲン写真から肺炎の疑いありと判定されました。流行中の新型コロナウィルス感染が疑われるから、直ちに主治医に相談してくださいといわれました。いきなり訪問するのはどうかと思い、主治医に電話で連絡しました。
 他の患者のいない12時ころ、新型コロナウィルス感染者に対応するリハーサルとして、診察を受け入れてもらいました。持参した胸部レントゲン写真と保管されていた1年前、2年前の写真と見比べて、確かな診断は下せないとのこと。連携している日本医科大学付属病院でCT撮影を撮って診てもらうように、主治医が予約を入れてくれました。翌日に呼吸器内科の専門医に診断を受けました。新型コロナウィルスの兆候は見られないが、肺がんの疑いがあるのでCT撮影をして確かめることになりました、10日の午後2回目の診察を受け、CT画像と血液中の腫瘍マーカーの値から、肺がんの兆候は見られないとの診断でした。
 健康検査結果から、コロナ感染、さらに、がんの罹患の疑いがかけられた憂鬱な3日間から解放されました。早期発見、早期治療が重要であるといわれますので、このような不安な経験もやむをえないと納得しました。

   

 健診センター 


2020・3・26 「いつまでできるか渓流釣り」
 長野県の鹿教湯温泉周辺の渓流で、イワナやヤマメ釣りを毎年楽しんできました。20年以上前から楽しんできましたが、最近は、魚が少なくなり釣果はかんばしくありません。ですから、美しい渓流沿いを歩くことが、主な目的となってしまったのです。ところが、平衡感覚が鈍くなって、転倒することが頻繁に起きるようになってしまいました。渓流ですから転倒すれば、骨折、悪くすると死亡しかねません。そこで、危険な個所は両手をついて、安定を保持しながら移動するようにしています。
 今年も、釣りを続けようとライセンスを購入することにしました。日釣り券ではなく年間有効の券にし、1年を通して釣りに挑戦することを決心したのです。歩く能力の保持の動機づけになると思ったからです。2020年3月25日ようやく暖かくなった午前10時に出て渓流を3時間、5800歩歩きましたがやっと20pぐらいのヤマメ1匹が釣れただけでした。帰り道、里山には紅白の梅が満開、田んぼの土手にフキノトウを見つけ、採って帰りました。翌、26日は午後3時に出て違った場所を釣り上がりました。約2時間5500歩で前日と同じように、20pぐらいのヤマメ1匹の釣果でした。バランスを失いそうになりましたが、転倒することなく無事でした。
 ヤマメは輪切りにして、みそ汁の具にしていただき、フキノトウは油で炒め味噌と砂糖を加え、毎日少しずつ食べるように料理しました。もうすぐ春がやってきて、魚の動きが活発になれば、釣果も上がるでしょうし、タラの芽、わらびなどの山菜も取れるでしょう。これからも釣りができるよう、毎日からだを鍛える思いが強くなりました。


 

釣りのライセンス

 
今年最初の獲物(ヤマメ)                 里山の梅


2020・3・5 「83歳からのトレーニング効果」
 昨年の11月1日に、豊洲に低酸素濃度環境下のトレーニング施設「アシックス・スポーツコンプレクス」が開業しました。施設の使い勝手を確かめるために、定期的にトレーニングを実践することにしました。目標がないと気が入らなので、3月8日の「FIAマスターズスイミング選手権大会」へエントリーしました。
 トレーニング日課は、筋力トレーニング(6種目の運動をそれぞれ10回反復x4セット)を実施後、酸素濃度16.5%のプールでの水泳トレーニング(50mキック+100mプルの4回反復計600m)を、週2日(月曜日と木曜日)の頻度で行いました。通常98%程度の動脈血酸素飽和度は、トレーニング中83〜85%へと低下し生理的に負担の強い水泳でした。なお、常酸素濃度(20.8%)のプールで、週2日1200〜1500m泳ぐのを加えました。
 始めてから4ヵ月が経過し、筋力トレーニングの効果は、それぞれの種目での負荷重量が増え、トレーナーから胸に肉がついたといわれ一応成果がでたといえます。しかし残念ながら、コロナウイルスの感染拡大予防のために水泳大会は中止となってしまい、水泳トレーニングの効果を公式記録で確かめることができませんでした。
 そこで、タイムトライアルを実施ました。50m自由形は、長水路のプールで泳ぎましたが、酸素の濃度が16.5%であったため、後半はばててしまい39秒32と、80歳の時の公式記録38秒64に比べ約1秒の遅れでした。20.8%の酸素濃度であれば、37秒台が出たかと思われます。これは、筋力トレーニングの効果でしょう。200m自由形は、長水路のプールが利用できなかったため25mプールで泳ぎました。飛び込み台がないのでプールサイドからのスタート、3分25秒26と80歳の時の長水路公式記録3分32秒31より、明らかに速く泳ぐことができました。これは低酸素濃度下での水泳トレーニング効果でしょう。
 今後厄介な病気にかからずトレーニングを実施していけば、加齢にともなう記録の低下を防げる自信を持ちました。


   

           水泳中            ベンチプレス35s 10回反復×3セット実施中! 


2020・1・22 「未来創造展2020」
 校長を務める「首都医校」、姉妹校である「東京モード学園」、「HAL東京」の3校が、改装なった国立代々木競技場第一体育館で「未来創造展」を、2020年1月22日に開催しました。入口には、数千人の行列ができるくらいの盛況でした。「東京モード学園」と「HAL東京」は学生の卒業記念の製作物が展示され、できばえのよい作品が並んでいました。
 一方、「首都医校」の最上級生は国家試験を控え、参加できません。そこで2年生が主になって「自分を知ろう!」と呼びかけ、いくつものブースを並べていろいろな体験ができる準備をしていました。そこで、私も体験させてもらいました。高度専門士看護学科と臨床工学学科では、血圧と動脈血酸素飽和度を測ってもらい124/60oHg、96%で標準。ロコモティブチェックのテストでは、両脚で20pの台から立ち上がることができ、2歩の歩幅は240p:身長比1.5で合格。作業療法学科の認知機能テスト(7つの色に対応する7種類の記号を2分以内に書き込む)では、75個の内61個できたので、標準と判定。理学療法学科のフレイル・テストでは、右手の握力55s、5mの歩行スピード1.77m/秒で問題無し。看護保健学科のストレスチェックでは、日常でのいろいろな行動を聞き取り、“リラックス”している状態と判定。別に、障害者スポーツ体験では、「ボッチャ」を女性の教員と対決:勝利、AEDの方法を実習。最後に、柔道整復学科で下肢のマッサージを受けて終わりました。
 先輩からの申し送りがあるのでしょう、年を追うごとに充実した展示になってきたと感じました。

 

   未来創造展ポスター 


2020・1・1 「年男」
 これまでほとんど意識したことがなかった「年男」の84歳となる今年、次の「年男」になるのは何歳かと思わざるを得ません。96歳です。無理な話だと思いました。
 ところで、私が東京大学へ転職したとき教育心理学の主任教授をなさっておられた肥田野直先生が、東大出版会が発行する「UP」の1月号に「心理学の戦後」と題した連載1回目の文章を読みました。8頁にわたる「戦争と二人の研究者」と題する文章を読んで驚いたのです。1920年生まれの100歳になる人の、ご自分の経験された出来事の記憶の上に文献に当たり、しっかり書かれた文章です。大いなる刺激を受けました。
 96歳は無理だという思いから気を取り直して、恒例の皇居一周のウォーキングに子と孫と出かけました。子や孫はランニングですが、私は昨年からポールをもってのウォーキングです。三宅坂の上で、曇り空でしたが、皇居の森の上に上る初日の出を見ることができました。約5キロを1時間10分かかりましたが、歩ききることができました。

   

   日の出                孫たちと


2019・12・26 「小学校金管バンドに思う」
 長野県の山間にある鹿教湯温泉では、文殊堂への参道に並べられた氷で作った“灯ろう”に火を灯して“夢祈願”するというイベントが、12月末から1月末まで毎日開かれています。そのオープニングセレモニーが、2019年12月26日に行われました。来賓の挨拶後、地元の西内小学校の金管バンドの演奏が披露されました。1学年10名前後の小規模校です。5、6年生が全員バンドに所属することになっています。兄や姉あるいは先輩たちのすべてが演奏するのを見てきたからでしょう、強制ではなくだれもが当然のように4年生の12月ころから習い始めます。そして、個人差はあるのでしょうが、1年後には大勢の人前で金管楽器を演奏できるようになるのです。
 アンコールに答えて演奏された“聖者の行進”を聞きながら、数日前に掲載された「小5男子の体力過去最低」というスポーツ庁の発表の新聞記事を思い出しました。体力は低下するのは運動不足が原因ですから、運動する時間を増やすことが根本的解決策です。小学校5年生で金管楽器を習い始めて、1年でマスターできるのです。同じように、小学校5年に体育の授業の中で走ったり、跳んだり、投げたりすれば、個人差はあるにせよだれでも能力は向上するのです。運動して体力が低下することは、決してありません。
 スマホの見過ぎが影響?という見出しがついていましたが、スマートフォンの画像を見る、見ないとは関係ない話です。1日24時間ですから、スマホの画面を見る時間が長ければ、運動する時間は短くなるのは当然です。しかし、それは学校外での時間帯です。体力がなければじょうぶな大人になれません。学校の授業の中で運動する時間を増やし、たくましい成人となるように、取り返しのできない育ち盛りに体力を向上すべきだと思うのです。

   

         金管バンド                    氷灯ろう


2019・12・14 「いちに会20周年記念祝賀会」
 結構な招待状が届きました。
 「晩秋の候、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。さて、1998年5月より日本ウオーキング協会で始まった“12週間ウォーキング講座”の修了者によって、同年12月に“いちに会”が発足し、ここに20周年という節目を迎えることができました。これもひとえに日本ウオーキング協会宮下先生ならびに先輩諸氏の温かいご支援の賜物と深く感謝申し上げます。さて20周年を記念してささやかな会を開催いたします。御多忙中のところ恐縮ではございますが、是非ともご出席賜りたく謹んでご案内申し上げます。」という手紙が会長さんから送られてきました。
 クラブ名“いちに”は、講習会1回目と2回目の修了者が音頭を取って始めたからだそうです。ウォーキングという地味な活動をしているクラブが、20周年とはいえ日本一のホテルで祝賀会を開くというのです。これが、江戸っ子の心意気、という思いをしましたが正直言ってとても驚きました。当然ですが、参加された42名の会員たちはお元気で、11名の80歳を越えた会員が表彰されました。「宮下先生は無理でしょうが、次の10年間歩き続け、30周年記念祝賀会で元気に会いましょう」という挨拶があり、妙に納得しました。


     

   いちに会シンボルマーク      みんなで記念撮影          宴会場入口で


2019・11・24 「葛西臨海公園」
 第6回目となる「東京ノルディック・ウォークフェスタ」が、江戸川区にある葛西臨海公園で行われました。2日間雨が降り続き寒くなった晩秋の日曜日、2019年11月24日の朝は雨でした。両手にポールを持って歩くため、全身が濡れない雨具で身を固めて家を出ましたが、幸いにも開会式が行われた10時には雨が上がりました。
 遠くからも見られる高さ117m、直径111mの大観覧車が、シンボルとなる公園は平成元年にオープンし30年が経って、植林された木々はすっかり根づいていました。スタートして東京湾に面した人口の砂浜、野鳥ウォッチングセンター、水族館などがある園内を歩く5qのルートと、途中から荒川放水路沿いに遠回りする10qのルートが設定されていました。
 大観覧車の横を通って行くと反対側の“下水道水再生施設”の脇に、異様な建物がありました。家に帰って調べてみると、東京オリンピックのカヌー・スラローム会場で、終了後は水上スポーツ・レジャー施設として利用される予定だそうです。この大規模な公園の道は、これまで行われてきた“台場”と同じで平坦で舗装されています。歩行困難な人の参加が多いノルディック・ウォークには最適です。来年以降新しい施設が加わることから、一層楽しめる東京フェスタが期待されます。

 

       大勢の参加者全員で     開会の挨拶      荒川放水路の土手を歩く


2019・11・16 「ロシア人墓地」
 第8回「道後湯けむり遍路道ツーデーウォーク」が、2019年11月16、17日に行われました。松山市道後温泉公園をスタートする、晩秋のノルディック・ウォークを中心としたウォーキング大会です。初日は雲一つない快晴で、改築中の道後温泉本館前を通り、山頭火が晩年を過ごした“一草庵”を訪れました。1939年「死ぬることは生まれることよりもむつかしいと、老来(おいらい)しみじみ感じ」と書き、翌年詠んだ「おちついて死ねそうな草枯るる」の石碑が建っていました。
 ここから坂を上り、日露戦争時に捕虜となったロシア人の墓を詣でました。松山の人たちが、親切に扱ったくれたことを大変感謝していたそうです。第二次世界戦争後シベリアに抑留された日本人捕虜の扱いとは、天と地の違いです。時代の違いなのか、民族性によるものなのか、わかりません。
 2日目も秋晴れで、6つの札所を巡る20qを歩きました。48番札所西林寺近くの公園には、弘法大師が杖を突き見つけたという湧水があります。たくさんの人たちが、水を汲みに来ていました。この“杖の淵”と呼ばれる遺跡をすぎ、10q地点では混ぜご飯の“おにぎり”と豚汁のご接待があり、美味しくいただきました。

     

改築中の道後温泉本館          ロシア兵士の墓            西林寺


2019・11・9 「高所トレーニング国際シンポジウム」
 長野県東御市で、2019年11月9,10日「高所トレーニング国際シンポジウム」が開催されました。22回目となるシンポジウムで、200名近い参加者があり盛大に行われました。陸上競技用トラックのある“湯の丸高原スポーツ交流施設”に、50m温水室内プールが加わった記念として行われたのです。国際シンポジウムですから、オーストラリアと中国の高所トレーニング研究者が、招待され外国人特別講演を行いました。私は「高所トレーニングのこれから」と題した特別講演を行いました。前半は5標高2300mのメキシコ市で高所トレーニングを始めてからの54年間の歴史を紹介し、後半はトレーニング効果に個人差が現れる背景について解説し今後の研究の望ましい方向を提案しました。
 わが国ではもっとも高い標高1750mに建造された室内プールは、日本水泳連盟の後押しがあって完成しました。しかし、国や県からの補助が得られず、東御市は企業や個人からの寄付を募るといった大変な努力をしたとのことです。初日の昼食後、プールの見学会が行われました。私は真新しいプールで泳いでみました。とても泳ぎやすいプールです。これからの半年間、日本の代表選手が十分に活用し、東京オリンピックで好成績を上げることが、このプール存続の将来を占うだろうと思われます。


 

    力泳中            ゴールして一息     高所トレーニングについて講演


2019・10・26 「韓国国際ウォーキング・フェスティバル」
 首都ソウルで開催された「韓国国際ウォーキング・フェスティバル」は、通算25回という節目を迎えました。日本、ロシア、台湾など外国からの参加者が増え、国際色が豊かになり盛り上がった大会となりました。2年後、この大会を「17回IVVオリンピアード」として開催されることが決まりましたので、それを祝って2019年10月26、27日参加しました。
 初日は気温7度と寒い朝でしたが快晴で、歩きやすい天候でした。スタート後新興住宅に沿った広い道路の歩道を歩き、中間点の鉢植えの木や花の市場まで行きます。菊の鉢が色とりどりに陳列されていました。暑くなったので上着を脱いで、帰路は大河漢江へそそぐ炭川沿いのサイクリングと並行する遊歩道を歩き、フィニッシュしました。久し振りに12qを歩き、歩数は2万歩を越えていました。
 2日目の朝は4度とさらに寒くなりましたが、昨日以上の雲一つない秋晴れでした。前日の川沿いの遊歩道を中心街へ向かって歩き、橋を渡って高さ300mを超えるというロッテタワーの建つ公園へ出ます。そこからは野菜市場、マンション、企業のビルが立ち並ぶ広い道を真直ぐフィニッシュまで歩きました。歩いた距離は11.5qで、やはり2万歩を超えすっかり疲れてしまいました。当日に金浦空港から帰京しました。
 予定されている市民スポーツ連盟関連の国際大会は下記の通りです。
 第5回アジアンピアード:ウラジオストック(ロシア)2020年7月4,5日
 第17回IVVオリンピアード:ソウル(韓国)2021年10月29〜11月2日


 

       ロッテタワー       植木・花市場の菊        河川敷の遊歩道          


2019・10・22 「酸素濃度15.8%のプールで泳ぐ」
 酸素濃度を標高0mから3000m相当に設定できるプールが、東京豊洲に完成しました。提案者として実感すべきだと思い、オープン前の2019年10月22日と24日に泳ぎました。前の週に、酸素濃度17.2%に設定したプールで泳ぎ慣れていたので、酸素濃度15.8%と20.9%に設定して、2度泳ぎました。泳ぎ方は、2分ごとに1回50mを泳ぐのを20回反復するというインターバル水泳です。ウォーミング・アップなして、最初の5回はひかえめの速さで泳ぎ、その後はなるべく一定のペースで泳ぎ、最後の5回はほぼ全力で泳ぎました。
 5回ずつをそれぞれ平均してみると、15.8%では52.4秒、49.6秒、49.2秒、49.0秒、20.9%では51.2秒、47.8秒、47.6秒、47.0秒と、ほぼ思い通り泳ぐことができました。このように、低地での酸素濃度20.9%の方が、50mにつき1〜2秒速く泳げました。動脈血酸素飽和度は、泳ぐ前は15.8%で91%、20.9%では96%で、泳ぎ始めると85%、90%へと低下し、心拍数は15回目には130拍/分にまで上がり、限界に近くなりました。
 83歳の老人の例ですが、低濃度酸素環境下でのトレーニングは、からだへより大きな負荷をかけることがわかりました。逆に見れば、継続していけばトレーニング効果が期待できるという結果でした。


   

    酸素濃度の表示(高所)      酸素濃度の表示(低地)

 

  測定結果  


2019・10・11 「アシックス・スポーツコンプレックTOKYO BAY初体験」
 空気に窒素ガスを混ぜて低濃度の酸素環境をつくり出し、人工的に高所トレーニングが可能な大規模トレーニング場が豊洲に完成しました。「アシックス・スポーツコンプレックTOKYO BAY」と名づけられたこの施設は、11月1日グランド・オープンです。その前に、自分で体験しておこうと2019年10月11日に出かけました。
 その前日に、ふだん泳いでいる25mプールで 50mを2分に1回クロールで泳ぐのを10回反復しました。最初はウォーミング・アップのつもりでゆっくり泳ぎ、調子が上がってくるにしたがって、しだいに速く泳ぎました。
 当日は、酸素濃度17%の環境に設定した25mプールで、前日と同じ意識で泳ぐようにしました。両日とも、毎回50mを泳ぐ時間を測り、5回ごとに心拍数、動脈血酸素飽和度を測りました。新しいプールでは測定して記録してくれる人がついてくれましたので、わたしは泳ぐのに専念でき、そして気持ちが乗っていたせいか、50mを泳ぐ時間は大幅に短縮しました。
 泳ぐ時間は、56秒から47秒へと短縮し、心拍数は91拍/分から120拍/分を越え、動脈血酸素飽和は安静時98%から80%近くまで下がりました。疲労感は酸素濃度21%と17%とでは違いがありませんでしたが、生理的には低酸素濃度の影響があったと思われます。近いうちに、同じプールで、酸素濃度15%と21%のときに測定して正確に比較するつもりです。その後、酸素濃度が平地と同じように設定された2階のフロアにあるトレーニングジムで、トレーニング・マシンの説明を受けました。
 世界で類をみないこの大規模施設が、日本のトップ・アスリートによって十分に活用され、「東京2020」でよい成績を残せるよう頑張って欲しいと願っています。

 

      水泳中           測定中           レッグプレス   


2019・10・09 夢かなう「豊洲Dタワー竣工式」
 「東京オリンピック2020」にむけて、高所トレーニングに代わる人工的に低濃度酸素環境となる大規模なトレーニング施設を東京に建設しようと、7年前に活動を始めました。(株)プラネット社の平松さんが奔走され、大和ハウス工業(株)が建造し、アシックス・スポーツコンプレックス(株)が運営することが決まりました。そして、“豊洲市場”の近くに完成し、「アシックス・スポーツコンプレックスTOKYOBAY」のオープン・セレモニーと内覧会が、2019年10月9日に行われました。橋本五輪担当大臣をはじめとして、東京オリンピックやポーツ団体の関係者がたくさん集まってくれました。
 私の念願であった50mと25mの温水プールが3階に、60mの走路やトレーニング・マシンが設置されたフロアが2階にあります。それぞれの場所は、標高2000mから3000mに相当する酸素濃度に調整できます。アメリカの高地でトレーニングして金メダルを獲得したマラソンの高橋尚子さんが、高所トレーニングが東京で体験できる施設は、いろいろなスポーツ選手にとって素晴らしいと挨拶しました。
1965年メキシコ市で水泳選手の高所トレーニングに関わってから55年後、日本にトレーニング場を造りたいという夢がかなって、ほっとした気分となりました。

 

      50mプール               高橋尚子さんと   


2019・10・06 「スパール開業20周年記念」
 山形県が「県民の海・プール スパール」を開設してから20年が経過し、記念の式典と祝賀会が、2019年10月6日に行われました。25mの水泳プール、70mの円形流水プール、各種温浴施設、そして、トレーニング・マシンが設置されたトレーニング・ジムからなる広大な運動施設です。現在、指定管理者制度が導入され、「NPO法人健康づくりサポート東北21」が運営しています。
 市民は自由に利用できますが、このプールを利用して、成人と子どもむけの水泳教室、そして、中高年むけの水中ウォーキング教室が定期的に開催されています。その中に、水中ポール・ウォーキング教室が加えられることになりました。そこで、記念式典に先立ち、鶴岡市スポーツ課が主催して、水中ポール・ウォーキングの初心者指導が行われました。35名の申し込みがあり、プールを横に使い2組に分けて歩きました。ポールを持っていることで、水中を歩くといっても実にいろいろな動きができます。約60分間、陸上ではできないストレッチング・エクササイズ、ポールの突き方を変えてのウォーキングなどを指導しました。中高年齢の参加者にはちょうどよい運動だったようです。
 記念式典では、「すべての人に水中運動の楽しみを」と題して100名近い中高年の人たちへ講演しました。水中運動は脳での血液の流れをよくするので、認知症の進行を抑え、発症を先送りする可能性が高いことを強調しました。皆さん身近な関心の高い話題なので、熱心に聴いてくれました。

   

 初めてでもすぐに上手になります                講演会   


2019・9・30 「歯科衛生学科・登院式」
 「2年生に進級し、より専門的な学習内容を修め、夢の実現の一歩としての臨床実習に参加する許可を学校長から頂くことで、更に学習に対しての自覚を持つ」ことを目的とした「登院式」が、2019年9月30日に行われました。最近、むし歯に病む子どもが少なくなっていますが、高齢者の増加にともなって“口腔ケアでフレイル予防”と注意を喚起させる呼びかけが強まっています。歯の健康を護る「歯科衛生士」の需要が高まっているのです。ということで、首都医校に開講された 歯科医療学部歯科衛生学科に在籍する学生が増えています。
 今年は、3期生の「登院式」に、中間部11名、夜間部16名の学生が出席しました。皆さんおそろいのピンクが目立つ実習服を身につけ、厳かななかにも華やかな雰囲気でした。校長として、自分自身のすべての歯に被せ物をするという治療体験と、患者に接するときの望ましい態度について話しました。最後に「臨床実習登院」を許可するという宣言をしました。それを聞き終わって、学生たちは、それぞれ用意した「実習に向けての決意表明」を緊張した声で読み上げました。これから、しっかりと資格を身につけて、仕事を続けて欲しいと願っています。

    

      登院式          登院式の様子       やや疲れぎみです。


2019・9・22 「みんなで歩こう!里山あるき」ついでに釣りも大いに堪能」
 山形県鶴岡市で2年ぶりに、渓流釣りを楽しみました。庄内平野から温海温泉へ向かう山合いの道を行きます。大机川という幅7mぐらいの渓流で、以前にも釣ったところです。土手の上から竿を出すと、いきなり18pぐらいのヤマメが釣れてきました。幸先の良いことで、周辺で3匹釣り、さらに上へ移りました。熊出没の目撃情報があるところですが、2人連れなので深い山へ入りました。堰堤のある深みで25pを筆頭に、5匹収穫引き上げました。夕食にホテルで塩焼きにしてもらい、しばらく振りに美味しくいただくことができました。
 翌9月22日は「みんなで歩こう!里山あるき」に参加しました。事前申し込みが416名です。そのうち地元の人たちからのはたらきかけがあって、185名の小学生、中学生が8qに挑戦しました。子どもの参加が定着してきたのは、将来が楽しみで喜ばしいことです。また驚いたのは、251名の成人の内、九州から北海道までの山形県を除く30都道県からの参加者があったことです。大会開催が20回を超え、ローカルな大会から全国規模に成長したのです。
 主会場となった大山地区には日本酒の蔵元が3つあって、酒樽太鼓と称して幼い子どもたちに酒樽叩きを勧めています。恒例となっていて、おそろいの鉢巻きとユニホームの保育園児たち40名の合奏で、スタートを盛り上げてくれました。
 20qルートが先にスタートし、続いて、大山の蓮が一面に広がる上池・下池をまわる8qルートが出発です。坂道を上ったり下りたりで、合計13000歩、約2時間のウォーキングでした。フィニッシュして体育館の床に車座になって、だだじゃ豆入りのおにぎりと豚汁の昼食です。午後は、宿の湯野浜温泉近くの加茂漁港の堤防から、魚釣りを楽しみました。
 23日は、「羽黒山修験のみち」を歩きました。2日目も全国からの参加者がこれまでになく多い大会でした。羽黒山の山伏の“ほら貝”を合図に、国宝の五重塔を見て、2466段の石段を上ります。頂上にある“出羽三山神社”の“三神合祭殿”を詣でて、羽黒名物の“玉こんやく”のおもてなしで休憩です。
 今年は熊の出没が目立ち、注意を呼び掛けていました。また、スズメバチの攻撃名に、あわてず静かに対応するようにとの注意もありました。スポーツ課の職員、スポーツ推進員、「健康スポーツクラブ」会員が一体となって、きめ細かな計画の下に行われ、全国からのウォーカーも楽しんでいました。

    

     釣れたヤマメ          ヤマメの塩焼き        海で釣れたタイ

        
        地元の熱い応援酒樽太鼓        里山あるき(上池)   出発合図のほら貝


2019・9・16 「敬老の日」
 江東区健康センターが主催する「12週間ウォーキング教室」は、平成元年の「敬老の日」からスタートしました。それから、「敬老の日」を初日とするウォーキング教室が開催されてきました。私は、教室の開始に当たって、毎年欠かさず約1時間の講話をしてきました。なぜ歩くのがよいのか、どのように歩くのが望ましいのか、歩くのに適したシューズ、ウエア、その他の携帯品はどんなものがよいのか、などが内容でした。この教室が令和の時代に入って終了することになりました。30年間の歴史に幕が閉じられたのです。ちょっと残念な気がしますが、これも時代の流れかと思っています。
 毎年の行事が無くなりましたので、今年の「敬老の日」は独りで歩くことにしました。私の住む文京区には、名前のつけられた坂が113あります。この道を歩こうという「文京113坂アプリ」が作成されています。「さんぽみち総合研究所」が開発したものです。歩いたり併せて坂道マップを作ったりという一連の活動に対して、文京区から景観づくり活動賞を授与されたそうです。
 家の近くの桜並木で有名な“播磨坂”を下り江戸時代から続く「こんにゃく閻魔」の門前から左に曲がって、「言問い通り」を東大に向かって歩きます。右側に“菊坂”を上る道があります。そのまま、真直ぐ歩きます。約30分が過ぎたので水分を補給して上り「本郷通り」を横切って、東大農学部の横の“弥生坂”下りて、右へ曲がり“暗闇坂”を通って、「不忍池」へ出て池の端を半周しました。上野公園入口前から、にぎやかな街中を歩き松坂屋デパートで終了。距離およそ5q、歩く時間は1時間5分でした。あいにくの雨でしたが、江戸時代に思いをはせながらのウォーキングでした。

    

初期の日誌            新しい日誌


2019・9・2 「83回目の誕生日」
 昨年の9月1日には、10年以上続くテニス仲間に夫婦一緒に招かれて、誕生日を祝ってもらいました。住友系の企業を退職した仲間の一人が、土曜日の昼時間帯に利用できる「住友クラブ」が会場です。新宿西口にある住友ビルの47階にあり、私が勤務する首都医校がある50階建てのコクーンタワーが目の前に見えるレストランです。
 今年は8月31日の土曜日に予約してもらって、誕生日を祝ってくれました。日時を決めたときは、一緒に参加する予定だった連れ合いは退院直後で欠席しました。
 誕生日祝いのケーキまでいただける、太刀魚の焼き物とステーキがメインの豪華な昼食会でした。出席した仲間が撮ってくれた写真を、「一人じゃ寂しいヨ!」という言葉と一緒に送ってもらいました。
 9月1日は、6人の孫の内5人が都合がよいというので、自宅で誕生日祝いをしてくれました。連れ合いも頸部を固定するカラーを取り外して、一緒に写真を撮ってもらいました。83歳になっても、誕生日を祝ってくれる人がいることをとてもうれしいと思いました。

      

 「一人じゃ寂しいよ!」来年は必ず共に!  孫たちとにぎやかに誕生会をしました


2019・8・29 「一月に3回の入退院」
 連れ合いは、2019年7月25日午前中に外出して直ぐに苦しくなり、近所の医院で診察を受けました。よほど悪かったのでしょうか、医師から明朝大きな病院へ行くようにと言われました。しかし、夜8時ごろ、作業療法士の孫が持っていた動脈血酸素飽和度測定器で測ったところ、酸素濃度が80%台でした。この値では、入院した方がよいと孫に勧められ、救急車を呼びました。救急車内で高濃度の酸素を吸入したところ、直ぐさま値は90%台へと回復しました。いくつかの大学病院へ問い合わせたところ、日本医科大学が引き受けてくれるとのことで、送り込まれました。ペースメーカーを10年ほど前に埋め込んでもらった病院です。「うっ血性心不全」と診断され、救急病棟で数日間治療を受け、循環器内科の一般病棟へ移りました。リハビリテーションを行い、8月15日退院しました。すでに、3階の家から階段を下り、郵便を出しにポストまで行けるようになっていました。入浴もできました。
 ところが、8月19日に入浴中に洗い場で転倒、肩、手頸がひどく痛むようになってしまいました。再び、救急車を呼びましたが、今回は東京医科歯科大学病院へ運び込まれました。「中心性脊髄損傷の疑い」と診断され、頸部を固定され緊急手当てを受けました。応急の手当が終わったということで、8月23日に退院を促されました。帰宅し1階の部屋に入りましたが、到底素人が面倒見切れない状態でした。そこで、東京医科歯科大学病院と連携関係にある東都文京病院へ、8月26日に入院しました。整形外科で、リハビリテーションを受ける予定です。
 1か月間に、3つの病院への入退院です。伴侶とはよく言ったもので、3回とも付き添いました。また、30日間猛暑が続く中、ほとんど毎日見舞い、いささか疲れてしまいました。老々介護劇場の第一幕が開けられたのでしょう。


2019・8・3 「江戸川の花火」
 44回目を迎える「江戸川区花火大会」へ行きました。60年以上も前からの知り合いの竹宇治聡子(ローマオリンピックメダリスト)さんから誘いのあった花火大会へ、連れ合いの代理(娘)と一緒に出掛けました。区の職員の案内で特等席、土手の芝の上にシートを敷いてあって、寝転んで見られる席です。江戸川区長に挨拶し、明るいうちに弁当が配られ、ビールを飲みながらいただきました。仰向けに寝転ぶとちょうど目の前に、視野いっぱいに花火が広がります。大型の珍しい花火には、観客から大きな拍手が送られます。一瞬の映像です。記憶する間もなく次々と打ち上げられ,刹那の芸術といえるのでしょうか、始めての経験でした。100万人を超える人たちが見物にきたといいます。帰宅の電車が混むので、フィナーレを見る前に席を立ち、篠崎駅に向かいました。しかし、長い行列で20~30分ぐらいかって、やっと電車に乗ることができました。

   

       仕掛け花火              打ち上げ連発花火


2019・7・13 「ノルディック・ウォーク学会」
 第8回「ノルディック・ウォーク学会」が、“安心と安全のノルディック・ウォークを世界へ”をテーマに、2019年7月13日に山梨県富士吉田市で開催されました。下肢関節に障害を持つ患者にノルディック・ウォークを処方して治療に当たっている冨士温泉病院の矢野先生と、脳・神経系と歩行のメカニズムを研究している東大の中沢先生が中心に行われたのです。
 基調講演は、運動力学、脳神経学、心理学という3つの立場からノルディック・ウォークの研究成果が紹介され、続いてのセミナーでは、公衆衛生の立場から、世界でもっとも早く超長寿社会を迎えた日本でのノルディック・ウォークの重要性が指摘されました。また別室では、34個の研究成果が壁に張り出され、ポスターセッションが並行して行われました。この他にも“Medical Nordic Walk”と“ノルディック・ウォークの活動”と題して、シンポジウムが行われました。内容が豊富で充実していたこと、加えて気持ちのよい高級ホテルの宴会場で行われたこともあって、参加者は大満足のようでした。翌14日に計画されていた富士五湖周辺でのノルディック・ウォークは、残念にも雨天のため中止されました。
 次回は2020年横浜市で、次々回は2021年鹿児島市での開催が予定されました。

   

セミナーでの講演            学会集合写真


2019・7・7 「ノルディック・ウォークin鶴岡」後 脳梗塞一歩手前
 21回目を迎える「国際ノルディック・ウォークin鶴岡」が、2019年7月7日に山形県鶴岡市で開催されました。震度6弱という日本海山形沖地震が6月に発生し、開催が危ぶまれたのですが予定通り行われました。
 前日の午後、第2回「ビーチ・ノルディック・ウォーク・リーグ・サミット」が行われました。海岸沿いにある砂浜で行なわれるノルディック・ウォーク大会の開催地の人たちが、情報交換をしようと大阪の岬町で昨年行われたのを受けての2回目です。今年3月に設立された山形県ノルディック・ウォーク連盟会長から開会の挨拶の後、私が「長寿社会とノルディック・ウォーク」と題して講演を行い、続いて大阪府連盟の理事長、石川県連盟の会長が、大会開催のこれまでの経緯を報告しました。地域ごとにそれなりの抱える課題があり、どのように乗り越えてきたか興味ある話題でした。  250名ほどの人たちが、13km、7km、3kmのルートを順番にスタートしました。津波の可能性があるという理由で、高台へ避難できやすいルートに一部変更されていました。青い海と、雪の残る鳥海山・月山が眺められる快晴の下での気持ちよいウォーキングでした。
 私は約2時間で7kmを歩き終わり、体育館の中でダダ茶豆入りのおにぎりとたっぷり具の入った豚汁をいただきました。食事をしながら、喉が渇いていたので缶ビールを3個飲みました。食事が終わってから、急に前に座っている人の顔が、上下2つ見えるようになってしまいました。片目ずつでは1個の顔が見えるのが、両眼で見ると上下2個見えるのです。はじめての経験で、周りの人に状態を告げしばらく横にさせてもらいました。しばらくすると正常に見えるようになったのですが、鶴岡市の人たちが心配して、とにかく緊急に診察を受けるように手配してくれました。
 休日でしたので、市立の大きな荘内病院で診察。脳梗塞が疑われるため、MRI、CTで脳内の様子が撮影されました。特に異常は見られないが、時間がたつと現れることがあるので1日は様子を見た方がよいと医師が判断。帰京できず、集中治療センター(ICU)のベッドに収容されてしまいました。腕の静脈に針を刺され水分の補給のため点滴が続けられ、心臓と肺の動き、血圧、血液中の酸素濃度、などの測定計器が身につけられ、上向きで寝たままで一晩過ごしました。翌日のMRIの撮影の結果、脳には特に異常は見られない、自覚症状も良好でしたので退院が許可され、市の職員の方に付き添われて夕方の飛行機で帰京しました。
 脳梗塞発生の2歩ぐらい前の状態といえるのでしょうか、“一過性脳虚血性発作”と病名がつけられ“脱水”が主要因で、ビールの飲み過ぎも悪かったと、医師から説明されました。日ごろから歩いているから、泳いでいるからまだまだ元気という自信は、もろくも崩れてしまいました。過信は禁物と、改めて肝に銘じたのです。

 

     サミットで講演         砂浜を踏みしめて      鳥海山を背に湯野浜を歩く


2019・6・22 「フィンランドの夏至祭り」
 小海町が後援する“小海フィンランド協会”が主催する第18回「フィンランドの夏祭りinこうみ」が、2019年6月22日行われました。湖畔にはテント張りの簡易サウナ風呂と水浴用の仮設プールが並べられ、水着姿の若者が入れ替わり入浴を楽しんでいました。また、周辺には地元の人たちが提供する“おむすび”、“おやき”などいろいろな食べ物、飲み物がテントに並べられ、集まった人たちは自由にいただきました。
 夕刻6時近くなって、激しい雨が降り狭いテントにみなさん雨宿り。20分すぎるころには小雨になり、開会式と大きなかがり火“ユハンヌス・コッコ”の点火が行われました。湖に突き出したところで、縦・横に並べられたまきに油が注がれ、点火されると天高く炎が燃え上がりフィンランドの夏至祭りの気分を味わうことができました。
 翌23日には、第1回「フィンランディア・ウォークin小海」が行われました。松原湖高原スケートセンターをスタート地点として、松原湖の周辺を10、5、3qのルートが用意されました。祝賀会に参加した全国の指導員100名と地元の50名の人たちが、それぞれのルートを選んで歩きました。カラマツ林の中の道、白菜の畑の中の道、湖畔の道と変化に富んだルートでした。中間地点の松原湖畔では、ケーキと飲み物が用意されていました。ちょうど行われていた“ヘラブナ釣り大会” を眺めながら一休みしました。
フィニッシュして、天ぷらつきの打ち立てのそばをいただき、お土産には採れたてのブロッコリーをもらい、都会を忘れさせる大自然の中、景色よし、おもてなしよしの、思い出に残るウォーキングでした。

    

かがり火点火          湖畔のサウナ

  
        ヘラブナ釣り大会   八ヶ岳遠望しながら準備運動


2019・6・21 「ノルディック・ウォーク連盟創立10周年」
 両手にポールを持って歩くのは、北欧や北米で広く行われています。23年前にフィンランドへ出張したときに見かけたので、日本に広めたいと思い“ノルディック・ウォーク”と名づけました。そして、日本ウオーキング協会に“ノルディック・ウォーク専門部会”が設けられ、数年後一般社団法人として独立しました。それから10年が経過し、35の都道府県協会に連盟あるいは支部が出来上がり、ノルディック・ウォークの歩き方を教える指導員は3500名を超えるほどに成長しました。
 法人創立10周年を祝う会が、2019年6月21日長野県小海町で開催されました。小海町にある松原湖周辺はフィンランドにとても似ていることから、22日の夏至の日に行われる「フィンランドの夏祭り」に合わせて開かれたのです。全国から幹部指導員が参加して行われた検討会議では連盟の規約改正などが審議された後、100名を超える人たちが出席し、祝賀会は盛大に行われました。
 歓迎の挨拶をされた小海町の町長さんは、松原湖が氷結する前に新酒をビンに詰め半年間湖底にねかせた“湖底浪漫”と名づけた、19度とややアルコール濃度が高い日本酒を寄贈してくれました。多くの関連企業からいろいろなグッズが寄付され、会の終りにじゃんけんで勝ち残った人がもらうという“お楽しみ会”があり、出席者みんな大喜びでした。

    

    記念写真               小海町長挨の挨拶


2019・6・16 「伊豆下田あじさい祭」
 毎年春に「伊豆フラワーマーチ」が行われてきました。水仙の下田市(1月)、河津桜の河津町(2月)、菜の花の南伊豆町(3月)、桜の松崎町(4月)へと続きます。これらのイベントを仕切っていたのは“伊豆歩倶楽部”です。倶楽部の名誉会長を務めた江橋愼四郎先生(日本ウオーキング協会元会長)が亡くなって、1年となるので倶楽部の月例会200回記念に合わせて「追悼ウォーク」が、2019年6月16日に行われました。存命なら99歳という高齢です。私どもの仲人をしていただきましたので、夫婦で歩きました。
 前日は雷をともなう豪雨でしたが、当日は強風が吹いていましたが快晴、「道の駅下田みなと」を10時30分出発。街中の通りを抜け、左側は急峻な崖、右側は太平洋という「和歌の浦遊歩道」を歩きました。ときどき波しぶきをかぶりましたが、美しい海を眺めながらの気持よい道でした。浜辺から“あじさい”が群生する「下田公園」の丘へ、大勢の観光客と一緒に登りました。斜面には、色とりどりに咲き乱れた大輪の花は見事でした。「ペリーロード」を通って、13時30分伊豆急下田駅にゴール。ペースがゆっくりでしたので、夫婦ともども疲れることなく完歩できました。
 歩き終わって、有志が懇親会を馴染みの「きんめ屋」で開きました。江橋先生がいつも歌っていた“ブルーシャトー”、“東京の花売り娘”、“踊り子”をはじめ、参加者がそれぞれの持ち歌を披露し、3時間の「偲ぶ会」は賑やかに終わりました。

   

この強風の中歩きました     和歌の浦遊歩道から       あじさいの前で


2019・6・9 「日本マスターズ水泳短水路大会」
 正式なレースに出場するという目的を持たないと、日ごろから泳ぐ意欲がしだいに失われていきます。そこで、8年ぶりに1500m自由形に挑戦しようと、2019年6月9日水泳大会が開催される札幌市へ行きました。ちょうど「YOSAKOIソーラン祭り」と日程が重なり、宿泊施設は料金2倍しかも満杯。なんとか地下鉄の“大通り”駅近くのホテルに予約できました。札幌市の中心“大通り”は交通規制がなされ、いくつものグループが次々と踊り歩き、外国人を交えたくさんの人たちが見物していました。280チーム、28,000人が参加したと報道される大きなイベントでした。
 日本マスターズ水泳短水路大会の札幌会場には、全国から659名の人がエントリーしていました。午前中はウォームアップを兼ねて、100m自由形に出場しました。隣りを泳ぐ人は70歳で、なるべく離されないようにと泳ぎ、ラストスパートでタッチの差で私の方が良いタイムで泳ぐことができました。記録は、1分35秒11とまあまあでした。
 午後の1500m自由形は、右隣りを泳ぐ75歳の人に早々と差を広げられ無理に追いかけるのは止め、左隣りを泳ぐ75歳の人を目標にすることに変えました。前半はすでに10mほど先行されていましたが、しだいに追いつき1300mで追い越すことができました。50mごとのラップタイムが発表されていて、私の場合59秒から60秒ぐらいのほとんど同じペースで泳ぎましたが、500mずつに区切ってみるとしだいにタイムが上がっていました。目標としていた30分は切れて、29分44秒83でしたが、2011年75歳のときの同じ大会では、26分20秒10と8年で3分24秒73記録が低下していました。
 80〜84歳区分で1位、元気で長生きしたご褒美と、金メダル2個をもらいました。

   

    YOSAKOIソーラン         会場の平岸プール前で


2019・6・6 「北海道・帯広での釣り」
 毎年北海道で釣りを楽しんできましたが、昨年はできませんでした。すでに80歳を越えたので、これから末永く釣りに行けるという保証はありません。そこで、今年こそはと、思い切って2月ごろ釣行の日程を立てました。友人の五十公野さんが仕事の都合をつけて案内。2019年6月6日早朝東京を飛び立って、7時50分に千歳空港へ。車で日高山脈を越えて東へ向かい、2時間ほどで帯広市へ着きました。NHKの朝ドラ「なつぞら」で映し出される、牧場が広がる景色を思い起こさせる十勝川の支流“音更川”へ入渓しました。大きな堰の下からやや深くなっている流れへ餌を入れると、直ぐさま大きな当たり魚は左へ右へと泳ぎまわりました。逃がすまいと、慎重に足元の砂利へ釣り上げました。30pを越える丸々と太ったきれいなニジマスでした。その周辺の流れに餌を入れると、20~25pのニジマスが次々と釣れました。そして、少し下って餌を入れると強い引きで竿先が伸ばされ、対応する間もなく糸を切られてしまいました。40pは超えていたのでしょう“逃がした魚は大きい”を実感しました。
 翌日は、午前中は十勝川の別の支流“然別川”へ、午後は“佐幌川”へと、1日中釣りました。釣果はオショロコマ1匹を除いて、すべて天然に育ったニジマスでした。合計30匹を越え大満足、そして、北海道の川をまだまだ釣り歩けるという自信がつきました。釣れた魚の内臓をきれいに取り、味噌を詰めて板氷とともに箱に入れて、家族が食べるようにと宅急便で自宅へ送りました。
 渓流釣りは、歩けなくなればできません。これからも釣りを楽しむためにと目標を定め、日ごろから歩くつもりになりました。

   

音更川            釣れたニジマス


2019・5・19 「ビーチノルディックせんなん里海公園」
 大阪に砂浜の海岸があるのか、と思う人がいるかもしれません。大阪府の南端、岬町と阪南市にまたがる、人工の「里海公園」があります。対岸に淡路島が見える約2qの長さの海岸です。埋め立てたような砂浜と、人工の形や大きさの違う石を並べた岩浜があります。海から少し上がったところには、広々とした駐車場とバーべキュー広場があります。
 2019年5月19日「大阪ノルディック・ウォークフェスタ」と、名前を新しくしたノルディック・ウォーク大会が開催されました。高齢者、初心者むけの2q、そして5、10、15qのルートが用意されていました。朝10時、岬町からスタート、左手に海を眺めながらバーべキュー広場を抜けて、阪南市のビーチバレーボールができる砂浜へ向かいます。砂浜では、潮干狩りが行われていて、大勢の親子が歓声を上げて採っていました。前日の夜に海にまくと、アサリは潮にもまれて砂に隠れるのだそうです。大人1300円の入場料を払って、砂の中のアサリを採り、同じ重量のきれいなアサリに取り換えてもらいます。
 5qの折り返し点からスタート地点へ戻り、反対方向へ向かいます。ヨットハーバー、淡輪漁港を右手に見て、10qの折り返し点へ。潮干狩り、ビーチバレー、バーべキュー、海釣りなど、それぞれの人たちが青空の下、初夏の休日を楽しんでいました。私たち、中高年齢者は、ノルディック・ウォークです。陽射しが強くすっかり汗をかいてしまいましたが、約18000歩、3時間の変化に富んだウォーキングでした。

    

       砂浜を歩く           のぼりばた         潮干狩り    


2019・5・4 「ウォーキングフェスタ東京」
 東京の郊外、武蔵野を歩く「ウォーキングフェスタ東京」が、2019年5月4,5日に開催されました。24回目に当たるこの大会は、当初3日間行われていました。大都会の中心から電車に乗れば60分ほどで来られる大会は、はじまって数年間、参加者は毎年増加し3日間延べ6万人にまで達しました。しかし、最近は、期間は2日間に短縮され、人数が激減してしまいました。今年は、延べ4800名です。最盛期の10分の1に落ち込んでしまったのです。参加者の減少をまねいた原因は、いろいろ考えられるでしょうが、確かなことはわかりません。
 少しでも減少傾向を食い止めようと、後援する日本市民スポーツ連盟は国際基準に基づいて、大会での積算歩行距離が5万qに達した人へ、記念のワッペンと認定証を手渡すことにしました。この大会開催までの1年間に達成した人は15名いました。高齢者が多いことから、名誉会長から渡すほうが喜んでもらえるだろうということで、2日目の10qスタート前に、集まったウォーカーたちの目前で手渡しました。
 一口に5万qといいますが、1年間にほとんど毎週行われる大会へ50回参加し40q歩いたとして2000qです。20年で4万qですから、20年以上の長い年月元気に歩けたという“証し”です。皆さん高齢でしたが、とても嬉しそうでした。

    

   認定証を手渡す           ベテランウォーカー


2019・4・7 「山梨県ノルディック・ウォーク連盟」
 2本のポールを持って歩くノルディック・ウォーク運動を紹介して、21年目となりました。この間、いろいろな人たちの間で人気が高まってきました。その中でも。下肢関節に不具合があり運動不足になりやすい人たち、あるいは、高齢になって歩くのが困難になった人たちむけに、“メディカル・ウォーキング”という新しい分野が注目されるようになりました。下肢関節症の治療に長くかかわってきた医師矢野英雄先生が、山梨県石和温泉でノルディック・ウォークは治療効果が高いことを臨床的に実証されてきました。その尽力によって、ノルディック・ウォーク連盟が山梨県に創られました。
 2019年4月7日に創立総会が、桜と桃の花が満開の甲府市で行われました。また、合わせて矢野先生が主導されてこられた「100歳までウォーキング」の会の人たちも集まってきました。私は、ノルディック・ウォークの効用の新しい側面として、中高年齢者が恐れる“がん”と“認知症”の予防について、疫学的研究を中心に記念講演をしました。設立総会終了後、“こうふ開府500年”というお祭りの中心「武田神社」までのウォーキング・イベントが行われました。
 手ぶらで歩くのに比べポールを手に持って歩くときは、脳のはたらきが大きく関与します。言い換えれば、脳の血流量が増える(血のめぐりがよくなる)のです。ですから、高齢者が“健やかに老いる”のに役立つことが期待されます。全国に広まることを願っています。

       

   設立総会                 記念講演   


2019・3・27 「卒業式」
 新宿西口の50階建てコクーンタワーにある首都医校に校長として務めて、11年になります。その間、毎年入学式、卒業式で式辞を述べてきました。今年は2019年3月27日に、文京区のシビックホールで卒業式が行われました。
 式辞には、聖路加病院の小児科医細谷亮太さんのエッセー「生きていてよかった」を引用させてもらいました。医療に携わる卒業生が多いことから、「患者さんから“生きていてよかった”と思われる人になって欲しいのです。その結果が、あなた自身の“生きていてよかった”という思いになるのです。」という内容でした。
 ところで、孫娘が首都医校の夜間のクラスに入学し、昼間はアルバイトし4年間皆勤で、無事“作業療法士”という国家資格試験に合格し卒業することになりました。卒業式では学科代表として台上に上がり、私から卒業証書を受け取りました。私も、「長生きしてよかった」という思いをすることができました。

    

     卒業式       卒業する孫と握手。大きくなったな〜


2019・3・15 「大規模低酸素トレーニング場」
 早稲田大学の国際会議場で「低酸素トレーニングのすべて」という講演会が、2019年3月15日に開催されました。密閉された空間の中に、50m、25mプール、2レーンの走路(60m)、格闘技などの練習ができるフロア、トレーニング用マシンが設置されるフロアなどを配置し、窒素ガスを注入することによって酸素濃度を通常の21%から14%まで調節できる大規模トレーニング施設です。世界一といわれることから、注目が集まったようで500名近い関係者が参加しました。
 私は、「中高年齢者が恐れる“がん”と“認知症”に運動実践は有効」と題した基調講演を行いました。まず、大型トレーニング場を十分活用するために、対象をアスリートからノン・アスリートまで広げることを提案しました。次に、オリンピックを目指すようなアスリートのトレーニングの目標は“相手に勝つこと”、対照的にノン・アスリートの目標は“己に克つこと”と違うことを説明。ノン・アスリートは、さらに2つに分けられると話しました。
 @難易度の高い高所登山、42.195qの完走、トライアスロン制覇、海峡横断泳などを目指す人たちと、
 A体力測定で低体力と指摘され体力の向上、健康検査で悪いと指摘された指標の改善、罹患、怪我からのリハビリテーションを、それぞれ目指す人たちです。
 最後に、これまで運動効果が認められてきたのは、骨粗しょう症、筋肉脆弱症、関節痛などの筋骨格系、慢性閉塞性肺疾患などの呼吸系、高血圧、虚血性心疾患、脳卒中などの心血管系、糖尿病、肥満症、脂肪肝などの代謝系ですが、新しく、働き盛りに発症する“うつ病”、高齢になると増える“認知症”、高齢者に多い“がん”に対しても運動実践は効果があるという研究成果を紹介しました。
 私の後には、三浦雄一郎さんのエベレスト挑戦とその間の体力の推移、アスリートのための高強度インターバル・トレーニングの原理などの講演がありました。2019年の秋口にオープンということで、多くの人たちに利用することを願っています。

      

基調講演                多くの聴衆


2019・3・9 「東京大空襲」
 1945年3月9日、夜になってからの空襲警報のサイレンにせかされて、荒川放水路の土手へ避難しました。春一番だったのでしょうか折からの強風のため、持ち出した布団が飛ばされないようにと布団の上に寝転んでいました。記憶されている映像はとぎれとぎれで、仰ぎ見る空にいくつも並んで飛ぶB29爆撃機、投下してから途中で分解して飛び散る小さな赤い焼夷弾、それから小学校の窓が一瞬赤くなって、いきなり炎が出て燃え出す校舎などです。風向きのせいか放水路寄りの一帯は戦火を免れ、幸い10日の朝無事に家に帰ることができました。
 74年後の3月9日に、孫を連れて思い出の場所を歩いてみました。小学校の正門の脇には、「藤の木と鐘に寄せて」と題した校長先生の書があり次のように書いてありました。「大正3年にこの地に移り・・・・藤の木は大きく手を広げ温かく抱いてくれた 昭和20年焼夷弾に焼かれたが たくましく息吹いて学ぶ子らをじっと見守っている・・・」
 小学校入学前は、“聖天様”の愛称で呼ばれていたお寺の境内にあった幼稚園に通っていました。子どもの足では随分遠くにあった記憶でしたが、帰りに寄ってみると元住んでいた家から10分ほどでした。幼稚園での出来事は覚えていませんが、門を入ると大きなお寺があったのをおぼろげながら記憶しています。小学3年生の孫娘に、歩きに来た理由を話し聞かせましたが、興味のない様子でした。昭和も戦争もはるか遠くになりにけり。

      

幼稚園のあった平井聖天            小学校校門前


2019・1・25 「ダックスクラブ」
 30年以上前に「江東区健康センター」が発足しました。その事業の1つとして、“エクササイズ・ウォーキング12週間”が展開されました。その際、東京大学医学部の循環器内科の教授と私たちが、お手伝いすることになりました。区報で公募して、100名近い中高年齢者が参加しました。教室が始まる前にメディカル・チェックを行い、ウォーキングを実施しても良いかどうか判断します。そして、なるべく自分から歩く習慣が身に着くように「12週間の日誌」を配って、毎日の天気、体重、脈拍数、歩いた時の時間と歩数を記録するようにしました。
 1回目と2回目の教室修了者たちが、自主グループ“ウォーキング・ダックスクラブ”を発足させました。そのクラブの“30周年を祝う会”が、2019年1月25日に開かれ、30名近い会員が集まりました。からだのあちこちが不調になったとこぼす人が多くみられましたが、昔話に花が咲き、みなさんとてもお元気そうでした。食事が終わって、大正琴の演奏をバックに、少女のころ歌った“冬景色”、“早春賦”、“おぼろ月夜”、“里の秋”を合唱し、終了しました。

      

遊び心の30周年           これからも明るい笑顔を


2019・1・23 「未来創造展2019」
 私が校長を務めている専門学校「首都医校」には、姉妹の専門学校があります。
 ファッションデザイン系の「東京モード」とコンピュータ系の「HAL東京」です。新宿西口にある50階建てのコクーンタワーを分けて使っています。これら3つの学校の学生たちが、1年に1回、「未来創造展」と名づけた大掛かりな発表会を行います。2019年1月23日、武蔵野の森総合スポーツプラザの中のメインアリーナで、学生、見学者など数千人が集って盛大に行われました。「東京モード」も「HAL東京」も、その教育目標からわかるように、学生たちは新しい作品を展示します。「首都医校」の学生は新しい作品を展示することができませんから、学習している最新の医療の内容を紹介することになります。
 今年は、標榜する“チーム医療”の実演を大勢の人たちを前に披露しました。一緒に出掛けた父親が発作で倒れたので、息子が救急車を呼び、救急隊員が駆け付け応急手当てをして病院へ搬送し、そこで手当をして無事蘇生するというものです。チームによる速やかな連携の重要性が伝わるものでした。
 看護学科の学生たちは、血圧測定やロコモティブチェックを行っていたので、私も受けてみました。血圧は日ごろから薬を飲んでコントロールしているので、130mmHgと70mmHgと正常値でした。一方、高さ40pの台からの“立ち上がりテスト”では、両足では立ち上がれましたが、片脚ではできません。また、できるだけ歩幅を広げて歩くときの2歩の長さは220pで、身長当たり1.37と70歳代の標準値(1.42〜1.52)よりも短く、やっぱり80歳かと思い知りました。

      

 救急処置                     血圧測定


2019・1・10A 「電動車椅子サッカー」
 東洋英和女学院大学のアクア・エクササイズ・センターで、障害者にお願いして「身体福祉学実習」という講義を開講しました。開講当時に、8歳だった真理ちゃんが車いすに乗って、お母さんと一緒に参加されました。「脊髄性筋萎縮症」という病気を持って生まれ、1歳のとき「生きられるのは2歳ぐらいまで」と診断されたそうです。腕や脚は細くて、浮き輪に胴体を入れて、2名の学生と一緒に水中運動を実施しました。
 2019年1月10日20年が過ぎて、真理ちゃんが電動車椅子に乗って会いに来てくれました。今では、電動車椅子サッカー選手として、国際的に活躍されているということです。そして、「サッカーならどんな障がいも超えられる」(講談社、2016)という本を贈呈されました。その本には、「私は生まれてから一度も歩いたことがありません」という言葉から始まる真理ちゃんの前書きが載っています。「あなたは足で立っている、私は車いすに座っている。それはもちろん“ちがい”だけれど、一人一人のちがいを挙げたら、きりがないほどあるはず。」「みんな、だれともちがうところが必ずあります。ちがって当たり前。みんなちがって、みんないいんです。」と結んでいます。
 小学生のころに、水中運動に参加したことも、成長に役くに立ったとすれば幸いという思いでした。

 

 真理ちゃんと


2019・1・10@ 「アクア・エクササイズ・センター」
 これまで、いくつかの水泳プールの建造にかかわってきました。東京大学の創立100年記念事業の1つとして、御殿下グランドの地下に、トレーニングジムと多目的球技場とに併設された25m温水プール(7レーン)の基本設計に助言しました。1990年に竣工されましたが、下肢に障害がある人でも利用可能なように、車いすに乗ったままで入水できるスロープを、日本では初めて付けました。
1980年代末に、竹下登内閣は地方自治体対象に交付する1億円を好きに使ってよいという「ふるさと創生事業」を展開しました。それを受けて、2つの自治体が温泉を掘り当て、新しい事業を実施しました。1つは、茨城県旧大洋村(現鉾田市)の「トップサンテ大洋」で、私が命名しました。4レーンの水泳用プールがあります。もう1つは、青森県福地村(現南部町)の健康増進施設「バーデパークふくち」の日本では初めての水中歩行専用プール(2レーン)と、水泳用プール(4レーン)です。両施設とも建造されてほぼ30年が経過していますが、ウエブ上のホームページを見ると、現在も盛に利用されていることがわかります。
 日本でもっともきれいなプールといわれてきたのは、東洋英和女学院大学のアクア・エクササイズ・センターです。同大学の人間科学部に「人間福祉学科」が創設された1997年4月に就職しました。早速、身体障害者が運動できる施設を造り、人間福祉学を専攻する学生たちが、障害者への理解を深めるように直接補助する実習授業を計画したのです。真ん中に車いすに乗ったまま入水できるスロープを設け、右側に水中歩行用の幅が広い手すりのついた2レーンと、左側に水泳用3レーンがあります。1998年11月に竣工され、1999年4月から実習授業が開講されました。近隣に住む障害者に、ボランティアとしての参加を呼び掛けたところ、片まひや股関節や膝関節の手術を受けた人20名ぐらいが集まりました。
 20年近く担当してきた福崎千穂先生から、人間福祉学科が廃止され受講生が少なくなったので、この講義は本年度で終りになるという報告を受けて、2019年1月10日参加しました。これまで参加してくれた人たちにも声をかけてもらって、懐かしい人たちと会うことができました。皆さん下肢に障害があっても運動できることを喜んでいました。

      

    挨拶                   水泳の指導


2019・1・1 「皇居一周」
 30年以上続けてきた皇居一周ランニング、「1年の計は元旦にあり」と信じて今年も走りたいと思っていました。しかし、年末の“血栓性静脈炎”で、走れないと断念しました。しかし、できればポールを持って歩き通したいと、5q歩くことにしました。結果は、昨年走った時間が56分だったのに対して、あまり変わらない70分で歩き終わりました。
 今年は、歩いたためか周囲の景色に眼が届き、皇居のお堀の斜面には満開に咲く水仙がきれいなのが印象的でした。また、歩道沿いには、山茶花が咲き誇っているのも目につきました。

      

水仙                山茶花


2018・12・20 「血栓性静脈炎」
 新しくできるトレーニング・センターに設置するトレーニング用マシンをテストしに、“テクノジム”という販売会社のショールームへ、2018年12月20日に行きました。初めての経験でしたが、自動式トレッドミル上を数秒間全力で走ってみました。その午後、今年最後のテニスを楽しみました。ところが、夕方着替えるときに、下腿が異常に腫れているのに気がつきました。これまで経験のないことなので心配ではありましたが、病院へ行くのだからと翌21日、前から頼まれていた広島県府中市での講演に出かけました。
 「大きな病院」、「介護付き老人施設」、「デイケア施設」などを運営している社会医療法人社団陽正会(大学時代の友人が理事長)の主催による講演会です。福山市、府中市の住民、健康・福祉に係わる人たちを対象として、「健やかに老いる」と題し90間分ほど講演をしました。その後、医師会の人、府中市の健康・福祉課の人、病院の人などと一緒に、市民の健康増進・疾病予防について懇談しました。22日朝起きても腫れは残っていましたので、帰京後、直ちに診察を受けました。連休前の土曜日の午後でしたが、緊急病院であったことから友人の循環器専門の医師が診てくれました。
 超音波で下腿の状態を調べ静脈に血栓があり、「血栓性静脈炎」と診断されました。エコノミー症候群と呼ばれる症状です。血液が固まるのを防ぐ薬「エリキュース」2.5rを1日2回服用、しばらく下腿部分に「弾性ストッキング」を着用するようにと指示されました。
 3年近くかかった歯の治療が終わり、白内障、眼瞼下垂の手術などの眼科治療も終わり、これで病院通いもしばらく終わりと思った矢先の発病です。「健やかに老いる」のは難しいものだとつくづく実感しました。5日後に95%ぐらい腫れが収まったので、水中で歩き始めました。歩いても腫れないということがわかり、6日目には30分間ほど歩き、鹿教湯温泉の「氷灯ろう夢祈願」という“氷灯ろう”に点火させ、絵馬に願いを書くという催しに参加、「病から離れたい」と書きました。7日目には、45分間水中歩行と泳ぐことができ、このまま無事にすぎることを願う年末です。

      

府中市                氷灯ろう


2018・11・25 「東京ノルディック・ウォークフェスタ」
 東京湾を埋め立てた“お台場”を中心として、第5回の「東京ノルディック・ウォークフェスタ」が、2018年11月25日小春日和の日曜日に開催されました。東京モノレールの“新橋駅”と“豊洲駅”の中央にある“台場駅”から徒歩10分。10時の開会式には、関係者を交えて500名近い人たちがポールを背にして集まってきました。準備運動の後、集合写真を撮りましたが壮観でした。
 歩行困難者むけの2〜3qのルートと、5q、10qルートが設定されていました。お台場周辺は大規模な建築工事が行われていて、同じルートでも毎年景色が違います。今年は海沿いのフェンスが取り除かれていて、海のむこうに京浜工場地帯が望めました。続いてオリンピックでは、トライアスロンの会場にされるという人工の海浜を歩きました。ビーチ・ノルディック・ウォークです。
 このルートはトイレが随所にあり、歩道も広く安全に歩けます。イヤーラウンドのウォーキング・ステーションとして認定されれば、高齢者たちが平日の昼間に来て、みんなでウォーキングが楽しめると思いました。今後ますます参加の増加が見込まれる大会でしょう。

 

  500人集合        お台場ビーチを歩く


2018・11・17 「第4回アジアンピア―ド」
 勝敗を問わないスポーツ(ウォーキング、スイミング、サイクリングなど)の振興を図る国際組織「国際市民スポーツ連盟(IVV)」があります。世界で50数か国が加盟していて、ヨーロッパ、アジア、アメリカそれぞれの大陸に分かれています。アジア地区では2年に1度「アジアンピア―ド」と呼ばれる大会が韓国、日本、台湾で開催されてきました。今年の大会は、インドネシアのジョグジャカルタで「第10回ジョクジャ世界遺産ウォーク」と並行して、2018年11月17,18日に開催されました。
 大会前日に「アジア市民スポーツ連盟(IVV-Asia)」の総会があり、次期大会はロシアのウラジオストックで行われることが決まりました。続いて3期連続して私が会長に推挙されました。86歳までの任期老害といわれていますが、適任者が見当たりませんので引き受けることにしました。
 ウォーキング大会は30度を超える高気温ですので、早朝6時30分からスタートしました。20q、10q、5mのルートが設定されていて、日本人50名を含む27ヵ国から約1500名が参加し行われました。
 17日は水田の多い田園地帯を歩く10qのウォーキングに参加しました。平地ですが暑いせいか疲れました。18日は亜熱帯の森の坂道を歩く5qのウォーキングでした。山羊を飼育している場所がチェックポイント、温められた山羊の乳をいただき、ココナツの果汁をストローで飲んで水分補給しました。坂道でしたがあまり疲れずフィニッシュ、場所を移してホテルにあるプールで泳ぎました。水泳は暑い中では快適で、1000m泳ぎました。

 

       議長を務める     遺跡前の広場がスタート   ココナツの果汁でのどを潤す 


初めて見るバナナの花


2018・11・10 「ノルディック・ウォーク学会」
 第7回となる「日本ノルディック・ウォーク学会学術大会」が、奈良県天理市で2018年11月10日に開催されました。天理大学体育学部が会場です。「東京オリンピック1964」に向けての日本代表競泳選手が合宿練習したとき同行して以来半世紀振りの訪問です。当時、天理教の“二代真柱”中山正善氏がプールや宿舎の面倒をみてくれたのが思い出されます。懐かしかったので、威容を誇る本殿を詣でました。
翌11日は、大会記念「奈良公園でのノルディック・ウォーク」に参加しました。本尊御開帳中の“興福寺”のそばの広場がスタートです。“浮見堂”を渡り参道を通って“七五三”で賑わう“春日大社”へ。ここから若草山の麓を右手にみて“二月堂”、そして“東大寺”をぐるりと一周しフィニッシュ。奈良市内の人気スポットを巡る5キロのウォーキングでした。
 東大寺の大きさに改めて圧倒されました。当時としては「東京オリンピック2020」開催以上の費用と労力を要したのではないだろうかと、いう人がいました。納得できる規模です。そして、今日まで続く遺産(レガシー)であることは、大勢の人が訪れることからもわかります。2020のオリンピック開催に際して後の人たちに喜んでもらえる「レガシーを」、と声を上げる人がいますが、“大仏”と同じ程度のレガシーが残せるのでしょうか。晴天に恵まれ日曜日とあって、鹿と戯れる外国からの観光客を交えて、大変な人出の中でのウォーキングでした。

 

世界遺産大仏殿           奈良公園の主と


2018・10・27 「国際韓国ウォーキング・フェスティバル」
 気温5度以下、とても10月とは思えない寒気に覆われたソウルで、第24回「国際韓国ウォーキング・フェスティバル」が、2018年10月17、18日開催されました。ロシアのウラジオストックのウォーキング・クラブと毎年交流している関係から、今年はカムチャッカからお母さん2人と3名の子どもたちが参加しました。寒い中スタートを待つ前に、可愛い子どもたちが民族衣装を着け伝統の踊りを披露してくれました。
 今年のルートは、42、25、12,7qで、9時30分から順次、新興住宅街の広い歩道を“ツリー・モール”と呼ばれる6キロ地点を目指します。このモールは、木や花、肥料、植木鉢などを売る店が並ぶ市場で、菊が真っ盛りでした。私の歩き方に不安を抱いたのでしょうか、大会関係者がほとんど付き切りで見守ってくれました。チェックポイントでは、トイレに行き休憩をとるようにと注意されました。そこで靴を脱ぎ、足をマッサージしていると、コーヒー牛乳やお菓子を食べるようにと勧めてくれました。おかげさまで、踊り足になりそうになっていたのが収まり、再び元気に歩けました。帰路は川沿いの遊歩道とサイクリングロードが並行する道で、安心して歩けました。しかし、12qを3時間もかかってしまいました。
 2日目は、実行委員会の人が非武装地帯への観光に行くようにと用意してくれました。メインは非武装地帯の地下に、北朝鮮から韓国への侵入する4つのトンネルを掘った跡です。傍に見晴らし台があり、雨にくすぶる非武装地帯の向うに北朝鮮が眺められます。こちら側の高い塔に韓国の国旗、向こう側に北朝鮮の旗が立っています。2000年の初め一時友好ムードが高まり、南北間に鉄道が敷かれたことがありました。1回だけ列車が通ったそうです。今では閉鎖されていますが、その駅が観光スポットになっていました、料金を払えばホームに入れるようになっています。「南からの最後の駅ではなく、北へむかっての最初の駅である」という碑が印象的でした。

 

  子どもと記念写真        南の終着駅         国旗が翻る北朝鮮を望む  


2018・10・21 「ビーチノルディック・ウォーク大阪大会」
 日本で初めて2本のポールを持って歩く大会を行ったのが、山形県鶴岡市の湯野浜海岸であったことから、砂浜を歩くノルディック・ウォーク大会は、すでに浜辺を有する6ヵ所で行われているようになりました。その1つ大阪南部(阪南市、岬町)で2回目となる「ビーチノルディック・ウォーク大阪大会」が、2018年10月21日に開催されました。この機会に大阪府ノルディック・ウォーク連盟南大阪支部が音頭をとって、全国のビーチノルディック・ウォーク大会を実施している団体が一堂に会して、さらなる発展を図ろうというサミットが大会前日に開催されました。そして、今後相互に連携を取り合って発展していこうと、各大会の代表者による協定が結ばれそれぞれ協定書に捺印しました。
 大会当日はまさに秋晴れで、大阪湾をはさんで関西空港への長い橋、その向こうに神戸の山々が、さらに左側には明石海峡大橋、淡路島が眺められる阪南市の「せんなん里海公園」がスタートとフィニッシュです。ここには、長さ2qぐらいの人工の浜辺があります。休日でしたので砂浜ではビーチバレーに興ずる若者、許可された広場ではバーベキューを楽しんむ家族連れがいました。約5qとなるビーチを往復して、10q、15qを目指す人たちは「みさき公園」に向かって海岸沿いに往復しました。昼過ぎからオプションプログラムとして、“カヌー体験”と“クルーザー乗船”が準備されていて、それぞれに分かれて楽しみました。これを機会に、潮風に吹かれながら海が眺められるウォーキングが、全国に広がることを期待しています。

     

協定書            ビーチでの準備運動


2018・10・19 梅干しができるまで
 ここ数年日本茶を飲みながら、毎朝欠かさず1個食べてきた“梅干し”の加工・販売所を訪問しました。和歌山県御坊市にあります。“梅干し”は健康によいということから日本人の多くが好む果実です。まず、採りたての青い梅の実を、多量の塩分を含んだ水に漬け、腐りやすい梅の実が腐るのを防ぐのだそうです。昔からの“梅干し”は、この濃い塩水に漬けた梅を天日に干して乾燥させたものであって、とてもしょっぱい味がするのです。最近は塩分の摂り過ぎが血圧を上昇させるというので、塩分ひかえめという傾向にあるようです。
 私が毎日口にする“梅干し”を加工・販売している「四季の梅本舗」を、2018年10月19日訪問しました。セラミックスを使うところが他の加工所と違うところで、“梅干し”作りをはじめた社長の試行錯誤の結果だそうです。この加工所への水はすべて、セラミックスを粒にして入れた円筒を通したものを使います。まず、高塩分の水に梅の実を浸す大きなボックスが並んでいます。そのボックスから梅を取り出して水で洗い、濃い塩分を薄くするため違うボックスに移しセラミックスを板状に加工した膜を通して水を回流させます。その後、別のボックスへ移し、水飴、昆布だしなどの自然調味料を加えた「調味梅干し」が出来上がります。昔ながらの“梅干し”から、しそを加えた“しそ風味”や蜂蜜を加えた“はちみつ風味”の、まろやかな“梅干し”になるのです。こうして、毎日食べている“梅干し”の加工過程を知ることができました。

   

加工場の前で社長と   梅干の製品      


2018・10・13 「55年前の教え子」
 東京家政学院大学が設置された当時、大学生の必須科目として「体育実技」と「保健体育講義」がありました。そのため専任の教員が必要で修士号を有していた私が、大学設置審議会に申請され承認されました。きわめて若い26歳のときに大学の教師になったのです。
 学生は18歳ですから8歳違いです。その1期生となる卒業生たちが、卒業後52年となり2018年10月13日に同期会を開きましたので出席しました。第二次世界大戦終了の1年前に生まれた人たちです。74歳になるので、自身があるいは連れ合いが、からだの調子が悪いという理由から、欠席する人が多いようでした。
 大学設置の条件に「体育実技」ができる広さの面積が必要でしたので、都心の千代田区にある大学から離れた町田市に運動場を建造しました。毎週、学生をそこまで連れていけませんので、夏は蓼科山へ出かけトレッキングを、冬はスキー場へ出かけスキーを、指導するという講義で代替えしました。昼食を摂りながら、そんな思い出話をしたり、互いの健康について報告したりで、あっという間に3時間が過ぎてしまいました。わずか2年間の勤務でしたが、初めてであったこともあり懐かし想い出となっています。

 

家政学院同期会


2018・10・5 「茸狩り」
 昨年は松茸が不作でしたが、今年はたくさん採れているというニュースをみて、自生している松茸を見たいと信州へ出かけました、私が行く信州の松茸山は急峻で、足腰の弱い人は登ることができません。
 2018年10月5日曇りの中を午前8時、7人の70歳を超えた老人たちと一緒に上り始めました。山の狭間の谷川に沿って標高70?ぐらい上り、そこから山の急斜面を枯れ葉に足を取られながら、ほとんど四つ這いでおよそ標高100?ぐらい登り、そこからが赤松林です。地元の人の通称“コムソウタケ”という食べられる茸が生えているそばに松茸があるといいます。採った“コムソウタケ”をビニール袋に入れながら、松の根元を注意深く見ながら山を登りましたが、見つけることができませんでした。7人中わずか3人が採れただけです。
 帰りは頂上から山の麓までは急斜面で、足を滑らせ転びながら、道らしい道にたどり着きました。ところが脚ががくがくでよろけそうになって、座り込んでしまいました。急な上り下りのない道なら10qぐらいは平気で歩けるのに、高低差のある山道を歩くのは無理なのでしょうか。高齢者が遭難事故を起こすのが、身に染みてわかりました。しかし、山の中には、赤い毒性のある“ベニテングダケ”など、いろいろな色や形をした茸がたくさんあり、楽しい山歩きでした。
 “コムソウタケ”は、茹でてからバターで炒めておいしくいただきました。加えて、翌日にはアルミホイールにつつんで焼いた松茸、すき焼きにした松茸を、知人宅でたくさんご馳走になりました。いつまでもしっかりと歩け、自然の恵みを食べる能力を保持できたらと祈る思いです。

      

   松茸           コムソウタケ        ベニテングダケ


2018・10・1 「身体運動科学研究ネットワーク」
 私は過去50年近く、高所(低酸素環境下)トレーニングの有効性を唱えてきました。その主張に賛同が得られ、1気圧下で空気の中へ窒素ガスを注入することによって酸素濃度を20〜12%の範囲で変えることができる低酸素環境下の大規模なトレーニング施設の建設が始まっています。仮称「ハイブリッド・アスリート・トレーニング・センター」という施設が、東京都江東区の豊洲に、2019年7月に竣工される予定です。内部には、50mと25mの水泳プール、50mのランニング用直線路、各種トレーニング器具が設置されるジム、柔道やレスリングのトレーニングが可能なフロア、バドミントンや卓球ができる天井の高いフロアなどが用意されます。
 このトレーニング施設が十全に活用されるためには、これまでのスポーツ科学の研究成果を活用することはもちろん、新しいトレーニング法の確立にむけての研究遂行が不可欠です。これを実現するためスポーツから健康にかかわる身体運動科学のさまざまな分野の研究者間にネットワークを創り、情報のやり取りすることが重要です。さらに、このネットワークは、各種競技団体のコーチや健康志向の運動指導者とも連携を取り、より実践的な研究成果を提供することも目的とします。
 このような背景をもって、私が代表理事になって、2018年10月1日に「一般社団法人身体運動科学研究ネットワーク」を発足させ、その日の夜、設立にかかわった人たちで祝宴をあげました。うまくいくことを願っています。


2018・9・28 登院式
 「登院式」とは聞き慣れない言葉です。1948年に制定された「歯科衛生士法」に基づいて、歯の治療にかかわる新しい国家資格が誕生しました。高等学校を卒業後2年以上の教育を受け国家試験に合格すれば免許を得ることができます。私が校長を務める「首都医校」に3年前から歯科衛生学科が誕生、2期生が学内での教育を得て10月から臨床実習へ出かけます。病院へ実習に出かける学生に「登院許可」を与える儀式が「登院式」です。2018年9月28日行われました。
 おそろいの実習服の学生28名を前に、私自身が3年間歯の治療を受けていること、その間の経験から歯科衛生士として身につけておくべき患者に向き合う心など、また治療を受けているとき、去年から実習生として訓練を受けている首都医校の名札を付けた学生に偶然出会ったこと、などの内容の挨拶をしました。
 そして「入学以来、歯科衛生専攻の学生として、1年半かけて、必要な知識、技能、態度の基礎を学びました。これから、臨床の場で、実践的な知識、技能、態度を身に着けることになります。本日ここで、皆さんが実習生として、臨床の場へ出かける資格を身に着けたことを認め、その決意を改めて感じて欲しいと“登院式”を挙行することになりました。」と式の意義を伝え、「登院許可」を申し渡しました。その後、担任の教員から実習の場で胸に付けるネームプレートが、それぞれの学生一人一人に手渡されました。
 しっかり実習を務め、国家試験に合格し“歯科衛生士”になって欲しいと願っています。

    

     校長挨拶        登院式のプログラム


2018・9・22 「ウォーキング12週間」
 江東区民の健康づくり事業の一環として「ウォーキング12週間」講座が、2018年9月22日に、江東区健康センターで開催されました。継続の確かな年数をはっきり覚えていませんが、30年を超えたことは確かです。この講座が、1日や数日で終わるような短いものでなく、約3ヶ月続けるという長いもので、自治体が主催するウォーキングでは最も長い講習会です。そのためか、参加者はしだいに仲よくなり講座終了後自主的にウォーキングクラブをつくって、みんなで歩いています。区の職員は数年で交代するのですが、よくも続けてきたものだと感心します。この地道な継続は区民の力ともなっていることでしょう。
 「江東保健所」と同居する「健康センター」は、「特別養護老人ホーム」“江東ホーム”に隣接して建っているのは、なるべく“特養”へ入居しないようにという思いが込められているかのようで、いつも“なるほど”と感じてきました。
 昨年より多い80名の定員いっぱいとなり、開講式にはみなさん集まってきました。私は「こころの健康を守る〜ウォーキングのすすめ〜」と題して講演しました。うつ症状を訴える人が増えたこと、認知能力の低下が目立つ高齢者が増えたことから、脳のはたらきとウォーキングの関連の話しをしました。最後に、私自身が自分のウォーキングをするときに有用な服装、シューズ、デイパック、その他の持参した小物等を見せながら、12週間まっとうするようにと励ましました。みなさん元気に終了することを願っています。

            

江東区健康センター        健康センターに隣接する「特別養護老人ホーム」


2018・9・18 「国際水泳バイオメカニクス・医学シンポジウム」
 「国際バイオメカニクス学会」から独立して、「国際水泳バイオメカニクス・医学学会」が発足しました。そして、1970年に第1回国際シンポジウムが、ベルギーで開催されました。以降、シンポジウムは4年に1度の頻度で、世界各国で行われてきました。日本における水泳研究は、筑波大学水泳部出身の研究者たちがリードしてきました。その出身者たちが役員を務める「日本水泳・水中運動学会」が、筑波大学と日本水泳連盟から後援を得て、2018年9月17日〜21日の間、第13回「国際水泳バイオメカニクス・医学シンポジウム」が筑波大学で行われました。27ヵ国から200名近くの参加者があり、7つの招待講演、85題の口頭発表、82題のポスター発表があり、とても盛大でした。
 私は、発表初日の午前中に45分間の“名誉講演”として「水中歩行の利点」と題して話をしました。この学会ではほとんど取り上げられてこなかった“水中歩行”と“脳の血流量”とに関しての内容でしたので、聴衆がどんな反応をするか心配でした。話の主旨は、現在先進諸国で問題となっている肥満者と高齢者の健康の保持に、水中歩行は安全で有効であるというものです。終了後全員が立ち上がって拍手をしてくれましたので、よかったと胸をなでおろすことができました。また、翌日には、この組織の幹部のフィンランド人は自身のツイッターで発信したらいろいろな人から反応があったこと、別にドイツ人は同様の問題を抱えているので帰国後宣伝したいと話してくれ満足でした。

 

    シンポジウム参加者                Honor Lectureとして発表


2018・9・15 「里山あるき2018」
 20年以上前に、山間にある温泉場を起点として、農道や林道を周回する「里山あるき」を楽しもうと呼びかけました。人の住む気配が感じられ、しかも自然に触れあえることができ、歩き終わったら温泉でゆっくりくつろげるウォーキング・イベントです。当初、青森県、山形県、長野県、岐阜県などで行われるようになりましたが、さまざまな事情からか、現在も続けているのは山形県鶴岡市だけです。
 第21回となる「みんなと歩こう!里山あるき2018」が、2018年9月に開催されました。初日は、500名近い参加者の前で、大山の幼稚園児たちが酒樽を叩く、恒例の激励演奏が行われました。20q、8q、4qに分かれて、野鳥が観察できるラムザール条約登録地の下池、上池を巡り、熊が生息するという高館山自然保養林の中の山道を歩きました。12時30分にはフィニッシュでき、用意された豚汁で昼食を楽しむことができました。
 夕方まで時間があったので、行くたびに不漁続きの海釣りに挑戦。防波堤から鯛などの小魚が10匹ほどつれ満足でした。2日目は、「修験のみち:羽黒山詣で」でした。

   酒樽叩きで歓迎     秋の気配が漂い始めた下池を巡る     ようやくの釣果

 

2018・9・13 「健康・体力づくり事業財団」
 国民の健康づくりという潮流が先進国の間で広まった中で、1978年旧厚生省は財団法人健康づくり振興財団を設立し、第一次国民健康づくり対策が動き出しました。1981年には旧文部省の国民健康・体力つくり運動協会と合併し、「健康・体力づくり事業財団」が出来上がりました。1988年には“健康運動指導士”、1989年には“健康運動実践指導者”という資格を与える健康・体力づくりの人材養成が始まりました。以来30年間、私は主として“運動実践指導者”育成にかかわってきました。2つの資格試験を受験した総数は、18万名にのぼるほどです。
 2018年9月13日創立40周年を記念する、大規模な式典が行われました。たくさんの個人、団体へ、感謝状・表彰状が授与されました。その後、寛仁親王妃信子殿下による「私の健康づくり」と題した記念講演が行われました。皇族の方の講演を直接聴く機会があまりないためか、参加者から注目が集まりました。ご自身の健康を害してからの健康づくりの経過を、指導者の役割の大切さを中心に丁寧に説明されました。話終わってから殿下を交えての記念祝賀会が行われ、和やかなうちに修了しました。

    

     表彰式                 松山から来た受賞者と


2018・9・8 「100歳までウォーキングの会」
 10年ほど前に両国蔵前にある江戸博物館の講堂を借りて、下肢に不具合のある人たちを対象に、ノルディック・ウォークのすすめを話しました。最期に、少しでも歩けるようになったら、みんなで自然の中を歩きウォーキングをいつまでも継続していきましょうと提案しました。それが「100歳までウォーキングの会」となって、富士山を眺めながら山中湖の岸辺を歩く、信州の山奥の鹿教湯温泉で古寺への道を歩くなど、と続いてきました。これには東京大学医学部の整形外科の2名の先生方の強いリーダーシップがあり、仲間づくりに積極的な患者さんがいたからだと思います。
 2018年9月8日と9日の2日をかけて、長野県上田市の鹿教湯温泉へ「2018水中ポール・ウォーキング体験ツアー」が行われました。安全、安心が確保されなければなりませんので、上記2名の医師、2名の看護師、6名の理学療法士、その他、ボランティアの4名の女学生が、20名の歩行が困難な人たちに同行しました。
 初日は、健康検査の後、斎藤ホテルにある室内温泉プールで、40分間ほどの水中でのウォーキングが行われました。夕食前に30分ほど、「脳のはたらきとウォーキング」と題して、私がミニ講話を行いました。2日目は前日の雨で道がぬかるんでいるので、集落にある「交流センター」を借り切って、室内での講習になりました。初めに、水中ポール・ウォーキングの動画を見てもらい、歩き方の復習をし、その後センターのフロアで陸上でのノルディック・ウォークの歩き方のチェックを行いました。
 皆さん、楽しそうでなによりでした。

 

全員集合          訓練の様子


2018・9・4 「バイオメカニクス学会」
 さまざまな身体運動を力学的に分析し、よりよい運動指導法の開発に役立たせるという研究分野を、現在「バイオメカニクス」と呼んでいます。この分野は、61年前に「キネシオロジー研究会」として発足し、50年前に「日本バイオメカニクス学会」と名称を変えて、2年に1度全国大会が開催されてきました。1200名を超える会員で構成されています。
 今年の25回大会は日本体育大学を会場に、2018年9月4,5,6日開催されました。50年前、1回目を開催しその後の発展に寄与したという業績から、初めての“名誉会員”に推挙され開会式で表彰されました。指導した学生たちが、優れた研究業績を上げ学会の要職に就き、このような名誉を授与してくれるよう図ってくれたことは、教育者冥利に尽きるこの上ない喜びでした。長生きはするものだと感謝しています。

 

学会プログラム表紙        教育者冥利の名誉会員証


2018・9・1 「猛暑乗り越える」
 熱中症で高齢者が死亡という報道が連日なされるほど、7月、8月と異常に暑い日々が続きました。暑いので運動は控えるようにという中で、われながらよく耐えられたと思います。2018年8月31日の夕刊に、「紀州の梅 業者悲鳴」という記事が掲載されました。テレビ番組で「熱中症予防に梅干し」が紹介されたこともあって、梅干しの国内収穫量の6割を占める大産地和歌山県の加工メーカーが軒並みフル稼働状態だというのです。
 私は、昔から朝起きると直ぐに大きな“梅干し”1個と、日本茶を飲む習慣があります。国内はもとより海外旅行に際しても、必要な個数と煎茶袋を持参するという徹底ぶりです。最近は、ノームプランニングという紀州四季の梅本舗社製の梅干しを食べています。この本舗は、最近蜂蜜を加えた美味しく飲みやすい“清流の源”という“梅肉エキス”を売り出しました。日本では梅干しは「古来から究極のサプリメント」と言われますが、梅肉エキスにはクエン酸、リンゴ酸、コハク酸、カテキン酸、ピクリン酸などの有機酸に加えて、「ムメフラール」という成分が含まれているそうです。血液成分が改善されるというので、今年から毎日飲むようにしています。梅干し効果が猛暑を乗り越えられた理由だと信じ、“梅干し”様様です。

 

新聞の酸っぱい警告


2018・7・1 「20周年記念ノルディック・ウォーク大会」
 山形県鶴岡市で毎年開催されてきた「国際ノルディック・ウォークin鶴岡」が、今年で20周年を迎えました。まだ、日本にノルディック・ウォーク専用のポールが製造されていなかった当時、フィンランドを訪問した際に眼にしたノルディック・ウォークを、日本へ導入しようと思い、住民に対してウォーキング指導を熱心に進めていた鶴岡市に開催を打診したところ、やってみようと応じてくれました。スキー場で保管しているスキー用のポールを借り受け、湯野浜温泉の砂浜で行なったのです。クロスカントリースキーの経験のない人たちに、ポールを持っての歩き方を教え始まりました。その後、年々上手に歩く人が増えていきました。並行して数社のポールメーカーが製造に取り組みだし、現在のように全国的に普及するようになったのです。2018年7月1日、真夏日の中で比較的若い400名ほどの参加者が、3q、7q、13qのルートにそれぞれ歩き出しました。
 前日には、夕方5時からサンセット・ビーチウォークと称して、特別なウォーキングが試みられました。100名ほどの参加者が、温泉街の裏山へ登り日本海を見渡して、その後夕日の沈むのを眺めながら浜辺を5q歩きました。
 市民の健康と福祉の増進を市政の柱の1つにした、富塚陽一元鶴岡市長が逝去され、7月1日に「お別れの会」が1000名を超える市民の参列の下挙行されました。平成の大合併をはさんで、17年10ヵ月におよぶ長期市政のリーダーとして活躍されました。その間、「ノルディック・ウォーク大会」開催への応援を惜しまず、大会では毎年歓迎の挨拶をなさってくれました。開会挨拶の後、私も献花をしに「お別れの会」へ参加しました。8名の代表者が弔辞を読み上げました。行政に長くたずさわった人に対する業績を、全員が次々と称えるほぼ同じ内容で、正直いってやや冗漫な印象を受けました。しかし、最後に孫がアコーデオンで「G線上のアリア」を奏で、続いて本人が好きであったという「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん、山はあおき故郷、水は清き故郷」を、アコーデオンの伴奏の下全員起立して合唱するとういう「お別れの会」でした。

 

 サンセットビーチウォークに出発    元市長への弔意を込めて挨拶     お別れの会祭壇


2018・6・23 「偲ぶ会」
 体育、そして、ウォーキングの世界へと、私を導いてくれた故江橋愼四郎先生は、1943年神宮外苑で行われた学徒出陣壮行会の際、答辞を読まれたことで有名です。その後、東京大学教育学部に勤務、野外教育、レジャー・レクレーション活動などをアメリカ合衆国で学び、日本へ導入されました。また、国立鹿屋体育大学の開学に尽力され、初代学長に就任されました。また、日本ウオーキング協会や日本市民スポーツ連盟の会長も歴任され、2018年4月8日に亡くなられました。
 故江橋先生を「偲ぶ会」が、6月23日に開催されました。100名近い関連があった人たちが、呼びかけに応じて参加してくれました。はじめに、発起人代表として次のような挨拶をしました。「同級生の半数近くが亡くなる年齢になって“人間死んでしまえばお終いよ”と思うようになりました。からだの一部は残りますが、死んだ瞬間こころは消えてなくなってしまいます。本人と付き合いのあった人のこころには、その人の思い出が残ります。それも、その人が死んでしまえば、消えてなくなります。こう考えると、人間は実にはかない存在だと思うようになりました。しかし、人間は出会ったいろいろな人たちとの思い出の中で生きています。本日配布した資料を読み、映写される写真を見、参会した人たちと思い出話をして、先生の記憶をこころに改めて刻んでください」
 その後、学徒出陣と学長就任に際して残されていた動画と、いろいろなスチール写真を映写し、6名の方々から思い出話が紹介され、最後に先生が好きな歌「東京の花売り娘」の録音を会場に流し、みんなで合唱し終りました。

 

   遺影の前で         数々の業績を改めて心に刻む


国際市民スポーツ連盟(IVV)総会報告(於 イタリアシシリー島)

2018・5・20「Sicilyの離島」
 成田空港からRoma経由で10数時間かけて夜遅く着いた翌々日、2台のバスに乗って2つの“離島”(FavignanaとLevanzo)へ観光に出かけました。バスで1時間15分、観光船で1時間。地中海に浮かぶこれらの島では、マグロがたくさんいた当時は、大型の定置網に入った2m近いマグロを網に追い込み、網を引き揚げながら漁師が次々と大きな木造船へ取り込んだそうです。
 マグロは大きな釜でゆで上げ、遊離した油を回収し、マグロの肉はオリーブ油漬の缶詰にして出荷していたそうです。しかし、マグロの数が減って、1981年に廃業に追い込まれ、現在は加工場跡が博物館として残されていました。大規模な工場なので漁師を含め、たくさんの人たちが失業し大変混乱しただろうと思われました。

 

マグロ加工工場跡


2018・5・21「IVV総会」
 “国際市民スポーツ連盟(IVV)2030”というスローガンを掲げて、組織改革をしようという提案がなされています。
 私は、
@IVV未加入の開発途上国は、近い将来機械化・省力化がすすみ経済が発展すると予想され、人びとは運動不足になることは間違いありません。それらの国々へ運動不足が手軽に解消できるウォーキングを積極的に普及させれば、歩く人が増えIVVへ加入するだろう
A先進国では高齢化が進みウォーキング・クラブ加入者とウォーイング・イベント参加者が減少傾向にあり、認知能力の低下・認知症の予防にウォーキング実践が果たす役目は大きいと声を大にして呼びかければ、高齢者の脱落が減るだろうし、中年の人たちにもそれらの予防のために歩こうとするだろう
という基調講演をしました。
 その後、英語圏、ドイツ語圏、フランス語圏に分かれて、それぞれの国の代表者が40分間討論を重ね、まとめが報告されました。特に具体案がなされたわけではありませんが、プロジェクト・チームを編成し検討することが決まりました。」
 今回の総会での最大の関心事は、2021年に開催されるIVV-オリンピアードをどこにするかでした。アメリカ合衆国のアーリントンと韓国のソウルが立候補し、プレゼンテーションの後、投票に移り韓国が圧倒的多数で決まりました。韓国人はもちろんですが、応援してきた私としてもとても嬉しく思いました。」

 

総会での基調講演


2018・5・22「創立50周年記念式典」
 1968年に創立された国際市民スポーツ連盟の創立50周年を記念する式典が行われました。シシリア島の南西部に位置するムザーラ・デル・バロ市の市議会が行われる庁舎で挙行されました。古い教会と思われる建物を復元した会議場で、市議会が開催されるとき市民が聴講できるように100名近い人が座れるようになっていました。
 まず、白いひげをたくわえた市長の歓迎のあいさつの後、名誉会長の50年の歴史を、事務局長が現状の問題点を、会長が今後の展望を、それぞれ話しました。その間、創立時の3ヵ国に大きなトロフィーが、各国代表には小な置物が贈呈されました。また、地元の有名な音楽専門学校の学生たちが、演奏を聴かせてくれました。


 

地元市町長の歓迎の挨拶


2018・5・23「会長と歩こう」
 IVV総会では恒例となっている“会長と歩こう”が行われました。12qのルートで、まず地中海を右手に眺めながら海岸通りを抜け、橋を渡ってなだらかな丘陵に広がるオリーブとブドウの畑の中を歩きます。道端にはさまざまな花が咲き乱れていました。午後早くフィニッシュして、昼食そして昼寝。


 

道端に咲く花々(左は夾竹桃)


2018・5・24〜26第4回「IVV-オイロピアード」
 5月24〜26日、第4回“IVV-オイロピアード”が、総会の行われた町からバスで40分ほどにある大型の“パラダイス・ビーチ・リゾート”というホテルを主会場に行われました。長い砂浜が広がる景色のよい丘の上に建つホテルで、6,12,20qのウォーキング、300mのスイミング、25qのサイクリングが行われました。スタート時刻は自由で、14時30分までにフィニッシュするようにという決まりです。
 初日は砂浜を往復しました。歩きづらいので帰りは裸足になって、波打ち際を歩きました。その後、40mほどの長さのプールで300mを3回泳ぎました。というのも、水が冷たくて、休んで日光浴をして暖を取る必要があったからです。


 

大会会場のホテル       水泳プール

 2日目は、疲れたので休養。しかし、16時30分から、宮殿の遺跡のある記念公園で、閉会式が行われました。円柱が並び立つ宮殿の横には、壊れて修復されないままの円柱などがころがっていました。公園の入り口から、地元の音楽舞踏団が先頭にフラッグを掲げて、高さ30m以上はあると思われる宮殿の遺跡までパレード。宮殿前の仮設のプラットフォームでは、少女合唱団がベートーベンの交響曲第9を合唱して出迎えてくれました。ホテルに戻り夜10時からの食事。
 3日目は、主会場までバスに乗り、6q歩いて、300m泳ぐのを3回繰り返しました。

 

民族衣装のパレード   修復された宮殿の遺跡


2018・5・19〜26「地中海での釣り」
 総会やウォーキングの合間に、地中海で釣を試みました。フランス、トルコで経験していましたので、なにかしら釣れると確信していたからです。
 ところが、離島への観光では釣りはできないと言われ、釣り具を持参しませんでした。しかし観光船内で食事をしているときに、パスタを海へ放り込むとやや大きめのたくさんの魚が寄ってきました。魚がいないわけではなく、その時釣り具を持参しなかったのがとても残念でした。
 その後、持参した釣り具をもって、漁港の近くの防波堤で釣り始めました。前の晩の食事に出たタコとエビを刻んで餌にしましたが、15pぐらいのハゼが釣れただけです。近くで見ていた人が、ゴカイの餌を分けてくれました。10pほどのハゼが釣れました。翌日の早朝、ホテルの前で残っていたゴカイを餌にすると、見たことのない魚が2匹釣れました。餌が無くなったので、釣具屋を見つけて、ゴカイがあるかと尋ねたところ売り切れでした。
 どうしても釣りたい思いで、歩いているとき見たカタツムリを砕いて餌にして釣りました。確かに浮きがピクピク動き食いつているのがわかりましたが、釣り上げることができませんでした。持参した釣り針が大きすぎたのも釣れなかった理由かもしれません。しかし、紺碧の空に、海、地中海の海岸を満喫することができました。

 

     見たことのない魚     餌にしたカタツムリ  地中海の花 アカンサス


2018・5・11 九州国際スリーデーマーチ
 国際マーチングリーグ」(IML)に加盟する「九州国際スリーデーマーチ」の第24回大会が、2018年5月11,12,13日に開催されました。数年ぶりの参加でした。以前にはなかった“歩くからこそ気づける景色 やつしろの風を仲間とともに”というキャッチフレーズが今年の大会の合言葉でした。
 IMLは面積の広いアメリカ合衆国を除けば、1ヵ国1都市と決められていましたが、解除され東松山の日本スリーデーマーチに対して、1000q以上離れた八代市での大会が認定されました。以来、日本人に加えて外国からの参加者が増えました。今年はヨーロッパ、アメリカ大陸からと、近いせいか台湾やロシヤのウラジオストックからもウォーカーが参加していました。これまでにも留学生などが、ウォーキング大会に参加することはありましたが、八代市で働くインドネシアの若い女性が、5名参加しているのには驚きました。外国から来た意欲ある人々にいろいろな形で応援したいものです。
 大会会場は球磨川の広い河川緑地に、大きなテントを中心にたくさんの小さなテントが並んでいました。初日は雲1つない快晴で、八代市内を歩く10qの「八代亜紀絵画コース」を選びました。500mを越える長い橋を渡って日本製紙の工場の裏を通り在来線の八代駅へ。そこから街中の遊歩道を歩き、広々とした球磨川の土手道を経て、再び長い橋を歩いてフィニッシュしました。26度を超える陽射しの強い中でのウォーキング。すっかり疲れビールを1杯飲んだ後は、しばらく立ち上がれないほどでした。
 2日目は、九州新幹線の「新八代駅周遊柑橘コース」の10qを歩きました。駅を出ると田植の準備が始まった田んぼの間に、まだ1mぐらいの高さの“いぐさ”を育てる畑が点在。斜面に柑橘類の木々が見られる小山の裾に沿って歩きます。初日と同様に快晴で気温も高く、汗がデイパックにまでしみこむほどでした。
 3日目は朝から小雨、しだいに強くなるという予報でしたが、所用があって朝のうちに帰京しました。

 

大会会場


2018・4・13 「仲人の訃報」
 東京大学教養学部から進学に際して、水泳部の先輩江橋慎四郎先生から誘われて教育学部の体育学コースへ。以来体育の分野での研究・教育に、生涯を尽くすことになりました。1962年3月、私どもの結婚式で仲人を引き受けていただきました。人前結婚式と称して、仲人からの紹介の後、“2人は結婚することを誓います”と100名ほどの出席者を前に誓詞を読み上げました。それから56年が経過して、2018年4月8日先生は97歳で亡くなられました、その10日前に現役の水泳部員がお見舞いに行き、かなり長い時間昔話を聞いたそうです。認知症にもならず安らかに亡くなられたのは、若いとき泳いでいて、50歳を過ぎるころからウオーキング協会に関係され、よく歩いていたからでしょう。
 私は、定年退職後先生に言われてウオーキング協会で手伝うようになりました、日本市民スポーツ連盟は、1993年に江橋先生が初代会長となって結成され、1994年國際市民スポーツ連盟に加盟しました。卒寿の会を開き、次は白寿の祝いをと期待していました。先生が93歳のとき、伊豆フラワーマーチで一緒したのが最後でした。
 かなたの空での再会を期して、合掌。

 

   結婚式           卒寿の祝い     


2018・4・7 「指導員研修会」
 ノルディック・ウォークの指導員が3000名を越えたといいます。その指導員を養成する上級指導員の研修会が毎年開催されています。今年の春は、2018年4月7,8日長野県小海町で行われました。松原湖に近い標高1500mの高原リゾート地に、60名近い上級指導員が全国から集まりました。私は「歩く方が、歩かないよりずっといい」と題して、多岐にわたって実践されているウォーキング実践の現状と直面する課題について解説しました。そして、今後次の3点に指導の重点を置くべきではないかと話しました。
 @少子化が進む小学校期でのウォーキング指導の必要性
 Aこころの病に陥りやすいはたらき盛りが日常生活から離れてウォーキングを実践する効用
 B加齢にともなって増加する認知症予防のためのウォーキングの効果
 ノルディック・ウォークの指導員は比較的若く、講義を聴く態度もとても熱心でした。初日の夕方から、前線の通過にともなって雪が降り積もりましたが、2日目の実技研修も元気に行われました。小海町は、湖があってフィンランドに風土が似ていることから、フィンランド大使館の別荘があります。全日本ノルディック・ウォーク連盟創立10周年の集まりを、来年の夏至の日を中心にフィンランド大使館にも声をかけて小海町で行うよう準備するそうです。今年の春に選出された新しい小海町の黒川町長も乗り気で、来年が楽しみです。

 

 実技研修             集合写真     


2018・3・23 「東亜フラワー・ウォーキング・リーグ」
 3月の韓国済州島西帰浦市の“菜の花”、5月の日本久留米市の“つつじ”、5月の中国大連市の“アカシア”の花をテーマに「東亜フラワー・ウォーキング・リーグ」が結成されて、10数年が経過しました。今年は、その1である「西帰浦市国際ウォーキング・フェスティバル」が第20回の節目を迎えたので、IVV会長、IVV-Asia会長へ参加が要請されました。私にとっては、10数年ぶりの参加です。済州島の中央には標高1947mのハンナ山がそびえています。西帰浦市は飛行場のある済州市から山をはさんだ真南に位置します。
 菜の花が満開でしたが、他にも、ツバキの花が咲き乱れ、柑橘類のお土産物屋が並んでいます。2018年3月23日、島の東端にある世界自然遺産“日出峰山”へ観光に出かけました。古い火口の外輪山から、たくさんの人が日の出を拝みに来るのでその名がついたそうです。180mの頂上まで、階段を登り切りました。眼下には火口、遠くには対馬海峡が眺められる絶景でした。夕方から、記念の植樹祭が公園で行われ、その後、ホテルで歓迎パーティがありました。日本、中国の他、ロシア・ウラジオストック、そし地元から大勢の参加者が着席し、相互に挨拶、記念品の交換が行われました。国際大会ならではの、国際交流の光景でした。
 初日は快晴で、参加人数は7〜800名か、若者たちがたくさんいるのには驚きました。スタート前に長さ50pぐらいのバケットのサンドウィッチが、30本並べられ、代表者たちがナイフでカットして、参加者に振る舞われました。他では見たことのないサービスです。8名の代表者が檀上に立って、直径50pの金属製のドラムを一斉に叩き、20q参加者からスタートして行きました。

   

頂上への階段
 
記念植樹          バカでかいサンドイッチ


2018・3・17 「かんじき雪上ウォーク」
 山形県鶴岡市の「てくてく健康ウォーク」は年間25回開催され、そのうち、雪深い冬季に2回「雪上ウォーク」が行われます。2018年3月17日に参加しました。深い積雪のためスキー場のリフトが動かなくなり休業するほど、今年は雪が多かったといいます。
 朝9時から準備体操をして、諸注意があった後、リフトで標高550mから700mまで上ります。そこで、“かんじき”を履き、前日降った10pぐらいの新雪の上を途中で休憩を2回とりながら標高800mまで上りました。そこは晴れていればビューポイントのはずでしたが、曇りで日本海までは見通せませんでした。下りは、スキー場の横を通っていきます。約2時間30分間歩き通せたので、われながら満足しました。雪上を歩いたことの無いたくさんのウォーカーたちに、純白の雪原、枝に雪を載せたブナ林の中を歩くすばらしさを、是非体験してみることを勧めます。清新とはこういうことのように思います。
 雪上ウォークの前日、強風の中を漁港の堤防を風避けにして、釣りに挑戦しました。趣味といえ、3時間ほどでからだが芯から冷え切って止めることにしました。やっと釣れた30pぐらいのホッケ1匹を宿に持ち帰って塩焼きにしてもらい、こりこりした白身をおいしくいただきました。

 

清新の雪上を歩く

  
リーダーと記念写真          釣れたホッケ  


2018・3・10 「東京大空襲」
 今年「江戸川区平和祈念展示室」が開設されたという新聞報道を読んで、2018年3月10日江戸川区小松川へ出かけました。18歳まで暮らした懐かしい下町です。3期生として卒業した小松川一中が創立70周年を迎えたと思い、立ち寄ってみました。確かに校舎の入口には記念の植樹がなされていて、去年の秋に式典が開かれたと聞かされました。
 そこから、第二次世界戦争前から千葉街道と呼ばれている広い道を横切って、「小松川さくらホール」という区営の施設を訪問しました。ホールを入って左側のオープンコーナーが「平和祈念展示室」です。3月9日の深夜に投下された焼夷弾が2個並べられていて、壁には終戦前後のありさまを記したパネルと写真が飾られていました。なかでも、私が集団疎開した山形県の湯野浜での児童たちの集合写真があり、思い出がよみがえってきました。コーナーでは、80歳を越えたと思われる数名の年寄りたちが当時の記憶を、思い出し語り合っていました。

   

空襲の当日の模様      学童疎開(湯野浜)


2018・2・25 「東京マラソン」
 12回目となる東京マラソンが、2018年2月25日曇り空の下で行われました。3万6000名が参加したそうです。2度目の参加となる娘を応援しようと、家から近い神田須田町へ出かけました。すでにたくさんの人たちが沿道に立ち並んでいて人の肩越しでしか見れず、走ってきた娘に声をかける間もありません。娘が走り過ぎた後、トップの選手を見ようと歩いて東京駅の前にできた行幸通りへ行きました。ここでは規制が厳しく、近くで見ることができません。そこで丸ビルの裏へ回り、ビルの内にある大型テレビを見ながら待つことにしました。トップのケニアの選手が近づいたので、人ごみの間から垣間見ましたが、あっという間に走り去っていきました。ちなみに、娘は4時間13分11秒で、女性7893名中1922位でした。
 大型テレビで見ていると38q過ぎから、設楽選手が次々と追い越し2位になったので、続けて見物しました。16年ぶりに、日本記録を5秒ほど短縮した記録は立派です。日本記録を突破すれば実業団陸上競技連合から1億円の賞金が贈られることになっています。本人は「半端ないくらいうれしい」と喜びを語っていました。ピョンチャン・オリンピック金メダル獲得者へのJOCからの賞金500万円に比べ、確かに半端な額ではありません。
 1億円につられて走ったわけではないでしょうが、ケニアやエチオピアの選手たちが賞金を求めてトレーニングを積み、世界のマラソン界のトップを君臨しているのをみれば、“お金の力”は、無視できないでしょう。スポーツの成績がお金で評価されるようになったことを苦々しいと感じながらも、今更しかたがないと思う人がいるでしょう。

   

神田須田町を走り抜ける  フィニッシュ直前の観衆たち


2018・2・17 「花へんろ足摺温泉ジョン万ウォーク」
 太平洋に面した足摺小学校の校庭を中心にしたウォーキング大会が、2018年2月17、18日に 第13回を迎えて開催されました。“花へんろ”の花はヤブツバキの花で、岬周辺には15万本が自生し、2月には咲き誇るということです。残念ながら今年は寒さが続き、陽当たりのよいところを除けば、咲き乱れるほどではありませんでした。
 初日は右手に太平洋を眺める6q、22q、30qのルートが設定されていました。私は6qを選んで歩きました。自殺で名高い高い岸壁の上に造られた湯歩道からは、眼下に黒潮が岩場に当たる波しぶき見られます。しばらく歩くと、足摺岬灯台がそびえているのが眺められます。そこから、四国霊場の中で最南端にある三十八番札所“金剛寺”を、詣でました。古びた本堂の前には、高知で採れるという大小の赤っぽい岩、青っぽい岩、灰色の岩で囲まれた池があり、とても落ち着いた境内でした。フィニッシュすると、熱々の“つみれ汁”と“ぜんざい”が用意されていました。汁をいただいた後、直ぐにホテルに戻り、男子フィギア・スケートの決勝で金・銀獲得を見て感激しました。
 2日目も快晴、遠くへ帰る人のために、午前8時7.5,15、22qすべてのートが、一斉にスタートしました。左手に太平洋を眺める道です。親木に寄生して気根を垂らし、最終的には親木を覆い尽くして枯らしてしまうという“締め殺しの樹木”といわれるアコオの大樹があります。樹齢300年という国の天然記念物に指定されています。初めて見上げた不思議な大木には圧倒されました。
 小学生が24名という過疎に見舞われていますが、市内のボランティアたちが暖かく接してくれる大会です。遠いところですがそれだからこそ、自然から遠ざかって生活している都会の人たちに、是非一度は歩きに行ったらと勧めたいと思いました。

    

       足摺岬灯台           ツバキの花         38番札所金剛寺


2018・2・16 「土佐清水市」
“東京から最も時間がかかる市”と開き直ったような宣伝文句が、土佐清水市のパンフレットに記されています。高知駅から3両編成の特急で、1時間49分で、近くを四万十川が流れる“中村”という駅で下車しました。商店も食堂もないさびれた駅前には、魚を手づかみにする少年の像が立っていました。
駅からバスに乗り1時間50分、土佐清水市足摺岬へ到着しました。確かに、羽田空港から高知空港までの飛行機、空港から高知駅までのバスなど、乗っている時間に待ち時間を含めると、8時間はかかってしまいます。
 しかし、四国の南端にある市で、“駅なし、高速道路なし”、でも“海あり、山あり”とパンフレットで自慢する黒潮がもたらす豊かな自然は、素晴らしいところです。他にも、鰹節の産地、また幕末から明治維新にかけて国際人として活躍したジョン万次郎が誕生した所として有名です。
 ホテルの窓からは、夜空に満点の星が輝き、夜明けには真っ赤な太陽が水平線から昇るのを見ると、東京から時間をかけて来た甲斐があったと満足でした。

   

        水平線から上る朝日      ジョン万次郎     少年の像


2018・2・15 「成人女性だけのスイミング・クラブ」
 数年振りに高知市を訪れました。日本の“三大ガッカリ”といわれる、有名なわりには実物を見てガッカリという“はりまや橋”近くのホテルに宿泊しました。
高知市内に女性だけのスイミング・クラブを立ち上げてから、今年で40周年を迎えるそうです。県営や市営の温水プールをコース借りして、成人女性を対象に水泳指導を始めたのは山崎誠子さんです。一人では手が回らなくなり、次々と指導者を養成して、現在は42歳から91歳の200名近い女性が、毎週定期的に泳いでいるのです。
 クラブの6名の女性と、「鯨酔亭」で鯨の肉のメインの鍋と、カツオやアジの刺身で歓談しました。最大の悩みは、会員が高齢となり、親や連れ合いの介護、孫の世話で時間が取れなくなりクラブを退会する人が増えてきたことだそうです。
 高知の女性はアルコールが強く、生ビールをジョッキで乾杯した後は、日本酒の熱燗の徳利を何本も空けてしまいます。飲みながら高齢人口の増加にかかわる身近な話題で、話がはずみ2時間30分があっという間に過ぎてしまいました。日本でただ一つの成人女性だけのスイミング・クラブ、是非とも長く続けて欲しいと思いました。

     

はりやま橋       高知出身の幕末に活躍した3人


2018・1・13 「未来創造展」
 勤めはじめてほぼ10年になろうという「首都医校」は、学校法人日本教育財団の下に設置されています。姉妹校には、「東京モード学園」と「HAL東京」があります。「東京モード学園」は服装デザインを、「HAL東京」はコンピュータ・グラフィックを、それぞれ主とした専門学校で、年に1回学生たちの作品の展示発表会「未来創造展」が大規模に行われてきました。人に見せる作品を制作するので、このような展示会は学生にとって刺激になります。この展示会へ「首都医校」も参加するようにと誘われて、数年前からブースを開いてきました。
 2018年1月13日に、東京ビッグサイトで「Love Monsters」というタイトルの下でにぎやかに開催されました。医療専門の「首都医校」の学生は、人に見せるものを製作することを学んでいるわけではありません。しかし、この機会に、自分たちが目指す「チーム医療」という取り組みを展示し観覧者へ説明することは、将来人に接して仕事をする学生にとっては有益なことです。今年は、8つの領域から学生が集まって、講義している教師が心臓発作を起こし倒れ、その救急処置から、治療、そして、回復後のリハビリテーションというストーリイで展示がまとめられていました。いろいろな人たちから説明を求められて、真剣に答える学生の姿がとても印象的でした。

     

チーム医療とは      愛をつなぐモードとITと医療


2018・1・2 「浅草寺初詣」
 今年は車で朝9時空いているうちにと、やや早く出て浅草寺へお参りに行きました。まだ交通制限がなくスムースに雷門に着き、門前にある文明堂で、毎年買う“うずらのたまご”を購入。かなりの人出でしたが、外国語が飛び交う中、仲見世の通りを進むことができました。去年のお札を返却し、“今年もよろしく”と、お賽銭を投げ入れ拝みました。
 辞めてから、すでに日本ウオーキング協会の会長は3代目となりました。本堂の裏手を列を連ねて歩くウォーキングのグループに出会い、元会長としてなつかしく感じました。帰りには、今年も無事にとの願いを込めて、新しい「厄除」のお札を求めました。夜になって、「スーパームーン」というので夜空を見上げました。

     

2018浅草


2018・1・1 「元旦皇居1周ラン」
 過去30年以上続いてきた、元旦の皇居1周ランニングに挑戦しました。今年の元旦は、これまでになく快晴でした。大手町から左回りの約5qの距離です。6時45分に走りはじめて、三宅坂の上までは上りが続き、初日を拝むたくさんの人がいる坂の上からは、下りで桜田門をくぐり、二重橋を左手に見てフィニッシュです。所要時間は56分、歩くよりちょっぴり速いスピードでした。82歳になる今年も、元気に走り抜けたいものです。

         

            元旦からにぎわうお堀端                   2018皇居


2017・12・22 「低酸素トレーニング・センター」
 標高2400mのメキシコ市でオリンピックが開催されることが決まり、1965年から日本の競泳選手たちは高所順化のため、3週間の合宿を行いました。この合宿はその後毎年行われ、合宿後の選手たちに時差のないカルフォルニアでのレースに参加させました。その結果、半数以上の選手たちが自己ベストを更新し、高所トレーニングの効果が確認できました。
その後、およそ50年間、日本の競泳選手たちは高所トレーニングを続け、オリンピックで複数のメダルを獲得できるようになりました。その好成績を収める一つの要因として、高所トレーニングの継続が注目を浴びるようになったのです。
 時間や経費のことを考えると、日本国内にそのようなトレーニング施設が必要と、いろいろな人たちに相談してきました。幸い、賛同してくれる人たちに巡り合えて、2017年10月に江東区豊洲に50mプールを含む複合低酸素トレーニング・センターの建造が始まりました。これを機会に、2017年12月22日に「低酸素トレーニングの近未来」と題したシンポジウムを、東京大学の「スポーツ先端科学拠点」が共催となって、開催されました。予想していた人数よりも多い参加者が集まり、「ハイブリット・アスリート・トレーニング・センター(略称HAT)の第1弾のお披露目としては成功でした。
 「トレーニングは酸素不足との戦いである」と題した基調講演をした私は、この世界初となる大規模低酸素トレーニング・センターHATが、効率よく利用され、来る「2020東京オリンピック・パラリンピック」で、日本選手が好成績を残すことを願っていますと、述べました。有難いことに、私の50年来の夢が叶いそうです。

         

               ハイブリッド・アスリート・トレーニングセンター(略称HAT)        シンポジウム
                     ※イメージ図   


2017・12・9 「快気祝いでグアムへ」
 “同病相憐む”という中国の古い言葉があります。50年以上連れ添った夫婦が、同時期に眼が見えにくくなり、白内障と診断されました。9月に妻が日帰りの手術を、1月遅れて私は入院しての手術を受けました。私が心配したのは2ヵ月間禁酒が守れるかでした。幸い、10月は気温が低く汗をかいてビールを飲むという気分にならず、アルコールなしでも生活できることを経験することができました。ところが毎週2、3日は泳いでいたのが、感染予防のためプールへ入ることが禁止され、運動不足になってしまいました。
 術後40日が経過すれば、泳いでもよいとの医師の診断で、2人の快気祝いに海のきれいなグアムへ行く予定を立てました。マイレージが溜まっていて、シーズンオフのこの時期は、格安特典で娘2人を含めて、グアム往復の航空賃が無料となり、4人が一緒に宿泊できる安価なコンドミニアムが予約できました。夫婦とも数10年ぶりの海です。妻は娘2人に手を引かれて浅瀬でのウォーキング、私はゴーグルをつけて色とりどりの魚を見ながら泳ぐことができました。1時間30分海にいて、日焼けで水着の跡がつくほどでした。帰国の日の早朝から、娘とゴルフを楽しみました。打ったボールの行方が見えるようになって、手術をしてよかったと実感できました。
“同病相憐む”といっても、認知症や脳梗塞でなくて本当によかったと思っています。しかし、何時かは訪れる病魔に怯える年齢になったかと、つくづく実感しています。

    

 妻と娘


2017・11・18 「第6回遍路道ツーデーウォーク」
 「道後湯けむり遍路道ツーデーウォーク」は、日本病院脳外科学会の市民公開講座のコラボ事業として、ノルディック・ウォークに特化して発足しました。その後発展して第6回大会が、2017年11月18、19日に、愛媛県松山市道後温泉に近い公園を中心として開催されました。
 18日は、松山市から35km離れた高原へバスで送り迎えしてもらえる、「久万高原紅葉の遍路道満喫コース」と名づけられた12qに挑戦。標高1000m近い高原にある45番札所の岩屋寺から、44番札所大寶寺まで紅葉真っ盛りの渓流沿いの遍路道を歩きました。明け方まで降っていた雨で濡れた落ち葉で滑りやすい石畳の道、最後は標高差200mぐらいの上り坂。汗をかきながらゆっくり上り、頂上からはうっそうとした杉林の中を下りました。距離の割に時間のかかるコースでしたが、樹齢800年という杉や檜の巨木が連なる参道の奥にある大寶寺で、こころが癒されました。
 19日は、「四ヶ寺をゆっくり巡るよくばりコース」と名づけられた8qコースの挑戦。道後温泉からバスで、円明寺、大山寺、繁多寺を順にお参りし、繁多寺からは歩いて石手寺に寄って道後温泉へもどるというコースでした。1200年前に建立されたという52番札所大山寺の本尊は薬師如来。“健康長寿亀守”という、天然石メノウがついたお守りを購入しました。
 この大会は、地元のウォーカーたちボランティアによる、お接待がたくさんあります。各コースの途中に設けられたスタンプを押印する所には、お茶、炊き込みご飯のおにぎり、いなりずし、みかん、ピザ、あんぱん、などが用意されていました。また、フィニッシュすると、温かいお汁粉が待っていました。お遍路さんへの“おもてなし”の風習が残っています。有難いことです。

     

 スタート前の準備運動          大寶寺           遍路道を歩き出す 


2017・11・9 「願い適う秋の山陽行」
 水がきれいで酒造りが有名な西条市の郊外にある、友人の山に松茸が採れるというので、3年前から毎年出かけてきました。1昨年は2本採れましたが昨年は収穫ゼロ、今年こそはと2017年11月9日に出かけました。あまり見ることができなくなった干し柿が、庭先に吊り下げられた農家から、直ぐ近くにあるなだらかな山です。落ち葉をかき分け、ようやく1本見つけることができました。仲間が3本採ったので、広島市のレストランへ4本持ち込んで、すき焼きの中に入れて美味しくいただくことができました。
 10日は、第6回日本ノルディック・ウォーク学会が、倉敷市で行われました。2本のポールを持って歩くのは、ふつうの人の健康体力に有効であるばかりか、高齢や障害で歩行が困難になった人たちへの運動手段として、特にリハビリテーションの方法として、きわめて有効です。ですから、医師、理学療法士、健康運動指導士などが強い関心を抱いていて、300名近い人たちが参加しました。
 翌12日は、学会会長を務められた重井文博先生が理事長の医療法人創和会が運営する健康増進施設「はあもにい倉敷」で、水中ポール・ウォーク研究会が開催されました。午前中はプールで体験会が、午後は講演と研究・臨床報告がなされました。地方自治体が所有する温水プールで、積極的に取り入れられることを願っています。

    

        獲れたマツタケ              水中ポール倉敷      


2017・11・5 「花梨の黄色い実」
 2017年11月5日の新聞に、東京北区のJR赤羽駅前商店街の並木に、花梨(カリン)が黄色い実をつけたという記事が記載されていました。5人いる孫娘の名前は、上から桜、桃、杏、梅、梨です。末娘の梨はカリンと読みます。見たことのない花梨の実を見に行こうと、5qほど歩き、電車に乗って赤羽駅に着きました。久し振りに訪れた赤羽駅の高架線路の下には、新しい食品店が並び見違えるように変わっていました。
どこにあるのか駅の周りをうろうろ探し、ようやく線路沿いの西側の道にたくさんの実をつけた花梨の並木を見つけました。8歳の娘は、見たことがなかった花梨を見て大喜び、落ちていた実を大事に持ち帰りました。

    

   花梨の実      嬉しそうな梨


2017・11・3 「日本スリーデーマーチ」
 日本最大のウォーキング・イベント「日本スリーデーマーチ」の第40回記念大会が、2017年11月3日から始まりました。埼玉県東松山市を中心とした地域です。雲一つない秋晴れの休日とあって、3万2000名近い人たちが、朝6時から11時の間に距離の長い人から順に歩き始めました。久し振りにステージに立って、10qルートのスタート前の人たちに「私はゆっくり歩きますから、遠慮なく追い越してください」という短い挨拶が皆さんの笑いを誘いました。
 外国からの参加者は韓国、台湾からそれぞれ40名近くで多くなりましたが、ヨーロッパからは80名とやや減少したようです。20分ぐらい歩くと市街地を抜け、赤い実をつけた柿の木があちこちに見られるようになります。稲穂が刈り取られた田んぼの中を歩くと、秋を実感することができました。国立の森林公園は無料公開となっていて、大勢の人たちであふれていました。そこでウォーカーたちは昼食を摂っていました。
 60歳から参加するようになりましたが。当初は20qのルートを3日間、歩き通しましが、今では10qがせいぜい。長い距離が歩けなくなり寂しい限りですが、ある意味では順調な年の取り方かもしれません。そして、歩けなくなったとは言え、私のこれまでの蓄積をいろいろ場面ではき出すことで自らの歩みにしたいと思っています。

    

   ステージでの挨拶      歩き終わってひと休み


2017・11・1 「国際ウォーキングフォーラムインジャパン」
 今年は、国際マーチング・リーグ(IML)が創立して30周年、日本スリーデーマーチは40回目となる節目の年です。この機会に、日本ウオーキング協会は朝日新聞と共催で、「国際ウォーキングフォーラムインジャパン」を2017年11月1日に開催しました。思い起こせば、10年前第30回となる日本スリーデーマーチを記念して「ウォーキング ワールド」という国際シンポジウムが開催されました。ちょうどIML創立20周年、国際市民スポーツ連盟(IVV)創立40周年に当たり、それぞれの国際組織の役員が出席しました。当時、日本ウオーキング協会名誉会長、国際市民スポーツ連盟副会長であった私がまとめ役を果たしました。
 これまでのウォーキングの国際シンポジウムでは、健康そして国際交流が主たる話題でした。今回は、IML会長、東松山市長に加えて、国土交通省、経済産業省、旅行者から講演者が選ばれ、道路整備、観光振興、経済発展、地域振興に対するウォーキング運動の波及効果が中心話題でした。私は、「歩いているから健康である:We are healthy because we are walking」と題して講演しました。調べてみたら10年前にも「People are healthy because of walking in their daily life」と提案していて、私の主張が10年間変わらないのに驚きました。
シンポジウムは150名近い聴衆が集まり盛会裏に終わりました。その後、外国からの参加者を中心として、皇居周辺を5q、10qに分かれてYOKOSO JAPAN WALKを秋晴れの中、楽しく歩きました。

 

   IML会長Marc Muller氏と挨拶   


2017・10・22 「白内障の手術」
 周りの老人から、白内障の手術を受け明るく見えるようになったという話を聞くようになりました。数年前から眼科で診てもらい白内障が進行しているが、もっと見えにくくなった方が手術の効果が実感できるといわれてきました。今年の夏ごろから、人の顔が二重に見えるようになり、東大病院で手術を受けることにしました。左眼を10月6日に、右眼を20日に、それぞれ3泊4日で手術を受けました。入れたレンズは遠くが見えるものです。確かに、周囲が明るく見えるようになりました。以前は薄墨が覆っていて目立たなかった自分の顔のしわやシミがはっきり見え、これでは乗りもので席を譲られるのも当然と実感したしだいです。世の中、見えすぎるのも考えものでしょう。
さて、総医療費は両眼で約45万円、そのうち約13万円は自己負担です。私の今年の納入する後期高齢者医療保険費57万円ですから半分以上使ってしまいました。歯の治療も続けていますから、もっと増えるのでしょう。3割自己負担が、かなり響くのを実感しました。

 

     片目でかなりクリアに、両目になったら・・    


2017・9・28 「登院式」
 「登院式」とは聞き慣れない言葉です。1948年に制定された「歯科衛生士法」に基づいて、歯の治療にかかわる新しい国家資格が誕生しました。高等学校を卒業後2年以上の教育を受け国家試験に合格すれば免許を得ることができます。私が校長を務める「首都医校」に2年前から歯科衛生学科が誕生、1期生が学内での教育を得て10月から臨床実習へ出かけます。病院へ実習に出かける学生に「登院許可」を与える儀式が「登院式」です。2017年9月28日行われました。
 おそろいのピンクの実習服の学生30名を前に挨拶をし、次のような「登院許可」を申し渡しました。「入学以来、歯科衛生専攻の学生として、1年半かけて、必要な知識、技能、態度の基礎を学びました。これから、臨床の場で、実践的な知識、技能、態度を身に着けることになります。本日ここで、皆さんが実習生として、臨床の場へ出かける資格を身に着けたことを認め、その決意を改めて感じて欲しいと“登院式”を挙行することになりました。」そして「健康なからだと心をもって、輝かしい目標にむかって進んでください。」と結びました。その後、担任の教員から実習の場で胸に付けるネームプレートとバラの花一輪が、それぞれの学生に手渡されました。

  

               登院式                  登院式のプログラム    


2017・9・27 「中高年女性水泳教室」
 東京大学を定年退職した後、「人間福祉学科」新設に際し東洋英和女学院大学へ就職。福祉は、からだから、こころから、加えて個性を持つ人間から、その人間が構成する社会から、という4つの側面からのアプローチによって成り立つと、学科編成の背景を提案しました。そして、自分が専攻する分野の中核として「身体福祉論」を構築、からだに不具合がある人たちが十分運動のできる室内温水プールが必要と大学へ提案。入口からプールサイドまで1pの段差もなく、車いすのまま入水できるスロープつきのプールが完成しました。このプールは、完璧といってよいほど、からだに障害があっても利用しやすい「アクア・エクササイズ・センター」と呼ばれています。18年経ってもきれいで、他では見られない施設です。この施設のおかげで、水中運動の指導実習の対象となってもよいと承諾を得たからだに不具合のある人に対して、人間福祉専攻の学生たちは直かに接する機会ができるようになりました。加えて、大学の生涯学習センターは、地域に住む女性を対象に水泳教室を開催、多くの人たちに開放されています。
 東洋英和女学院大学退職後は、学生の休暇中に近くの中高年女性を対象とした集中的な 「Intensive水泳教室」を開催、指導に当たってきました。2017年9月25〜27日の3日間、60歳代を中心とした8名の女性に、クロールと平泳ぎを“ゆっくり・きれいに泳ぐ”を目標とした水泳指導をしました。人工股関節の人、高血圧で薬物を服用している人などを含め、事故があってはいけません。90分間の指導中は目が離せませんから、とても神経をつかいます。みなさんに、満足してもらえたどうか。無事終了してほっとしたところです。

   

   東洋英和模範水泳前       東洋英和全員集合    アクア・エクササイズセンター前で   


2017・9・24 「オープンウオータースイミング」
 国内では2000年から始まった、海、湖、川などで記録を競うオープンウオータースイミング日本選手権大会が、2017年9月24日開催されました。アメリカでは見たことがありましたが、日本では初めてです。会場は、東京オリンピックで予定されている「お台場海浜公園」の海です。レインボーブリッジの近くで、海越えに高層ビルが眺められる人工の湾内です。海の水は透明で、水温は24度でした。1周1255mの4角形の水路を8周、合計10qを泳いで記録を争います。途中1回の水分補給が認められています。登録選手は予選を通った男子76名、女子40名です。途中2名が脚にけいれんをおこし棄権しましたが、全員2時間ほどで泳ぎ切りました。まだ世界の水準には届きませんが、これからのトレーニング成果が期待されます。メキシコ市で高所トレーニングを開始し、その効果を確認しました。その後国内に高所トレーニング場を造りたいと願っていましたが、半世紀経てやっと低酸素トレーニング施設という形で建造が決まりました。敷地はお台場近くの豊洲で、建築計画の看板が立っているのを確認しました。嬉しい限りです。完成までの1年8ヵ月、待ち遠しいです。

   

    OWSを力泳する選手        ゴールタッチ      低酸素トレーニング施設建築計画


2017・9・21 「歩けなければ、キノコも採れない」
 もう松茸が出ているかもしれないと、信州の鹿教湯温泉の山に登りました。25〜30度の急斜面を這いつくばって登りました。登りながら来年は登れないかもしれないと思いつつ、汗をかきながら目的の赤松林にたどり着きました。松茸は見つかりませんでしたが、美味しいという2種類のキノコを採ることができました。“秋なす”と油炒めで調理してもらい、ビールで乾杯、歩けなくなれば楽しみがしだいに減っていくのかと、つくづく思い知ったキノコ狩りでした。来年は、這いつくばって登らないでも取れるおいしいキノコ採りに行きたいものです。

  

                      シメジ類か          


2017・9・18 「江東区12週間ウォーキング教室」
 平成元年から始まった、江東区健康センターが主催する「12週間ウォーキング」講習会の開会式が、2017年9月18日台風一過の強い日差しがさす、“敬老の日”に行われました。今回で29回目となります。おそらく、自治体主催で始まったウォーキング教室の最初だったと思いますし、それが途切れずに続いてきたのは驚きです。
 毎年、敬老の日に始まり、12週間後の12月に終了です。短いウォーキング日誌をつけるようにと、冊子を渡します。自分だけでは飽きてしまうだろうから、毎週土曜日にみんなで歩きます。歩く距離は、3qから順次伸ばし、最後の土曜日には10q歩けるようになるのが目標です。この教室修了者が自主的に、ウォーキングクラブを結成して定期的に歩いています。現在クラブ数は、15あるそうです。開校式で歩くことを勧めてきた者としては、成果があったと喜んでいるところです。
 循環器専門の川久保先生と一緒に、29年間「敬老の日」は休むことなく参加し続けてきたのには、自分ながら驚いています。それも一緒に歩く仲間がいることが、可能にしたと思っています。同じ方向を目指す仲間がいることが、いろいろな可能性を教えてくれます。

  

       60分を超える講演          熱心な参加者


2017・9・17 「修験のみち」
 これまでは鶴岡の「里山あるき」は1日で終わっていました。しかし、せっかく遠くから参加してくれるウォーカーたちに、別の道も歩いてもらおうと「修験のみち」ウォークが2日目に設定されていました。月山、湯殿山を含めた出羽三山の1つ「羽黒山」の麓が起点です。
 大型台風が日本を縦断するという2017年9月17日は、朝のうちは日がさし、東からの涼しい風が吹くウォーキング日和でした。山伏の“ほら貝”を合図に、スタートしました。 宿坊が並ぶ街道を15分程歩いて山門をくぐります。やや下りの石畳みを歩くと、杉林の中の国宝の五重塔が見えてきます。そこから、見上げるような杉の大木が並ぶ、2446段の石段をゆっくりゆっくり登りました。ウォーカーたちも最初は勢いよく登っていましたが、息が切れてしまい途中で立ち止まる人が見られました。私も登り切れるか心配でしたが、水分補給で途中1回休んだだけで登り切ることができました。羽黒神社を参拝後、名物“玉こんにゃく”が振る舞われ、そこから8qと20qとに分かれて歩き出しました。
 夕方から台風が襲うという前に、歩き終わり雨の降る東京へ帰ることができました。

  

    山伏のほら貝       石段を登る


2017・9・16 「里山あるき」
 20年ぐらい前、山間にある温泉場を起点として農道や登山道を周回する「里山あるき」を楽しみましょうと呼びかけました。人が住む気配が感じられ、しかも自然に触れあえることができ、歩き終わったら温泉でゆっくりくつろげるウォーキング・イベントです。当初は、全国5か所の温泉場で行われました。しかし、その後いろいろな事情があったのでしょう、ほとんど止めてしまいました。その中で、山形県鶴岡市では、毎年続けてきました。そして、2017年9月16日、20回という節目となる大会が開催されました。
 地元の人に加え県外から、過去最多となる500名近い人が参加しました。江戸時代幕府の天領として造り酒屋が軒を並べていたというまち「大山」を中心として、熊が棲むという高館山自然休養林、野鳥観察ができるラムサール条約登録地の上池・下池を20q、8q、5qに分かれて歩きます。
 今でも4つの蔵元があるせいでか、大山保育園では園児たちに空の酒樽を2本の棒で打つ練習をさせています。日ごろの練習の成果の発表を兼ねて、スタート前に44名の園児たちによる応援の樽叩きがありました。歩き終わると大山コミュニティ・センターで、地元のボランティアによって豚汁が振る舞われ、みんなで車座になって昼食を摂りました。「大山」近くの「湯野浜温泉」からは、台風前の波のない日本海の夕焼けがきれいでした。

  

      園児の樽太鼓          豚汁で昼食        きれいな日本海の夕焼け


2017・9・9 「100歳までウォーキングの会」
 「水中ポール・ウォーキング研究会」の開催に合わせて、ほぼ7年間継続してきた「100歳までウォーキングの会」の体験旅行が、長野県上田市鹿教湯温泉で行われました。会員のほとんどが、股関節に不具合を有する人たち42名で、平均年齢が70歳を越えています。しかし、とても意欲的で、2017年9月9日の午後、斉藤ホテルの室内温泉プールで、水中ポール・ウォーキングの指導を受けました。プールへ入る前には血圧測定を行い、高めの人には医師や理学療法士が注意深く見守ります。25m3レーンのプールは、介護する人を含めポールを持った人たちでいっぱいになりました。水の中でしかも両手にポールを持つお陰で、からだが安定して下肢に障害があるのを忘れたかのように元気よく歩いていました。
 10日の午前は、障害の程度によって、500m、1000、2000mを目標に3つの組に分かれて、ホテルの周辺の渓流沿いの森の中の道を文殊堂というお寺まで、車いすの人も交えてポールを持って歩きました。天気も良く、気持ちの良い森の中の空気に触れながらとてもうれしそうでした。お世話する人たちは大変ですが、こういった機会がなければ、仲間と一緒に出かけられない人たちにとっては、かけがえのない旅行であったでしょう。
 10日は、4つの講演と一般発表が行われました。私は、「水中運動と脳血流量」と題して、今年外国で発表された研究を紹介しました。同じ運動なら、水中の方が脳への血流量が増えるという結果で、認知能力の低下や認知症の予防に効果がある可能性が高いという内容を話しました。

  

   ポール・ウォーキングへ出かける       水中ポールウォーキング


2017・9・2 韓国釜山市訪問〜その3「釜山観光と講義」
 朝から快晴の下、釜山の観光に出かけました。まず、今年出来上がったという海上を渡るケーブルカーに乗って、釜山最初の松山海水浴場を眺めました。終点からは、松山スカイウォークと呼ばれる遊歩道が崖に沿って伸びていました。出発地に戻り、そこにも海に延びる遊歩道がありました。週末とあってたくさんの人たちが楽しそうに歩いていました。
 昼食は、有名なチャガルチ市場で、魚と野菜が入ったみそ汁と揚げた数種類の魚を食べました。その後、海から釜山を眺める遊覧船に乗り込みました。湾内の波は静かでしたが、沖に出るとうねりが大きくなり釜山港へは行くことができず、引き返してしまいました。
 夕方4時から、40〜50名ほどの教員、大学院生を相手に講義を行いました。事前に渡しておいたスライドを、ハングル語に翻訳してくれていたので、よく理解できたようでした。終わって3名の学生から的確な質問がありました。
 講義終了後ただちに料理屋へ移動しました。10数名の学生たちが、私の誕生日を祝って韓国語でハッピイバースデイの歌を合唱し、私はケーキに刺した8と1のローソクの灯を吹き消しました。これまでにない誕生日を祝ってもらいました。

  

     講演           市場


2017・9・1 韓国釜山市訪問〜その2「慶州観光」
 釜山から北へ100q程離れた新羅時代の中心であった慶州市へ、大学院長自らの運転で観光に出かけました。356年から935年の間栄えた都であったと伝えられていて、初期の時代の古墳群があります。その一つは内部が見られるようになっていて、“天馬塚”と呼ばれています。発掘された金冠などが展示されていました。
 近くの“吐含山”の頂上近くにある石窟庵では、東洋一美しいといわれる釈迦如来像を拝みました。日本海を見下ろし、東に向かって座す純白の石仏像は、世界遺産の一つになっているのもうなずける神々しさでした。近くで豆腐に“えごま”の種をつぶして煮た熱い汁がメインの昼食をご馳走になりました。
 帰路は韓国の三大寺院と呼ばれる禅宗の総本山、“梵魚寺”へお参りしました。本堂では入れ替わり立ち代わり、信者たちが熱心にお祈りしていました。夕食は、定番の美味しい焼き肉で満腹。

  

     天馬塚          豆腐料理


2017・8・31 韓国・釜山市訪問〜その1「東亜大学講演依頼」
 「Medical Walking」という書籍を2013年10月に私が監修し、南江堂から出版しました。医師、研究者、理学療法士30名が分担執筆した本格的な専門書です。韓国の東亜大学の大学院長(大学のすべての研究科を統括する)朴相甲先生が中心となって、この書籍の韓国語の翻訳が完成したので、韓国版の序文を寄せてほしいとの依頼を受けました。
 その際、大学院の学生への講演とともに、夫婦で釜山旅行を楽しんでください、という誘いを受けました。これからはもう夫婦で海外旅行はできないかもしれないと、誘いを受けることにしました。7年前に同じ大学で「運動能力に関連する遺伝子のはたらき」と題しての講義をして以来です。2017年8月31日小雨降る中を、成田発の直行便で出かけました。発着とも約1時間遅れましたが、空港には2名の学生が待っていてくれました。空港から大学までの幅広い道路に沿って緑の並木が続き、その中に点々と、真っ赤な百日紅の花が見られ珍しく感じました。

 

     Medical Walking


2017・7・23「文京朝顔・ほおずき市」
 7月末に自宅近くの小石川界隈で開催される「文京朝顔・ほおずき市」へ、毎年行くことにしています。2017年7月23日の朝9時ごろ出かけました。すでにたくさんの人たちで伝通院境内はにぎわっていました。参道に並べられた朝顔の鉢は1個1800円で、地元の町会と学生のボランティアたちによって販売されていました。
 伝通院から善光寺坂を下りると、“こんにゃくえんま”として有名な源覚寺です。ここでは、ほおずきが販売されていました。ところで、源覚寺は、「目を患った老婆に閻魔様が自分の右目を与えて治し、老婆は好物のこんにゃくをお礼に供えたといわれています。以来眼病治療祈願に訪れる人が絶えず広く信仰を集めています。」と紹介されています。目の手術を受けようとしているので、無事治るようにと念入りにお参りしました。

 

     伝通院参道


2017・7・16「不忍池の蓮の花」
 運動不足を解消させ、認知症の発症を遅らせようと、同居している娘が時間のあるたびに興味を引きそうな場所へ母親を誘い、歩きにでかけます。2017年7月16日、不忍池まで蓮の花が咲きだしたので見に行こうといわれ、朝9時前に私も一緒に出かけました。小石川の台地から、坂を下り本郷の台地へと上ります。東大の教員をしていたときの通勤路です。ところどころで新しく建て替わった家を確めながら、およそ30分で正門前に着きました。時計台を正面に見てイチョウ並木を抜けて、病院の脇を下りると不忍池です。
 午前中とはいえ30度を超える暑い中、かなりの人が蓮の花にカメラを向けていました。池の端をぐるりと半周して広小路へ、バスで帰宅しました。歩数、約8000歩とやや長いウォーキングでした。

     

開ききった蓮の花         池一杯に蓮


2017・7・12「北海道の釣り三昧」
 20年近く北海道で、毎年釣りを楽しんできました。北海道各地で健康指導をしている五十公野さんの仕事に合わせて、行くことにしてきました。昨年は都合が合わず実行できませんでした。今年は2年ぶりでしたが、80歳を越えて最後になるかもしれないという思いもありました。教え子の信州で温泉ホテルを経営している、釣り好きの齋藤さんを誘いました。
 2017年7月12日9時ごろ女満別空港で落ち合い、まずサクラマス(釣ってはいけない魚)がたくさん上るので有名な斜里川へ入りました。サクラマスには出会いませんでしたが、まあまあの釣果でした。その後、裏摩周と呼ばれる展望台に立ち寄り、根室海峡へそそぐ西別川の上流へ行きました。水にゆられる梅花藻が流れる渓流を50mほど釣り下がり、直径5mにも満たない滝つぼへ出ます。大げさに言えば、日本一たくさん天然の魚が棲むところです。期待通り、25〜30pのヤマメ、ニジマス、イワナ、オショロコマが、次々と釣れました。およそ60分で30匹を超え引き上げました。標津にある、温泉のあるビジネスホテルで宿泊。北海道でしか食べられないものを用意しておいてと頼んであった、居酒屋で夕食を取りました。海の幸はもちろん、美味しく調理された熊や鹿の肉、山菜の料理でした。
 次の日は、渓流釣りと熊が出没するので有名な忠類川へ入りました。熊が怖いので、河口に近い川幅の広いところで、ヤマメが数匹釣れました。右手に北方四島を眺めながら、さらに北上して、名前の知らない川へ入りました。堰堤があり、鮭が遡上する魚道のある人工の深みでも入れ食いでした。川釣りを満喫した後は、羅臼漁港で海釣りです。カレイが釣れるということでしたが、その他のいろいろな小魚も釣れて楽しむことができました。
 3日目は、午後の便で帰京なので、本格的な釣りは止め、秘湯として有名な養老牛温泉近くのカラマツの湯へ行きました。温泉につかりながら、傍を流れる小川で釣れます。斎藤さんは初めての経験で大喜びでした。帰路、斜里川の上流にある“サクラの滝”へ寄りました。たくさんのサクラマスが次々と跳躍して滝を遡上する姿は壮観で感激しました。  全行程300q、北海道は広いという実感と、魚が依然として豊富にいるのに満足でした。ただ、一度足を滑らせ転んでしまいました。幸い怪我こそしませんでしたが、もう来れないかと一抹の寂しさを感じました。

  

      まさに渓流        齋藤さんが釣った40pのマス      露天風呂から釣る


2017・7・10「孫の野球試合」
 かつてほとんどすべての少年があこがれていたのは、甲子園で行われる夏の高校野球でした。ところが、最近ではサッカーその他のスポーツが人気を博するようになり、加えて少子化の影響もあって、野球に興じる少年の数は減少しつつあります。そこで、主催者の1つである朝日新聞は、超高校生と呼ばれる清宮幸太郎選手の活躍ぶりを報道したり、東京大会出場校とチームのメンバーの名前を掲載したりして、挽回を試みているようです。
 孫は高校へ進学して、人数が9名に満たない野球部へ入部しました。人数が足りない高校が合同して、チームを結成し参加することが認められていました。それほど抜きんでた技量があるわけでもありませんが、幸い1年生から3年間夏の東東京大会にレギュラーとして参加できました、1年、2年と1勝できました。今年は3校合同となり、主将として30度を超える中、江戸川球場で板橋高校と対戦しました。
 私にとって2度とないことなので、応援に行きました。守備の乱れから得点を重ねられ、7回コールド負けでした。本人の空振り三振でゲームセット、悔しい気持ちが残ったことだと思います。スポーツに負けはつきものですが、一生の思い出として残ることでしょう。

     

    3番打者、構えて〜          打った!           紹介記事


2017・6・30「祝賀パーティ」
 5月12日の日記に、瑞宝中授章が授与された経過を記載しました。2017年6月30日に東京大学教育学研究科の現役の教員たちが、日本水泳連盟、日本ウオーキング協会など6つの民間団体に呼びかけて受賞記念祝賀会を開き、リーガロイヤルホテル東京の3階の宴会場に、嬉しいことに200名を超える大勢の人たちが集まってくれました。
 私の在職中は大学院生であった小玉重夫東京大学教育学研究科長が開会の挨拶をされ、来賓挨拶として、メダリスト竹宇治(田中)總子さんが、競泳選手の強化トレーニングを手伝ったときのわたしの印象を紹介されました。続いて、財団法人健康・体力事業財団理事長の下光輝一東京医大名誉教授が、30年ぐらい前にアメリカスポーツ医学会での私との出会いを話されました。そして、整形外科学特にリハビリテーション専門の矢野英雄冨士温泉病院名誉院長が、短い挨拶の後乾杯の音頭を取り、会食、歓談に移りました。
 歓談中は大型スクリーンに、スキー、釣り、水泳の動画と、出版に関わった数10冊の本の表紙を順次映写して、参加者に見てもらいました。ショートスピーチは、初めての教え子であった元シンクロナイズドスイミング委員長金子正子さん、夫婦が東大水泳部出身という仲人をした風木淳官房参事官、日本女子体育大学の定本朋子教授から、それぞれ戴き、最後に現在かかわっている大規模な低酸素トレーニングセンター(HAT)の概要が、プラネット社平松忠敏代表から紹介されました。
 会の終りに際し、私から“叙勲は死の崖淵に立つ者を後ろから追いやるものである気がします”と話しはじめ、高齢者人口の増加がもたらす問題などを続け、締めとして“お世話になったことを感謝します”とお礼を述べました。言い忘れたことは、憲法14条に記載されている「勲章その他の栄典の授与はいかなる特権も伴はない。栄典の授与は受ける者の一代に限りその効力を有する」という文言を紹介することでした。「だから、私の死後は、壇上に飾ってある章記と勲章は、燃えると燃えないものに分別して棄てられるでしょう」と付け加えたかったことです。武藤芳照元東京大学副学長が閉会の辞を述べ終了しました。感謝!

     

       開会の挨拶           勲記と勲章     お礼の熱弁をふるいました


2017・6・25「ノルディック・ウォーク鶴岡」
 19回目となる「国際ノルディック・ウォークin鶴岡」が、2017年6月25日に開催されました。2本のポールを持ってのウォーキング大会発祥の地とあって、県外から40名超えるウォーカーが参加するほどの盛況でした。砂浜と防砂林の中を歩く3q、7q、13qの3つのルートを、10時から順次スタートし、11〜12時にフィニッシュしました。購入した手づくりの“だだちゃ豆入りおにぎり”、あるいは、持参した弁当と、無料で振る舞われた豚汁で、楽しい昼食・交流会でした。
 この大会は、公益社団法人地域社会振興財団の交付を受けて、「長寿社会づくりソフト事業」の一環として行われました。当日には、同じ事業の1つである「早朝水中健康ウォーキング」という1周70mの流水プール内のウォーキングを中心とした運動教室も実施されました。6時30分からストレッチング・エクササイズをした後、約45分間流れに乗って歩くのから、流れに逆らって歩くというかなりきつい運動まで含まれ、7時30分に終了します。月2回の頻度で12回行われるこの教室には、予想を超える比較的若い中年の人たち50名が申し込んでいます。
 前日には、地元の指導者を増やす目的で、水中ポールウォーキングの講習会が開かれました。下肢に障害がある人、足腰の弱った老人むけのこの教室は、水中で浮くポールを使って歩くのに加えていろいろな運動ができます。今後さらに高齢者が増える中で、普及していくと期待しています。
 なお、光栄なことですが、このような種々のウォーキング・イベントが開催されたのを期に、市長を中心に歴代のスポーツ課長や運動指導者が30ほど集まって、瑞宝中授章を受けた私に対して「お祝いの会」を開いてくれました。

     

          砂浜を歩く      円形プールでのウォーキング 水中ポールウォークの指導


2017・6・8「IVVオリンピアード第15回大会(その2)」
 3日目は、中層のビルが立ち並ぶ旧市街地を通り抜け、モーゼル川を渡って下流にむかって歩き、別の橋を渡って市街地に戻り、ライン川にかかる空中ケーブルに乗って高く聳え立つ古城まで行きました。城址は芝生が広がる公園となっています。そこから、城壁にそって急坂を一列になって下りました。川岸から渡し船に乗って元に戻りました。ちょうど昼時でしたので、ソーセージをつまみにビールを飲み一休みしてから、フィニッシュしました。
 4日目は、6qのウォーキングルートを歩くことにし、途中でちょっと寄り道をして泳ぐことにしました。プールは屋外の50mで、20度ぐらいの冷たい水の中をで泳ぎました。規定の最も短い3往復300m泳ぎ、震えあがって止めました
 5日目は、晴天となったので再び水泳に挑戦。前半は古い街の中を歩き、渡し船でライン川を渡って5q程歩きプールへ着きました。土曜日で晴天とあって一般市民が、日光浴をかねてたくさんいました。欧州の人たちは、大人も子どもも、平気で泳いでいるのには驚きました。今日こそはと5往復500mを泳ぎ、まあまあ満足でした。  17時から閉会式。今年から2年に1回開催されるIVVオリンピアードに5回、10回、15回参加者を表彰することになって、6名が30年間休むことなく15回参加が認められて表彰されました。みなさん70歳以下のようですから、実に40歳ころから続けていたということでしょうか。驚異というしかありません。私は5回と10回参加の認定書をもらいました。60歳からはじめて、80歳までよくも歩いたものだと感慨無量でした。

   

      空中ケーブルで古城へ        水中プール          認定証10km


2017・6・6「IVVオリンピアード第15回大会(その1)」
 IVVオリンピアードの第15回大会が、ドイツのコブレン市で、2017年6月6日から10日までの5日間開催されました。国際市民スポーツ連盟(IVV)発祥の地ということもあって、ヨーロッパはもちろんアメリカ大陸、日本、韓国、中国などのアジアの国々からたくさんのウォーカーが参加しました。
 初日は14時から17時まで、各国の代表者が集まり再会を祝してワインとビールで乾杯。その後、それぞれの国旗の下に各国からの参加者がパレードし、ライン川とモーゼル川が合流するドイツのEck(三角形)と呼ばれる公園に集合しました。日本からは50名ほどの人たちが元気に参加しました。
 2日目は、5,10,20,30qとマラソン42qが、朝6時からスタートし、最終フィニッシュは18時と、参加距離にあわせて、それぞれに歩き出しました。5qは1箇所、10qは2個所、20qは3個所でそれぞれ通過の押印をしてもらい、フィニッシュすると完歩の印を押してもらいます。スタート時に押印してもらう日本とは、ちょっと違ったやり方でした。私は時々強い雨と風の吹く中、ライン川を渡って対岸の丘陵地帯の森の中を歩き、再び橋を渡ってライン川沿いの菩提樹の並木道をフィニッシュまで歩きました。

  

              フラッグパレード           菩提樹の並木道 


2017・5・12「叙勲 勲章伝達式」
 平成29年春の文部科学省関係の「叙勲 勲章伝達式」が、5月12日真夏を感じさせる晴天の日に挙行され、配偶者とともに出席しました。会場となる国立劇場の1階に受賞者が指定された席に着き、配偶者は2,3階から見守るという形式です。国家斉唱の後、旭日及び瑞宝中授章、小授章、双光章、単光章の代表者8名に、大臣から勲章と章記が手渡されました。祝賀曲奏楽の後、大臣から挨拶、受賞者代表の返礼があり、30分間の式が終了しました。その後、各受賞者へ箱に入った勲章と筒に入れられた章記とが手渡されました。
 昼食は、自分たちで持ち込んだおむすび、サンドイッチを、フロアの椅子や観客席で摂り、皇居へと一斉に出発しました。受賞者約700名とその配偶者たちですから、30台の大型バスに分乗しての移動でした。皇居では「宮殿 春秋の間」で天皇陛下の拝謁です。代表者のお礼の詞に対して陛下から短いねぎらいの言葉が述べられ、その後受賞者と配偶者の間をゆっくりと会釈しながら歩き退室されました。そして、グループごとに記念撮影が行われ、バスで東京駅まで運んでくれて解散でした。
 伝達式、拝謁そのものは短い時間でしたが、大勢の出席者がいたため、待ち時間が長く、11時から17時ごろまでの6時間、とてもくたびれたというのが、言葉通り“有難い”という実感でした。

  

   大臣からの勲章授与式

思いの外重い、有り難き「勲章」


         

2017・5・8「毎日が日曜日?」
 80歳を過ぎて、そろそろ定期的な仕事から離れようかと考え始めました。すでに、私の友人たちのほとんどは、仕事を止めていますので、どんな毎日を送っているのか興味あるところです。今年の春の連休に約2週間、試しに東京を離れ信州で生活することにしました。4月26日から5月2日までの前半は私独りで、3日から8日までの後半は連れ合いと一緒での自炊生活です。前半は、渓流釣りに励みましたが、魚は釣れず山菜採りに終わってしまいました。後半は、周辺のいたるところに咲き乱れる花々を、そして日に日に緑が濃くなっていく山脈を眺めて過ごしました。渓流釣り、里山歩き、山菜取り、広場でセルロイド製のボールを打つゴルフの練習、室内温泉プールでの水泳など、運動が主の生活でした。
 とにかく、今の生活は、運動することがすべて。毎日が日曜日、年齢を重ね動けなくなったらどうなるのか、考えようもないあきらめの心境です。

  
      しだれ花桃の木          シャクナゲ              


2017・4・22「戴灯式」
 「戴灯式」が、2017年4月22日首都医校講堂で行われました。200名近い看護学部2年生とその保護者たちに加えて、学生が実習で世話になる20近い病院の看護師の主任さんが来賓として列席しました。校長挨拶の後、学生たちはナイチンゲールの像からローソクの灯を戴き、誓いの詞を斉唱しました。
 ナイチンゲールがクリミア戦争に従軍した際、暗い病棟の中をローソクの灯で傷病兵の看護を行ったことに由来し、看護師を目指す学生たちがナイチンゲールの志をローソクの灯に託し看護の道に進むという決意を新にする儀式です。毎年、厳かに行われ、出席者の胸を打つ儀式です。患者に慕われる看護師になってもらいたいとこころから願うしだいです。


   戴灯式での挨拶

       戴灯式    


2017・4・15「マスターズ水泳・習志野会場」
 マスターズ水泳大会は、5歳きざみで記録が争われます。昨年は80〜84歳区分で私はもっとも若くなり、上位を狙ってトレーニングしました。しかし張り切りすぎて肩を傷め、思うようなレースができませんでした。今年は1歳、年を取り不利になりましたが、長野会場に続いて日本マスターズ短水路大会習志野会場に、2017年4月15,16日参加しました。結果は50m自由形1位、100m自由形2位でした。
 昨年に比べると、出場した自由形4種目すべてで記録はよくなっていました。不思議なことです。
25m 17:59→17:21、50m 40:23→38:64、100m 1:31:73→1:30:12、200m 3:24:32→3:22:42
 これからも泳ぎ続ければ、来年もよくなるかと思いましたが、しばらくは気楽に泳ぐことにします。

  

    習志野会場                  今年のメダル    


2017・4・9「マスターズ水泳短水路大会」
 往復の乗車券を購入、ホテルの予約も済んでいたので、脳に障害が見つかれば出場できないと心配していましたが、何事もなかったので「2017年日本マスターズ水泳短水路大会」に出場するため、8日の夕方長野に着き、友人たちと夕食を楽しむことができました。
翌9日10時から200m自由形です、長野に住むノルディック・ウォーク関係の人たちが応援に来てくれました。昨年は肩を痛めていたので3分24秒32でしたが、今年は1歳齢を取ったのですが、3分22秒42と2秒ほどよくなって1位でした。午後1時半からの25m自由形は昨年17秒59であったのが、17秒21とややよくなって僅差で1位でした。
看板をもって応援に来てくれた人たちが、私が優勝できたのに満足してくれて、本当によかったと感謝しました。

  

    応援に駆けつけてくれた人達               電光掲示板に1の数字        


2017・4・5「救急車で運ばれる」
 ほぼ50年、毎年受診してきた八重洲総合検診センターで、2017年4月5日朝から定期検査を受けました。東京駅へ向かう茗荷谷の駅構内で、歩くとなぜか左へ傾いていくので柱につかまりちょっと休みました。東京駅でも同じようになりました。ちょっとおかしいと思いましたが、採血などルーティン通りに検査を受け、最後に上部消化器を内視鏡で診てもらいました。胃には年相応の“びらん”が見られるが、“がん”はないと診断され安心しました。総合判定を医師から受けるまでの1時間、受付前の長椅子で待つことにしましたが、ちょっと疲れたので横になってもよいか尋ねたところ、ベッドが空いているのでそこで横になるようにと勧められ横になっていました。
 しばらくして、医師と看護士が脳梗塞の前触れではないかと心配して、順天堂大学病院の救急外来に連絡を取り、了解を得たので救急車を呼んでくれました。大げさと思いましたが、検診センターとしては当然の対応だろうと思い、従うことにしました。サイレンを鳴らしながら15分ほどで病院へ着き、すぐさま脳のMRI、CTの撮影を受け20分ほどで終了しました。とりあえず、緊急な手当は必要ないと診断されました。
 センターから連絡があって、連れ合いと近くに勤める息子、娘が並んで、心配そうにベッドを取り囲んでいました。まるで、臨終の前のようだと笑ってしまいました。1時間ほどで採血結果が出たので、私と家族を相手にコンピュータに映し出されたMRI、CTの映像を説明し、脳には異常がないから安心するようにとの診断が告げられ、無事解放されました。20000円ちょっとの経費を支払って、地下鉄で帰宅しました。思いかけず現実になるかもしれない擬似体験をしてしまいました。




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 IVV公認2デーマーチ・3デーマーチ100大会以上参加表彰規程追記
<表彰認定費 1,000円(記念品:本付き)になります>

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 「子どもマスターウォーカー」5万キロ達成を目指す

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