宮下充正名誉会長のウォーキング日記
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宮下充正名誉会長のウォーキング日記


2017年度(2017年4月〜)

4.15 4.9 4.5


2016年度(2016年4月〜)

3.18 2.16 2.11 1.25 1.23 1.2 1.1 12.09
12.01 11.30 11.27 11.19 11.16 11.11 10.29 10.20
10.14 10.10 9.19 9.17 9.16 9.10 9.6 9.3
8.20 7.14 7.12 7.10 7.6 6.26 6.24 6.4
6.3 5.30 5.22 5.21 4.24 4.16 4.10 4.6


2015年度(2015年4月〜)

3.27              
3.22 3.19 3.10 2.15 2.14 2.5 2.3 1.10
1.4 1.1 12.12 11.29 11.22 11.14 11.7 10.15
9.25 9.18 9.13 9.12 9.11 8.29 8.01 7.17
6.26 6.22 6.16 6.6 5.30 5.15 5.2 4.18


2014年度(2014年4月〜)

3.14 3.1 2.15 2.8 11.16 11.8    
11.1 10.24 10.16 9.27 9.19 8.23 8.2 7.20
6.15 6.6 6.1 5.15 5.17 5.3 4.19 4.7


2013年度(2013年4月〜)

3.24 3.21 3.14          
3.9 3.2 2.15 1.24 1.1 12.22 11.23 11.17
11.9 10.27 10.5 9.27 9.22 9.16 9.14 8.17
8.10 7.12 7.6 6.25 6.22 6.15 6.9 6.7
6.1 5.25 5.17 5.11 5.3 4.27 4.21 4.13

2011,12年度分はこちらをクリックしてください


『2017・4・15「マスターズ水泳・習志野会場」』
 マスターズ水泳大会は、5歳きざみで記録が争われます。昨年は80〜84歳区分で私はもっとも若くなり、上位を狙ってトレーニングしました。しかし張り切りすぎて肩を傷め、思うようなレースができませんでした。今年は1歳、年を取り不利になりましたが、長野会場に続いて日本マスターズ短水路大会習志野会場に、2017年4月15,16日参加しました。結果は50m自由形1位、100m自由形2位でした。
 昨年に比べると、出場した自由形4種目すべてで記録はよくなっていました。不思議なことです。
25m 17:59→17:21、50m 40:23→38:64、100m 1:31:73→1:30:12、200m 3:24:32→3:22:42
 これからも泳ぎ続ければ、来年もよくなるかと思いましたが、しばらくは気楽に泳ぐことにします。

  

 習志野会場                     今年のメダル    

   



『2017・4・9「マスターズ水泳短水路大会」』
 往復の乗車券を購入、ホテルの予約も済んでいたので、脳に障害が見つかれば出場できないと心配していましたが、何事もなかったので「2017年日本マスターズ水泳短水路大会」に出場するため、8日の夕方長野に着き、友人たちと夕食を楽しむことができました。
翌9日10時から200m自由形です、長野に住むノルディック・ウォーク関係の人たちが応援に来てくれました。昨年は肩を痛めていたので3分24秒32でしたが、今年は1歳齢を取ったのですが、3分22秒42と2秒ほどよくなって1位でした。午後1時半からの25m自由形は昨年17秒59であったのが、17秒21とややよくなって僅差で1位でした。
看板をもって応援に来てくれた人たちが、私が優勝できたのに満足してくれて、本当によかったと感謝しました。

  

応援に駆けつけてくれた人達                  電光掲示板に1の数字        

   



『2017・4・5「救急車で運ばれる」』
 ほぼ50年、毎年受診してきた八重洲総合検診センターで、2017年4月5日朝から定期検査を受けました。東京駅へ向かう茗荷谷の駅構内で、歩くとなぜか左へ傾いていくので柱につかまりちょっと休みました。東京駅でも同じようになりました。ちょっとおかしいと思いましたが、採血などルーティン通りに検査を受け、最後に上部消化器を内視鏡で診てもらいました。胃には年相応の“びらん”が見られるが、“がん”はないと診断され安心しました。総合判定を医師から受けるまでの1時間、受付前の長椅子で待つことにしましたが、ちょっと疲れたので横になってもよいか尋ねたところ、ベッドが空いているのでそこで横になるようにと勧められ横になっていました。
 しばらくして、医師と看護士が脳梗塞の前触れではないかと心配して、順天堂大学病院の救急外来に連絡を取り、了解を得たので救急車を呼んでくれました。大げさと思いましたが、検診センターとしては当然の対応だろうと思い、従うことにしました。サイレンを鳴らしながら15分ほどで病院へ着き、すぐさま脳のMRI、CTの撮影を受け20分ほどで終了しました。とりあえず、緊急な手当は必要ないと診断されました。
 センターから連絡があって、連れ合いと近くに勤める息子、娘が並んで、心配そうにベッドを取り囲んでいました。まるで、臨終の前のようだと笑ってしまいました。1時間ほどで採血結果が出たので、私と家族を相手にコンピュータに映し出されたMRI、CTの映像を説明し、脳には異常がないから安心するようにとの診断が告げられ、無事解放されました。20000円ちょっとの経費を支払って、地下鉄で帰宅しました。思いかけず現実になるかもしれない擬似体験をしてしまいました。




『2017・3・18「雪上かんじきウォーク」』
 山形県鶴岡市の市民にウォーキングを勧めて25年が経ちました。「てくてく健康里山あるきのイベント」が年間25回開催されるようになって、市民の間にすっかり根づきました。25回のうち雪で歩けない冬季に、かんじきを履いての雪上ウォークが2回行われます。今年の2回目は、2017年3月18日、快晴の下湯殿山スキー場で開かれました。丸森山近くの日本海が眺められるビューポイントまでの標高差800mのうち、最初の700mまではスキーリフトで登ります。そこでかんじきを履き、100mほど登ります。雪のない時期はやぶで歩けないところを、ほとんど直登するという、脚の力と腕の力でストックを押して登るという全身運動で、しだいに汗がでてきました。しかし、かもしかや兎などの足跡が、雪原を横切っているのをときどき見かけ、自然の中を歩くことを一層楽しませてくれます。  帰路はスキーコースに沿って、標高差500m近くを下ります。距離約5q、2時間30分の雪の上のウォーキングでした。歩き終わって山菜とキノコの具の味噌汁とおにぎりの昼食、皆さん満足していました。  あくる日、20数年ぶりに蔵王へ出かけ、スキーに挑戦しました。2年ぶり80歳を超えてのスキー、くれぐれも無茶をしないようにと言われて家を出てきましたが、前日のかんじきウォークの疲れが残っていて、3度ほど転んでしまいましたが怪我することもなく帰京できました。

   

   かんじきを履く          ブナ林の中を歩く            雪上ウォーク急坂直登

   



『2017・2・16「八重山4島めぐり」』
 確かな治療法がまだわからない認知症の原因の1つが加齢であることは、疫学的調査で明らかです。高齢になればだれでも発症するとは限りませんが、ボケの状態になる確率は高くなるというのです。心臓に障害があって自分から外出をしない、結婚して50年以上になる連れ合いに刺激を与えようと、78歳の誕生日を迎えた2017年2月11日暖かい沖縄へ連れて行くことにしました。認知症の発症をできるだけ先へ延ばしたいと思ったからです。2泊3日旅費、宿泊費、食費その他すべて含んで、1人5万円というツアーに申し込みました。この金額なら可能な旅行です。介護係の娘と3人で行きました。
 石垣島へ着いた夕方、鍾乳洞内を歩く。2日目は、星砂の浜と古民家で有名な竹富島へ。その後、西表島へ渡りマングローブクルーズで仲間川を上り、樹齢400年という巨木のカキシマスオウノ木を見上げる。昼食後牛車に乗って由布島へ。咲き乱れるブーゲンビレアの鮮やかな花に感激。夕食後、港での海上に打ち上げられる花火のきれいさに驚く。3日目は、伝統の織物、黒真珠、石垣焼きの店々を回り、古民家を移築した“石垣やいま村”で昼食、グラスボートで海底のサンゴと魚が泳ぐのを見て、那覇経由便で帰京という行程でした。短い間にいろいろなものを見聞きしました。それらが、果たした本人に良い刺激となったのかわかりません。あるいは、多すぎて記憶があいまいになってしまったかもしれません。

    

     グラスボートに乗る前       魚をくわえたシーサー               星砂を探す                 水牛車

   



『2017・2・11「過労自殺」』
 アメリカスポーツ医学会総会は、2015年に疲労に関するシンポジウムを開催し、その内容が2016年の機関誌にまとめられました。それを読むと、疲労研究は、労働がもたらすからだの変調を明らかにするところから始まったといいます。その後“疲れ”を生むと思われる生理学的・生化学的仕組みが明らかにされ、“疲れ”の結果としての発揮される力、作業成績の低下は、数量化され明確にすることができました。ところが、“疲れ”が反映される“こころ”の状態を数量化することはできていません。
 わが国では、長時間労働を強いられたバスドライバーが事故を起こした、あるいは、会社員が自殺したという報道が昨年話題となりました。労働基準法違反で経営者が書類送検されたのです。ところで「労働基準法」では、労働時間の上限を1週40時間、1日8時間と決められています。なぜこのような法律があるのに守られないのか、疑問に思っていました。それがわかったのは、行政学の新藤宗幸氏の指摘で、「わが国では例外規定が設けられていて、それらを含めると労働時間は青天井となり、KAROSHIが国際的に通用するようになっているからだ」というのです。ところが、2017/2/11の朝日新聞に、労働時間を巡る規制緩和を盛り込んだ労働基準法の改正案が出されているという記事が掲載されました。その反対集会に、過労自殺した母親がメッセージを送ったと書かれていました。
 巷では、ワークライフバランス(仕事と生活の両立)が強調されています。また、政府は「働き方改革」を推し進めるというのです。なぜ、今の時代に規制緩和案が提出されるのでしょうか。新藤氏は、「働き方改革の基本は労働時間規制の強化」と述べています。私も、労働行政の怠慢といいたいのです。

           

              新宿の高層ビル街へ向かう会社員:往復3時間近くても、労働時間には入らない       朝日新聞の見出し

   



『2017・1・25「未来創造展」』
 「未来創造展」という聞きなれないタイトルです。私が所属する学校法人日本教育財団が運営する“首都医校”と姉妹校、“東京モード学園”と“HAL東京”の学生たちの発表会です。在籍する学生、その友人、父兄、そして関連する企業の人たち数千人が集まります。広い国立代々木体育館を借り切って、ファッションショウのできるステージを中心にいくつものブースがあって、それぞれのグループが創り上げた作品が展示されています。さすが、専門の学生が創り上げた作品、見応えがあります。
 2つの姉妹校は、新しいものを創る技術を身に着けることが目的です。一方の“首都医校”は看護師など医療関連の資格を取得するのが目的ですから、新作を発表するではなく、学んでいる最先端の治療の技術を披露します。
 今年は、首都医校が目指す「チーム医療」について、スポーツの現場で発生した事故に、迅速に対処し、治療し、リハビリテーションの後、現役に復帰するまでの経時的変化のデモンストレーションが中心でした。学生たちが専攻する医療技術を身に着けるとともに、隣接する分野の専門家と連携する重要性を認識する良い企画でした。

 

                            チラシ            真剣勝負の医療チーム

   



『2017・1・23「学校側の問題が未来を変える?」』
 1週間ほど前の朝日新聞2017/1・17(朝刊)の社説が気になっていました。「中学の部活動−先生も生徒も休もう」と題した内容です。「学校の先生の労働時間の長さが、大きな社会問題になっている。原因のひとつと指摘されているのが、部活動を指導する負担の重さだ」という主張。生徒が定期的に運動することは、健全な成長・発達に欠かせないものです。生徒は学校での部活動以外に、野球、水泳などのスポーツクラブでの練習に参加します。そして、3日運動して1日休み、2日運動して1日休むというのが、もっとも望ましい1週間のプログラムとされています。運動しない生徒の方が多い中、まず運動しない生徒へ運動実践を促すべきです。
 他方、部活動を一斉に週2日休んで、その分先生の負担を減らそうというのです。すべての先生が部活動の指導に当たっている、とは思われません。部活動の日数を2日減らして、先生の労働時間が望ましいほど低減できるのでしょうか? 健全な心身を保持する上で、先生が必要な休養時間を確保することは不可欠です。それを生徒の運動時間の短縮だけで補うで、十分なのでしょうか? 政府が進める「働き方改革」においては先生の仕事の内容を精査して、省くものは省く、それでも不足なら人員を増やすのがまっとうな方策です。
 この社説は、“二兎を追う者は一兎を得ず”、“あぶ蜂取らず”ということわざの戒めを理解していないといいたいのです。

 

                            

   



『2017・1・2「浅草寺初詣」』
 以前は、元旦に近くの「湯島天神」と「神田明神」へお参りしていました。ところが参拝する人がしだいに増え、行列をなすようになってしまいました。合格祈願の子どもたちと、商売繁盛を祈る大人たちです。最近は、この2つへのお参りはあきらめ、2日に「浅草寺」へ初詣を続けています。「浅草寺」も、最近は外国人を含め大勢の人たちが訪れるようになってしまい、午前11時には通行整理が始まり、雷門から本殿までの参道1本だけに制限されるようになっています。私の家族は、10時半に着いて参道の裏道を通ってできるだけ早く参拝を済ませるようにしています。
 もう夢が無くなったのでしょうか、私は特別なお願いはしません。前年に購入した「厄除御守護」のお札を返納し、縁があるようにと50円玉を投げて両手を合わせて御本尊へ頭を下げ、新しいお札を購入するだけです。それでも毎年お参りするのは、「浅草寺」へ行くという行為が、家族の厄除けにいささかなりとも役立っていると思って、安心するからでしょう。
 お参りをすますと、“花やしき”の横を通って、昔両側に映画館が立ち並んでいた通りを抜けて帰ります。10代のころよく遊びに来た、往時の繁栄ぶりを想い出し懐かしむからです。

  

                      御守護      お本殿前の行列        参道の人の群れ

   



『2017・1・1「80歳のランニング」』
 1月元旦早朝、皇居一周ランニングを始めて、ほぼ30年が過ぎました。6時15分に家を出て地下鉄「大手町駅」下車、歩いて5分程でお堀にでます。左回り約5qで一周です。今年も快晴。息子夫婦と7歳の孫、マラソン好きの娘と4人で走りました。走る能力があまりに違うので、マイペースで走ることにしました。走り通せるか不安でしたが、三宅坂までの緩やかな登り。2本の足が同時に宙にある時間はほんのわずかですが、とにかく走っているつもりです。たくさんのランナーにはもちろん、早足で歩く人にまで追い抜かれる始末です。ときどき“なんでこんなことをしているのだろうか”と思いながら、英国大使館前まで登りつめると、大勢の人たちが並んで初日の出を眺めています。桜田門まで来ると大手町のビル群が太陽の光を受けてお堀に照らされます。
 80歳になっても走れたと満足。約8000歩、1歩60pとして4.8q、50分そこそこでした。汗をかいて歩きながら、翌日2日からの“箱根駅伝”の中継スタッフが取材の準備をしている中を、「大手町駅」へ戻りました。何のために走るのか答えることはできませんが、毎年1回欠かさず走るしつこさに自分ながらあきれるばかりです。とにかく来年もまた走りたいと思っています。

  

                 三宅坂で朝日を浴びる      お堀に映るビル        走り終わって

   



『2016・12・9「新豊洲ランニング・ステーション」』
 豊洲市場への移転が決まらず、モノレール“ゆりかもめ”の新豊洲と市場駅周辺の空き地の整備が遅れています。その一角に陸上競技での世界のトップクラスのランナーであった為末大氏が建築計画を立てた、民間の60mのランニングトラックを中心にした室内運動施設の“オープニング・セレモニー”が、2016年12月9日に開かれました。テントづくり日本一の太陽工業が東京ガスから借地し、事業主となって完成したものです。太陽工業の執行役員能村裕己氏から招待を受けて出かけました。
 設立の趣旨として「誰もが分け隔てなく自分を表現することを楽しんでいる風景を作る」が掲げられていて、特に障がい者あるいはパラリンピアン向けの走能力の向上に役立つよう、車いす、義肢、義足などの改良や修繕を行う研究室が併設されています。また、子ども向け「かけっこスクール」を定期的に開催される予定です。
外からは金属製に見える長いかまぼこ型の建物ですが、内部に入ると天井と側面は二重の断熱素材を使用したテント張りで明るく、利用する人に気持ちよい環境です。現在のところ利用者は自家用車か、モノレールの駅を利用することになります。ちょっと不便なことが気になります。
 周辺が整備されれば周りもきれいになり、人がたくさん集まることが期待されます。特に、豊洲市場を取り巻いて一周5qの歩・走専用の幅7mくらいのロードが、ほぼでき上っています。市場の完成とともに開通予定とのことです。市場とは目的が違うものですから、切り離すべきです。そして、中断している工事を再開して、早期に実現させてもらいたいと思います。そうなれば、“ランニング・ステーション”の活用も高まるでしょう。

 

  ランニング・ステーション外観    ランニング・ステーション内部

   



『2016・12・1「冬の水中ポールウオーキング」』
 “自然に浮かぶポールを使って水中ウォーキング.より効果的に運動不足を解消できます”という鶴岡市のスポーツ課のチラシに、応募した比較的高齢の人たちを相手に指導しました。温泉を利用した広々とした“スパール”という運動施設は、寒くなって吹雪に襲われ運動不足になりがちな鶴岡市民にとっては快適です。
 プールの広さと用具の数に制限がありましたので、1回につき20名という制限がありました。2016年12月1日には16名、2日には12名の参加者がありました。両日ともあられまじりの小雨でしたが、温かいプールでは水中ウォーキングができます。水中でのストレッチングと、いくつかの歩き方を指導しました。特に、ポールを持って歩きながら、肩回りの筋肉、腰回りの筋肉の強化を図る歩き方、そして、心肺機能を活性化させる歩き方を強調しました。60分間歩き続けるにつれて、みなさんポールの扱いにもなれて、頬がややほてるようになり、満足そうでした。
鶴岡市ような寒冷地の冬では、降雪雨で道が滑るなどで屋外でのウォーキングはほとんど不可能です。その点、暖房のある室内スポーツ施設ではいろいろ運動ができます。中でも水中ウォーキングは適度な抵抗があって、運動効果は上がることが期待されます。特に、ポールを持つことで、スイミングと同じように全身運動となって効果はさらに高くなります。水泳のできない高齢者にも、独りでできる良い運動といえると思います。自分の体調と折り合いをつけながら、身近にあるスポーツを取り入れることをお勧めします。


 

 水中ポールウオーキングのようす  

   



『2016・11・30「初めての黒鯛」』
 平成4年から、山形県鶴岡市の市民のスポーツ振興事業を毎年手伝ってきました。鶴岡市は西は日本海、東は月山の挟まれた庄内平野にあります。趣味の釣りには絶好の場所です。春から夏にかけては渓流での岩魚釣り、秋から冬は日本海の磯釣りに、訪問するたびに寸暇を惜しんで挑戦してきました。得意とする渓流釣りは、いくつもの山々から流れ出る沢に入り釣果が無いということはありません。ところが、磯釣りは釣りの技術に加えて、季節、天候などが釣果を左右します。何度も挑戦しましたが、小魚ばかりでした。
2016年11月30日の午後、日本海の低気圧の影響で波が荒く、港の中での釣りとなりました。こませを蒔いて、竿を出しましたが当たりがありませんでした。3時間、冷たい潮風の中でしだいにからだが冷え切ってきました。置いておいた竿が急にたわみ、20pをやや超える黒鯛が上がってきました。釣ったというより、釣れてきたという感じです。初めての黒鯛、料理屋で塩焼きにして、おいしくいただきました。渓流釣りは岩から転落する、磯釣りは波にさらわれるという危険があります。これからあと何歳まで続けられるのか、気になり始めました。


 

                          黒鯛              焼いた黒鯛

   



『2016・11・27「東京ノルディック・ウォーク」
 第3回「東京ノルディック・ウォークフェスタ」が、お台場“シンボルプロムナード公園」を拠点に、2016年11月27日に行われました。午後から雨という予報でしたが、午後まで曇り空で、風もない晩秋のウォーキングでした。10q、5qのルートに加え、幼児、歩行困難者むけに1〜4qのルートが設定されていました。これまで以上に500人を超える人たちがストックを持って集まりました。スタートして直ぐに隅田川の河口に出ます。あいにく富士山は見られませんでしたが、対岸には大型クレーンが立ち並ぶ埠頭から、高層ビル街が眺められる広々とした風景が楽しめます。しばらく歩くとレインボーブリッジが目の前に迫り、人工の砂場のビーチバレー場では、大会が開かれていました。
 埋立地のため計画的に整備されている信号のほとんどない、安心して歩ける道です。老若男女の多くの参加者たちが満足そうでした。また、ボランティアに付き添ってもらい、知的障がい児や歩行困難者たちが、みんな楽しそうに歩いていたのが印象的でした。
フィニッシュして完歩賞をもらい、他の大会ではみられない大型レストラン街が近くにあり、多くのウォーカーたちが疲れをいやし、いろいろな昼食を楽しんでいました。

  

 隅田川岸へ出る       対岸の大型クレーン          一緒に歩いた妻と娘    

   



『2016・11・19「同期会」』
 学校で同じ年に一緒に学んだ人たちが集まるのを同期会といいます。今月2つの同期会が、続いて行われました。
 初めて教員を務めた東京家政学院大学の1期生が、卒業して50年が過ぎたので同期会をするので出席してほしいと連絡を受けました。2016年11月19日文京区にある東洋文庫オリエントカフェで、昼の12時から行われました。100名近い同期生のうち19名が参加、教師は私1人で、宮下先生を囲む会になったと笑って迎えてくれました。72歳の老女たちが、昔のこと、連れ合いのこと、孫のこと、健康のことなど際限なく話し合って、あっという間に4時間が過ぎてしまいました。名前はほとんど忘れましたが、しばらく話していると、18歳のころの顔が重なって思い出されたのには驚きでした。
 あくる日、東大の駒場キャンパスのファカルティハウスで昼の12時から、「31SII7組クラス会」が行われました。東大の教養学部へ昭和31年理科II類7組に入学して、60年前に一緒に学んだ80歳を超えた老人たちです。“ともかく生きていて何とか動けるうちに集まってお互い無事を確め会おう”と10年ほど前から毎年行われてきましたが、今年は予想以上の15名の参加がありました。理科II類からは、医学部、薬学部、農学部、理学部へ進学する人がほとんどで、私のように教育学部や工学部へは数人だけが進学しました。それぞれ違った分野で仕事をしてきたので、近況報告はとても幅広く興味を引く内容で、それぞれに質問が相次ぐほどでした。年齢を重ねてもなお知的関心の旺盛なことは変わらないようでした。

 

    東京家政学院大学1期生に囲まれて    昭和31年理科II類7組同期会       

   



『2016・11・16「駆けつけサービス」』
 「日本郵政グループは、来年2月にも、タブレット端末を使った高齢者向けの見まもりサービスを全国で始める。離れて住む子どもらとタブレットで連絡を取り合う方法を教え、子どもから“連絡が取れない”という報告があれば郵便局員らが駆けつける。」という報道が、2016・11・18の新聞に掲載されました。その3日前、高校時代からの親友の消息が絶えたとの報告を受けました。翌日、他の友人と住んでいた江東区のマンションへ出かけ、管理人に話を聞きました。驚いたことに、9月に郵便物が溜まったので、管理人から親族(姪と甥)に連絡し、警察官同行の下に部屋に入ったところすでに死亡していたとのことでした。いわゆる“独居老人の孤独死”です。
 携帯電話は持たず、おそらくタブレット端末など知らない老人でした。未婚で子どもがなく、遠い親族しかいない老人にどう対処するのでしょうか。日本郵政グループの“連絡が取れない”という報告があったら駆けつけるのでは、ほとんどの場合死の確認をするだけでしょう。このサービスはさらに考えるべきことがあるように思います。
 江東区では、登録した独居老人に対しては、サービスステーションから、職員が定期的に訪問し安否を確認しているそうです。登録がない人へも訪問サービスを実施すべきでしょうし、全国規模の警察組織も住民の安否に対して協力すべきだと思います。しかし、そのためには、人と費用がかかることになります。
 多くの老人は、“自分はぽっくり死にたい”といいます。私の友人もぽっくり死んでいたのです。





『2016・11・11「第3回アジアンピアード」』
 2年に1度、アジア市民スポーツ連盟(IVV-Asia)が主催する「アジアンピアード」が、台北市で2016年11月11,12日に開催されました。第1回は韓国、順天市、第2回が日本、東松山市で行なわれてきましたが、今回の第3回は日本、韓国、ロシア、スウエーデン、フィンランド、インドネシア、オランダ、ベルギー、スイス、アメリカ、カナダなど30か国以上の多くの外国人の参加を得るなど、盛大な大会となりました。国際市民スポーツ連盟(IVV)の会長、副会長も参加し、大会実行委員(中華民国山岳協会)宛ての第3回アジアンピアード開催への感謝状が手渡されました。
 大会に先立ち、オブザーバーとしてIVVの会長・副会長が同席する中、IVV-Asiaの加盟国の代表による総会が開催されました。過去2年間の会計報告があり承認された後、会長である私から次の3つの提案をし、すべて了承されました。
@ IVV発祥の地ヨーロッパでは、ほとんどすべての国が加盟していますが、アジアでは4カ国しかありませんので、他の国々への参加要請が必要であり適任者として、日本の藤本氏へ依頼する
A ロシア極東のウラジオストック市ではウォーキングが盛んで、これまでも韓国、日本へ大勢の人たちが大会に参加していること、逆に韓国や日本からも人びとが歩きに訪問している事実を考慮して、ウラジオストック市のウォーキングクラブのIVV-Asiaへの加盟を促す
B 第4回の「アジアンピアード」は、インドネシアのジョグジャ市で2018年11月に開催する

 大会の2日間は、快晴で暑い日差しの下でのウォーキングとなり、実行委員会から出発前に熱射病に注意するようという注意が、何度もくり返しアナウスされるほどでした。私は、初日10qのウォーキング、2日目5qのウォーキングと500mのスイミングに参加しましたが、とても疲れてしまいました。
 自分から提案し、2010年に創設されたIVV-Asiaの活動が、6年かけて軌道に乗ったことが確認できて大きな喜びを感じました。ただし、私も高齢になり、役職に就く適当な人物の養成を図り、交代を急ぐ必要も実感したしだいです。

 

    IVVからの感謝状がIVV-asiaへ    パレードに臨む参加国の国旗       

   



『2016・10・29「韓国国際ウォーキング・フェスティバル」』
 第22回目を迎える「韓国国際ウォーキング・フェスティバル」が、2016年10月29,30日に開催されました。ソウル中心街からやや離れた新興の“ガーデン5”という大型ショッピング・センターの広場がスタートとフィニッシュでした。0度近くなるとても寒い朝でしたが、両日とも日中は晴れて歩き出すとやや汗をかくようなウォーキング日和でした。韓国各地からたくさん参加されましたが、日本からの20名、ロシアからの3名、スイスからの2名と外国人が割に少ない国際大会でした。
 ルートは3日間とも、42q、25q、10q、5qの4つが用意されていました。私は2日間とも10qのルートを選びました。初日は川沿いのウォーキング・ロードとサイクリング・ロードが並行する専用の道を行き、家庭用の鉢に植えられた草木を販売する市場を、2日目は同様に最近建設された100階建てのタワーのあるロッテワールドを、それぞれ中間点とする周回路です。大都会のウォーキング大会としては、もっともきれいで安全に歩きやすい大会です。
 80歳になった私を、大会会長は心配したのか“赤十字”の腕章をつけた女性と一緒に歩くように手配してくれていました。横断歩道を渡るとき、階段や段差のあるところでは腕を取って歩いてくれました。お陰さまで安心して歩き通せましたが、私もつくづく老人になったのかという気分になってしまいました。
 初日は実測で12q、2日目は11qで、歩数は20000歩を超え3時間かけて完歩できましたが、脚の筋肉が少々痛くなりかなり疲れてしました。

 

 出発式での挨拶     歩道と自転車ロード    手助けしてくれた女性

   



『2016・10・20「ウォーキング・グランド・フェスティバル」』
 “歩く市民スポーツで人もまちも元気に!”というスローガンの下、金沢市は「ウォーキング・グランド・フェスティバル in 金沢」を、2016年10月20日から23日までの4日間開催しました。初日の午後、グランドフォーラム「ウォーキング・サミット」の第1部で、 “人はなぜ歩くのか?なぜ歩かなければならないのか?”という内容の基調講演を私が行い、最後に“だれでも安全で、楽しく歩ける道の整備が最重要課題である”と強調しました。その後、日本ウオーキング協会、日本市民スポーツ連盟、全日本ノルディック・ウォーク連盟、日本ロングトレイル協会、健康・体力づくり事業財団の各代表者が、活動の現況を紹介しました。続いて第2部では、石川県が進めてきた「歩育」の調査結果が紹介され、遊佐町、東松山市、北九州市、金沢市などの各地の活動が報告されました。そして、5つの基本理念と5つの運動指針の「子どもを輝かせる歩育・金沢宣言」を採択しました。
 2日目、3日目はこれまでの名称を変えて「金沢ウォーク」とし、金沢市を歩くイベントが行われました。特に、引率された保育園児120名が、元気に歩くのが印象に残りました。3日目の午後には、「全国ロングトレイルフォーラム」と「パーキンソン病とノルディック・ウォーク」という2つの集会が開かれました。前者には出席できませんでしたが、90名の参加者があり活発な話し合いがなされたと聞きました。後者は、専門医たちによって難病の特徴とリハビリテーションとしてのポールの使い方が解説され、パーキンソン病を患う2名の方がそれぞれの体験談を話されました。熱心に聞き入っていた500名近い出席者の中から、答えにくい質問が次々と発せられ盛会でした。その後、ノルディック・ウォークの体験会が行われました。
 最終日には、金沢市の隣の白山市の海浜公園で、ビーチ・ノルディック・ウォークが行われました。芝が敷き詰められた広々とした公園の周囲を歩き、砂浜に出ます。天気も良く、海は波もなく、青く広がった景色を見ながらの気持ち良いノルディック・ウォークでした。
 ウォーキングにかかわる歩育、町歩き、歩行困難者のウォーキング、長距離ウォーク(ロングトレイル)など、さまざまな催しをまとめた欲張りと思えるグランド・フェスティバルでしたが、大成功だったといえるでしょう。

 

  パーキンソン病とノルディックウオークフォーラム会場   同フォーラム参加者達         浜辺を歩く      3qに挑戦する子供たち

   



『2016・10・14「毛筆の里」』
 広島県安芸郡熊野が、日本一の毛筆生産量を誇る町だとは知りませんでした。100軒近い毛筆関連企業があって、700名ぐらいの町民が働いているそうです。2016年10月14日、その中で化粧筆に特化した化粧工房「晃裕堂」へ見学に立ち寄りました。私は知りませんでしたが、化粧する若い女性の間では知られている工房だそうです。
 工学系の技術者であった若い2代目社長は、アイディアマンです。製品に“カワいい”という付加価値をつけることによって、新しい顧客をつかむ作戦を立てていると強調されていました。その一つが、桃、オレンジ、ブルーベリー、レモンという果物をイメージした穂先、そして山羊の毛にそれぞれの果物が想像できる淡い色を組み合わせ、化粧用ブラシを生産しています。そして、海外への進出を図り、広島市で開催されたG7外相会議へ出席した人たちへプレゼントしたといいます。また、爆買いする中国人の中には数百個まとめて帰る人もいるといっていました。
 工房見学の記念に、ブラシを造り記念に持ち帰ってもらっていると聞き、挑戦しました。バラの花びらのように見える型へ山羊の毛をはめて、化粧筆を造ります。筆を持つ柄のところに、送る人の名前を彫ってくれます。妻、娘2人へと3個造りました。

 




『2016・10・10「政治家の葬儀」』
 加藤紘一さんは、数少ない政治家となった友人です。33歳で衆議院選挙に初当選して以来、77歳で亡くなるまでに、多くの人たちに名の知られるほどの政治家になりました。東京において自民党と加藤家合同の葬儀が行われましたが、仕事があって出席できませんでした。2016年10月10日山形県鶴岡市で、地元の人たち向けの「お別れの会」が行われると聞いて、以前から健康・体力づくりでかかわってきたところであることから出席しました。
 たくさんの人たちが列席する中で、5名の代表がそれぞれに、故人を偲んでの弔辞を読み上げました。やや長い弔辞でしたが、故人がたくさん業績を残したこともあるのでしょう、皆さんが聞き入るような興味を引く内容でした。
 葬儀の初めと終わりに、防衛省の儀仗隊による場内“儀仗”と場外“儀仗”とが行われました。本人が防衛庁長官であったことからでしょう。特に、葬儀場から遺骨を運び出すときは、多くの人が見守る中、会場の広場に整列した儀仗隊員による3発の空砲、続いて音楽隊による葬送曲演奏は、堂々と信念を貫き人生を歩んだ故人に相応しいものでした。

 




『2016・9・19「28回目の江東区「ウォーキング12週間講座」』
 平成元年から始まった江東区健康センターの区民むけ“ウォーキング12週間講座”の開講式が、2016年9月19日(敬老の日)に行われました。日本でもっとも長く続いている行政主催のウォーキング教室としてなんと28回目となる今年も、75名の人たちが集まって講座が始まりました。この間、健康チェックを担当する川久保清医師も、1回も休まず出席できたのは、私たちの日ごろからの摂生の賜物でしょうか、幸せなことです。
 最初のころは、私より年上の人たちが多かったのですが、今では私より若い人が多くなってしまいました。また、開講式での話も、ウォーキングを実践していけば血圧が下がる、体脂肪量が減少する、糖尿病は軽減できる、など医学的効用を説明するのが中心でしたが、この頃は歩く楽しみを味わう方法を解説するようになりました。そして、歩ける能力が身に着いたら、いろいろなところへ歩きに行きましょう。例えば、私の住む文京区は、江東区と違って坂があります。それも、江戸時代から名前のついた坂が113もあります。何回かに分けて、挑戦してみたらどうですかと誘ってみました。12週間が終了する12月には、一緒に歩き講座の効果を確かめたいと思っています。



2016・江東区講座





『2016・9・17「第5回ノルディック・ウォーク学会」』
 北海道での集中講義が終わったその日に、「第5回ノルディック・ウォーク学会」へ出席するため、千歳から羽田経由で大阪・伊丹へ飛びました。大会長を務められた辻文生先生は、「変わる世界、創る未来〜超高齢社会の救世主となる〜」という副題をつけて、2本のポールを持っての歩行をもっと広く普及させようというメッセージを述べていました。参加者は、250名と過去最大数となり、大変な盛り上がりでした。
 そして、最後のシンポジウムは、「ノルディック・ウォークの未来〜人の幸せとは?〜」という題で、異色の3名のシンポジストの発言は、大きな笑いをも誘い大好評に終了しました。また、懇親会には吹田市長、地元の代議士、国会議員が挨拶しました。このように、地元から大きな支援が得られ、吹田市はこの学会をきっかけにノルディック・ウォークがますます盛んになることでしょう。



ノルディック学会




『2016・9・16「北海道科学大学集中講義」』
 本年2月3〜6日に「北海道科学大学」において、ライフデザイン学部人間社会学科の健康スポーツ専攻の学生に対し「運動生理学」の集中講義を行いました。14コマの講義はすべてスライドに映し、そこに書かれた文章を書きとらせるという一方向の授業でした。
 今年度も同じ集中講義の依頼を受けました。昨年度の反省から、一方向のリスニングの講義に加えて、学生たちが自分たちの運動能力を測定し、その結果を分析するというアクティブ・ラーニングを実施することにしました。午前中の2コマは講義、午後の1コマは運動能力(走・跳・投)の測定、1コマはそれらの結果をノートパソコンへ入力、解析するように企画しました。各自のノートパソコンのエクセルに入力しタデータの分布、相関などを図にし、講義で得た知識を基に分析するというものです。
 成績判定は、講義についての5つの設問と測定結果についての5つの設問に答える内容としました。しかし、講義中に居眠りする学生が多く、内容を書きとめ理解したとは思われませんし、データを解析する能力も優劣があるようでしたので、最終日に設問を公開し答えをワードに書き込むよう指示しました。結果を担任の先生へ提出させましたが、その内容はほとんどできない学生から、きちんとまとめた学生までまちまちだったそうです。
 私の授業のやりかたがまずいこともありますが、学習しようという意欲が未熟なのが原因かもしれません。あるいはまた、私が高齢で、教師と学生との年齢格差が大きすぎるのも問題だと思いました。

北海道科学大学 2016 講義予定
9月13日
午前:リスニング 
1.体力測定と運動強度の測定
2.筋線維組成とその動員
午後:アクティブ・ラーニング
跳ぶ:1.垂直跳び(3回測定)(壁に紙を貼って、チョークでマークする)
結果の整理 @どのくらいのばらつきがあるのか?
      A回数を重ねると、結果はどうなるか?(高くなる、低くなる・・)
跳ぶ:2.走り幅跳び(3回測定)(マットに向かって跳ぶ:けがの無いように練習必要)
結果の整理 @どのくらいのばらつきがあるのか?
      A身長との関連は?(高い方が距離は長いのか?)
      B垂直跳びと走り幅跳びと相関はあるのか?
9月14日
午前:リスニング
1.エアロビック・エクササイズ
2.レジスタンス・エクササイズ
午後:アクティブ・ラーニング
投げる:1.オーバーハンド・スロー(全身を使って投げる)数回練習後1回投げる
使用するボール:メディスンボール、バスケットボール、サッカーボール、ソフトボール、硬式野球ボール、軟式ボール、卓球ボール(それぞれ、直径、重量を測る)
結果の整理 @ボール(大きさ、あるいは、重量と投げた距離との関係は?
      A個人差はみられるか?
投げる:2.座位でオーバーハンド・スロー(下肢を使わず投げる)数回練習後1回投げる
結果の整理 @ボールと投げた距離との関係は?
      A全身のときとの違いは?
      B全身のときと座位のときとの間に個人差があるのか?
      C通常練習している人は、特別な結果がでるか?
9月15日
午前:リスニング 
1.成長と巧みさの獲得と向上
2.からだによい 栄養摂取
午後:アクティブ・ラーニング
走る:1.50m全力走(タイム3回測定)→秒速に換算
結果の整理 @どのくらいのばらつきがあるのか?
      A回数を重ねると速くなる人、遅くなる人がいるのか?
      Bそれは、性格を反映しているか?
走る:2.5000m全力走(タイム1回測定、2500mでのタイムも測定)→秒速に換算
     (サッカーグランド8〜10周、コーナーにコーンを置く)
     (AEDを用意する:未学習であれば、練習する)
結果の整理 @どのくらいのばらつきがあるのか?
      A前半と後半のスピードでどのくらいの違いがあるのか?
      B違いの大きい人と小さい人の特徴は?
      C50m走のスピードとどのような関連があるのか?
      Dこれらの結果から、持久性のある人、瞬発性のある人と、判別できるか?
9月16日 
午前:分析結果の発表(5人程度のクラスに分ける。前日の終わりに、発表する運動種目を抽選で決める。結果の整理に加えて、生じた違いなどについて“なぜか”といった理由を考え述べる。

午後:レポート作成(課題:リスニングの内容といろいろ測定してみて、気がついたこと)

     
講義のようす



『2016・9・10「水中ポールウォーキング」』
 長野県の上田市合併10周年記念事業の1つとして、「新たな運動療法の可能性・水中ポールウォーキング」の体験会と研究会が、上田市の鹿教湯温泉で2016年9月10、11日に行われました。「信州うえだ健幸都市推進事業」としての位置づけです。体験会は「クアハウスかけゆ」と「斉藤ホテル」にある「室内温泉プール」で、研究会は「鹿教湯三才山リハビリテーションセンター鹿教湯病院」の講堂で、それぞれ行われました。
 今後とも高齢者が増えますから、ますます歩行が困難となる人たちが増加します。そのような人たちが、歩行能力を保持する、あるいは、運動することを楽しむために、指導者、研究者、医師たちは協力して工夫を重ね、どのようなポールを制作すべきか、どのように水中で運動させるか、試行錯誤をしているのです。日本には、たくさんの温泉場があります。そこに水中運動が可能な施設が造られ、温泉療法の効果を高める運動ができることを期待しています。


     
上田市合併10周年記念事業     水中ポールウォーキング体験会   




『2016・9・6「Intensive水泳」』
 17〜8年前に、バリアフリーの屋内温水プールの建造を、東洋英和女学院大学にお願いしました。当時としてはもちろんですが、現在でも日本一のきれいで使い易い施設(アクアエクササイズセンター)です。2016年9月6〜8日の10:30〜12:00に、集中して水泳練習する生涯学習講座を、4年ぶりに開催しました。50〜60歳代の女性11名が参加しました。
 センターの職員から次ぎのような手紙をいただきました。「受講生から、先生は難しいことは言わないのに、魔法のように上達でき泳ぐのが楽しくなった、と感想をいただきました。わたしも傍から見ていて、受講生のちからがうまく抜けいき、泳ぎがみるみるきれいになっていくのに感動しました。」
 残念ながら3日目は大雨で中止となりましたが、水中運動の科学を熟知し長い間の水泳指導の経験がもたらしてくれた成果かと満足でした。そして、経験を生かした高齢者のはたらきが、超高齢社会の中で世のために役立つという自信を持つことができたのが収穫でした。



東洋英和水泳教室




『2016・9・3「傘寿の会」』
 「本年9月2日、宮下充正先生が傘寿をお迎えになります。(中略) 傘寿という今では大して珍しくもないお年かもれません。しかし、ここに至るまで、特に60歳を過ぎますと、個人の素質、日々の生活態度など、それまでの勢いでは何ともならないものを感じたのは事実です。先生の傘寿のお祝いの席にて、傘寿まで元気で生きる秘訣を、お伺いしたいものと思い、このような会を企画しました。以下略」という発起人の案内状に応じて、主として東京大学ですが、その他の大学の卒業生、関連した企業、スポーツ団体などのいろいろな人たちが集まり、ダイワロイネットホテル銀座で、2016年9月3日に「祝う会」が開催されました。私の家族12名を加えて、140名を超える出席者数でした。
 来賓の挨拶の後、私は近況報告(首都医校での仕事、40年間の検診結果、水泳記録の低下傾向、歯の治療など)をしました。そして、「運動をすすめて五十年」という本を記念として手渡しました。
 教育という仕事にたずさわってきて、その教え子たちが中心となって大勢の人たちに祝ってもらい、自分の歩んだ道がよかったとつくづく感じたのでした。


 
      傘寿お祝いケーキ         運動をすすめて五十年




『2016・8・20「豊洲」』
 東京を中心に20年近く活動するウォーキング・クラブ「いちに会」の“薄暮ウォークそして暑気払い”が、2016年8月20日に行われました。およそ30名の会員が新橋駅から月島へ、さらに豊洲まで歩き、午後3時から「豚道楽」という大衆居酒屋で“暑気払い”するという計画でした。私は暑気払いには参加したいと、新橋から“ゆりかもめ”に乗って豊洲へ向かいました。というのも、2020東京オリンピックに向けて、3年ほど前から計画していた大規模な複合施設の中に「低酸素トレーニングセンター」(Hybrid Athlete Training Center: HAT)の建設が大和ハウス工業の出資によって決定したので、その予定地を見たいと思ったからです。 トレーニング場には50mのプール、柔道・レスリング、さらにバドミントン・卓球などの練習が可能なトレーニングフロア、各種トレーニングマシンを設置するジムが含まれ、すべて標高2500〜3000m相当の酸素濃度に保てるという世界で類を見ない大規模な施設です。場所は豊洲に近い、移転が決まっている築地魚市場に隣接する所です。現在は更地になっていますが、2019年に完成予定です。リオ・オリンピックも終わり、新たな目標を目指したトレーニングが開始される時期に、日本選手が利用しやすく、スタミナ強化に最適な「低酸素トレーニング」が実現できることを願っています。強化選手だけでなく、例えば、高所登山を目指す人にも最適と思っています。 もちろん、昔からなじみのある「いちに会」の皆さんと、生ビールを飲んでの“暑気払い”は楽しいものでした。


  
       豊洲                   完成イメージパース             建設工業新聞の見出し




『2016・7・14「ジャパン・マスターズ」』
 33回目を迎える日本マスターズ水泳選手権大会が、千葉県国際総合水泳場で、2016年7月14〜18日の5日間開催されました。北海道から沖縄まで1309チーム、6115名の参加がありました。「タイムより 楽しい水泳 健康づくり」とか「いい笑顔 気力も充実 輝く高年」といったソフトなキャッチフレーズを掲げてはいますが、正式な競技役員がいて自動計測機で記録を測る、ちょっと緊張する大会です。レースは、男女別で5歳きざみで競われます。私は、今年80歳、80〜84歳区分ではもっとも若い年齢で有利なはずでした。
 初日は400m自由形(7:45:59)10名中4位、2日目は200m自由形(3:32:31)13名中5位、3日目は100m自由形(1:33:97)22名中4位、4日目は50m自由形(38:64)35名中6位でした。3位以内の入賞はできませんでしたが、4〜8位入賞で青銅製のメダルをもらうことができました。
 高齢者人口の増加にともない、生活の一部にして泳ぐ高齢者たちが増えているのでしょう。80歳以上の大会参加者も増え、記録もこれまで以上によくなっていていました。とりあえず、参加することに意義があるとし、満足でした。それに加え、泳ぎそのものは、きれいで素晴らしいと多くの泳ぎの玄人に褒められたことは、長年の研究の成果の一面をわが身をもって示せたのではないかと思っています。


 
   競技会場                           同じ色のメダル




『2016・7・12「地域医療振興」』
 ドラッグストアスギ薬局を、わずか40年で全国に1000店を超えるチェーンを築いた、愛知県西尾市の杉浦広一・明子夫妻が、公益財団法人杉浦記念財団を2011年に設立しました。
 わが国では、人類未曾有の超高齢社会を迎えて、「地域包括ケアシステム」の実現こそが、喫緊の課題となっています。そこで、杉浦記念財団では、医師、薬剤師、看護師などの医療従事者および介護福祉従事者などの多職種が連携して、「地域包括ケア」を実現しようとする活動や研究を助成します、という趣旨で13名の人たちが助成を受けました。
 他方で、地域医療を振興し、国民の健康と福祉の向上に優れた成果を収め、住み慣れた地域で安心して、その人らしく住み続けることを支援する活動を行った団体・個人の取り組みについて、その主体者である5つの団体・個人に振興賞が授与されました。(一社)全日本ノルディック・ウォーク連盟は、歩行困難者を含め幅広い国民の健康づくりに寄与してきたことが評価され、第5回杉浦地域医療振興賞を2016年7月12日受賞しました。
 ノルディック・ウォークの普及活動は、助成や表彰を受けた他の団体・個人とは、方法や内容がまったく違った実績でしたが、国立長寿医療研究センターや東京大学高齢社会総合研究機構に所属する権威ある審査員がその価値を認めてくれました。このことによって、改めて私どもが遂行してきた活動を誇らしく思うことができました。


杉浦記念財団受賞




『2016・7・10「同窓会」』
 同じ学校の出身者が集うのを同窓会、他方、同じ時期に学校で一緒であった人たちが集まるのは、同期(クラス)会と呼ばれます。65歳以上になるとクラス会を開くのが多くなるといいます。同じ年齢の年寄りが待ち合わせるので、直ぐわかります。新宿西口交番前には、昼ごろには何組かの人たちが挨拶を交わすのが見られます。
 両国高校水泳部の卒業生が集まる同窓会が、2016年7月10日「すみだリバーサイドホール」で開催されました。3時30分から整形外科医による「ロコモと骨粗しょう症」、開業医による「60歳からの手習いに、と始めたウィンドサーフィン」という講演が行われました。老化にかかわる話題でしたので、たくさんの質問と意見が交わされました。いろんな人がいて、面白い話が聞けてよかったです。しかし訃報の知らせもありました。当然ですが高齢者はしだいに欠けていきます。若い人への参加を呼び掛けてくださいと、会長として挨拶しました。
その後、隣にある22階建の展望ラウンジ「アサヒスカイルーム」で、飲み放題の懇親会が行われました。アサヒビールに就職している卒業生が手配してくれました。眼下に広がる隅田川と、日が暮れてからは最近見たことのない夕焼けを楽しむことができました。感慨一入です。


  
 隅田川一望      会長挨拶     東京の夕焼け




『2016・7・6「健康増進モデル創出プロジェクト』
 本年、長野県次世代ヘルスケア産業協議会が、「ポールを使ったウォーキングによる健康増進モデル創出プロジェクト」を結成しました。そのキックオフフォーラムが、2016年7月6日長野県小諸市で開催されました。日本の歩行用ポールを製造する企業は、長野県の小諸、佐久地区に3社あるだけです。それらの企業をより一層活性化させるとともに、平均寿命日本一といわれる長野県民の健康寿命が短いことから、平均寿命イコール健康寿命となることを目指すというのが趣旨です。それも、住民の関心が高い鹿教湯温泉を発信基地にしようというのです。キックオフフォーラムでの基調講演を依頼されました。そこで「ポールを使って鹿のように信州を歩こう」と題し、“鹿”にかけて、次のようにまとめました。
 「歩けるようになって成人になるまでは、ポールを持って歩く必要はない。しかし、超高齢社会となって、高齢者が増加するにしたがって、二足歩行が困難となる人が増える。その結果、医療費・介護費の高負担を招き、国家的な財政問題を引き起こしているのは周知の事実である。加えて、“独居老人、数日後に死亡が確認”、“老々介護、被介護者を殺害し介護者は自殺”といった悲しい報道が後を絶たない。
 歩かなければ歩けなくなる、歩けなくなれば寝たきりになる。だから、歩行困難となる高齢者に、2本のポールを持って歩く習慣を身につけさせることが、高齢者増加がもたらす諸問題の根源的な解決策であると主張したい。2本のポールを持って歩くとは、鹿のように四足歩行となり、下肢への負担を軽減させ、歩く姿勢が安定し自立して動くことができるということ。
 高齢者たちよ、他人に迷惑をかけないように、そして、残りの人生を楽しむために、四肢を使って野山に生息する鹿のように、信州を自由に歩こうではないか!」
 ポールメーカー関係者、県の工業振興にかかわる人、健康運動指導士、行政の健康福祉関連の人など100名を超える人たちの参加がありました。聴視者たちの反応から、講演した甲斐があった印象を受けました。


小諸2016  





『2016・6・26「ノルディック・ウォークin鶴岡」』
 今年6月から選挙権が18歳に引き下げられました。18歳の彼らが生まれた年に始まって18年目となる、「国際ノルディック・ウォークin鶴岡」が、2016年6月26日行われました。日本海低気圧の通過があって朝方まで激しい雨が降っていましたが、朝までには日差しが戻りウォーキング日和でした。「庄内浜と大砂丘のメロン畑を行く」と名づけられた新しいルートが設定されていました。庄内浜は日本三大砂丘の一つで、日本海からの強風に飛ばされる砂を防ぐクロ松林が、江戸時代から植えられているところです。宿泊施設や浴場がある「いこいの村庄内」にある芝生の広場がスタートとフィニッシュです。6qと12qの2つのルートが設定されていました。
 クロ松林を抜け、電車線路であった自転車ロードを歩き砂浜へ出ます。朝までの雨で砂浜がしまって歩きやすい浜辺でした。
 隣の新潟県ではノルディック・ウォーク連盟の支部を立ち上げるので、関係者が数人参加していました。また、石川県の支部長も、今年石川県でもビーチノルディック・ウォーク大会を開くので、宣伝を兼ねてきましたと挨拶されました。さらに、北隣の秋田県からも10名を超える人が歩きました。このように、日本海沿いに、ノルディック・ウォークが盛んになりつつあります。今回は驚いたことに若い人たちの参加が目につきました。若い人たちの間でも、おしゃれな服装でポールを使って歩くのが、一種のスポーツとして根づいてきたように感じました。


 
湯浜2016        浜辺を歩く  





『2016・6・24「久しぶりの釣り」』
 趣味というものは、何歳になっても衝動的にしたくなるものらしい。高齢になると、足元がおぼつかなくなるので、手助けをしてくれる人がいないと釣りはできません。50年近く行ってきた釣りがどうしてもしたくなって、案内してくれる人がいる山形県の鶴岡市へ行きました。もちろん、市民が安全に気持ちよくウォーキングを実践できるルートを確かめるという目的も兼ねています。
 6月24日、梅雨の止み間の午後、庄内浜での海釣りをしました。情けないことですが岩場で滑って転落しないようにと、両手をつきながら先端へ行きます。鯛が産卵のため岸によって来ているとの期待をもって、小さなカニを餌に投げ込みます。見えにくい浮きがやや沈みますが、大きく引っ張り込みません。何回やっても同じ。おそらく小さなフグがたかって、食いついているのでしょう。4時間ぐらい粘って、獲物なしで諦めました。
 6月25日、曇り空のもと、大山川へでかけました。岸には草が身の丈ほどに延び、近寄りがたいほどでした。そこで、ところどころ竿が出せるところを探し、流れに餌を入れると18センチぐらいの丸々と太ったヤマメが釣れてきました。5〜6匹釣れたので、場所を移動します。流れのそばに葦が生えている浅瀬に、餌を入れるとこれまで以上の強い引き。数分粘って、釣り上げると28センチ近いイワナでした。さらに、やや下がったところでは、さらに強い引き。竿が満月のようにしなり、魚は川を上下します。逃がさないようにと、土手の上を小走りに上ったり下りたりしなければなりません。数分経ったので思い切って釣り上げました。生涯で1回か2回しか釣ったことのない37〜38センチの大イワナでした。
 その後、市民登山のルートを上りつめます。数年前までは、田んぼや畑であったとところは、放置されて荒れ果てています。過疎に悩む山村の状態を、身近に感じた釣行でした。


 
鶴岡で海釣り            巨大イワナ




『2016・6・4「孫の運動会」』
 日本の学校では、ほとんどで春か秋に運動会が行われます。外国では運動会を開く学校、開かない学校があるようです。ある調査によると、運動会を行う学校の子どもの体力は高い傾向にあるといいます。準備のために、ある期間運動する時間が増えるからだと思われます。
 文京区立第一中学校へは、3人の子ども、3人の孫が世話になりました。2016年6月4日運動会が開かれました。運動会ではクラス代表による中距離競走(800m)があります。30年ぐらい前、2人の子どもは2位でしたが、いま在学中の孫娘は、水泳練習をしているためか、トップでゴールしました。親は誇らしく思うでしょう。祖父としても嬉しくなりました。


13番、力走する孫娘
                          





『2016・6・3「むし歯治療」』
 口の中をさっぱりさせるために、朝起きたときにだけ歯を磨いてきました。長い不摂生のせいでしょうか、70歳を過ぎるころから食べ物を奥歯で噛むときに痛みを感じるようになりました。テニス仲間の歯医者さんに、治療してもらってきましたが高齢で廃院することになり、東京医科歯科大学へ紹介状を書いてもらいました。早速、2015年9月に大学病院へ出向き、診断を受けました。驚いたことに、予約は7か月後ということでした。
 2016年4月5日に診療科“義歯”で初診を受け、全部自分の歯ですが、それらすべてをレントゲン撮影し、歯型をとりました。その結果、ほぼすべての歯がすり減っているか、欠けているので、1本1本うまくかぶせて、歯並びをそろえるという治療の基本方針が告げられました。その前に、“歯周病”と“むし歯”があるので、それぞれ“歯周病”と“むし歯”診療科の別の医師に、並行して診てもらうことになりました。治療が終わるのは、1〜2年先だろうとういう予想です。
 2016年6月3日、まず前歯の“むし歯”の治療を受けました。この2か月間で計5回の治療です。費用は合計2万8,440円、自己負担8,530円を支払いました。これから何10回通うことになるのでしょうか。いずれにせよ、しばらく歯の治療に専念すること、治療がうまくいったら、その分余分に生きようと思うことにしました。


何回通うのか
                          





『2016・5・30「世話になった人の葬儀」』
 富士急行株式会社の社主で、自由民主党に所属し総務会長、通商産業大臣などを務めた堀内光雄さんが亡くなりました。最近まで堀内さんを中心にいろいろな職種の人たちと、年に2回ほど食事会やゴルフを楽しんできました。
 2009年には、私が組織委員長となって、第11回IVVオリンピアード大会を富士河口湖町、山中湖村を中心として開催しました。その際、富士急株式会社の協力を得て、IVV総会、歓迎会が「ハイランドリゾートホテル」で、盛大に行うことができて感謝しております。
 2016年5月30日午後、小雨降る中で堀内家、自由民主党、富士急株式会社による合同葬儀が青山葬儀所で行われました。故人の人徳でしょう青山墓地を取り巻く道は大勢の人であふれ、1時間40分待って焼香をすませました。
 菊の花で富士山を模った祭壇に、遺影が飾られていてとても感動的でした。帰りには、個人の略歴に添えて、富士山クッキーが手渡されました。合掌


   
  堀内さん             富士山クッキー
                          





『2016・5・22「マスターズ水泳短水路大会:京都」』
 神戸での「ウォーキング学会」の次の日、マスターズ水泳短水路大会(京都)に参加しました。2016年5月22日、西京極にある京都アクアリーナで開催され、2000名を越える参加者がありました。結果は、50m自由形40秒23で3位、200m自由形3分24秒32で2位と、優勝はできませんでした。肩を痛めた後遺症でしょうか、とても残念でした。
 東京大学水泳部卒業生の2名の後輩が出場していましたが、彼らも2位でした。そのうち小田君と記念に写真を撮ってもらいましたが、年齢は私のちょうど半分の40歳です。理由はわかりませんが、高知の医学部へ入り直して6年生だそうです。
 今年の春季に行われた短水路の大会は終わりました。この5年間で、25mを除いて、水泳記録は、50mにつき4〜5秒遅くなっていました。メダルは、金、銀、銅それぞれ2個ずつ、加齢の影響は避けがたく不本意ながらも納得した次第です。
これからは、50mを60秒で泳ぐことに専念して、記録にこだわらないようにしようと思い、7月に予定されている夏の長水路大会へのエントリーは、余裕のある400mは8分、200mは4分、100mは2分にしました。


   
東水会メンバー           今回の獲得メダル
                          





『2016・5・21「第20回日本ウォーキング学会」』
 柳本有二教授(神戸常盤大学)が組織して、第20回日本ウォーキング学会が2016年5月21日神戸海星女子学院大学で行われました。JR灘駅から六甲山脈にむかって坂を上る途中にあるミッション系の大学です。大学にある「聖堂」を会場にして、発表会が開催されました。
 "すべての人が参加できるウォーキングを目指して"というスローガンの下、一般のウォーカーも参加できるという企画のため、200名を越えるいろいろな人たちが集まりました。冒頭、学長による歓迎の挨拶、会長の開会挨拶の後に、学会創設時に会長を務めた私が、20回という節目の大会として、それまでの歴史を紹介しました。発足時にウォーキングに関して13の研究すべき分野があると、学会誌の創刊号に私は書き残しました。その中で、もっとも関心が深かった健康との関連では、多くの成果が残ったこと、その他、歩行困難者を支援するロボットHAL(hybrid artificial limb)の開発、人の歩行に似せたロボットの改良などが最近では盛んになったことを紹介しました。そして、ますます発展・普及するAI (artificial intelligence):人工知能の時代に、ウォーキングはどのような存在になるのか、今後の課題ではないかと思うと結びました。
 配布された大会プログラムの表紙は、歩くことが大好きというイラストレーター本山浩子氏の作品で飾られました。六甲山の山並み、海、そして、ノルディック・ウォークを楽しむ人たちが描かれた、きれいな絵でした。


   
   20回大会               学会プログラムを飾った表紙絵
                          





『2016・4・24「水泳惨敗」』
 1年前にがん摘出手術を受け、体重は4s減少、速く歩けなくなり、筋力は低下、弱音を吐くようになり、日本老年医学会が規定した虚弱(フレイル)の5つの基準のうち4つが当てはまるようになってしまいました。
 ところで好きな水泳は、年齢別に分けて競うマスターズ大会があります。今年は80〜84歳区分でもっとも若くなるので、何とか頑張ろうかと1年間リハビリテーションに励んできました。そして、4月10日には2種目で1位となり、幸先よしと1500mへ挑戦するため、2016年4月24日三重県鈴鹿市の大会へ参加しました。久しぶりの1500mを泳ぐので、毎日100mを15回反復するという質、量ともに多い練習に励みました。ところが、2〜3日経過するころから左肩に痛みを感じるようになり、泳いでいるうちに左腕が水面から上がらなくなってしまいました。
 大阪で講演を行い名古屋へ移動で、大会前日は泳ぐのを休みにしました。当日、まず、ウォーミングアップとして25m自由形へ出場、40分間の休息を置いて1500m自由形です。スタートの勢いでゴーグルに水が入り周囲が見えなくなりましたが、マイペースで黙々と泳ぎました。ところが案の定500mを越えるころから、左肩が上がらなくなってきました。左手はターンごとにプールサイドを押します、また左腕を上げるときに呼吸をします。ですから、呼吸のたびに水が鼻や口から入るといったトラブルに悩まされるようになってしまいました。そのためターンのたびに、大きく口を開けて空気を吸い込むようになりました。しかし、やっとゴールしたときは、プールが深くて立つことができず、溺れてしまいました。何度も水泳のレースに出場して、まったくお恥ずかしい初めての経験でした。
 結果は25m2位、1500m3位と、惨敗でした。特に、1500mは5年前の記録より4分20秒以上も遅くなってしまいました。80歳近くなってのトレーニングのやり過ぎは、からだによくないことを思い知らされたのです。


       
25mスタート                    ターンのたびに大きく口を開けて酸素を取りました
                          





『2016・4・16「戴灯式」』
 看護師養成学校で行われてきた「戴帽式」は、看護師志望の学生が2年生になるとき、改めて看護の道を進むという決意を新たにする儀式です。ところが、最近は男性の看護師志望者が増えたため、「戴灯式」と名を変えました。ナイチンゲールの像に灯されたローソクから、手に持った自分のローソクに灯し、ナイチンゲールの詞をみんなで誓います。
 2016年4月16日、首都医校の講堂で厳かに戴灯式の式典が開催されました。学生は131名で、保護者が170名とたくさん出席されました。日本看護協会から「一人ひとりの患者に寄り添い、痛みの声を聴き、ケアする看護師。そんな"看護の心"は、看護に携わる人だけでなく、この社会を生きる私たちに必要なものではないでしょうか」というメッセージが発信されています。この"看護の心"を受けて、私は次のような挨拶をしました。「心とは一体どういうものなのでしょうか?
 脳を構成する何百億という神経細胞は、何層にも階層が分かれ、ネットワークを形成しています。この物質である脳細胞のネットワークの中から、目に見えない心という不思議な"はたらき"が生み出されてくるのです。」「看護の仕事は、傷の手当て、採血、血圧を測る、脈をとるなど、特に手と指を使うことが多いでしょう。そこで、記憶した医学的知識を、それぞれの場合に応じ組み合わせて、適切な指示を手や指の筋肉へ伝え動かすことが必要となるのです。」「このときに、心が介入します。ですから、先に述べた看護の心が重要となってくるのです。看護師が、対象とする患者の痛みを無視したり、他のことに心を奪われていたりしているようでは、決して良い結果はえられません。」
 最後に「これから病院での実習、卒業試験、国家試験という関門が待っています。健康なからだと心をもって、輝かしい目標に向かってすすんでください」と締めくくりました。


          
戴灯式での挨拶      ナイチンゲールの灯りをもらう           全員で誓う    
                          







『2016・4・10「マスターズ水泳・長野会場」』
 体調を保持するために、1時間ほど定期的に泳ぐようにしています。そして、たまには、正式な水泳大会に出場して、記録や競争相手と競うことは、ちょっぴり緊張感を味わう機会になります。
 中高年齢者むけのマスターズ水泳大会は、5歳きざみで競うようになっています。私は、今年80〜84歳区分の最年少で、有利になります。他方で高齢になると競争相手も少なくなってしまい、優勝するチャンスが多くなります。4月と5月に日本マスターズ水泳短水路(25m)大会が、全国27カ所で開催され、だれでも参加することができます。この短水路大会へ参加しようと、1月ごろから練習に励んできたのですが、その成果を図るべく2016年4月10日長野市の市民プールで開催されたレースに出場しました。
 新幹線から眺めた長野は、ちょうど桜が満開で、リンゴ畑の木々がピンクに染まり始めていて、花見がてらでしょうか19の都府県から500名以上のスイマーが参加するというにぎやかなものでした。
 参加申し込みには、予想される自分の記録を添えて提出します。今回の25m自由形は18秒00でエントリーし17秒59、同じように100m自由形は1分30秒00で1分31秒73でした。順位はともに1位で金メダルを得ることが出来ましたが、記録は5年前に比べ25mで約1秒、100mで約10秒遅くなっていて、老いには克てないと実感しました。


      


2個のメダルを持って


25m記録

100m記録




   




『2016・4・6「首都医校・入学式」』
 開校以来「渋谷公会堂」で行われてきた首都医校の入学式が、自宅に近い文京区の「シビックホール」で、2016年4月6日に挙行されました。看護・福祉系の学校の増加によって、絶対数が減りつつある学生の奪い合いが熾烈になり、ここ数年入学生が減少気味でした。しかし、職場で活躍する卒業生が増え、口コミの宣伝が効を奏したのでしょうか、喜ばしいことに本年度の入学者は30%増えました。当日、次のような主旨の式辞を述べました。
「本校は、看護、医療情報、理学・作業療法、スポーツ、福祉、そして、東洋医学まで領域の異なる30近い学科から構成されています。特に、本年度には高度専門看護学科、歯科衛生学科、歯科秘書学科が加わりました。」「わが国の少子・高齢化は、さらに進行することが予想されています。そういった中で、医療・福祉分野では技術革新とシステム改革、そしてさまざまな個性を有するすべての人たちが満足するサービス体制が求められています。」「それらを充足させるため、自分の分野の知識・技能だけ修得するのではなく、隣接する他の分野の人びとと協調していく姿勢が求められるのです。それが"チーム医療"、"チーム福祉"と呼ばれるものです。」「本日入学した諸君たちには、率先して学び、新しい医療、新しい福祉を築く人物となることを期待しています。」
 数年後卒業し、国家資格などいろいろな資格を得て、それぞれの領域でのエキスパートとして、世のため人のためになる仕事を遂行してほしいと思います。



2016入学式
 式辞を述べる





『2016・3・27「体力科学のダイバーシティ」』
 日本体力医学会関東地方会が、水村真由美お茶の水女子大学准教授が当番幹事となって、2016年3月27日開催されました。依頼されて「健康づくりの多様性」と題した教育講演を行いました。
 健康づくりの対象は乳幼児から老人まで、健康づくりにかかわる団体はWHO、厚生労働省、自治体の健康福祉課、家庭など、健康にかかわるからだの部分と疾病の種類は数え切れないほど、多様であることを説明し、さらに遺伝子の違いによる個人差、民族差があることを加えました。このような多様性があることから、健康づくりにはさまざまな取り組みが必要となり、どの部分にどのように財源を調達するか判断するのが難しくなること、特にすべてを満足されるためには財政的に賄い切れないと指摘しました。そして、私の健康について、健康検査の経過と、それに基づく健康づくりにかかわる経費負担について紹介し、医療費・介護費の高騰に対応するには、個人に焦点を当てた健康づくりを見直す必要があることを提案しました。
 その後、個人の研究発表に続いて、「体力科学の多様性を知る〜分野、年齢、性別、国籍を超えて〜」と題した特別シンポジウムが行われました。強い運動を実施したとき生じる乳酸は速筋繊維の発現に関連が深い、最近流行りだした映像を見ながらの運動でも効果がある、バレエダンサーは特徴的な下肢の動きを制御する脳・神経系のはたらきに優れている、日本女子サッカーは現状からみて明るい未来を展望するのは困難である、研究者を含めて職業人として女性が活動するための支援方策はいろいろある、などが紹介され実に多様であることがわかりました。


    
発表会場                 司会する水村先生





『2016・3・22「首都医校卒業式」』
 校長職を引き受け8年が過ぎ、第7回目の卒業式が2016年3月22日に行われました。卒業生総数は367名で、18学科別の卒業生代表へ、それぞれ卒業証書を手渡しました。
 その後、校長式辞を読み上げましたがその最後に次のように述べました。
「人はだれでも歳をとれば、からだやこころに不具合が生じることは避けることができません。その不具合となる過程は、急性疾患や事故などの原因を除けば、個々人それぞれに緩やかに且つ確実に悪化の方向に進行していきます。ですから、症状が少しずつ異なる人びとが存在することになります。加えて、症状が複合する場合もありますから、みなさんはきわめて多様な疾病・障害を有する人たちを相手にしなければなりません。
 そういった人びとの抱える問題を解決させてあげることは、とても困難な仕事となるでしょう。そして、問題を解きほぐすのに、あなたが一生懸命になればなるほど、あなた自身のどこかに不調をきたすことになる可能性もあります。結果的に、自分のからだやこころに不具合が生じ、職を断念せざるを得なくなるようなこともあり得るのです。
 対象とする人びとの回復を図ることは、医療従事者としてはもちろんですが、みなさんも自分自身の体調に留意し、元気に仕事に励んでほしいと願っています。」
 老婆心ならぬ老爺心から少々厳しいことを言いましたが、新たな人生を自らの力で切り開いて行くスタートでのはなむけとして、ぜひとも心に刻んでもらいたいと思いました。


卒業式写真






『2016・3・19「須坂ツーデーウォーキング」』
 長野駅から長野電鉄に乗り換えて30分ほどで到着する、“シルクと蔵のまち”須坂を歩きましょうという「須坂ツーデーウォーキング」が、2016年3月19、20日に行われました。第10回目となるこの大会には、遠くは岡山や青森からこれまでにないほどの大勢のウォーカーが参加しました。明治から昭和初期にかけて、製糸業で隆盛をきわめた町です。中でも豪商といわれた田中家本家に飾られたおひな様が見られるのも魅力の一つです。
 須坂は、善光寺平から山々に向かってゆるい坂に田んぼが広がった田園地帯です。芽吹きが近い雰囲気が感じられる早春、ときどき吹く風は冷たく歩くのにはちょうど良いウォーキングでした。
スタートから、段差の続く田圃へ引く水路には、米子川から取り入れた水が激しく流れ、流れに逆らって坂道を上って行きます。折り返し点には、上杉謙信の護持仏であった不動明のあるパワースポット米子瀧山不動寺があります。お参りしてから下って、スタートとフィニッシュ地点「湯っ蔵んど」へ戻りました。「湯っ蔵んど」は、近隣の人たちの憩いの場となっている大きな温泉施設です。歩き終わったウォーカーたちは、地元の人に交じって続々と入浴、疲れを癒していました。
 蔵が建ち並ぶ道の入口に、画家東山魁夷の詩碑が建っています。「馬車よゆっくり走れ」という言葉が、なぜかこころに残りました。


       
コース案内を聞くウォーカー      温泉施設の御雛さま           東山魁夷の詩碑    
                          






『2016・3・10「東京大空襲」』
 「東京大空襲きょう71年」という見出しで、あの日のまさおちゃんの足跡をたどる映画が制作されたことが報道されました(朝日新聞2016・3・10)。私と同じ年の女性が仲良しの同級生まさおちゃんが、土手に逃げて犠牲になったという「東京空襲風景記」と題した映画だそうです。私が住んでいた平井から小さな中川放水路を挟んだところの亀戸という土地に住んでいたそうです。
 私はもっと大きな荒川の土手に逃げるようにいわれ、親が運んだ布団が強い風で飛ばされないように座っていました。B29が落としてくる焼夷弾が花火のように見え、在学していた小学校が燃え落ちるのを記憶しています。
 道沿いにあったドブ川が暗渠になり道幅が広がり、すっかり変わった平井の街を3月10日歩きました。逃げた土手はコンクリートで固められていました。土手まで階段を上ると、河川敷に遊歩道とグランドが広がり、荒川の向こうには高速道路が眺められます。川側の土手には緑の草が生え、かれんな花が咲いていました。
 ところで、「東日本大震災」が起きた3月11日に近いせいで、最近は「東京大空襲」よりも東北 地方の復興状態の報道が多くなります。5年経過した今でも、寡聞にも学校がすべて建て直されたとは報道されていません。終戦直後、私たちは焼け残った学校に同居し、2部授業や土手での青空教室を受けました。しかし、2年後には、新しい学校が建ち、コッペパンの給食をいただいたことが思い出されます。現在と違って全国的に物資が不足していたにもかかわらず、私の経験からは迅速 な対応であったように思います。
 原発事故が重なったことがあったからかもしれませんが、「5年経てなお遠い日常」という東日本大震災の報道に復興の進捗が遅い のではないかと感じます。終戦直後は、日本中の大都市が焦土と化し、広島、長崎では放射能で汚染されていたのです。そうした中で、わが国 全体で急速な復興が行われたのです。それに比べ、今ははるかに豊かになっています。被災者を応援しようというイベントが開催される、ボランディアが活動するといった報道が度々なされますが、どのような効果があったのでしょうか。この5年間の復興はあまりに遅く、政策に真剣に取り組んでこなかったのではないかという思いがするのです。


       
           昔の荒川                今の荒川と高速道路      土手のちいさな花(オドリコソウ)
                          





『2016・2・15「水中ポール・ウォーキング」』
 18年前に「ノルディック・ウォーク大会」を、日本で最初に行ったのが山形県鶴岡市です。この鶴岡市は、冬季に「雪上かんじきウォーク」を毎年2月(羽黒山)、3月(湯殿山)に実施してきました。そしてまた、新しく「水中ポール・ウォーキング」を普及するために、参加者を募って2016年2月15日に講習会を開催しました。
 通年できる「ノルディック・ウォーク」、冬季にストックをついての「かんじきウォーク」に加えて、天候に左右されない、しかも歩行がやや困難な人でもできる「水中ポール・ウォーキング」を普及させようと 、鶴岡市ノルディック・ウォーク実行委員会が立ち上がりました。この実行委員会の最初の仕事が、この講習会の開催でした。会場は、山形県が建造し、NPO法人が運営する「スパール」でした。ここには、通常の25mプールに、円形の流れるプール、ジェット水流でリラックスできる各種温浴施設があります。
 平日に行われたので、参加者の平均年齢は、69歳と高齢でしたが、30名の人たちが2本のポールを持って水中を歩きました。予定より多い 参加者でしたが、メーカーであるキザキ(株)からたくさんのポールが借りられ実施することができました。水中運動には慣れている人たちでしたが、最初は戸惑っていました。しかし、25mを何回か歩いて往復するにつれて、上手に扱えるようになってきました。
前日と違って、小雪の降る寒い日でしたが、温かい室内プールでのポール・ウォーキングに、みなさん喜んでいました。6組のポールを「スパール」に常備し、だれでもが使えるようにするとのこと。今後、鶴岡市健康・福祉課や市内の病院施設へ働きかけて、歩行困難者にも運動ができるようにすすめて行くそうです。期待したいと思いました。


   
                    歩き方の説明                     ポールを上げて歩く
                          





『2016・2・14「雪上かんじきウォーク」』
 山形県鶴岡市の教育委員会は、冬季の運動不足を解消するために冬の里山で「かんじきウォーク」を開催し、市民の健康・体力の維持・増進を図っています。
 日本海を低気圧が近づき大荒れが予想された2016年2月14日に、信仰の山、羽黒山山麓にある「月山ビジターセンター」を中心会場に、「雪上かんじきウォーク」が行われました。約5qの周回路ルートで、“深雪を歩くことが出来る健康な人”という条件が付けられていましたが、老若男女約90名が障害保険料と昼食料込の参加料1,000円を支払って集まってきました。
 雨が降る最悪の天候でしたが、みなさんしっかり雨具を装備し、昔からの「輪かんじき」、レンタルの「プラスティック製かんじき」、ヨーロッパ製の「スノーシュー」などを足に装着して出発しました。今年はしばらく雪が降らず、折からの強風に小枝や枯葉が飛び散っていて、純白の雪原を歩くという状態ではありませんでしたが、みなさん元気に歩きました。中間地点で、熱々の甘酒が用意されていて、ほっと一休み。後半は、庄内平野が一望できる丘の上の林の中のルートでしたが、あいにく遠くは眺められませんでした。
 気温が高く、外からの雨と内からの汗で、下着までびしょ濡れでフィニッシュしましたが、所用時間2時間20分、満80歳を迎える年に雪の中を5q完歩できて大喜びでした。昼食には、“月山たけのこ汁”とつき立ての“あんこ餅”が用意され、参加したみなさん大満足の様子でした。


  
     雪原を歩く                     一列になって歩く                餅をついてくれた
                          





『2016・2・5「さっぽろ雪まつり」』
 第67回となる「さっぽろ雪まつり」が、札幌滞在中の2016年2月5日から開催されました 。北海道科学大学の集中講義に出向いた時に、せっかくだから見物してくださいと勧められて、帰る前に行ってきました。"大通"、"すすきの"、"つどーむ"という3つの会場に、合計208基の氷雪像が造られていました。大型のものは、人気漫画「進撃の巨人」、歴史的建造物を再現した「マカオ聖ポール天主堂」、そして、3月に開通する予定の「北海道新幹線」です。
 観光客が続々と見物に来るためなのでしょう、私の4日間滞在したホテルの料金は、2月2日が1泊9,072円、3,4日は13,068円と5割増し、「雪まつり」初日の5日は、19,440円と、2倍を超える料金となっているのには驚いてしまいました。
 5日の夕方、気温は0度以下で小雪が舞う天候でしたが、"大通"会場へ向かいました。歩行者は一方通行に制限された雪道を滑らないように、ゆっくりゆっくり歩いていたのが印象的でした。外国人がたくさんいて、顔つきも、しゃべる言葉もいろいろでした。歩く道に沿って、飲み物、食べ物、お土産物の小屋が並び、飲み、食い、買う・・・、みんな実に楽しそうでした。
 今年は雪が少なく。遠くの山から雪を運んだので費用がかさんだといわれていましたが、200万人が訪れる一大イベント。それなりの費用は必要でしょう。"五郎丸" が小型の像の中にいるのが目についたので、写真を撮ってみました。


  
                 北海道新幹線            天主堂             五郎丸
                          





『2016・2・3「北海道科学大学」』
 北海道科学大学は、1967年に北海道工業大学として創立され、2014年に現在の名称となりました。新しい名称となった機会に「未来デザイン学部」が開設され、その中の「人間科学科」に"健康・スポーツ専攻"が設置されました。
 この専攻の1期生(2年生)12名が、専門教育科目である"運動生理学"を、5日間で完結する集中講義という形式で聴講することになり、私が担当しました。集中講義は通常新設された専攻の講義を担当できる適当な教員が、学内にいない場合に行われます。私は、これまで台北師範大学と福岡大学体育学部に、それぞれ大学院修士課程が創立されたときに非常勤講師として担当した経験はありましたが、学部の学生を対象とした講義は初めてです。
 現在の学生は、字を書く習慣がほとんどないので、14回の講義の内容を約600枚のスライドに映して、ノートに書き取るように学生たちに要請しました。もちろん、事前に配布した講義のシラバスにはその旨を明記してあります。そして、成績の判定は、ノートを見て行うと注文をつけました。講義の初めのうちは、学生全員が一生懸命筆記していましたが、アルバイトの疲れからか、飽きてしまったのか、机の上にうつ伏せになって寝込んでしまう学生も見受けられました。眠らないようにと、ストレッチングをさせてみたのですが、効果はありませんでした。
 回収したノートを読むと、キチンと毎回コメントをまとめているものから、乱雑に書かれたものまでありました。学生は1日4回、スライドを見せられながらの講義を聴くだけで、「質問はありませんか」となんどか繰り返して訊ねても反応なしです。「わかりましたか」と聞くとうなずくだけで、一方向の講義に終わってしまいました。
 講義した内容のいくつかが学生たちの心に残ってもらえれば教えた甲斐があった、と思うことにしました。


 
                  校門の前                          学生たちと記念写真
                          





『2016・1・10「皇居一周を歩く」』
 元旦に恒例の皇居一周ランニングをしました。完走はできたのですが、ほとんど歩くような足の運びでした。途中で写真を撮ろうと3回立ち止まりましたが53分もかかり、しかも翌日からは筋肉痛に悩まされてしまいました。そこで、歩くよりも走った方が速いのか確かめるために、ポールを持って歩くときの時間を測ることにしました。2016年1月10日は快晴で気持ちの良い天候、走ったときと同じルートを歩きました。
 驚いたのは、午前10時にはたくさんの人たちが走っていたことです。みなさん同じ左回りで走ります。歩いている私を、一周する間に1000人近いランナーが追い越していきました。30年近い前にアメリカのヒューストン記念公園で走っている人が多いのに驚いて、その模様を「なぜアメリカ人はあんなに運動するのか」という記事にまとめ、「暮しの手帖」誌に14頁にわたって掲載したのを思い出しました。二重橋前にはアジアからの観光客がたくさんいました。彼らも「なぜ日本人はあんなに走るのか」と思ったに違いありません。
 なお、日曜日は、"パレス・サイクリングの日"と決められ、皇居前の片道4車線の往復車道が、自転車専用に解放されています。家族連れやサイクリストたちが、思い思いにサイクリングを楽しんでいました。ノルディック・ウォークでの一周は61分で、わずかですが走った方が速かったのでほっとしました。


  
          大人気の皇居ラン           暮らしの手帖              パレスサイクリング
                          





『2016・1・4「東京オリンピックのレガシー」』
 昨年の暮れに、「奇跡の3年2019・2020・2021 ゴールデン・スポーツイヤーズが地方を変える」という著書(徳間書店)が贈られてきた。教え子の一人間野義之氏が、三菱総合研究所の協力を得てまとめた本である。
 2019年はラグビーワールドカップが、2020年は東京オリンピック・パラリンピックが、2021年はワールドマスターズゲームズが、それぞれ開催される。これを奇跡の3年と捉えて、「レガシー」を遺そうと呼びかける本である。「レガシー」は、"次の世代への贈り物"であり、地方都市が抱える積年の課題解決に向けて取り組む方策をさまざまな角度から提案している。しかし、"地域活性化"あるいは"地方創成"といいながら、3000〜5000人規模の町村はほとんど無視されているように思われる。
 50年経過して"次の世代への贈り物"として残されているものがあったのかどうか、1964年東京オリンピックについて考えてみよう。スポーツ施設としては、国立競技場は取り壊されてしまった。水泳競技場では本来の水泳競技大会は、もはや開催されない。日本武道館が現在でも活用されているに過ぎない。公共交通システムとしては、東京オリンピックを契機に高速道路網や新幹線網が整備されてきた。しかし、経済発展という視点からすれば、年々整備されたと考えられ「レガシー」とはいえないだろう。スポーツ実施率はどうであろうか。1964年東京オリンピックを契機に、日本ウオーキング協会の前身が創立され、"歩け歩け"運動が展開され始めた。オリンピックに参加するアスリートばかりではなく、多くの国民が運動しようという主張の下に、小さな自治体においても"歩こう会"が誕生するようになった。そして、200を超える全国規模のウォーキング大会が毎年開催され、歩く人の国内交流が盛んになった。また、国際交流という面でも、毎年外国から数100名のウォーカーが来日し日本の大会へ参加するし、日本からも数100名のウォーカーが外国の大会で歩くようになった。そして、スポーツ・運動の実践者数では、他の種目とは桁外れに多い3000万人を超える。
 50年前に創立された日本ウオーキング協会、そして25年前に創立された日本市民スポーツ連盟がもたらしたウォーキングこそが、1964年東京オリンピックの眞の「レガシー」である。残念ながら、著書の中では、しまなみ海道や周辺の島々を歩くイベント「スリーデーマーチ」が人気を博しているとか、「Sun-in未来ウォーク」が挙げられているに過ぎない。 
 派手さのないスポーツであるウォーキングは、奇跡の3年を捉えて地方都市の活性化を図る上で、忘れてはならないだろう。その後2035年までは、日本の老化傾向は止まることはない。高齢者は、"歩かなくなれば、歩けなくなる"、そして、"歩けなくなれば、寝たきりになる"。その結果は、"老老介護に疲れて被介護者を殺害、介護者は自殺"、"死後数日を経て見つけ出される孤独死"といった悲劇を生む。地方の活性化は、人口の半分を占める高齢者が歩けるという状態を保持することが基盤となって、はじめて実現できる。
 1964年オリンピックの「レガシー」を、2020年オリンピックの「レガシー」としても、一層充実させて欲しいと願うのである。


   
                          





『2016・1・1「元旦ランニング」』
 毎年元旦には、皇居一周を走ることにしてきました。記憶が定かではありませんが、今年で30回目になるのではないかと思っています。その間1日だけ雨で2日に走ったことがありますは、他はすべて晴れか曇りでした。
 2016年1月1日は快晴、6時15分に息子、娘、孫娘の4人で家を出て地下鉄で皇居近くまで行きました。夜明け前のやや暗い中でしたが、すでに大勢の人たちが走っていました。両足が地面から離れる時間はほんのわずかという走り方の私は、次々と追い抜かされるばかりでした。ゆるい坂を上りつめた赤坂では、日の出を待つ人たちが集まっていました。坂から下りて行く途中から堀の向こうのビル街に日が当たり始めました。
 とにかく53分で一周を走り通すことができました。今年頂いた年賀状の多くには"からだを大切に"といった言葉が書かれていました。満80歳を迎える今年、5qを走り通すことができた自信を持って、与えられた仕事をやり遂げるつもりになることができました。


  
   
                    ビル街に日が射す                日の出を待つ人たち






『2015・12・12「いちに会」』
 大学を定年退職した1997年4月から、日本ウオーキング協会を手伝うようになりました。協会は、それ以前から経験豊かなウォーカーたちへ、地図の読み方、イベント開催の要領など歩くのに必要な知識を講義し、指導者として認定しウォーキングの普及に努めていました。私は、自分が行ったウォーキング実践による減量効果など以外に、ウォーキングに直接かかわる研究成果を集めました。例えば、整形外科学分野での歩き方の分析、運動生理学分野での歩行スピードとエネルギー消費量との関係などです。それらの成果をまとめ、ウォーキング指導員を目指す人たちへ新しい内容の講義を始めました。
 JRの水道橋駅近くの協会の事務所の狭い会議室で、スライドを使って講義しました。その1回目と2回目の受講者たちが「いちに会」を組織したと聞いています。以来20年近く活動を続けてきました。特に、協会の運営にボランティアとして協力されてきたことは、ありがたいことです。
 現在は、協会のグループサークル会員として登録し、年6回東京近郊を歩くイベントを行っています。毎回40〜50名の参加があるという盛況ぶりです。年末には都内を歩き、その後総会と懇親会を開催しています。今年は、上野の森から合羽橋の道具街を抜けて、雷門前にある、“デンキブラン”で有名な“神谷バー”で忘年会を兼ねた総会でした。今回特別参加したのですが、その席で私がいなかったら「いちに会」は存在していなかったと紹介されました。昔行った仕事が息長く生きているのを知って、“よかったなあ”とつくづく思いました。


   
   
              会のエンブレム                   雷門                     懇親会





『2015・11・29「東京ノルディック・ウォーク」』
 大都市では、全日本ノルディック・ウォーク連盟の本部がある、大阪市がノルディック・ウォークの普及に力を注いできました。一方、大勢の人たちが歩いている東京では、それほどポールを持って歩く人の姿を見ることがありません。東京では、主に歩行困難者むけに、医師や理学療法士たちが指導にかかわってきたためかもしれません。
 2015年11月29日快晴の日曜日に、お台場で第2回「東京ノルディック・ウォークフェスタ」が、開催されました。10q、5q、4〜3qと比較的短いルートが設定されていました。参加者は400名近く、東京湾沿いの遊歩道を歩くと、向こう岸のビルの間に富士山を望みながら、レインボーブリッジの近くまで歩きます。帰路はレストラン街が入る"アクアシティお台場"の2階のフロアーを歩きます。そして、入り口に巨大なガンダムの像が立つ"ダイバーシティ東京"のそばがフィニッシュです。
 人口の島に工夫を凝らした公園には、トイレも各所にあり、さまざまなレストランが近くにあり、楽しく歩くことができました。今後、この人口の島はますます発展するでしょうし、参加者ももっと増えることが期待されるウォーキング大会です。


   
   
          川内会長挨拶              海沿いの遊歩道              フィニッシュ





『2015・11・22「遍路道ツーデーウォーク」』
 松山市で開催された「日本病院脳神経外科学会」の市民公開講座として行われたユニークなウォーキング大会が、その後国際市民スポーツ(IVV)の公認を受け、全日本ノルディック・ウォーク連盟との共催へと発展し、日本ウオーキング協会からの後援をもらって「道後湯けむり遍路道ツーデーウォーク」と名称を改め、第4回大会が2015年11月22、23日に開催されました。
 ポールを持って歩くウォーキング大会から、ポールを使わないウォーカーへ参加を呼びかけ、全国規模へ発展し全国からの参加者が増えました。道後温泉近くの公園がスタートとフィニッシュです。30,20,10qのほとんどのルートが88カ所巡りの"遍路道"にこだわって、スタートから三坂峠(初日)、久万(くま)高原へバスで送ってもらいスタートするように設定されていました。「遍路道を歩くのですから、途中でボランディアからの"お接待"を受け、"歩かせていただく"という感謝の気持ちをもって歩いてください」という実行委員長の挨拶がスタート前にありました。
 初日は快晴、松山と高知とを結ぶ旧土佐街道で、難所である遍路道を標高差400mぐらいの下り坂に苦戦しました。下りきったところにある"文化遺産"として残そうという街道筋の旅館"坂本屋"の前で、お饅頭とみかんのお接待を受けました。10qのフィニッシュ46番札所「浄瑠璃寺」でおにぎりの昼食が提供されました。
 2日目は曇り後晴れ、久万高原から上り。たくさんのお遍路さんとすれ違います。峠を上り前に、ケーキとミカンジュースの接待、下りたところで、トマトとお菓子の接待、44番札所「大宝寺」を詣で、国道へ出る前でいなりすしの昼食が提供されました。他にはない厚い"おもてなし"と巡礼の道に満足したウォーキングでした。 
「オールジャパンウオーキングカップ」と「四国マーチングリーグ」への加盟を申請していることから、四国4県のウォーキング大会関係者が、視察に来られていました。来年は第5回、さらに魅力あふれる大会となることが期待されます。



   
   
               要所にある道しるべ               浄瑠璃寺              大宝寺





『2015・11・14「鶴岡市合併10周年」』
 全国規模の市町村合併の趨勢の中で、6市町村が合併して新しい鶴岡市が誕生し、その10周年を記念した「スポーツフェスティバル」が、2015年11月14,15日開催されました。初日の夕方は、元オリンピック選手柴田亜衣さんが「水泳とわたし」と題して講演しました。3歳から水泳を始め、22歳で金メダルを獲得するまでの半生を、家族、先生、友人との交わりに触れながら語りました。1回に1500mを5回泳ぐ、100mを40回、200mを20回反復するインターバルトレーニングを行うなど、1日に朝晩で2万mをこなすという猛練習に耐えて金メダルを獲得できたという話に、集まった水泳好きの市民が感銘を受けていました。私はコーディネーターを務めましたが、30分も延長するほど会場からたくさんの質問があり盛会理に終了しました。
 2日目の午前は、小雨の中ふつうのウォーキング15qと親子で歩く3q、そして、地図をもとに市街地のチェックポイントの指定された風景を写真に撮ってまわり得点を競う"フォトロゲイニング"いうゲーム感覚のウォ―キングが行われました。フィニッシュとなる体育館には、握り飯、"あずき"あるいは"だだちゃ豆"入りのおこわ弁当、タケノコ汁、豚汁、柿、リンゴ、ラフランスなど、地元ボランティアによるいわゆる産直が開かれていて好評でした。
 午後は、唱歌や歌謡曲など馴染みの曲に振り付けされた12回目となる"フィットネスダンス・フェスティバル"が行われました。冒頭、知的障害者施設の"かたぐるま"というグループが、坂本九が歌っていた「明日があるさ」の曲に合わせて日ごろの踊りの練習の成果を披露し、参加者から盛大な拍手をあびていました。
 なお、この記念事業として、30頁の「鶴岡里山あるきガイドブック」が発刊されました。1頁ごとに、25のコースの特徴、地図、風景写真がカラーで印刷されています。市民に配られるのでしょうが、鶴岡市のスポーツ課へ問い合わせれば手に入るかもしれません。自治体でウォーキングを普及させたいと企画する人には、とても参考になるでしょう。



       
    柴田亜衣さん         フォトロゲイニング       障害者施設かたぐるまの皆さんのダンス





『2015・11・7「台湾国際快楽健行大会」』
 どう発音するのかわかりませんが、大会名が意味することがよくわかる「台湾国際健行大会」の第25回大会が2015年11月7,8日に台北市で行われました。外国人はヨーロッパ、アメリカからの人たちに加えて、40名ぐらいの日本人が参加していました。芝生が植えられた桃国中学校の校庭がスタートとフィニッシュです。両日とも晴れで、気温は30度近く、涼しくなった日本からの参加で歩き終ると、汗びっしょりとなってしまいました。
 初日は、スタートから30分ぐらい過ぎると、途中に階段がいくつもあるほどの急坂を川沿いに上ります。上り切ると川の反対側の道を下ります。下り終る地点で、10,20qへの分岐点となります。選択した5qは、電車の線路沿いの遊歩道を歩きフィニッシュです。フィニッシュすると外国人むけのウエルカム・パーティと称して、サンドウィッチとビール、ジュースが配られテントの下で、会話を交わしながら疲れを癒しました。
 2日目は、スタート直後から標高差は200m近くかと思われる、なだらかな上り坂を歩きます。ゆっくりゆっくりと上りましたが、途中の日陰で休みを取らざるを得ませんでした。上り切ると尾根道へ出ます。風が涼しく感じられ、市街地が眼下に広がる景色のよい道を下って行きます。下り終ると初日とは反対向きの電車の線路沿いの道を歩き、途中から新興の市街地を歩きます。川沿いの平坦な道を歩いた昨年のコースとは対照的に、山道の上り下りの多い大会でした。
 夕方には、外国人と大会関係者を交えてのフェアウエル・パーティです。大会会長の挨拶の後、アジア市民スポーツ連盟の会長として、来年の大会は、第3回の「アジアンピアード」を兼ねて行われると告示をしました。その後、IML大会75回完歩した1名の日本人が、続いて21回完歩者として2名の日本人が表彰されました。終わりに、各国からの参加者たちが、それぞれの国の歌を披露し合いました。日本人グループは、参加者の1名がコピーしてくれた唱歌"紅葉"を合唱しました。
 今回は、10数年前にノルウェーでのIML大会で一緒に歩いて以来となる、妻と2人の娘との家族での参加でした。ペースメーカーを装着した妻を娘が後押しするなど助けてくれて、無事歩き終わることができました。



        
スタート前             階段を上る





『2015・10・15「スポーツ安全協会」』
 紅葉真っ盛りの知床半島ウトロで、(公財)スポーツ安全協会都道府県支部の職員(ほとんどが都道府県体育協会の職員を兼ねている)の総会が、2015年10月14〜16日に開催されました。スポーツ安全協会は、スポーツに参加する人たちが遭遇する事故に保険金を支払う仲介をしています。今日掛けられている保険金額は年間100億円を超えるそうです。競技スポーツ選手以外にも、運動会、体育の授業などに参加する生徒・児童、さらに、私が関連してきたマスターズ水泳大会に参加するスイマー、さまざまなウォーキング大会に参加するウォーカーなどもすべて加入しています。市民レベルのスポーツが盛んになっていることを反映する数字ではないでしょうか。
 特別講演を依頼され、演題は「釣りとスポーツ」でした。どんな内容にすれば満足してもらえるのか悩みましたが"マナーとルール、そして、職業と趣味"を副題に加えて、各スライドには私が釣りをした写真を背景に入れ、そのときの様子を紹介しながら話を進めました。釣りでは職業としている人(フィッシャーマン)と趣味としている人(アングラー)にかかわる、マナーとルールについて話しました。基本的には自分を含め多くの人が持続的に釣りを楽しめるよう心がけることが重要と思います。特に、最近話題となっている"ライフ・ワーク・バランス"を実現するためにも、趣味を持つことの重要性を強調しました。
全国から参加されたみなさんは、会議の合間に黄色や茶色に染まった知床半島の風景に満足し、横断道路の峠から海を挟んで北方領土"国後島"を、間近に眺め複雑な思いをしたことでしょう。私は、釣り三昧でしたが、透きとおった川の中を歩くと、70〜80センチのサケが足にぶつかってくるという初めての経験をしました。流れから外れた滝壺では、丸々と太ったオショロコマやエゾイワナが釣れてきました。腹を割いてみると、胃袋にはサケの卵(イクラ)がいっぱいでした。川沿いの森の中に大木があって、両腕を広げて周囲を測ってみました。初めての秋の北海道、"道東の自然"を堪能した3日間でした。


   
   道東のご神木   1時間の釣果   胃の中にはイクラがいっぱい




『2015・9・25「IVVオリンピアード成都」』
 IVVオリンピアードがヨーロッパを離れて初めて、2009年に日本の河口湖町で開催されました。その後、トルコ・アンタリア、イタリア・ドロミテと続き、再びアジアに戻り、中国成都市で「第14回IVVオリンピアード」が2015年9月25〜29日に開催されました。中国内部に位置し交通が不便なため、海外からの参加者が少ないのではと心配されましたが、ヨーロッパから約500名、アメリカ、カナダから約80名、日本、韓国、台湾から40名ほどが参加し、中国人5000名ほどが混じって国際色豊かでした。
 ウォーキングとサイクリングの会場は「白鷺湾湿地」と名づけられた大規模な自然保護地域内でした。中国政府が多人数の集会に敏感で、ウォーキング、サイクリングの大会であっても、警察、保安といった制服を着た人たちによって厳重な入場検査が行われていました。  25日のフラッグパレードには、夕方から人びとが集まりだし、18:30から巨大なホール(花博覧会のときに建造された巨大なガラス張りの温室)に向かって各国の国旗を先頭に行進しました。数千人の参加者は並べられた椅子に着席、これまでのIVVオリンピアードでは見られなかった華やかな演出の下に開会式が行われました。
 26〜29日は、5,11、22qのルートが設定されていました。湿地帯の中に流れる川、あちこちにある池の間を縫うように曲がりくねった舗装された周回路です。周囲には日本でも見られる木々が植えられていて、まさに中秋の名月の時期でもあり、イチョウの枝からは銀杏がこぼれ落ち、金木犀のほのかな香りが漂っていました。また、大きな芙蓉の木にはピンクの花が満開でした。ところが、4日間同じルート設定のため参加者は不満のようで、次の日は矢印とは反対周りをする人が見かけられました。サイクリングは、いつも使っているからか中国人には人気で、大勢が並んで走っていました。また、別会場のスイミングは、低水温ということと、案内が不十分で残念ながら泳ぐことができませんでした。
 27日の午前中「パンダの繁殖研究基地」に行きました。たくさんの観光客がぞろぞろ歩いて見物していました。「熊猫揺籠」と名づけ、500頭近いパンダを政府が積極的に保護しているのを目の当たりにすることができました。
 最終日は、13:30頃から閉会式会場に人々が集まり。14:00閉会宣言の後、大会旗が次回開催国(2017年コブレンツ市)であるドイツの人たちに手渡されました。

 
   開会式                 パンダ

 
  サイクリング  閉会式を終えて満足感が一杯の皆さん
 




『2015・9・18「鶴岡里山あるき」』
 都市部に住む人たちに、自然と人とが共生する"里山"を歩こうと呼びかけたのは19年ほど前です。農業や林業に従事する人たちが、日ごろ歩いている道を歩こうというのです。自然は残っていますし、事故があっても救助しやすい"山歩き"です。加えて、歩いた後温泉に入り疲れをいやすことができる、ところが望ましいと提案しました。全国で4市町村が始めました。その1つ鶴岡市の第18回「里山あるき」が、2015年9月19、20日に行われました。はじめの頃は温泉のある湯野浜が出発地でしたが、現在は酒造りで有名な大山に変更されています。
 地元の保育園児が酒樽を叩いて、ウォーカーを励ましてくれます。毎年のことで、今年は振り付けも複雑となっていましたが、1年がかりで練習し元気に演奏してくれました。また、大山地区の婦人たちが"かき氷"や"豚汁"を用意してくれ、疲れたウォーカーには嬉しい"おもてなし"でした。
 鶴岡市は全国でもっともウォーキングが盛んな市です。年間、市民のためのウォーキング・イベントを25回開催し、すべてに参加、完歩した人に「鶴岡マスターウオーカー賞」が授与されます。今回は、4名の人が表彰されました。
 ところで、学童疎開で滞在した湯野浜へ、前日の午後出掛かけました。あっという間の70年でしたが、岩場から懐かしい鳥海山を眺め満足でした。小さい魚でしたが、マダイ、メジナ、ベラ、カワハギ、メバル、アジ、嫌われもののフグと7種類がよく釣れ、料理屋でから揚げにしてもらいおいしくいただきました。


 里山歩き表彰式

 
由良の磯     釣れた小魚
 

        


『2015・9・13「江東区ウォーキング12週間」』
 毎年、敬老の日頃から12月の初旬までの12週間、健康ウォーキング教室が、江東区健康センターによって開催されてきました。自治体がすすめるウォーキング講習会としては、もっとも古くから継続されてきた初心者講習会といえるでしょう。数年で部署が変わる職員の間で、引継ぎがうまくなされてきたのでしょう。
 2015年9月13日、第27回「ウォーキング12週間講座」の開会式に、出席しました。「高齢者人口の増加とウォーキング」と題して、私が話をした後、27年間タッグを組んで事業を手伝ってきた川久保清共立女子大学教授(循環器内科医)から、医学面の注意事項が説明されました。それから外に出て、50mの距離を何度か歩いて歩数を数え、自分の歩幅を確認してもらいました。
毎土曜日にみんなで歩く以外は、自主的に歩き"日誌"に歩いた距離などを書き込んでいきます。なによりこの講座が誇れることは、終了した人たちがグループをつくり歩き続けていることです。現在16のウォーキング・クラブがあるそうです。


 
 お話し  健康センター歩幅測定



日誌
 

        


『2015・9・12「ぴんころウォーク」』
 第3回「ぴんころウォークin佐久平」が、2015年9月12,13日開催されました。建立が平成15年ときわめて新しい「地蔵尊」ですが、健康長寿を願いたくさんの人たちがやってくるそうです。9月初めに79歳と平均寿命に近づいた私も、お地蔵さんの力にすがろうと大会に参加しました。この大会は、コースが酒蔵めぐりとスイーツめぐりに分かれています。初日は、25qの4つの酒蔵をめぐるコースと、12qの2つのケーキ屋をめぐるコースが予定されていました。歩いている途中でアルコールを提供するのはひかえ、酒蔵めぐりでは店頭で飲む酢が用意されていました。ゴール後4合瓶のお酒がおみやげに用意されていました。他方、スイーツめぐりでは、途中でお菓子が提供され、その場で食べることができ、女性たちが休息を取って喜んでいただいていました。
稲の穂が色づき始め、コスモスが咲き乱れる街道を歩きましたが、とてもさわやかなウォーキング大会でした。


 
ピンコロ地蔵尊

 

        


『2015・9・11「長野県高峰高原」―雲上の秘湯」』
 浅間山に連なる高原地帯に、東京オリンピックむけの高所トレーニング基地を造ろうと企画している人たちがいます。2015年9月11日、助言するために32年振りに訪問しました。1984年開催されたロスアンゼルスオリンピックの前年に、そこで日本代表水泳選手たちが強化合宿を行いました。合宿の午前中は、標高700mにある室内温水プールで水泳トレーニング、午後は標高2000mでランニングというのが、日課でした。その宿舎となった「高峰高原」は、現在"雲上の秘湯"として人気を集めているということです。ご主人と当時の話を交わし、懐かしい思いに浸ることができました。
 地元の人たちは、室内温水プールを中心に考えているようでしたが、建造費、その後の維持費が高額となることから、整備費やメンテナンスが容易なランニングコースを整備し、陸上でのスポーツ選手むけのスタミナづくりの拠点にする方がよいのではと提言してきました。




 高峰高原雲上の宿
 

        


『2015・8・29「水中ポールウォーキング体験ツアー」』
 整形外科を専門とする矢野英雄先生は、特に股関節に障害のあるたくさんの人たちの治療に当たってこられました。その患者さんたちが、先生を慕って「股関節症を考える患者の会」が1983年に結成されたと聞きます。この会は一旦解散されましたが、会員のみなさんからの強い希望から、2010年5月江戸博物館の会議室で300名近い参加者を集めて講演会が開催されました。講演を頼まれた私は、「歩けるうちに、一緒に旅行し、自然の中を歩き、交流を深めたら」という提案をしました。その会で、「100歳までウォーキングの会」が発足しました。(その年の10月に定価税込500円という格安の「〜加齢とともに増える歩行障害を乗り越えて〜100歳までウォーキング」、という本を公益社団法人日本フィットネス協会から発行しました)以来5年間年2回の割合でノルディック・ウォークを楽しむツアーが開催されてきました。
 最近になって、水中でポールを使ってのウオォーキングが定着し始めました。そこで、2015年8月29,30日「水中ポールウォーキング体験ツアー」が室内プールのある山梨県にあるリゾートホテルで実施されました。参加者45名近くで、昼に集合し、午後から水中ウォーキングです。スロープが仮設されたプールへ、歩行困難な人が介助者に導かれて水に入り、グリップ部分が水面に浮かぶストックを持って歩く練習を始めました。
 夕食後、私は「老いに克てるか」と題して、私自身のデータを示しながら話をしました。そして、老いには克てないが、からだを動かせる間は運動する喜びを味わいましょうと、締めくくりました。
 2日目は雨で、予定されていた"里山あるき"は中止となりましたが、ホテルの広いロビーでノルディック・ウォークのきめ細かい個人指導がなされ、みなさん大変満足の様子でした。並行して、水中ポールウォーキングの、生理学的、力学的、実践的研究発表会が20名近い専門家が集まって開催されました。より安全で、効果の高いプログラムづくりの討論がなされたのです。
 とにかく、移動が困難な人たちを自然の中で歩き、交流を深めさせようというツアーを5年間も続けることができました。事故を恐れて敬遠しがちな障害者の旅行、特に歩かせようという試みは稀有なことでしょう。これには、参加者を安全に誘導する富士温泉病院の医師、看護師、理学療法士などの職員とツアーを企画・運営したさんぽみち総合研究所のみなさんの協力があってできたこと、敬服しています。


 
 水中ポールウオーキング体験の様子



研究会
 

        


 

『2015・8・1「飛騨シューレ10周年」』
 富山県に接する岐阜県神岡町の市街地から離れた山奥にある「山之村」の子どもたちにスポーツを楽しませたいと、スポーツライター山田ゆかりさんが始めたのが「やまっこクラブ」です。どんなスポーツを取り入れたらよいか相談を受けました。ボールもラケットもコートも見たことのない硬式テニスを推薦しました。幸い、日本テニス協会の飯田藍さんが全面的に協力してくれて、校庭に手造りのコートを設置したのが10年前です。3年後「飛騨シューレ」と名前を変えて、神岡町、古川町まで活動の輪を広げる努力がなされました。ところで、発足当初は山之村小中学校の生徒数は20名でしたが、現在は6名と激減してしまったそうです。
 創立10周年を記念したイベントが隣接する高山市で、2015年8月1,2日に開催されました。初日は、「ひだグッドコーチングワークショップ」が、全国から子どもへスポーツ指導する人たち30名が参加して行われました。同時並行して野球場では「宇津木妙子杯6時間マラソンソフトボールゲーム」が、200名近い子どもや成人によって熱戦が繰り広げられました。最後に、宇津木さんの有名なノックを、参加者全員がそれぞれ受けるという経験をすることができ大感激のようでした。「一本一本のノックを通して、コーチと選手とのコミュニケーションを図ることが大切」という宇津木さんの言葉が印象的でした。
 2日目は、古川町の体育館内で「スポーツワークキッズテニス」が、飯田さんとその仲間の指導者たちによって行われました。午前と午後の2組に分かれて行われましたが、午前中は50名ほどの子どもたちが、喜々として参加していました。
 都市化が進む中、山地の子どもたちにスポーツを経験させようという試みが、熱心な一人の努力に周囲の人たちが応援し着実の成果を挙げているのを観て、日本もまだまだ捨てたものではないという印象を受けることができました。


飯田藍さんと

 
    キッズテニス           宇津木監督のノック  


           宇津木監督のノックを待つ長蛇の列                      


『2015・7・17「全日本マスターズ水泳大会:老いの程度が記録でわかる」』
 3月初旬の前立腺がんの摘出手術の後、「動かなければ、ますます動けなくなる」とリハビリテーションを始めました。手術跡の痛みと尿漏れから、強い運動ができず水泳が中心のリハビリテーションでした。目標を持った方が励みになるだろうと、4ヵ月後の水泳大会に出場することにしました。
 個人種目は5歳きざみで、グループに分けられます。今年は79歳ともっとも年齢が高いので、上位入賞は期待できません。そこで200m自由形1種目と、上位入賞が期待できる4名合計280歳以上となる区分の200m自由形リレーにエントリーしました。
 2015年7月16〜20日、東京辰巳国際水泳場で「ジャパンマスターズ2015」が行われました。200m自由形の前に練習しようとサブプールに行き、スタート台に立とうとしましたが、なぜかめまいがして倒れそうになってしまいました。しかし、スタートできなければレースに参加できません。両手をついてしゃがみこむようにしてスタート台に上り、低い姿勢から飛び込むことができました。本番でも、スターターの合図に合わせてスタート台に上り、しゃがみこんだ姿勢をとりました。見物していた人から、まるで陸上競技のような姿勢だったと笑われてしいました。
 やっぱり、200m自由形では75,76歳の人には負けて、メダルが貰える7位に終わりました。ところで、水泳記録は加齢とともに悪くなります。アメリカのマスターズ大会での200m種目は、50年間に35%、年間にすると0.7%の割合で低下すると報告されています。私の場合、56歳から68歳までは0.5%/年、68歳から77歳までは0.9%/年と低下割合がやや増え、77歳から79歳では2.4%と急激に悪くなっていました。加齢に、手術の影響が加わった結果と納得しました。リレーは、若い人のおかげで3位入賞銅メダルを獲得しました。

 
メダルをかけて記念写真                                    




『2015・7・13「全国高校野球選手権地方大会:弱小チームの思い出」』
 "夏の甲子園"と呼ばれる全国高校野球選手権大会での日本一を目指して、7月に入ると都道府県別の大会が全国一斉に始まります。4000近いチームが敗ければ終わりというトーナメント方式で行われますから、およそ半数の2000チームは1回戦っただけで、1年間の練習の成果を試す機会を失うことになってしまいます。そこで、強豪校のチームはシードされ、弱いチーム同士で戦い勝利する喜びを増やす工夫が取られようになっています。さらに、近年は少子化と野球離れから、1校だけでは野球チームが結成できず、近くの学校が連合してチームを組むことが認められるようになりました。
 私の息子は中学まで野球をやっていたのですが進学した高校に野球部が無く、他のスポーツへ鞍替えしてしまいました。その息子、つまり私の孫は小学校時代から少年野球チームに所属、中学を卒業して野球部のある都立科学技術高等学校へ進学しました。しかし、部員が少なく都立かえつ有明高等学校と連合して登録、2015年7月13日、初戦が行われることになりました。私も楽しみに太田スタジアムへ応援にでかけました。入場料800円には驚きましたが、バックネット裏の観覧席には家族や近所の人たち200名ほどが応援しにきていました。きれいに整備されたグランド、大きな電光掲示板、4名の審判員。ボールボーイ、場内放送は、テレビで観る甲子園の大会とまったく同じです。このような立派な球場で1回でも試合ができることで、高校野球選手は満足するのかもしれません。
 当の試合はこれまで初戦で敗退してきたチーム同士の対決、共に初戦突破を最大の目標に掲げていました。幸い応援した連合チームは勝利し、3年生は最終学年で初めて勝つ喜びにひたることができたのです。対照的に、敗けた高校の3年生は1回も勝利することなく卒業、悔しい思い出を一生持ち続けるのでしょう。孫は素質に恵まれているとは思われませんが、好きで続けてきて人数の少ない高校へ進学、1年生で試合にでられ勝利することができました。甲子園を目指す数万人の球児の中で、数千人に1人といった奇跡に近い幸運といえそうです。
 同じ日、「日本市民スポーツ連盟」の総会、理事会が開催され事業・予算案が承認され、第4代川内基裕会長の2期目がスタートしました。

 

 
初打席ヒット


東・西東京大会



『2015・6・26「日本ウォーキング協会賞」』
 一般社団法人日本ウオーキング協会平成27年度定時社員総会が、2015年6月26日に開催されました。そこで、「協会の副会長、会長、名誉会長として、長きにわたりIML、IVVなどの国際協力発展に寄与、国内のウオーキングに係る学術的発展に尽力されました」と、第14回日本ウオーキング協会賞(金子智一賞)が授与されました。
 東京大学定年退職後協会に入会し「日本ウォーキング学会」を会長となって創設、本年19回目が開催されました。ウォーカーとしては、IML(国際マーチング・リーグ)の大会を21回完歩し、銅、銀、金メダルを順次得ることができました。また、IVV(国際市民スポーツ連盟)では、副会長に選出され組織委員長として第11回IVV・オリンピアードを河口湖町で開催するのに協力しました。4日間で4万人近い参加者があり成功裡に終了できました。
副会長から、オリンピアードの組織委員長に就任するため名誉会長となりましたが、協会の不正経理発覚後の総会で会長に選任されました。全国の大会へ積極的に出かけ、開会の挨拶をし、参加者とともに歩き組織の統一に乱れがないように努力しました。2年が経過し、協会の再建の見通しが立ち、私自身の体調の悪化も引き金となって退任、名誉会長となりました。がん摘出手術も無事終わり、協会の役職を下りることになりほっとしたところです。

 

   
 副賞のワインを手にお礼を述べる



『2015・6・22「湯野浜ノルディック・ウォーク」』
 「国際ノルディック・ウォークin湯野浜」が2015年6月22日に開催され、翌日の「山形新聞」にその様子が掲載されました。第17回となりますが、これまで主管してきた鶴岡市観光物産課と湯野浜旅館組合が手を引き、教育委員会スポーツ課と鶴岡歩こう会が中心となって実行委員会を組織し、開催を続けることができました。月山を遠くに眺められる庄内浜と防風林としての黒松林を歩くのは別格です。全日本ノルディック・ウォーク連盟としても、この大会を日本での発祥として残すことを強く希望していましたが、成功裡に終わり安心しました。
 土曜日の午後帰国、日曜日の早朝鶴岡へ行き、10時からのスタート前に挨拶し、約4qの砂浜の中を歩き通すことができましたが、正直言って疲れました。月曜日帰京の前には、手術後初となる渓流釣りに短時間でしたが挑戦、ヤマメとイワナを釣り上げることができました。過信は禁物かもしれませんが、気力、体力ともに回復してきたことを実感しました。

   

        
   山形新聞で紹介されました           三世代にわたる層の参加が見られます



『2015・6・16「アメリカ市民スポーツ連盟総会」』
 広いアメリカの連盟は、10地区の支部から構成されていて、2年に1回総会が開催されます。今年は19回目に当たり、オレゴン州の州都セーラムで行われました。IVV-アジア会長として参加しないかという招待状が会長から届きました。交流を深めるのに役立つのではと応じることにしました。2007年のカリフォルニア州サクラメントで開催されて以来のことです。当時はIVVオリンピアードが河口湖で開催されることが決まっていたので、参加を呼び掛ける挨拶をしました。
 2年に1回の開催ということで、長い期間にわたって行われます。2015年は、6月13,14,15日はプレ総会ウォーキングが開催され、16〜19日が総会です。その後、20,21日にも総会後ウォーキング(計9回)が用意されています。組織委員長の挨拶では、“歩き、学び、友情を深めよう”と呼び掛けていました。総会のある日は、朝6時30分からバスで景勝地へ行きそこを歩きます。昼に帰って来てそれぞれ興味のある研修会(計19回)に出席、そして総会(3回)と続きます。
 私は、日本で行われ始めた歩行困難者むけのポール・ウォーキングと最近開発した水中ポール・ウォーキングについて話しました。みなさん興味を引かれたようで、終了後持参したポールを手に持って確かめていました。総会では紹介され、日本や東南アジアへ是非歩きに来てくださいと挨拶しました。
 2日間は市内の公園内のウォーキングを楽しみ、1回は80qほど離れた太平洋の海岸を歩きました。日本の多くの海岸と違って、漂流物のないきれいな砂浜が長く続き、スケールの違いを実感しました。
 総会では、次期会長、副会長、その他の役員の改選が行われました。会長と副会長は2名ずつの立候補があり最終日の投票で決まります。また、次期の総会の会場は、モンタナとニューヨークから申し込があり、これも投票で決まります。大会のパンフレットには、過去2年間に亡くなった人(228名)の氏名と、寄付をした人の氏名も記載されていて、まだ3万ドルほどなので、目標の7.2万ドルへ是非お願いしますと書かれていました。
 サイレント・オークションという催しが、1部屋借りて開かれていました。会員が持参した品々を机上へ置き、そこに氏名と購入金額を書き込む用紙が置いてあります。後から前の人より多い金額を書き込んで行くという、サイレント(黙って)値を釣り上げていくという方式です。いずれの品にも10名近い人が署名していました。最終日に売上すべてが寄付されるそうです。
参加費がいのには驚きました。全部参加する場合は、505ドル、1日参加は85ドルです。経済的に余裕のある人たちの組織であるのでしょう。95%以上がいわゆる白人でした。
 
     
      感謝状                水中ポールの講演

        
    公演後           サイレントオークション



『2015・6・6「加賀百万石」』
 北陸新幹線の輝きとにぎわいを増した城下町の魅力を知って歩いてたっぷり味わって下さいという第12回「加賀百万石ツーデーウォーク」が、2015年6月6,7日に開催されました。快晴に恵まれ、過去最多の参加者が歩きました。
 初日は、男川と呼ばれる犀川に沿っての10,20,30qのコースです。病後なのでもっとも短い10qを選択しました。きれいな水が流れる堀に沿った道を歩き、武家屋敷跡、西茶屋街、そして寺町寺院群を巡る歴史の残る変化に富んだコースです。途中室生犀星の生家跡にある記念館を訪れ、入り口に「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの、よしや・・・」という若いころ覚えた詩が入り口に大きく書いてあり、あの頃を思いに感激しました。
 夕方から「金沢百万石まつり」の行列が、金沢駅から金沢城まで練り歩き、広い道の両側には観光客を含めて数十万人が見物していました。
 2日目は、女川と呼ばれる浅野川に沿っての8、16、24qのコースが予定されていました。観光客でにぎわう東茶屋街から金沢城を抜けて戻ります。また、別に事前申し込みで満員になるという観光ボランティアが案内する「まいどさんコース」、保育士が幼児の手を引き父母が後から歩くという「保育コース」、金沢の味と伝統工芸を体験できる「記念コース」という5qほどの3つの特別コースが設けられていました。ところで、この日の出発式には、加賀藩18代当主と、江戸下屋敷があった東京都の板橋区長が挨拶されました。歴史を大切にする金沢市民の思いの表れだととても印象的でした。
 

        
       堀沿いの道          茶屋街を歩く     
 
菊川怜扮するお松の方とお供の御女中



『2015・5・30「京丹後市・小天橋」』
 花咲く浜辺、遊歩道を歩こう! と呼びかける「京丹後市国際ビーチノルディック大会in小天橋」が、2015年5月30日開催されました。日本海へ沈む夕陽が美しいこともあって、午後4時スタートの4q、7qの海浜ウォーキングです。
 スタートまで時間があったので、ぼけ封じの「楽寿観音」と悪い所、痛い所を取って頂くという「なで観音」が安置されている極楽山泰平寺へお参りに行きました。観音様が男性か女性かはっきりしないようですが前立腺がんを患っているので、「なで観音」からお加持して頂けるように自分のからだを"なで"、観音様を"なで"ました。そして、"ぼけ封じ観音御守"と仏陀の足の裏を見てこれを敬えばという"仏足・足腰御守"を購入しました。終に、仏にすがる年齢になったのでしょうか。
 潟湖である久美浜湾にある 小天橋海水浴場が集合場所です。夕方4時ちょうどにスタートして遊歩道を歩きました。遠くに丹後半島の山並みを眺め、足元には浜夕顔が咲き乱れる、とてもすがすがしくなる、気持ちの良いウォーキングでした。夕方には"漁師めし"という夕食を摂りながらの懇親会が開かれました。この会場は、大坂名物「くいだおれ」の創始者が1974年に見つけたという源泉56度の透明な温泉旅館でした。
 西方には滋賀直哉の小説で有名な城崎温泉、東方には日本三景として知られる天橋立がある観光スポットの中心に位置しています。来年、大会に参加してみたらどうでしょう。

       
なで観音     浜夕顔の花     丹後半島の山並み     目印の旗



『2015・5・15「横浜市瀬谷区」』
 健康寿命日本一を目指す横浜市、市中でももっとも盛んな瀬谷区でウォーキング関連の指導者、行政関係者などに話をすることを頼まれました。手術前の3月6日の話でしたが、退院後2ヵ月過ぎれば回復しているだろうと思い、2015年5月15日に行うことを承諾しました。幸い、2時間弱、立ったままで話をすることができほっとしました。
 2014年から、横浜市、凸版印刷、オムロンヘルスケアの共同事業として、「よこはまウォーキングポイント」という事業が始まりました(チラシ参照)。参加登録した人へ無料で歩数計が届きます。協賛した店舗で歩数が記録してもらえ、1日の歩数が2000歩から2000歩ごとに1ポイントずつ増えていきます。3ヵ月ごとに200ポイント以上達成した人には、抽選で3000円相当の商品券が抽選でプレゼントされるという仕組みです。すでに、10万個配布されたそうですが、なかなか利用者が増えないと嘆いていました。皆さん、どうしたら歩く人を増やすことができるのかを、聞きたかったようです。
 そこで最初に紹介したのがドイツオリンピック委員会の建物内にある「太ったダビデ像」です。この像の下に「動かなければ太りますよ!」という銘が貼ってあるという話です。この話を紹介している近藤尚己さんは、要約すれば次のように述べています。「朝8時から夕方5時まで台の上でじっとしていなければならない。年中無休。(太ったダビデのような)そうした生活を送っている太った人を運動させ痩せさせようとするのは、よほど魅力的なプログラムでなければたくさんの人を参加せることは難しいでしょう。」
 私がこれまで関係した数冊の書籍の中のキーポイントを順次紹介、その後実際に自治体にウォーキングの普及に協力した経験を話しました。27年を越える東京都江東区のウォーキング12週間教室、23年に及ぶ山形県鶴岡市のウォーキングビンゴなどです。この2つの例から見ても、運動する習慣の無い人、動くのが嫌いな人を、ウォーキングさせるようにするためには、長く続けることがカギではないかというメッセージを残しました。
 その間、慢性疾患にかかって周りの人に迷惑をかけることを望むのですか、寝たきりで老人施設に収容されていたいですか、などの運動不足のマイナス面と、心筋梗塞、脳梗塞、肥満症、糖尿病、認知症、うつ病などを予防することができますという運動実践のプラス面を、訴え続けることが大切であることは言うまでもありません、と締めくくりました。

         
ウォーキングポイントのチラシ        実技を試してもらう      太ったダビデ像
(太ったダビデ像の引用元URL:http://adsoftheworld.com/media/print/german_olympic_sport_federation_david



『2015・5・2「ウォーキングフェスタ東京」』
 1915年に東京市長がワシントン市へ桜の苗木を贈呈した返礼として、ハナミズキの苗木が東京へ贈られた80周年を記念して、大規模な3日間のウォーキング大会が1996年スタートしました。「国際スリーデーマーチ」と名づけられた大会は、広い小金井公園が主会場ですが、そこから小金井市など周辺の市街地をたくさんのウォーカーたちが並んで歩くので市民に迷惑がかららないようにと、花・水・木という3つのルートが設定されました。それぞれのウォーカーが毎日自分で選んだルートを歩くという特異な大会でした。
 2011年東日本大震災のため大会は中止となり、その後「ウォーキングフェスタ東京」と名称を変えて、2日間の大会となりました。今年は20回という節目の大会です。5月初めというのに真夏日を思わせる強い日差しの下でのウォーキング、熱中症予防の注意が出発前に何度も主催者からありました。ところで、日本市民スポーツ連盟会長の勤務する「小金井リハビリテーション病院」の職員40名近くが、おそろいのTシャツを着て車いすの患者をまじえて歩くのが目を引きました。
 日本市民スポーツ連盟は、公認したウォーキング大会やイヤーラウンドコースを歩いた距離を「国際市民スポーツ連盟パスポート」に認定の印を押しています。その累積距離が地球一周に相当する4万キロが、ウォーカーの目標です。その目標を越えて5万キロに達した人が出始めましたので、昨年からこの大会で表彰することにしました。今年も10名を越える人たちが対象となり、認定書、50000qと刺繍したワッペンとバッチを、額に納めて一人ひとりに手渡しました。7年で達成した人、16年かけて達成した人など、皆さんの誇らしげな、晴れ晴れとした表情がとても印象的でした。

      
表彰状を手渡す           スタートのゲート
   
     スタートする人を見送る日本市民スポーツ連盟会長


『2015・4・18「戴灯式」』
 3月5日手術、14日退院してから、恒例の卒業式、入学式にむけて、歩く、泳ぐに励み、出席することができました。そして、看護師志望の学生がローソクを灯して「ナイチンゲール誓詞」を口にする、厳かな雰囲気の戴灯式が2015年4月18日に開催されました。そこで、校長として次のような挨拶をしました。
「日本看護協会」は、一人ひとりの患者に寄り添い、痛みの声を聴き、ケアする看護師。そんな"看護の心"の大切さを発信しています。では、この心とは、一体どういうものなでしょうか? 脳を構成する何百億という神経細胞は、何層にも階層が分かれ、ネットワークを形成しています。この物質である 脳細胞のネットワークの中から、目に見えない、心という不思議な"はたらき"が、生み出されてきます。ところで、脳のネットワークには、誕生以来、見たり、聞いたりして、知識が積み重ねられてきます。これを記憶と言います。
皆さんは看護に必要なさまざまな知識を取り込んでいることでしょう。これらの知識は、変わりやすい心と違って、誰でもが、同じように持つことのできる、確かな事実からなっています。これら看護に必要な知識に基づいて、皆さんは、実際の看護に当たることになります。看護の仕事は、傷の手当て、採血、血圧を測る、など手と指を使うことが多いでしょう。そこで、それぞれの場合に応じ、記憶した医学的知識を組み合わせて、適切な指示を手や指の筋肉へ伝え動かすのです。このときに、心が介入します。ですから、前に紹介した「一人ひとりの患者に寄り添い、痛みの声を聴き、ケアする」"看護の心"が、重要となってくるのです。看護師が、他のことに心が奪われているようでは、決してよい結果はえられません。
もう一つ、伝えたいことがあります。それは、処置する場面に応じて、記憶を整理し、手当ての方法を決めるときに、その記憶が確かなものであったかどうか、もう一度確認することです。生命にかかわることですから、決して、記憶があやふやなまま、実行しないでください。まず、皆さんに必要なことは、医療の知識を、正確に記憶していくことです。次に、それらの知識に基づいて、実際に行動することです。そのときに、"看護の心"を忘れないでください。
これから、卒業試験、そして、国家試験という関門が待っています。健康なからだと心をもって、輝かしい目標に向かって進んでください。

      
学生代表から誓いの詞を受ける         戴灯式


『2015・3・14「手術、そして退院」』
 生きたままの細胞を採り出して調べる「生検」によって、前立腺にがんの存在が見つかり、ふつう後期高齢者には行わない摘出手術を選択しました。「内視鏡下手術用ロボット支援下根治的前立腺摘除」という長い名前の手術です。
 2015年3月4日午前中に入院、さまざまな説明を受け数枚の同意文書に署名しました。その後、下肢の太さが測られ、手術部位の剃毛を受けます。通常の夕食を摂り、下剤を内服して就寝しました。
 3月5日、朝6時に常備薬を服用後飲水禁止となり、排便後8時から点滴が用意され、手術室へ歩いて向かいました。手術台に寝て、心電図モニター、動脈血酸素飽和度測定器が装着され、血栓予防用のフットポンプが下腿にまかれました。麻酔後は気管に管を入れ酸素を補給するという説明を受けた後、意識がなくなりました。
 意識が戻った瞬間は数分しか過ぎていない気分でしたが、後で聞くと8時間近く麻酔下で意識がなかったようです。気管への管は抜かれ、酸素吸入用のマスクをつけながら病室へ戻りました。体温も37度台に収まり、麻酔から覚めたか覚めないのかわからず、うつらうつら夜を過ごしました。
 手術の翌日、医師と看護師の付添いの下で歩くことになりました。ベッドから立ち上がったのですが、歩ける自信がなく断念しました。しかし、午後になって再度挑戦し、歩行器につかまりながら10数m歩けました。そして、フットポンプと心電図モニターが外されました。
 4日目、腹部の排液用の管が抜かれ、自分でシャワーを浴びて感染しやすいカテーテルが挿入されている陰部を入念に洗うよういわれました。6日目、膀胱と尿管との吻合部に漏れがないかレントゲンで調べ、膀胱に留置されていたカテーテルが抜けました。毎日カテーテルから排泄される尿量が測定され、1〜1.5l出ていることが確認されていたので、カテーテルを抜いた後は、自分で採尿した分量を測ること、そして尿漏れによる分は腰に当てたパットの重量から推定することになりました。6日目の正午から7日目の正午までは、排尿した分が1,515ml、尿漏れ分が265mlと、調節がうまくできていると誉められました。
 7日目、管を挿入した腹部の皮膚を止めていたホチキスが抜きとられました。一方、毎日の歩く距離を延ばすように努力しました。8日目、9日目と尿漏れの程度、傷口の治り具合、その他の体調が観察され、退院してもよいという診断がなされ予定よりもやや早く14日の午前中に退院しました。まだ、腹部に痛みが残りますが、"時間が薬"といわれ、時間をかけてリハビリに専念しようと思っています。

  
摘出された前立腺            分割された前立腺     




『2015・3・1「シルバーレクスポーツ大会」』
  シニアになってもスポーツ・レクレーションを楽しみ、スポーツができる健康を喜び味わいつつ、地域住民の交流と参加者同士の親睦を図ることを目的とした「鶴岡地区シルバースポレク大会」が、第20回を記念して2015年3月1日に開催されました。山形県の旧鶴岡市内の60歳以上の人たち308名が、地区ごとに11チームに分かれ参加しました。
 春まだ遠い寒い時期ですので、大きな体育館の中で、アトラックゲーム(大きな輪投げ)、ソフトバレーボール、シャッフルボード、ラージボール卓球の4種目のゲームが競われました。私は、ゲーム開始前の40分間「筋肉を鍛えて健康寿命を延ばす」と題して、実技を交えて記念講演を行い、ました。
ところで、前立腺がんの予防に運動実践が役立つといった研究報告を読んだことがありませんでしたので、講演の中でがんについては触れることなく元気に振舞い半年前に約束した仕事を手術前に無事終わることができました。
昼食を挟んで午後3時まで、みなさん活発にゲームを競っていました。
身体を動かすことで得られる効果は、精神的にも良い効果があることです。元気な時はもちろん、図らずも何らかの病気を抱えることになった時も、その時々の自分に合った身体運動を続けることが大切です。もちろん専門家の意見を聞いて。

  
まずは準備運動
  
        アトラックゲーム          ソフトバレーボール       シャッフルボード         




『2015・2・15「羽黒山雪上かんじきウォーク」』
 ウォーキングを山形県鶴岡市民に普及させようと、教育委員会スポーツ課の手伝いをして20年以上が過ぎました。現在では、年25回に及ぶ「てくてく健康ウォーク大会」が開催されるまでに盛んとなり、たくさんの人たちが日ごろからウォーキングを実践しています。
 ノルディック・ウォークも、16年前に日本で初めての大会を湯野浜海岸で開催し、2本のポールを持って歩く良さを全国に発信してきました。というのも、日本海に面した鶴岡市の冬季は、北西の風が強く晴れる日はほとんどありません。天候を理由に、ウォーキングの習慣を止め、家に引きこもることが危惧されていたからです。
 そこで、冬の雪の中を"輪かんじき"で歩く、雪上ウォーク大会を始めました。今年で12年目になりましたが、ノルディック・ウォークになじみがあること、また昔は生活の中でかんじきを履く習慣があったことから、期待した以上の参加者がありました。今年も80名を越える人たちが、2m近い積雪の上を一列になって歩きました。林の中は静かでしたが、雪原にでると身を切る風に吹きさらされました。5qを約2時間かけてゴールした後は、なめこの具とつき立ての餅とが入った暖かい汁が待っていました。
 高齢者がさらに増える中で介護報酬が引き下げられ、介護する人が相対的に減少することが危ぶまれています。いつまでも他人の手助けを必要としない高齢者の割合を増やすことが、根本的な解決策です。"歩かなければ、歩けなくなる"を標榜して、鶴岡市のスポーツ課は取り組んできました。今日こそこのような行政サイドの積極的な姿勢が求められているのではないでしょうか。

   
     厳しい冬の日本海                             羽黒山を元気に歩く         




『2015・2・8「がん告知の前と後」』
  男性にしかない臓器"前立腺"にがんがあると、2014年12月8日に告知されました。前立腺がんが発生するのは、加齢にともなって多くなるという年齢依存性が高いといわれます。そして、初期には自覚されず、その兆候を知る手段としては、採血してPSAという腫瘍マーカーの濃度を検査するという方法が確立されています。
 私は、20年前から毎年検査を受けてきました。4ng/mlが目安で、それを超えると疑われます。60歳から74歳までは、検査の値は基準以下でした。しかし、2010年7月の検査で4.8ng/mlとなり、前立腺から組織を採取して、がんの有無を調べる生検という手術を受けました。ランダムに採取した11箇所のサンプルからは、がんが見つかりませんでした。その2年後、2012年5月も同様の生検を受けましたが、がんが無いということでした。
 ところが、2014年4月の検査でPSAの値が、5 ng/mlを超えてしまいました。この病気の治療は長くなると思われたので、病院を家の近くに変え生検を受けることにしました。新しい病院では、疑わしい場合18箇所から組織を取り出して調べるということでした。その結果、12月8日に8箇所からがんが見つかったと診断されました。
 前立腺がんの治療法は手術療法、内分泌治療、放射線療法などいろいろあって、医師と相談の上、患者自身が選択するのだそうです。これは、インフォームドチョイスといわれます。医師の説明では、一般的に平均余命から考えると、がんが進行して死に至るよりも先に他の病気で死亡することが多いので、70歳後半の人には前立腺全摘除術は行わないということでした。
 しかし、私は現在の体調がそれほど悪くないので、手術を選択することに決めました。手術するかどうかの最終判断は、他の臓器に転移していないかどうかを確かめる必要があるということです。まず転移しやすい骨について放射線同位元素を使った骨シンチグラフィーという検査を、加えて他の臓器についてMRI検査を受けました。転移は認められないということで、「内視鏡下手術用ロボット(da Vinci S)支援下根治的前立腺摘除術」を3月5日に行うことが、2015年1月21日に告げられました。
 がんに対しては、早期発見、早期治療といわれます。私は、その通り真面目に対応してきました。そして、がんがあることを告知されたのです。ですから、告知からの2ヵ月間、寿命がはっきり見えてきたと自覚するとともに、がんがあることを素直に受け入れることができたような気がします。そして、日記に書く余裕もでてきました。
入院までの1ヵ月間、術後の早期回復を期待して、入院まではからだを鍛えておこうと水泳と筋力トレーニングに励んでいます。




『2014・11・16「道後湯けむり遍路道」』
 八十八ヵ所の寺を歩いて巡る四国霊場が開創されて、今年で1200年になります。それを記念して第3回「道後湯けむり遍路道ツーデーウォーク」が、2014年11月15,16日に愛媛県松山市で開催されました。
 所用があって2日目だけの参加となりました。20qコースは中央会場である道後公園から大型バスで、スタート地点となる四十六番札所「浄瑠璃寺」へ行きます。スタート前に、このルートは遍路道を歩くことから、途中で訪れる六つの寺では、立ち寄って合掌するようにという勧めがありました。
 かんきつ類や柿の実が色づいた遍路道をたどって四十七番札所「八坂寺」に寄ります。途中の「杖の淵公園」では、つき立ての大福が用意されていました。四十八番札所「西林寺」の手前で、昼食のお接待です。朝早くから地元の女性ウォーカーたちが握ってくれた手作りのおにぎりと暖かい豚汁が用意されていました。
 ゆっくりと昼食をいただいて、「西林寺」の裏からかんきつ類と孟宗竹の林の中の山道を四十九番札所「浄土寺」へ立ち寄り、続いて五十番札所「繁多寺」、そして道後温泉に近いせいかたくさんの観光客が訪れる五十一番札所「石手寺」を詣でました。そこでは住職の自筆の「再会」と書かれた短冊が配られました。
 これまでのウォーキング大会では経験したことがないほどたくさんのチェック・ポイントがあって、六ヶ寺でそれぞれ押印してもらいます。とてもよい思い出になります。私は、大会プログラムの祝辞に次のように書きました。「激しく変わっていく世の中に、いつまでも残しておくべき人のこころがあります。1200年の歴史が築き上げた貴重なこころ(おもてなし)の文化を、ツーデーマーチを通して、感じとってほしいと思います。」
あまり知られていない大会ですが、是非一度は歩いてみてはどうでしょう。遍路道に今でも残る「お接待」を実感した大会でした。

    
     道後公園からスタート      遍路みちの標識    お遍路さんと一緒にお参り   チェックポイントの押印         





『2014・11・08「国際快楽健行大会」』
 2年ぶりに台北市で行われたウォーキング大会へ参加しました。羽田空港から市内の松山空港までの直行便が就航したので、とても行きやすくなりました。IMLとIVVの公認大会であることから、日本人や日本スリーデーマーチに参加したヨーロッパからの人たちがたくさんいて、国際色豊かな大会となったという印象でした。
 2014年11月8日の初日は、曇り時々晴れで蒸し暑いのではないかと覚悟して行きましたが、歩きやすい天候でした。明倫高等学校の校庭が中央会場で、スタート前に原住民と呼ばれる人たちの民族踊りが披露され、役員の挨拶の後スタートしました。「孔廟」の前を通り基隆川の堤防の上、運動公園となっている河川敷を歩いて、圓山大飯店のそばから戻るという変化に富んだルートでした。ノルディック・ウォークが盛んになったようです。ポールを販売している広告の漢字はとてもよくわかる表現でした。
ウォーカーが戻り始めた午後1時から、校庭で外国人むけの"ウエルカム・パーティ"です。2本の缶ビール、バナナとみかん、カップに入った焼きそば、それに稲荷すしと海苔巻が用意されていました。
 2日目は、スタートから大雨となり、雨具の無い人にビニール製のカッパが配られました。「万国花博覧会」が行われた公園の中を通って、圓山大飯店の入り口まで上ります。ちょうど山形県の高校生の修学旅行の一団がバスに乗り込むときでした。台湾でもっとも有名なホテルに一泊するという贅沢の想い出を残してあげようという心遣いでしょうか。初日の基隆川に沿って上流へ向かい橋を渡って、河川敷を歩いて戻ってきました。後半は雨も小降りとなって、元気良い足取りで帰ってきました。
 夕方6時から広い食堂でのフェアウェル・パーティです。IMLの表彰の後、それぞれの国の人たちが自国の歌を合唱、もっとも多い日本人も負けじとばかり、「上を向いて歩こう」と「故郷」を歌って盛り上がりました。
 2年後は、「第3回アジアンピアード」が同時開催されることが決まっています。大会主催者である「中華民国山岳協会」の会長さんも、すでに準備に入ったということ期待できるでしょう。



    
               記念撮影             漢字のノルディック・ウオーク           雨の中をスタート         




『2014・11・01「アジアンピアード」』
 4年前に結成されたIVV-アジアは、2年に1回ウォーキング、サイクリング、スイミングなどの種目からなる「アジアンピアード」を開催することにしました。第1回は韓国で行い、第2回は埼玉県東松山市で行われる「日本スリーデーマーチ」に組み込まれる形式で行うことにしました。
 IVVの会長、副会長、事務局長、会計の4役が来日してくれました。前日の2014年10月31日夕方歓迎パーティが行われ、外国からの参加者が招待されました。東日本大震災と原発事故の風評で外国からの参加者は100名以下と減少しましたが、今回は200名を超える参加者がありました。外国人が増えた背景に、「アジアンピアード」の同時開催も一役買ったと思っています。
 初日は、雨が降るあいにくの天候でしたが、2万人を超える参加者があり日本スリーデーマーチの人気の高さに驚きました。この日の午後IVV-アジアの代表者会議があり、中国が発足以来加盟費の未納という会計報告がなされました。中国代表者の言い分は加盟費(年会費200米ドル)を支払っても、何ら見返りが得られないからという理由でした。だれもが納得できる理由ではなく、規約不履行ということで残念でしたが退会してもらいました。なお、次期会長は私が推挙され努めること、また第3回の「アジアンピアード」は2年後(2016年)台湾の台北市で行うこと、第4回はインドネシアのジョグジャカルタで開催(予定)することが決まりました。
 2日目は午前中快晴、午後曇りという天候で4万人近い参加者があり盛況でした。サイクリングは12:00から14:30、ウォーキング・ルートの途中にある森林公園内の常設コースで、自転車を借りて行われました。IVV会長と一緒に14qの起伏のあるカーブの多いコースを一周、1時間ほどかかりました。久しぶりの自転車でバランスを失いやすく、転倒しないように慎重な運転で、肩や腕が緊張のしっぱなしで疲れてしまいました。
 3日目は曇りのち晴れ、12:00から15:00まで「スウィン松山スポーツクラブ」の好意によって25m室内温水プールを借用、快適にスイミングを楽しむことができました。特に、水泳指導員たちの笑顔の応対が、とても印象的でした。
 IML(国際マーチングリーグ)の公認大会である「日本スリーデーマーチ」に組み込まれて、第2回アジアンピアードは無事終了できました。主催した日本市民スポーツ連盟(JVA)が、実行委員会や日本ウオーキング協会の人びとの協力を得て成功裡に終わったと感謝しています。


   
                       雨の中央会場          アジアンピアードの記念パッチ          

  
公園の広場で昼食           IVV会長とサイクリング           笑顔の水泳指導者   




『2014・10・24 韓国国際ウォーキングフェスティバル」』
 第20回国際ウォーキングフェスティバルが、ソウル市で2014年10月25、26日に開催されました。第20回というのは、韓国原州で開催された国際ウォーキング大会(IML)から数えてのことです。数年前、韓国では国際マーチングリーグ(IML)と国際市民スポーツ連盟(IVV)とに加盟する団体が2つに分かれ、IVV傘下の韓国体育振興会がこのフェスティバルを主催するようになったのです。
 スタートとフィニシュとなった会場は、新しく開発された大規模な住宅街の中央に造られた巨大なショッピングモール(Garden6)にある広場です。地下鉄の終着駅になっていて、市民が集まりやすい場所です。
 朝9時から舞台の上で開会のイベント(初日は他のウォーキング大会では見られないアラビア風の女性の踊り、2日目は少年たちの空手の模範演技)が行われ、関係者の挨拶の後、25q、10q、5qの順に出発して行きました。1日目は広い歩道から、幅30mぐらいの川に沿って歩き、合流した"炭川"の河川敷に造られた歩行と自転車専用道路が並行しているところを歩きます。川では休日とあって釣り人がたくさん見られました。
2日目は、同じ"炭川"の下流から韓国一の大河"漢江"向かって歩きます。平行して造られている自転車ロードは、絶え間なくヘルメットを被った人たちがサイクリングを楽しんでいました。7qほど下ったところで橋を渡り"ロッテワールド"の遊園地が見渡せる池の畔に出ます。一休みをして広い幹線道路にそった広い歩道を歩きフィニシュでした。
 国際大会ですから、スイスから2名、日本からは「21世紀の朝鮮通信使」参加のメンバーが10名ほど一緒に歩きました。ちなみに2年に1回開催される「朝鮮通信使」は、来年第5次が4月1日ソウル発、5月22日東京着で行われると参加者を募っていました。2日目には、中国大連のウォーキングクラブ会員が約350人参加しているのには驚きました。地域ごとでしょうか、グループごとにIVVのマークの入った旗を振ってにぎやかな行進でした。東松山の日本スリーデーマーチにたくさんのアジアの人たちが参加する予定と聞いています。ウォーキングは"草の根"の国際交流の役目を果たしていると、実感した大会でした。齢のせいか帰宅したとたんに寝込んでしまいました。


  
           開会式のイベント          大連からの参加者          

  
               歩道と自転車ロード           ロッテワールド建設中の103階建てのホテル   




『2014・10・16 「日本ウオーキング協会創立50周年記念式典」』
 1964年10月17日に創立された現在の一般社団法人日本ウオーキング協会は、創立50周年記念式典を挙行しました。私は名誉会長ですが、国際市民スポーツ連盟(IVV)役員として次のような祝辞を述べました。
 「だれでもが参加できる勝負や記録を競わないスポーツをという掛け声を基に、ヨーロッパで組織されたIVVは、現在50ヵ国以上が加盟する国際組織です。いかにも、その歴史は古いように感じられますが、実は1968年に創立されたのです。日本ウオーキング協会が、それよりも早く創立され、50周年を迎えたことに、改めて感動を覚えるのです。
 ウオーキング協会が、日本にはすでに存在していたことでIVV活動を受け入れやすく、アジアで初めての加盟国となりました。そして、日本でのウオーキング大会の運営がしっかりしていることから、2年に1回のIVVオリンピアードがヨーロッパ以外の国で初めて、富士山麓で開催され成功裡に終わったことは記憶に新しいところです。
 アジアでのIVV加盟国は、日本の他、韓国、中国、台湾、インドネシアの4ヵ国にすぎません。急速な経済成長を続けている東南アジアの国々において、ウオーキングが普及して、世界の人びとが参加できるウオーキング大会を主催できるようになることを、IVVとしては期待しているところであります。
 他方、韓国や中国といった隣の国々と日本との関係が、現在うまくいっていないのは皆さんご存知の通りであります。私どもが韓国や中国のウオーキング大会へ積極的に参加するとともに、韓国や中国から日本の大会へたくさんのウォーカーが参加するよう働きかけるべきではないでしょうか。異なる国々の人たちと一緒に歩くことは、心を身近に通わせる最良の機会であります。日本ウオーキング協会が世界の中での役割を理解し、国際的にも積極的に働きかけることを希望しております。
 また、国内的には増え続ける高齢者がいつまでも元気に歩けるように、そしてまた、減少している子どもたちが歩くことを通して元気に育つように、日本ウオーキング協会が先頭を切って活動されることを願って、祝辞とさせていただきます。」
 なお、式典に先立って、記念研修会が行われました、全国から180名以上の指導員が集まりました。私は「科学的研究成果とウォーキングの健全な普及」と題して、久しぶりに気合を込めて基調講演を行いました。

 
会場入り口で          役員記念撮影    



『2014・9・27 「奥美濃を歩く」』
 名古屋大学に勤務していたころ非常勤講師をしていた東海学園大学は、3年前から「健康運動倶楽部」を組織して、近隣の高齢者むけの運動指導を続けています。入会すれば週2日行われる運動教室へ1回500円で参加できます。この倶楽部では、季節ごとに登山家である島岡清教授が引率して、低山歩きを実践してきました。その第12弾として、2014年9月27、28日に「美濃禅定道とひるがの高原ウォーク」が開催されました。
 初日は、信仰の山としてにぎわっていた白山頂上へむかう修験の道である「美濃禅定道(ゼンジョウドウ)」の起点となる白山中宮長瀧寺を詣で、車で峠を越えて石徹白(イトシロ)にある白山中居神社へと行きました。樹齢1000年を越えるという杉の大木のある荘厳な境内を散策しました。丁度その頃、数10q離れた御嶽山が噴火したことを後で知りました。石徹白川は、名古屋にいたころイワナ釣りに行った思い出深い川です。
 2日目は、ノルディック・ウォークを中心とした、第5回「ひるがの高原ウォーク」へ参加しました。雲一つない秋空の下、スタート地点である冬季はスキーのゲレンデとなる「コキアパーク」へ予想以上の人たちが集まり、準備したコースマップなどが不足するなど主催者はうれしい悲鳴をあげていました。スタート前、真っ赤に色づいた和名"ほうきぐさ"の植えられた広場に集まった人たちに、色とりどりの風船が渡され合図とともに一斉に離し青空へ舞い上がって行きました。
 ひるがの高原は、世界戦争後帰国した入植者たちが開拓したとのことですが、その後別荘地として発展したといわれています。別荘が点在する林の中を左回りに一周するコースです。途中には太平洋と日本海とへ水が2つに分かれ流れる分水嶺があり、湿原の中の木道を歩くなど変化に富んでいました。最後上りつめると眼下にスキーゲレンデが広がる頂上です。そこから、いろいろな花が植えられたゲレンデを下りてくると10qのフィニッシュでした。

    
スタート前風船を飛ばす       色づいたほうきぐさ          白山長滝寺にある碑            白山中居神社   



『2014・9・19 「国際市民スポーツ連盟総会」』
 国際市民スポーツ連盟(IVV)は、勝負、記録を競わない、みんなが参加できるスポーツ大会を広めようと1968年に結成され、日本は1994年に加盟しました。それから46年が経過し、加盟国は50ヵ国を越え、ウォーキング、サイクリング、スイミングを中心にした「IVV オリンピアード」というみんなが楽しむ大会が、1989年から2年に1回、場所を変えて開催されてきました。
 2014年9月19~21日に、ドイツのハンブルグでIVV総会が開催されました。まず、事業・会計報告があり承認された後、中国の成都で開催される2015年の第14回「IVV オリンピアード」の案内がありました。続いて、次回2016年総会はブラジルのリオデジャネイロで、第15回「IVV オリンピアード」は2017年オーストリアで、次々回2018年総会はドイツで開催されることがそれぞれ決定されました。
 私は、1999から「IVV オリンピアードと総会へ毎年参加、その間副会長および第9回「IVV オリンピアード」組織委員長を務めてきました。4年前に、IVV・ヨーロッパ、IVV・アジア、IVV・アメリカという地域別の組織が結成され、私がIVV・アジアの会長に、川内基裕日本市民スポーツ連盟会長が事務局長となりアジア地区を統括することになりました。
今年は第2回アジアンピアードが、日本スリーデーマーチに便乗して11月に東松山で開催されますし、来年は第14回「IVV オリンピアード」が中国成都で行われます。華やかに報道されるオリンピック・パラリンピックとは違って地味な国際スポーツ大会ですが、私は、"草の根"の国際交流で国ごとの人びとが理解し合うものと信じて積極的に協力してきました。日本の多くの人たちが機会を見つけて、世界共通のIVVカードを持って参加することを願っています。
 2日目の午後は恒例の会長ウォークでしたが、今回はほとんど歩かないハンブルグ港クルーズでした。帰国日の21日には、数万人が集まるという有名な朝市へ早朝から出かけ、見物と買い物の2時間のウォーキングを楽しみました。

   
総会 英語・ドイツ語同時通訳      市内の公園を歩く人、走る人        1籠10ユーロの果物   



『2014・8・23 「ノルディック・ウォーク学会」』
 ノルディック・ウォークの健全な発展・普及を目指して、医科学的な研究をする研究者と指導者が集まって発表・討議する「第3回日本ノルディック・ウォーク学術大会」が、お茶の水女子大学において2014年8月23、24日開催されました。大田裕治実行委員長が工学系の精密機械分野の人ですので、テーマとして「ノルディック・ウォークの科学と技術」を掲げていました。
 最初の特別講演として、川内基裕さん(日本市民スポーツ連盟会長)が、心臓に異常があって手術を受けた人などに対するリハビリテーションとして、ノルディック・ウォークを利用する際の注意点など臨床結果を基に解説しました。その後、2本のポールを持って歩く方法について、いろいろな指導者から指導の報告があり、個別に対応する重要性が述べられました。180名近い参加者がありとても盛大で、夕方開催された懇親会では、みなさんお互いに意見を交換されていました。
 2日目の朝は恒例のノルディック・ウォークの体験会が、東京大学赤門から上野の不忍池、谷中、千駄木を通って小石川植物園を回わり、お茶の水女子大学までの10qコースを歩きました。歴史を多く残す文京区の3つの坂を上り下りする、日差しの強い朝のウォーキングでしたが、みなさん元気に歩き終り、直ちにサテライトプログラムとして「第1回水中ポール・ウォーキング研究会」に参加しました。
水中でポールを使ってのウォ―キングは、世界で初めての試みです。まず、試行錯誤の上、握り部分が水面上に浮かぶポールが制作されました。それを使って、陸上では歩行や運動がうまくできない人たちが重力から解放され、からだを動かすことが可能になったことが紹介されました。まだまだ、姿勢の保持や歩き方など解析しなければならないことが指摘されましたが、高齢者人口が増加するこれから大いに期待される水中ポール・ウォーキングであることを参加者一同確認できました。

   
ノルディック・ウォークの科学と技術      小石川植物園沿いの御殿坂            歩き終わって記念撮影       



『2014・8・2 「奥鬼怒川釣行」』
 知人から栃木県奥鬼怒川にある川俣ダム湖のほとりに、空き家となった別荘を購入したので釣りに来ませんかと誘われました。しばらく釣りに行っていなかったので、真夏で釣果は期待できませんが、初めての川なので2014年8月2、3日に出かけました。
 案内してくれた人は、お土産用の"お饅頭"を製造、販売しているご主人で、釣り用のモーターボート3艘を所有している釣り好きです。2日昼頃到着しましたが、雷をともなって雨が降り出したので夕方まで待って、船で鬼怒川がダム湖へ入り込む場所へ行きました。初めての経験でしたが、撒き餌に"さば缶"の中味を使います。流れ込みが岸壁に突き当たり、深くなったところへ重りをつけた仕掛けを放り込んで待ちます。10分ぐらいで竿先が大きく曲がり、数分間のやり取りの後、42pのニジマスを釣り上げました。しかし、その後は川からの水が濁りまったく釣れず帰り、釣りたてのニジマスを塩焼きにしてビールで乾杯しました。
 2日目は朝6時に出て、鬼怒川へ注ぎ込む湯沢という渓谷に入りました。歩くこと700mで第1の堰堤があり。そこから釣り始めです。いつもは澄んだ水が流れているそうですが、昨日の雨のせいかやや白く濁っていました。2つ目のポイントで18pのヤマメが釣れました。その後は、2匹しか釣れません。
渓谷はかなり急で、大きな石や岩を乗り越えて行かなければなりません。手を使って確かめながら登っていたのですが、つかんだ岩が割れて水の中へ落ちてしまいました。手、腕、背中、足などに擦過傷を負いましたが、幸い大けがをしなくて済みました。その後はさらに慎重に登り、30m近い第2堰堤近くまで行き、そこで30pのイワナを釣り上げました。
川岸から、設置されている綱を両手で握り、腕の力を頼りに30mほどの急坂を登山道まで無事登ることができました。同行3人は釣果無しでしたが、主客の私が4匹とこの時期ではよかったと案内の人が誉めてくれました。


      
  湯沢でのイワナ      湯沢でのヤマメ         登山道の標識       二股湖でニジマスがかかる     塩焼き前のニジマス    



『2014・7・20 「老化には克てない」』
 第31回日本マスターズ水泳選手権大会が、横浜国際プールで2014年7月18〜21日に行われました。参加登録者5,835名という5歳きざみで記録を競う大きな大会です。私は78歳、75〜79歳区分で出場することになりますが、今年75歳になる人たちが新たに出場しますので、個人での上位入賞は諦めリレー種目で上位入賞を目指しました。
 しかし、筋力を増強すれば、1年前の記録を更新できるのではないかと、ウェイト・トレーニングを5月初旬から実施しました。平均76歳の高齢者を対象とした研究報告に記載されているプログラムにしたがいました。8種目のウェイト・トレーニングを週2日の頻度で、強度と反復回数を順次増加させるというものでした。筋肉痛にもならず22回のトレーニングを消化して、ベンチプレス、レッグプレスは自分でも驚くほど強くなりました。ところが、水泳記録は、50mと200mの平均スピードは前年比1.7%、4.0%それぞれ低下していました。75歳を過ぎるとマスターズ水泳大会の記録は低下が急になるという、アメリカでの研究報告通りでした。
見ていた人は、25mまでは勢いのある泳ぎであったが、30m過ぎから急に遅くなったということです。増強した筋力をうまく水泳に生かせなかったと反省していますが、水泳むきのウェイト・トレーニング・プログラムではなかったのかもしれません。いずれにせよ、筋力はある程度回復したできても、肝腎の水泳では"老化には克てない"ことを実感しました。しかし、目標とした男女2名ずつの合計年齢が240歳以上となる「混合4×50mメドレーリレー」は2位、4名の合計年齢が280歳以上の「男子4×50mフリーリレー」は3位でした。

     
スタート前         スタート          レース中(手前)        大会会場入り口    



『2014・6・15 「湯野浜ノルディック・ウォーク」』
 JRグループと地元自治体、民間事業者とが連携して集中的に山形県観光を全国的に宣伝する山形DC(デスティネーションキャンペーン)が6月14日に始まりました。14日の夜から羽黒山の国宝・五重塔がライトアップされたと報道されていました。この"山形DC"に合わせて第16回の「国際ノルディック・ウォークin 湯野浜」が、2014年6月15日、雄大な夕日、美しい砂丘、新緑まぶしい松林をキーワードに開催されました。14:00から10q、5qを歩き、終わってから"浜なべ"交流会が行われました。19:00からは希望者に、ライトアップされた五重塔への見物ツアーというサービスが提供されました。
 ところで、過疎化が進む合併前の鶴岡市の旧町村には、たくさんの高齢者が生活しています。高齢者の健康問題は待ったなしです。地域ごとに定期的にノルディック・ウォークを実践するように、高齢者に働きかける公認指導員を養成しようと、大会を機会に企画しました。全国に先駆けて、ウォーキング、ノルディック・ウォークを市民に広め、発信してきた鶴岡市が真にノルディック・ウォーク発祥の地として、全国に誇れるようになることを期待しています。
 今年の釣果があまり良くなかったので、大会前日に緑が深くなった秘境大鳥川へ出かけ、イワナ10匹を釣り上げることができました。

    
新しい指導員の誕生            秘境の清流大鳥川          釣れた!  



『2014・6・6 「発酵食品」』
 健康を説く私自身が最近話題の酵素や発酵については専門外で関心も低かったところ、テレビや新聞の広告で目にする「万田酵素」の生産工場を訪問する機会があり、理解を深めることができました。尾道から「しまなみ海道」の2つの橋を渡った因島にあります。
 酵素は、生きていくうえで必要不可欠なタンパク質を主体とした物質で、生物が食べたものを消化する段階から、吸収・代謝・排泄に至るまでの過程に関与している健康の保持に欠かせないものと説明されています。このように、酵素は主に体内で作り出される生命を持たない物質で、他の物質に作用して分解したり合成したりする不思議な力を持っているようです。
 工場では訪れる見学者に、専門家がわかりやすく解説してくれました。それによると、日本の食文化を支えてきた味噌、醤油、酢、みりん、納豆などは、発酵によって食品を変化させてでき上がっていて、酵素の力を借りて、微生物が食品に含まれる物質を変えているのだというのです。「万田酵素」は、53種類以上の皮や種を含めた植物(根菜類、穀類、果物類、豆類など)を、黒糖をベースに3年3ヶ月以上順次発酵させた植物由来の健康食品で、乳酸、酢酸、アミノ酸、タンパク質などが含まれているとのこと。そして、目安として1日に5gほど服用することで、腸内の環境を健康的に維持し、栄養素の消化・吸収がスムーズになるという効果を説明してくれました。
 体内にはたくさんの酵素があって、それぞれの役目をはたしています。その酵素を補充する酵素が、「万田酵素」にたくさん含まれているということではありません。食べても安全な植物が長い時間かけて発酵・濃縮し、それが体内の酵素を活性化する作用があるのでしょう。創業者の試行錯誤の結果、安全で健康保持に効果が期待される物質として完成させたのが、「万田酵素」なのです。だから、利用者に安心を与えるためにも、原材料の点検から、発酵過程、出来上がったものの包装に至るまで、厳重に管理されていると説明していました。
 さらに肥料用の「万田酵素」もあります。が野菜や果物の根にそれを薄めて定期的に与えると、根がしっかり張って栄養物の吸収がよくなり、成果物が増えたり、大根、カボチャ、スイカなどは大きくなったり、バラの花が密集して咲いたりといった実例を、工場内の農園で目の当たりに見せてくれました。酵素の成分と体内の各種タンパク質の作用との直接的なかかわりが、今後、分子生物学的研究によって明らかにされることになれば、「万田酵素」は大手を振って健康補助食品として宣伝できることになります。
 “歳をとって酵素が減る”というよりも“酵素が減ったから歳をとる”と考えた方がよいという人がいます。私も5月から毎日服用しています。どんな効果が実感できるのか、楽しみにしているところです。

  
大きな大根も酵素のおかげ     酵素でバラもますます豪華に  



『2014・6・1「第18回日本ウォーキング学会」』
 ウォーキング人口が増え始めた18年前に、その健全な普及に向けて「日本ウォーキング学会」を創立しました。“歩く動作”は、いろいろな学問分野で研究が進められてきました。それらの成果を同じ会場で報告してもらい、実践する人たちの体験報告も加えた複合的な学会です。以来毎年開催され、発表内容は冊子にまとめられ17冊にもなりました。
 今年は立命館大学の“びわこ・くさつキャンパス”が開設されて20周年記念で行われたオープンキャンパスの日に合わせて、2014年5月31日、6月1日に開かれました。2日目の午後には、学会参加者に加えて、近隣の人たちに解放された公開シンポジウムが開催されました。
 私の「筋肉をきたえて、颯爽と歩こう!」と題した特別講演の後、沢井志穂さん(日本女子体育大学)が「老後に備えて貯筋をしよう−貯筋運動のすすめ」、谷本道哉さん(近畿大学)が「ロコモティブシンドロームとスロートレーニング」、藤田聡さん(立命館大学)が「自立した生活を維持するための運動と食事」と題して、自分たちの研究成果をまとめてわかりやすく解説しました。参加者の参考になることが多く、皆さん満足していました。
 ところで、研究者たちは、実践する運動の効果が上がる強さの目安として、全力の割合(%)という数字を用いて説明していました。参加者から「体調の悪いときでも、同じ%の強さで運動を行うべきなのか?」という質問がありました。多くの研究では成果を発表するとき、平均値で云々することが多いため、個人の特性、特にその日の体調についてきめ細かく検討することが少ないのです。ふつうの人たちに運動実践を促すときには、そういった面にも触れることが重要だと反省しました。加齢とともに個人差が大きくなることを忘れてはならないでしょう。

      
  特別講演をする         座長としてスムースな進行を図る  



『2014・5・15「毎日労働しているのに、なぜ運動なのか?」』
 摩周湖の外輪山の1つ西別岳から根室海峡へと流れ込む西別川は、毎年釣りに行く渓流です。もちろん、中標津町などの道東の町に住む人たちへウォーキング、スイミングの指導を兼ねて行きます。根室中標津空港を降りると、牧場と牧草地が広がっていて、まさに北海道の"大地"が実感できます。空港が近いせいで中標津町はさまざまな企業の人たちが訪れ、人口が増えている元気な町です。
 2014年5月15日「健康にはやっぱり筋肉が大切」と題した話をしました。よく運動してタンパク質を十分食べることが、健康長寿の基本という内容です。話し終って「毎日労働しているのに、なぜ運動しなければならないの?」という、なるほどという質問を受けました。仕事としてからだを動かすときは、一日中はたらけるようにいろいろな筋肉を上手に活動させています。しかし同時に脳は筋肉が疲れないようにもコントロールしています。 これでは心臓をドキドキさせる強さにはなっていません。ノルディック・ウォークのような全身の筋肉をはたらかせ、代謝を30分間ほど盛んにすることが必要なのです。ですから、「これをエクササイズ・ウォーキング、“運動のために歩く”、というのです。」と答えました。
 その後、ストックを持って歩く練習です。ストックを持った手と同じ側の足が一緒に前へ動かしていたのが、20分ほどでしっかりストックをついて大股で歩けるようになりました。みなさんとても嬉しそうでした。
 前日は、とても寒い日で水温も6℃、残念ですが釣果は上がりませんでした。

      
      春まだ浅い中標津           心なしかさみしげな釣り姿



『2014・5・17「若狭・三方五湖ツーデーマーチ』
 福井県嶺南の中央部にある若狭町は、町制施行10周年を迎えました。その記念事業の1つとして、第23回「若狭・三方五湖ツーデーマーチ」が、2014年5月17、18日に開催されました。北は日本海に、南は滋賀県に接する南北に広がる町です。
 大会の初日は町役場前の広場から、いわゆる若狭鯖街道沿いの南コース、2日目は三方五湖を一周する北コースに分かれています。2日間ともちょっと寒い晴れと絶好のウォーキング日和に恵まれました。
 初日の40qコースは、田植え中の田んぼの中を通って、昔の風情が残る「熊川宿」へ行って冷たい「瓜割の水」をまわって鯖街道を戻ります。20qコースは鯖街道を通ってJR上中駅まで行き、そこから電車で三方駅へ戻ります。7,10qコースは弘法大師が一晩で岩に彫った仏像「三方岩観世音」へ行って戻ります。この観世音は、右手首から先が彫り残されていて、「一夜作の観音様」と呼ばれ、手足を病む人は信心すれば治ると言い伝えられているそうです。スタート前に過疎となった熊川小学校全生徒20名が、出発の"檄"をかわいい声で発していました。
 2日目のハイライトは、舞鶴若狭自動道「若狭さとうみハイウェイ」の完成前にその一部を歩くことです。晴れに日曜日とあって、当日申し込みの人びとが列を作っていました。
 全国18大会が加盟する日本マーチングリーグの中でも、多くのウォーカーから"魚がおいしくて、豊富"、"おもてなし、コース案内がよい"と評判の大会です。「こころの時計をはずす旅、スローにいこう若狭町」というスローガン通りでした。


熊川小学校生徒による檄

 
 瓜割の水       岩観世音の碑


20kmコーススタート前


『2014・5・3「ウォーキングフェスタ東京」』
 第19回となる「ウォーキングフェスタ東京」が、2014年5月3、4日に開催されました。この19回の間には、大会の名称、主会場、開催日数が変更されてきました。今年は、残念ながら昨年より2,000名ほど少ない参加者でした。主催者は減少の原因を反省することになるでしょうが、連休が続くゴールデンウィークの真ん中の2日間に行うことを考えれば適正な規模といえるかもしれません。
 ところで、日本市民スポーツ連盟は、国際市民スポーツ連盟(IVV)の規定に従って、歩行距離の認定を行ってきました。すでに地球一周に相当する40,000キロを歩いた人はたくさんいます。そこで、昨年度までに50,000キロ達成者に、案内を差し上げ希望者に大会2日目の20キロコーススタート前に、達成証と記念のハットバッチ、ワッペンを手渡すことにしました。壇上で10名を超える人たちは、ウォーキングのこれまでの長い思い出を想い、嬉しそうに受けとっていました。
 IVVは、さらに、55,000キロから、5,000キロごとに、80,000キロ達成者にそれぞれの記念のハットピンとワッペンを準備しています。さらに歩行距離を延ばして欲しいと思っています。

      
         元気にスタート           50000km達成者と記念写真


『2014・4・19「沖縄県民の健康」』
 (一社)全日本ノルディック・ウォーク連盟沖縄支部設立総会と記念パーティが、2014年4月19日開催されました。きわめて異例といえるのが、支部長に「沖縄県美容生活衛生同業組合」の理事長が就任したことです。県内の美容院を統括する団体が、毛髪や顔だけではなくからだ全体の健康も考慮しようという"ビューティバランス"を標榜しての発足です。
 支部長の挨拶によれば、長寿県を誇っていた沖縄がトップの座を追われ、いまでは肥満人口日本一、50歳60歳代の死亡率が日本一という背景があるというのです。またパーティでは、後援団体である「琉球新報」の常務理事、「沖縄テレビ」の専務理事が、"県民の体重を1s減らそう"という運動を始めたが、ノルディック・ウォーク支部の設立を機会に、メディアを通してさらに活発化させたいと挨拶していました。
 戦後、沖縄県は米国に占領され、返還後も基地として70年近くが過ぎました。航空機の墜落事故、騒音、米兵の暴行事件など直接的な被害を受けたことは、度々の報道でわかるとおりです。他方で、アメリカナイズされ安く輸入でき脂身の多い牛肉を食べるようになったこと、鉄道がないので自家用車を利用する人が増えたことなど二次的影響が、沖縄に伝わってきた長寿を保つ生活習慣を大きく変容したことが考えられます。
 記念講演で、適切な運動の実践に加えて食品の賢い選択こそが、健康の保持にもっとも大切であると、私は解説しました。「健康で長寿の島」という名誉を回復してもらいたいと願ってのことです。

  
総会に集まった美容院関係者        首里城から那覇市内を望む


『2014・4・7「入学式」』
 首都医校の校長になって、卒業式、入学式で式辞を読むことになっています。どんな式辞か興味のある人がいるかもしれないと思い、以下掲載します。

 首都医校入学おめでとう。諸君もすでに承知のことと思いますが、本校は、看護、医療情報、理学療法、スポーツ、福祉、そして、東洋医学まで、領域の異なる29の学科からなっています。そして、本学の教育理念として、「明日の一流は、今日の一流によって育てられる」を掲げています。言い換えれば、それぞれの領域に経験豊かな教員を配置し、高度福祉社会の未来を築く、優れた人材の育成を図る、メディカル総合学園なのです。
 これからの15年間、わが国の少子・高齢化は、さらに進む時代と予想されています。そういった中で、医療・福祉分野では技術革新とシステム改革、そして、さまざまな個性を有するすべての人たちが満足するサービス体制が求められています。加えて、医療費・介護費の高騰は、私たちの生活を脅かすものとなっています。したがって、これらの高負担に、いかに対応するかは重大な課題と言えましょう。言い換えれば、疾病・障害、そして、介護の予防という観点から、健康と関連する身体活動、スポーツの必要性が高まるものと思われます。それらを充足させるため、自分の分野の知識・技能だけを修得するのではなく、隣接する他の分野の人びとと、協調していく姿勢が要求されるのです。それが「チーム医療」、「チーム福祉」と呼ばれるものです。本学は、理想的な「チーム医療」、「チーム福祉」を実現させるために、人間性豊かな、広い視野と知識、そして、高い専門技能を有する人材を、養成していくことを目標としています。
 ところで、3年前に発生した東日本大震災の災害の有様を見ればわかるとおり、まず求められるのは、人命の救助、そして、さまざまな傷害を受けられた人々への、迅速な対処であります。 そして、災害が発生して三年が経過しても、たくさんの人たちが仮住まいでの生活を送っています。そういった環境の変化は、からだやこころに不具合を生じさせます。これには、今述べたような「チーム医療」「チーム福祉」が不可欠なのです。本日入学した諸君たちは、率先して学び、新しい医療、新しい福祉を築く、人物となることを期待しています。
 最後に、国民の健康にかかわる諸君自身にも、健康であることが求められます。健康に留意し、充実した学生生活を送ってください。これをもって、校長の式辞といたします。

  
   入学式2014           入学生からの誓の詞



『2014・3・24「100歳までウォーキング」』
 「100歳までウォーキング」と題した講演会が、2014年3月23日東京大学本郷キャンパスの山上会館で行われました。主催は、100歳までウォーキングの会、文京歩こう会、東京都ノルディック・ウォーク連盟です。150名以上の参加者のほとんどが、歩行の困難な人たちやからだに痛みを感じている人たちで、杖やノルディック・ウォーク用ストックを手にして来られていました。
 第1部は、講演で、私は「筋力の弱るのは老化の証〜筋肉が細くなり、しわが目立つ〜」東京大学の福崎千穂氏は「水に浮かぶポール〜水中ポール・ウォーキングの効果〜」、富士温泉病院の矢野英雄氏は「重力に打ち克ちウォーキングに挑戦〜ノルディック・ウォークの利点〜」と題して、それぞれ歩行困難者を意識してウォーキングの効用を語りました。
 第2部は、コロキウムでからだに痛みを経験した2名の女性がその体験を披露され、その話を受けて、矢野氏が腰部のレントゲン写真を映写、さらに氏の提唱する10段階の痛みのスケール、歩数、コメントの日誌を集計した表を見せて、痛みは障害の程度とは関係なく解消されることがあると解説されました。
 日常生活において歩くのが困難な人や痛みを感じている人たちですので、講演、コロキウムとも活発な質問が発せられました。最後に、歩行困難者が参加できるウォーキング・イベントを定期的に開催する、さまざまな障害を有する人へのノルディック・ウォークの教室を盛んにする、そして、このような講演会を今後も続ける、という3点を参加者一同が賛成し、共に100歳まで元気に生きていきましょうと締めくくられました。

  



『2014・3・21「信州須坂ツーデーウォーキング」』
 3月下旬にしては粉雪のちらつく寒い2014年3月21日に、第8回「信州須坂シルクと蔵のまちツーデーウォーキング」が開催されました。須坂市は、松平氏の上田藩、真田氏の松代藩に隣接する1万53石という最小の藩主である堀氏の居城のあったところです。
 大型温泉施設「湯っ蔵んど」の広場をスタートとゴールとする大会です。初日の17qコースは、剪定の終わったぶどう畑の中を市街地へと下り、まゆ蔵の街を通り豪商の広大な旧屋敷「田中本家博物館」へ立ち寄りました。いくつもある部屋には、歴代の当主がそれぞれの娘に送ったという雛人形が年代順に飾られています。
その後、通常のウォーキング大会では、あまり例をみない「須坂市動物園」の中を通り抜けます。広々とした河川敷のある百々川を渡って、「世界の民族人形博物館」を見学します。30段に1000体の雛人形が飾られているのは壮観です。残りの4qはだらだら上りで、いささか疲れを覚えましたが、完歩証を受け取り抽選でリンゴジュースの大瓶が当り満足でした。
2日目は、善光寺平のむこうに飯綱山、黒姫山、妙高山、その背後左側には真っ白な北アルプス連峰が望める快晴となりました。開運のパワースポット「米子瀧山不動寺」をまわる通常のウォーキングと、標高1500m「峰の高原」の雪原をスノーシューで歩く2つが用意されていました。
この大会は、これまで市が直接運営に当たってきましたが、今回から民間委託へと変更されました。実行委員長は、長野県内を中心に靴販売を手広く行っている(株)シューマーの社長です。その経営手腕を発揮し、たくさんの主催団体、そして、後援・協賛企業の協力を得てスムースな運営がなされていました。新幹線長野駅から車、電車に乗れば30分で行け、壮大な自然が望め、きれいに整備された果樹園と歴史ある町中を歩くこの大会は、今後さらに発展するものと期待しております。唯、学年末だからでしょうか、子どもの姿が見られなかったのが残念でした。

  
千体の雛飾り           田中本家博物館入口


『2014・3・14「かんじきウォーク湯殿山」』
 昔のことですが、2m近い積雪のあるゆるい上りの斜面を、いろいろな用具を履いて同じ距離を歩くときの時間を測定したことがあります。対象者はベテランの登山家でしたが、“つぼ足”と呼ばれる登山靴だけで歩くときは、股近くまで雪に埋もれ足を抜き上げるのが大変で、少しずつしか前進できませんでした。“輪かんじき”を履くと埋もれる深さが30〜50pと浅くなり足が抜きやすく、やや速く歩くことができました。“シールをつけたスキー”を履いて歩くときは、20pぐらいしかスキー板が沈まず、もっとも速く歩くことができました。
 最近、雪上ウォークが盛んになり、各地で行われるようになりました。日本で昔から使われていた“輪かんじき”とヨーロッパで発達した“スノーシュー”が使われます。どちらも、深い新雪でなければ、苦労せずに歩くことができます。
 雪の多い山形県鶴岡市では、冬季の運動不足を解消する目的で、年間2回“かんじきウォーク”を出羽三山で開催しています。2月は羽黒山です。3月16日には湯殿山スキー場で行われました。標高差300mですが、最初の200mはリフトに乗って上がります。その後、雪に埋もれたブナ林の中をビューポイントまで上ります。残念ながら曇りで、日本海は見られませんでした。そこからは下りで、途中からスキーゲレンデの初心者コースの端を歩きます。5qの距離を2時間30分ぐらいでゴールできました。
 春が近づいたころは、天候もよくそれほど寒さを感じることなく雪上ウォークを楽しむことができます。しかし、用具に不具合が生じると、歩くことがほとんどできなくなり遭難しかねません。ガイドと一緒に歩くことを勧めます。

  
かんじきとスノーシュー           ガイドを先頭に並んで上る


 

『2014・3・9「東京大空襲跡を歩く」』
 報道では3月10日未明の東京大空襲といわれていますが、私の記憶では、9日の夜に警戒警報が鳴り荒川の土手に逃げたのを覚えています。風が強く親が担いで運んだふとんが飛ばされないようにと、ふとんの上になって寝転んで空を見上げていました。
 雲一つない空にうっすらと十字の形に見えるB29爆撃機が、東の方から編隊を組んで飛んできました。しばらくすると、火の玉が割れて小さな火の粉が散って下りてきました。それが焼夷弾だったのは後で知りました。西の方向から火の手が上がり、夜空が明るくなり、たくさんの家々が燃え上がったのがわかりました。火の手が近づき、土手から真っ直ぐ先に見える在校していた2階建ての小松川小学校の窓という窓が明るくなった瞬間、炎に包まれた光景はいまだに覚えています。
 さらに、荒川に向かって火の手が襲ってきましたが、風の向きが変わったのか私の家の5軒先で、類焼は免れたのです。幸い、夜が明けたころ、私たちは家に帰ることができました。焼け出された知り合いの家族と一緒に朝食をとったのが思い出されます。。
 家を出て、平井駅の方角へ歩いて行くと、コンクリートの建物が無かった地域であったため、視界が広がり、あちこちで残り火が煙っていたり、水道から水がこぼれていたりしていました。
 それまで学童疎開は3年生以上となっていましたが、急に低学年の児童も行くことになり、山形県の鶴岡市へ連れて行かれました。汽車で行ったのは確かでしょうが、どんな服装で、何時間かかって行ったのか、まったく記憶にありません。しかし、終戦までの数か月間湯野浜温泉の宿屋に泊り、授業を受けたこと、海と山がきれいであったことはよく覚えています。それから、数10年が過ぎて、鶴岡市の市民スポーツ振興の手伝いをするようになったのも、奇しき縁といえるのでしょうか。
ここ数年3月9日には、江戸川区の平井へ行き、当時をしのぶことにしています。家に残っていた荒川の写真があったので、今年はそれを持って行きましたが、様相は一変していました。鉄道の橋の形も変わり、つり船が係留されていた桟橋があった浅瀬は埋め立てられ、芝生の運動公園となり、土手に沿って歩行、走行、自転車専用のロードが続いていました。

  
65年前の荒川           現在の荒川




『2014・3・2「雪の中の渓流釣り」』
 魚釣り、中でも、渓流釣りを始めて50年が過ぎてしまいました。この半世紀の間飽きずに続けられたのは、歩ける能力を保持できたからです。
 渓流釣りは、文字通り山奥の谷沿いを流れる川を上りながら、イワナやヤマメを対象とする釣りです。渓流は場所によって様相がまったく異なります。滑りにくく濡れてもよいシューズを履き、釣り竿、びく、その他の小物を身につけて釣り上がるとなると、歩く能力のすべてを備えていなければ釣果は得られません。道はありませんから大小の石や倒木を避けたり、越えたり、あるいは、滝があれば左右どちらかの山を上り下りします。脚力ばかりではなく、バランスを取ることが要求されます。これまで滑ったり、転んだりは何度も経験しましたが、幸い大けがをしないですみました。しかし老化は避けることはできません。最近は川辺に下りたり、大きな岩から下りたりするときは、飛び降りたりはせず腰を低くしてなるべく手を着くように用心しています。
 2014年の2月末から3月にかけて、釣りのホームグランドである鹿教湯温泉に滞在し溜まっていた論文を読んでいました。これまでになかったという大雪の後でしたが、思い切って半日だけ釣りに行ってみました。寒い中、18pと25pのヤマメを釣ることができ、塩焼きにして食べることができました。
 ところで読んだ論文の中に、日本では行われたことのないデンマークでの実験報告がありました。1日の歩数の平均が10000歩の健康な若者に、1日に1500歩以下という生活を2週間送ってもらいました。若者たちはインスリンの感受性は低下し、食後の脂肪代謝は減少しました。その間食事量は同じでしたから、歩くために消費したであろう食べたものが腹部に脂肪として蓄積され7%増加したという結果です。わずか2週間という期間ですが、歩かなければたちまちお腹に脂肪が貯まるというのです。
 雪が積もったり、雨が降ったり、仕事が忙しかったりを言い訳にして、歩く量が減ってしまえばちょっとの日数でもお腹がポッコリ膨らんでしまうのです。

  
     雪中の渓流釣り           冬のヤマメは格別です




『2014・2・15「白馬スノーウオーク」』
 2月中旬、ソチ・オリンピックにおける日本選手の活躍の様子が終日テレビ放映されていました。中でも代表選手の中で活躍が注目されているモーグルの上村愛子選手、ノルディック複合の渡部暁斗選手の出身地、白馬村の“岩岳スノーフィールド”で、「白馬スノーウォーク」が、2014年2月14,15日開催されました。
 前日からの豪雪で、軽井沢、甲府は観測史上最高の積雪、長野県内の高速道路は全面閉鎖、長野新幹線運休などで、100名を超える人たちが白馬へ来ることができませんでした。
 このような悪条件の中、初日は50名余りの参加者が歩きました。積雪が多く予定していた山頂からのコースは危険と判断され、山麓のクロスカントリースキー競技用のコースを歩くことになりました。歩き始めて直ぐに、コース沿いの林の中にカモシカがいるのを見つけ、参加者たちは感激でした。
 ときどきスキーコースから外れ新雪の中へ入り、ひざから腰まで雪に埋もれるのを体験しながら、3qの距離を3時間ほどかけて完歩しました。完歩証を受け取り、暖かい豚汁に満足していました。
 夕方、ウエルカム・パーティが開かれ、地元で捕獲した鹿肉の料理、切り取らず雪の中で保存した珍しい“雪中キャベツ”などがふるまわれ、外れなしの抽選会で交流会は盛り上がりました。
 2日目は、10時ころから晴天が広がり始め、ゴンドラに乗って標高1500mの岩岳山頂に行き、原生林の中の2m近い粉雪を踏みしめて歩きました。ところで、豪雪のため帰京できず、長野市に泊まることになってしまいました。「雪、侮るべからず」です。 来年も同じころ開催される予定です。事故が起きないようにと10名近くのベテランリーダーが、スノーシューの履き方など丁寧にガイドしてくれます。初心者でも十分安心して楽しむことができるスノーウォークです、試してみてはどうでしょう。

   
     山頂に立つ           深雪の白馬山頂からのスタート



『2014・1・24「スキー:まだまだできた」』
 ここ数年間は、雪上ウォークはしましたが、スキー場で滑るのは1年に1~2日程度でした。今年の元旦、皇居一周ランニングでは、息が切れて散々でしたので、スキーはもうできないのではと心配でした。しかし、滑るのを止めてしまえば、雪に囲まれた斜面を滑る爽快さを感じることが、一生できなくなると思いました。
 そこで、まずは10年近く着ていたスキーウェアから脱皮して、決意を新たに80歳までは滑るぞという思いで新調しました。新しい(株)ミズノ製のスキーウェアには、胸の内側に携帯電話あるいはスマートホンが収納できるポケットがあります。また、袖先にはリフト券をはめるところがあって、入り口にある読み取り器に近づけやすくなっています。もちろん素材は、汗を発散しやすく、完璧に防水できるものです。このように、時代の変化に応じた、使いやすい、そして暖かいウェアになっていたのには驚きでした。
 2014年1月24日、子どものころから慣れ親しんだ菅平高原スキー場へ行きました。スキー場には、数百名の生徒たちが、先生に引率の下で指導員から指導を受けていました。面倒なこと、事故が起きやすいことなどから、スキーの実習を摂り止めた学校が多くなっていたと聞いていましたが、子どもに経験させようという先生たちがまだいるのを見て安心しました。
リフトを乗り継いでもっとも高い場所に立つと、幸運にも北アルプス連峰が一望できました。無風で快晴、気持ちよく回転もでき、滑る楽しさを堪能しました。しかし、ゲレンデを巡りながら9回滑り降りたところで脚腰に限界を感じ、最後にしようと急斜面を下りるところで、残念ながら転んでしまいました。それでもこれを弾みに、2月の白馬雪上ウオークの参加時にも一滑りしようと今は大いに意気込んでいます。
ちなみに、半日でリフト代はグランドシニア(65歳以上)2,000円、スキーとシューズのリース代2,500円、と思ったより安く上がりました。

新調したスキーウエアが映える菅平の眺望


『2014・1・1「大江戸元旦初歩き」』
 元旦の早朝は、20数年来、皇居一周ランを行ってきました。6時に家を出発、今年50歳となる息子と一緒に地下鉄に乗って大手町駅で下車。快晴の下6時25分大手門をスタートしました。年末5日間、毎日1500m泳いで体調を整えたはずでしたが、水中と違って一歩一歩体重が脚に重くのしかかり、たちまち息が苦しくなってしまいました。息子には置いて行かれましたが、東の空が赤く染まるころ大勢の人たちが初日の出を待つ“北の丸”までの上りが続く歩道を走りきりました。
 坂を下り始めたところで、電車に乗らず家から走るという娘と孫娘に、追いつかれてしまいました。スタート地点にたどり着くまでに53分かかり、ほとんど歩くスピードであったとがっかりでした。老いをはっきり感じた、今年のランニングでした。
 昨年は、走り終わって汗をかいたまま「大江戸元旦初歩き」の出発式に出席しましたが、とても寒い思いをしたので、今年はいったん家に帰り“雑煮”を食べて、ゴール時間ごろに上野公園に行きました。昨年より多い600名が参加したということでした。これまでよりも多い若い人たちが次々とゴールするのが見られ、新しい時代到来という思いがしました。大会運営に当たったJWAの「協歩会」の皆さんご苦労さまでした。

  
       もうすぐチェックポイント   ゴールにて認定を受けるウオーカーたち


『2013・12・22「鎌倉歴史探訪ウオーク」』
 「歩かなければ、歩けなくなる」と自分から言っている手前、ウォーキング大会参加を止めてしまっては、みんなと一緒に歩けなくなると思い、平成25年歩き納めの大会に参加しました。
 昨年は大雨で散々でしたが、今年は快晴に恵まれた2013年12月22日に、第49回目となる「鎌倉歴史探訪ウオーク」へ参加したのです。7つの切り通しを毎年歩けば、7年ですべて歩くことになります。すでに“亀ヶ谷坂切り通し”と“化粧坂切り通し”を歩いていましたので、今年は“大仏坂切り通し”に挑戦しました。急な坂を手すりにつかまりながら下って、高徳院にある大仏(長谷の大仏)を拝観しました。小学生のときの遠足の記念写真から想像していたよりは、はるかに小さな大仏でした。
 ゴール近くのアジサイで有名な極楽寺へ立ち寄りましたが、“極楽寺坂切り通し”を歩いてきたウォーカーたちがサルスベリの大木の横で参拝していました。ところで、ゴールの目の前に広がる由比ヶ浜には寒い冬にもかかわらず、数百人を越えるサーファーたちが海で遊んでいるのには驚きでした。
ゴールの鎌倉浜公園では、全国から集まったウォーカーたちが談笑しながら、年末の挨拶を交わしていました。来年の50回大会には、別の“切り通し”を歩ければという願いを新たにしました。

   
       小さく見えた大仏   極楽寺の境内   別れの挨拶を交わすウオーカーたち



『2013・11・23「ジョグジャ世界遺産ウォーク」』
 インドネシア・ジャワ島にあるジョグジャカルタに、日本ウオーキング協会と黒田正人夫妻(夫人はインドネシア生まれ)の献身的な努力によって「ジョグジャ世界遺産ウォーク」が2008年に発足しました。2010年はメラピ火山の噴火があって中止されましたが、大会会長である王女の積極的な後押しがあって大会は年々盛んになり、本年は国際マーチングリーグ(IML)の1つとなり、同時に国際市民スポーツ連盟(IVV)のクラブ会員として認定されました。
 国際大会として認定された第5回大会は2013年11月23、24日に、雨期に入ったにも関わらず晴天の下で開催されました。韓国、日本、台湾の大会に参加したヨーロッパの人たちに加え、日本から70名、インドネシアウォーキングクラブに所属している日本人70名と、現地の人を合わせて、17ヵ国約3000名が歩きました。
 初日は、“世界遺産ウォーク”とあるように1200年以上前に建立されたヒンズー教寺院「プランバナン遺跡」を通って、田園地帯を歩きます。年間を通して米が実る土地とあって、稲刈りと田植えする田んぼが並んでいる風景は、日本人にとっては珍しい眺めでした。家々の庭にはヤシ、マンゴ、パパイヤなどの果物の木々があり、牛、山羊、鶏の鳴き声が聞こえ、とてものどかな感じでした。また、晴天とあって富士山に似たメラピ火山の雄姿が眺められました。。
2日目は、山の中腹にある学校の庭からスタート。20qは山へ向って上り、10qは下るコースです。道に面した家々では、家族総出で笑顔の挨拶をしてくれたのがとても印象的でした。途中から大きな川の両側を歩きます。農家で、久しぶりにココナッツの実を割ってもらい飲みましたが1個50円と日本ではあり得ない値段でした。
副題に「グリーンウォーク」と名づけられていて歩き終わって、放置された禿山に実れば収入が得られる木々を植える記念の植樹がなされました。道が狭く代表だけの植樹でしたが、山頂からは歩き終わった川筋の道が眺められました。
フェアウエルパーティは、王女公邸で行われ王女からロイヤルメダルが手渡されました。また、IMLの金、銀、銅のメダルはIML代表から手渡されました。
赤道直下の大会はIMLとしては初めてのことであり、もっとも長い距離は20qで朝7時スタート、11〜12時ゴールを目指します。時差が2時間で日本人にとって朝7時は9時に相当しますから苦にはならず、蒸し暑さにも慣れているので無事に歩き終わりました。ところが北欧の人の中には体調を悪くした人が救急車で運ばれていました。
世界遺産となっている遺跡を巡り、のどかな田んぼの中を歩くのは、日本人にとってはとても気分の良い、また歩きたくなる大会でした。

   
  田園の中を歩く        遺跡の前で記念撮影     家族総出で歓迎       かわいい標識





『2013・11・17「フィットネスダンスフェスティバル」』
 速いテンポの音楽に合わせての「エアロビックダンス」が、アメリカから導入されたのが30年ほど前です。若人中心に全国に普及し現在に至っています。一方、だれもが聴いたことのある童謡、歌謡曲など日本のゆっくりした楽曲に合わせて踊る「フィットネスダンス」を提唱したのが10年ほど前でした。歌を口ずさみながら、インストラクターの模範に合わせて踊ることで、中高年齢者の健康体力づくりに役立つと「日本フィットネス協会」が普及に努めてきました。
 もっとも早く地域に根ざしたのが山形県の鶴岡市です。毎年開催してきて、2013年11月17日に節目となる第10回の「フィットネスダンスフェスティバル」が行われ、200名を越える市民が集まってきました。参加者の見守るなかで、知的障害者施設「ゆうあいプラザ」のダンスクラブ「かたぐるま」が創作ダンスを披露しました。とても感動的で参加者から盛大な拍手が送られました。
 「フィットネスダンス」が始まる前に、ウォーキングやダンスだけでは強化しにくい上肢の筋肉をきたえるようにと考案した、手触りがよく伸縮性に富む「のびのび君」を手に持って座ったまま行う運動指導があり、踊りの中でも使われました。
ところで、鶴岡市はこの日記でも度々紹介してきましたが、ウォーキングが盛んで週3日以上運動を実践した成人は、平成21年の調査では27.5%と全国の23.5%、山形県の15.2%に比べ多いことが判りました。また、一人当たり年間医療費は、平成12年では隣接する酒田市とほぼ同じであったものが、平成23年では酒田市の31.6万円に対し鶴岡市は25.6万円と大幅に下回っていました。ちなみに全国平均値は30.2万円です。(鶴岡市スポーツ課「スポーツライフに関する調査(2013年1〜3月実施)報告書)
鶴岡市の人口を単純に20万人として計算すれば、年間約100億円の医療費が軽減されていることになります。この費用の何割かを運動施設の充実と指導者の増加向けることは、今後も続く医療費高騰を抑えるのに有効ではないでしょうか。習慣的な運動実践が唯一の理由とはいえませんが、鶴岡市ではウォーキングが普及し始めた時期と一致して相対的にみて減少傾向にあることから、医療費削減の1つの要因といってもよいのではないでしょうか。

 
 かたぐるまの発表          みんなでのびのび君





『2013・11・9「日本ノルディック・ウォーク学会」』
 ノルディック・ウォークが全国的に普及する中で、「進化するノルディック・ウォーク」というテーマの下に、第2回日本ノルディック・ウォーク学会が、2013年11月9日大阪市で開催されました。大会会長は、医療法人松徳会松谷病院の松谷之義理事長です。松崎先生は自らの病院を訪れる患者にノルディック・ウォークを指導し、効果があって喜ばれた経験から、西日本の医師たちにノルディック・ウォークの導入を勧めてきました。その結果、たくさんの医師たちから賛同を得ています。
 200名の会場が満員になるほどで、参加者は実際に指導に当っている医師や全日本ノルディック・ウォーク連盟の公認指導員に加えて、看護師、理学療法士、介護に携わる人たちでした。私は、「“歩く”はからだのタンパク質を若返らせる」と題した特別講演を行いました。また、整形外科の分野でいわれ出した「ロコモティブシンドロームへの挑戦」と題したシンポジュウムが開かれ、参加者は興味をもって聴いていました。
 ノルディック・ウォークは、中高年齢者の健康づくりを目指す介護予防のため、加齢や疾病が原因で歩行困難になった人たちのリハビリテーションのため、というように医療分野での需要が高まってきているという印象です。なお、来年の第3回大会は、川内基裕(医師)日本市民連盟会長が中心となって東京で開催されることが決まりました。
翌11月10日は、「大阪ノルディック・ウォークフェスタ2013」が、大阪市内の「久宝寺緑地」で行われました。小雨の中を1.5、5、10qのコースに、約150名が参加しました。広い公園の中を歩き始めましたが、ゴールするころには薄日が射し、皆さん満足そうに帰って行きました。

   
    熱心に聴く参加者たち       松谷会長挨拶         小雨の中スタートを待つ参加者



『2013・10・27「健康診断と水泳大会」』
 同じセンターで、35年間以上健康診断を受けてきました。今年の結果が先日届きました。その間の身長の値をグラフで見ますと、70歳を過ぎるころから低下が目立つようになりました。
 判定で最も悪いのが腎機能です。正常値が60ml/分/1.73u以上であるところが、40.2と昨年より5.5低下していました。「なるべく早く内科を受診して下さい」と書かれています。別に、「メタボリックシンドローム」と判定され「生活習慣を見直し、腹囲・体重を減らしていくために改善できるところから真剣に取り組みましょう」と注意が書かれていました。私自身はボーダーラインにいると思っているのですが...。
 ウオーキング協会の会長を辞めてから3ヶ月が過ぎ、週末に歩く機会が極端に少なくなってしまいました。やはり運動不足はまずいと泳ぐようにしています。そして、何かあった方が継続する励みになるだろうと、マスターズ水泳大会に参加することにしました。10月20日は個人種目75~79歳区分50m自由形で第1位。続けて10月27日はリレー種目280〜319歳区分400m自由形リレーで日本記録を樹立できました。まずは、めでたしめでたしです。

  
                 身長が低くなる        50m自由形第1位  400m自由形リレー日本記録




『2013・10・5「ぴんころウォークin佐久平」」』
 江東区にGNPクラブというウオーキング・クラブがあります。元気(G)で長生き(N)そしてポックリ(P)をまとめて「GNP」という名前を つけたとのことです。多くの高齢者の願いなのでしょうか。
 「ぴんころ」もしかりです。日本一の長寿県といわれる長野県の佐久平にある成田山薬師寺の門前に、俗に「ぴんころ地蔵尊」といわれる「長寿地蔵尊」が2003年に建立されました。10年近く経ち全国的に有名となり、今ではたくさんの人たちがお地蔵さんに会いに来るそうです。
 第1回「ぴんころウォークin佐久平」が、2013年10月5,6日に開催されました。“佐久の風土に触れ、ココロとカラダがはずむ”と呼びかける「ポールでウォーキング」大会です。「家畜改良センター長野支場」内の広場がスタートとゴールとなっていました。
 初日は小雨で、広いセンター内の杉の並木道を通って、小高い丘の上にある運動公園を見ながら、幅広い歩道のある舗装道路を歩きます。丘を下って千曲川にかかる橋を渡るとチェックポイントの「ぴんころ地蔵尊」です。参加者はそこで一休み、お地蔵にお参りして、その後は 千曲川沿いの整備された桜の並木道を3qほど歩きます。この土手道は、“佐久に桜咲く”を表す「さくラさく小径」と名付けられ、ところどころ芝生が植えてあって野外バーベキューが楽しめるようになっています。そこから市街地に入りJR小海線の北中込の駅の前をと通って15qコースのゴールでした。 ゴール前には雨が止みましたが、雲が晴れず残念ながら浅間山や八ヶ岳の雄大な姿を眺めることはできませんでした。しかし、黄金色に染まったたんぼが広がる佐久平をさわやかに歩くことができました。2日目は、「家畜改良センター」内の広い道を利用して、初心者を対象としたノルディック・ウォーク体験大会が予定されていました。

   
      家畜改良センター内の杉並木     ぴんころ地蔵尊       さくラさく小径




『2013・9・27「水中ポールウォーキング」』
 2本のポールを両手で持って歩く“ノルディック・ウォーク”は、今や多くの人たちに認められるようになりました。さらに、治療という面からも利用する医師が増え、歩行困難者や筋力の衰えた高齢者の運動実践として、また術後のリハビリテーションとして普及し始めました。
山梨県の富士温泉病院の矢野英雄医師は、下肢に障害を有する人に対してノルディック・ウォークを勧めとても喜ばれています。その中で、温泉プールで水中ウォーキングをしている患者に試してもらったところ、歩きやすくなるという反応があったと聞きました。陸上で使うポールは、水中では手を放すと沈んでしまいます。沈んだポールは水の中に潜れる人でなければ拾い上げられません。そこで、手を放してもグリップ部分が水面上に浮かぶポールの製作を、(株)キザキに依頼しました。試行錯誤の末、完成したというので、2013年9月27日に東京大学の福崎千穂准教授の助けを借りて試すことにしました。
ポールなしで歩くときと、ポールを突いて歩くときの、特に上肢の筋肉のはたらきを筋電図で、心臓のはたらきを心電図で測ってみました。新作のポールを持つと水中姿勢が安定します。そこから、片方のポールを、水の抵抗を少なくするようやや高く上げて、前へ持っていき垂直に下します。そして反対側の足を前へ踏み出すのです。ポールなしに比べ、当然ですが上肢の筋肉は強くはたらくことがわかります。また、心臓のはたらきもやや強くなります。
また、ゆっくり歩くから速く歩くまで、いろいろスピードを変えて歩くこともできます。使い方を習えば、泳げない歩行困難者でも高齢者でも直ぐにできるようになります。そして、運動の負荷も過度にならず、効果の上がる全身運動ができるという確信を得ました。各地のプールに数本ずつ用意して貸し出せば、たくさんの人たちが水中ポールウォーキングを楽しむことができるでしょう。

 
 水に浮くポール(特許申請中)  水中ポールウォーキング  記録装置の装着  筋肉のはたらき(筋電図)  





『2013・9・22「おごと温泉びわ湖パノラマウォーク」』
 日本を縦断した大型台風が去って、晴天が続いた2013年9月22,23日に、第1回「おごと温泉びわ湖パノラマウォーク」が開催されました。滋賀県および大津市ウォーキング協会、おごと温泉観光協会、大津市、びわこ成蹊スポーツ大学という、民・産・官・学が“市民参加型全国イベント”の開催という目標を掲げて、3年にわたって準備してきた大会です。
 初日は、大型観光船が発着する大津港に面した広場がスタートで、琵琶湖の南湖を左回りに一周する42.195qコース、近江大橋から瀬田唐橋を回ってくる17qコース、おごと温泉まで湖西を北上する15qコース、視覚障害者を対象とした船で送ってもらって歩いて戻ってくる5qコースが用意されていました。ベテランウォーカーは8時スタートで南湖一周を歩きはじめました。9時30分スタートの17qコースは、一般参加者が最初にスタートし、その後から大津市のスポーツ少年団に所属する1200名の子どもたちが、指導者の引率の下に続きました。
この17qコースは左手に琵琶湖を眺めながら遊歩道を歩き、長い近江大橋を渡って右に曲がり、琵琶湖の水が流れ出る瀬田川に沿って「瀬田唐橋」まで行きます。東北地方から京都へ向かう東山道に造られたという1500年を越える歴史のある橋です。その後、何度も建て替えられたと伝えられていますが、鎌倉時代の再建のときに唐様のデザインが施されたため通称“唐橋”と呼ばれるようになったといいます。現在は30数年前に建て替えられたコンクリートの桁橋ですが、欄干は往時の趣が保たれていました。
 2日目は、おごと温泉観光公園がスタートで、湖西を南下し瀬田唐橋を回って大津駅までの30q、北上し琵琶湖大橋を渡って戻る20qコース、古い街並みが残る堅田を回ってくる10qコース、船で琵琶湖大橋のたもとまで送ってもらって歩いて戻る5qコースが用意されていました。
 “比叡の風を感じて、湖畔を訪ねてのツーデーウォーク”と呼びかけた大会は、世界文化遺産延暦寺のある比叡山が仰ぎ見られ、琵琶湖に浮かぶたくさんの釣り船を間近に眺められ、とても変化に富んだコースで構成されていました。また、泉質が肌にやさしい「おごと温泉」がスターやゴールになることもあって、「日本・温泉と健康ウオーキングリーグ」に新しく加盟した大会でした。

   
   瀬田の唐橋を歩く          瀬田唐橋           琵琶湖畔を歩く



『2013・9・16「健康ウォーキング12週間」』
 東京都の「江東区健康スポーツ公社」が主催する表記の開校式が、25年目を迎え「敬老の日」の10時から開かれました。
今年は、93名の応募者がありましたが、開校式当日は台風18号が接近し、風雨が激しく、交通網の乱れがあって出席者は3割程度でした。私は、「加齢に伴う健康とウォ ーキング」と題して50分間ほど講演をしました。人間が、加齢とともに衰えていく様子をスライドで解説しましたが、途中、歩き方、脚力やバランス能力を判断する方法などの実 技をはさんでの話に、参加された人たちは熱心に話を聴いてくれました。その後、25年間一緒にお手伝してきた川久保清先生が、医学面からの話をしました。12週間後の12月初旬 にはどうなっているのでしょうか、楽しみです。

  



『2013・9・14「ウォーキングリゾートフェスタ、2days」』
 とっとりコンベンションビューロー」と「NPO法人未来」が主催する表記のイベントが、鳥取県倉吉市で2013年9月14,15日に開催されました。“鳥取県中部を学んで歩いて”と いう副テーマがついています。初日の午後には「みんなでつくろうウォーキングリゾート」について“学んで”ということです。まず韓国から来た1人が原州(ウオンジュ)のウ ォーキング大会と韓国のウォーキング事情を、もう1人が済州(チェジュ)島でのウォーキングを通しての観光振興の経過を紹介しました。次に“パネルディスカッション”が行 われました。2人の韓国人に加えて、倉吉市長、倉吉幼稚園園長、鳥取県中部医師会会長に、私が参加しました。「ウォーキングリゾートとは何か?」を中心に、それぞれの立場 からの意見が披露され、活発な討論でした。
 2日目の午前には、“歩いて”の「遥かなまち倉吉の自然道を歩く」に参加しました。倉吉市に隣接する“森林浴の森100選”の1つに選ばれている標高200mの打吹山へ、台風が 近づく影響の雨の中を上りました。頂上から降りて、倉吉の古い市街地に残る白壁土蔵や赤瓦の街並みを歩きゴールでした。
 このイベントの後、10月19〜21日には「エコーツーリズム国際大会2013 in 鳥取」が、11月9〜10日には「神話と歴史に満ちた鳥取県中部を歩く100q」というイベントのチラシ が参加者に配られていて、県内の19のまちを歩こうという“ウォーキング立県”を宣言した鳥取県の意気込みを感じました。

 
   雨の中をスタート        白壁土蔵と赤瓦の街並み





『2013・8・17「薄暮ウォーク」』
「いちに会」というウォーキング・クラブがあります。記憶は確かではないのですが、私が日本ウオーキング協会のお手伝いをするようになった17年ぐらい前に、ウォーキング 指導者講習会の講師を務めたことがありました。ウォーキングにかかわる科学的な知識を伝達し、修了者にはウォーキング指導者の資格を与えられました。そのときに、新しくウ ォーキングを始める人には、12週間継続するように指導することが大切だと強調しました。講習会の初期に参加した人たちが、その12を“いちに”として、命名したクラブです。
 8月例会が、暑気払いを兼ねて2013年8月17日に行われました。日比谷公園の噴水前に集合し、銀座、築地、隅田川、新富町を一周し数寄屋橋で解散するというウォーキングでし た。13時を15時と間違えて遅れた私は、新装なった歌舞伎座から「銀座発祥(1612年)の地碑」のある銀座二丁目に出て、歩行者天国となった銀座大通りを四丁目の交差点まで歩 き、「数寄屋橋 此処にありき」という菊田一夫の碑を見て、暑気払いするビヤホール「ニュートーキョー」でみんなと合流しました。参加者は40名近い人数で、猛暑のウォーキ ング後、元気にビールで乾杯しました。
 ところで、参加を呼び掛ける「いちに会NEWS」に、「銀ブラ」のもともとの意味は「銀座をブラつくこと」ではなく、「銀座のカフェーバウリスタのコーヒー“ブラジル”を 飲むこと」の略だそうです、と書かれていました。


新装した歌舞伎座


銀座発祥の記念碑


暑気払い会場前で






『2013・8・10「赤坂 はじめてのノルディック・ウォーク」』
 2年間、週末はほとんどウオーキング大会に参加し歩いていました。この2ヵ月ほどは休んでいたので、機会があれば歩きたいと思っていたところ、8月10日都心のアークヒルズ のカラヤン広場から、ノルディック・ウォーク発祥のフィンランド国の大使館を回ってくる5qのイベントが開催されました。気温37度と予報されていましたので、用心のため連 れ合いと娘と一緒に参加しました。
 主催は、鳥取県のNPO法人未来で、出発式には倉吉市長も出席し、周囲のテントには地元産の果物などが宣伝をかねて並んでいました。ルートの途中には、警備員のいる大韓 民国大使館、アルジェリア大使館など、いろいろな国の大使館があり、さすが経済大国の都心、麻布、六本木、赤坂、と妙なことに感心しました。
 休日の午前中ということで歩く人も少なく、大汗をかきながらのゴールでした。ご褒美に、地元産のブドウとワインが無料で提供されました。


フィンランド大使館のエンブレム


大韓民国大使館

アルジェリア大使館




『2013・7・12「全日本マスターズ水泳大会」』
 ウオーキング大会は、時間や順位を競わないという条件で開催されます。ですから、老若男女、同じコースをマイペースで歩くことを楽しむことができるので、数百万人の愛好 者がいるのです。
 他方、マスターズ水泳大会は、決められた距離を泳いで、その所要時間が正確に計測されます。そして、男女それぞれ5歳きざみに分けて、性・年齢の影響を少なくして、記録 と順位を競います。
 ウオーキング大会は、大会参加費を納入すればだれでも参加できますが、マスターズ水泳大会へは、年会費を支払い選手登録した人だけが、参加費を納入して出場できるという 違いがあります。また、泳法などにルールがあって、違反すると失格となってしまいます。それでも、中高年齢者の水泳愛好者が増えていますし、その中からマスターズ水泳大会 に出場しようという人も増えています。
 今年の「全日本マスターズ水泳大会」は、第30回という節目の大会で7月12日から15日に名古屋市で行われました。毎年参加しようと努力してきましたので自由形4種目にエント リーしました。ランニングもスイミングも、加齢とともに記録は1年でおよそ0.7%程度の割合で低下していきます。私の場合も例外なく昨年に比べ記録は低下しましたが、50m( 7位)で0.01%、100m(8位)で0.44%、200m(1位)と400m(3位)で0.03%の低下に収まりました。これも日ごろからウオーキングを心掛け、活動的な生活をしているからだ と思っています。

  

      ウォームアップする参加者  泳ぎ終わって         獲得したメダル






『2013・7・6「あずま会」35周年記念パーティ』
 現在のように高齢者人口が増え、大きな社会・経済的な問題を提起するようになるずっと前の1978年に、高齢者を対象として運動指導を実施しました。高齢者が運動することに よって“生きがい”を見いだし毎日を生き生きとした気分で過ごし、生活を活気に満ちたものとしていくことが、高齢社会の理想であるという想いで実施したのです。
 私が在職していた東京大学体育学研究室と文京区教育委員会とで、「お年寄りのための健康教室」を開催しました。当時高齢化が進んでいた欧米では、高齢者に運動を指導する 研究報告が見られましたが、日本ではほとんどありませんでした。
 そこで、文京区体育館で週2日、1日2時間30分間の運動指導を3ヵ月間行なうという告知をし、文京区在住の60歳以上の高齢者を対象に公募しました。女性10名男性7名の応募が あり、健康診断の結果、女性1名男性2名は運動実践不可と診断され除外されました。
 高齢者に対する運動内容は、心血管系機能に危険をもたらさないような安全性を保証するとともに、呼吸・循環系機能の向上を促す強さの負荷となることが求められます。そこ で、ウォーキングのような軽い運動を実施するとともに、技能の向上が期待され動機づけとなるバトミントンを打ち合う運動を取り上げました。初期は、心拍数が100泊/分ぐらい となるように運動することを目標としましたが、1ヵ月を過ぎるころからは120〜140拍/分とより高い心拍数になるように運動の強さを上げていきました。そして、3ヵ月間の「健 康教室」は、無事終了しました。
その後、女性たちからの強い要望があって運動実践のグループ「あずま会」が結成されました。運動の指導は、東京大学体育学研究室の学生たちが担当しました。定員20名とし 転居などで欠員が生じたとき補充するという形式をとって、自主的に運営がなされてきました。そして単に体育館内だけでなく、春、秋には旅行に出かけ自然の中で運動すること も取り入れてきました。
 習慣的に運動する効用を実感した高齢者と、引き継ぎをうまく行なってきた代々の学生たちとの交流が、10年、20年、30年と続いてきました。しかし、残念ながら35周年を迎え 解散することになり、そのけじめとして「あずま会35周年記念パーティ」を、2013年7月6日に行ないました。
 高齢者の“生きがい”とは、毎日の生活の中で味わえる“楽しみ”であり“喜び”であり、その人が生きていく糧となるものです。それには、自分で自分のからだを動かせるこ とが重要です。何歳になっても他人の手助けを必要としない能力を身につけてあげることが、運動を指導する究極の目標であると、私は信じています。


会員と一緒に運動した元学生たち




『2013・6・25「IVV-オリンピアード」』
 2009年に富士山麓河口湖町で開催された第11回「IVV-オリンピアード」を記憶している人も多いことでしょう。2年ごとに世界各地で行われている「IVVオリンピアード」は、 2011年の第12回は地中海に面したトルコのアンタリアで開催され、たくさんの日本人が参加しました。
 2013年第13回は、イタリア北部の南チロルと呼ばれる、世界自然遺産に登録されている「ドロミテ渓谷」で、6月25日〜28日に行われました。日本からは約100名のウォーカーが 参加しました。次回は中国の成都で行われるので、120名ほどの中国人の参加がありました。ヨーロッパ諸国の人たちは、バスや自家用車を利用すれば数時間で来られるので、事 前登録者は3,200名と聞きました。
 初日は、恒例のフラッグパレードで、人口芝のサッカー場からブラスバンドを先頭に、組織委員会のメンバー、IVVの役員に続いて、各国の参加者が国名と国旗を掲げて開催式 の行われる室内体育館までの約1qを行進しました。
 「ドロミテ渓谷」の上流沿いに数qずつ離れて3つの町(Ortisei, Cristina, Selva Gardena)があります。これら3つの町が、ウオーキングとサイクリングのスタートとフィニ ッシュになっています。ウオーキングは、ハイキング/ノルディック・ウオ―キングと名づけられていて、各町に5、11、18、24qのコースが用意されています。27日だけSelva Gardena で42.195qのマラソンコースが用意されていました。スイミングは、Ortiseiで行われ、混雑が予想されたのでしょうか距離は300mと決められていました。これら3つの 町に参加者が分散して宿泊していたことからシャトルバスが運行され、毎日好みのコースを選択して歩いていました。
 気温は朝晩が5度以下、日中は15〜18度で、初日、2日目は快晴、3日目は小雨、4日目は快晴、とウオーキング日和でした。夏はハイキングやトレッキングのメッカといわれるほ どで、歩道が縦横に整備されています。近くに雪を頂く山を仰ぎ、色とりどりの小さな花が咲き乱れる風景を見ながらのウオーキングは、2度と味わえないのではと思われるほ どの感動がありましたでした。また、いくつかのトレッキング・ロードには、キリストの一生を刻んだ彫刻が並び置かれていて、敬虔深いキリスト教信仰の地という思いを新たに したものです。
 2年後の「IVV -オリンピアード」は、2015年パンダで有名な中国の成都で、9月26〜29日に開催される予定です。日本から多くのウオーカーが参加されることを期待しています 。

  

        フラッグパレード     民族衣装の市長夫妻    トレッキングルートを歩く

 

                 渓谷の草原を歩く      キリストの像




『2013・6・22「国際ノルディック・ウォークin湯野浜」」』
 1999年に、日本で初めて「ノルディック・ウォーク」と名づけたウオーキング大会が、山形県鶴岡市湯野浜温泉の浜辺で開催されました。北欧で始められたことから、フィンラ ンド、スウェーデンの大使館に呼びかけ参加してもらうことにして「国際ノルディック・ウォークin湯野浜」と大会名をつけました。
 第1回目は、珍しいこともあってNHKが取材しTVで放映してくれました。以来15年が経過しました。その間、ノルディック・ウォーク実践者数はうなぎ上りに増えています。全日 本ノルディック・ウォーク連盟が公認する指導者数は3,000名近いといいますから、1人の指導員が100名を教えたとして、300,000人いることになります。おそらく全国で50万人ぐ らいの愛好者がいることでしょう。
最近は整形外科や老年医学を専門とする医師たちが、治療の1つの手段として積極的に取り入れています。6月20日のNHKの夕方の報道の中で、“歩行困難者に最適”といった内 容で紹介されました。その番組のおわりに、ポールはどこで買えるのか? どこで教えてもらえるのか? といった質問が50件以上も寄せられたと聞いて驚きました。人はできる 限り自力で歩きたいという思いを持っているのだと改めて感じたのです。
 第15回の記念となる大会は、2013年6月22、23日に行われました。梅雨入りしたものの東北地方は晴れでした。開会式で、発祥の地として誇りを持って今後とも、先頭に立って ノルディック・ウォークの日本での普及、発展に寄与して欲しいと願っていますと挨拶しました。
 2日目は、場所を羽黒山へ移して、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の1つで、“ミシュラングリーンガイド・ジャポン3つ星”に評価されている杉並木で行われました。

 
    鳥海山を眺め歩く     海の近くの濡れた砂が歩きやすい




『2013・6・15「SUN-IN未来ウオーク」』
 全国18のウオーキング大会で構成される「日本マーチング・リーグ」の総会が、2013年6月14日、第13回「SUN-IN未来ウオーク」の前日に、島根県倉吉市で開催されました。こ れまでにない30名を越える関係者が集まって、リーグに加盟する大会を今後どう盛り上げていくのかを話し合いました。
 初日の40qコースは、倉吉市に隣接する湯梨浜町にある“東郷池”を越えて、日本海まで行ってゴールまで戻ります。20qコースは“東郷池”をほぼ一周したところがゴールで 、そこからバスでスタート地点へ戻ります。
 この“東郷池”を一周する12qの遊歩道を、ノルディック・ウォークのパーマネント・コースに認定することになって、記念の盾を湯梨浜町長へ贈呈しました。池のほとりの「 ハワイ夢広場」にある軽食が摂れる「Cafe ippo」が、パーマネント・コ−スの起点と終点になるステーションで、貸しポールが用意され指導員が常駐しています。
 倉吉市は韓国の原州市と、9年前からウオーキングの交流をしてきました。今年の大会に合わせて“ウオーキング立県とっとり”を推進するシンボルとして設置された記念碑の 除幕式が、鳥取県知事が出席して行われました。碑には、韓国ウオ―キング協会理事長李康正氏の言葉「自然こそが病院であり、あなたの2本の足がお医者さんです」と記されて います。
 初日は山陰らしい小雨の降り続く中、5qを歩きました。大会本部のある「倉吉パークスクエア」からスタートし、遊歩道を歩き天神川の土手に出ます。やや下流へ向かい、左 側から合流する小鴨川の土手の道を上流に向かって歩きます。土手を下りて“赤瓦”と呼ばれる、古い酒蔵や民家の残る旧市街地を通ってゴールしました。
 2日目は、雨が上がり薄日が差す天候の下で、35q、20q、10q、5qコースの参加者が、それぞれ時間をおいてスタートして行きました。また、最後は“歩育コース”と名づけ られた3qコースを未就学の子でもたちが嬉しそうに出発していきました。

   
     ユリリンと町長へ盾を手渡す        小鴨川の土手          昔懐かしい町並み




『2013・6・9「でっかいどうオホ−ツクマーチ(第2ステージ)」』
 第2ステージの「ハッカの大地北見ツーデーマ−チ」は、2013年6月9,10日に行われました。網走市から北見市までは、40qぐらい離れています。第1ステージ終了後、ほとんど のウォーカーはJR石北線で移動したようです。
 初日の32qコースは7時にスタートし、20q、10q、6qは、8時に一斉に出発しました。ラグビー場、陸上競技場、テニスコート、室内温水プールなどのある広大な「東陵公園 」の中を歩き、「野付牛公園」を抜けて高架のJR石北線に沿った遊歩道を歩きます。10qコースはここから常呂川の土手の上の遊歩道を歩きます。快晴の日差しの下で、広々とし た大地を歩くのを堪能できました。土手から見下ろすと河川敷には野球場がいくつもあり、ゲームの歓声が聞こえてきます。
 少し前にスタートした10qコースの保育園児たちに、ゴールするまで追いつきませんでした。毎日歩く訓練をしているとのことで納得しました。ゴール後、ここでのバーベキュ は、たれつきのマトンと有名な玉ねぎ、そして旬のアスパラガスでした。
 2日目は帰京の都合で、6qを歩きました。スタートしてしばらく歩くと市街地にある遊歩道を通ります。そして、若松大橋を渡って常呂川の河川敷の遊歩道へ下ります。河川敷 には、野球場、ラグビー場がいくつも続いています。競技場沿いには赤、白、紫のルピナスの花が咲き始めていました。「中ノ島公園」のつり橋を渡り、ライラックの薄紫の花が 続く土手の道を歩いて、また別の市街地の遊歩道へ出ます。今日も、同じ保育園児と一緒でしたが、うれしいことに一足早くゴールできました。
 2つの市ともに、あちこちに遊歩道が整備されていて、通常は車の利用の多い市民が、短い夏の間だけでもウォーキングを楽しめるようになっているのに驚きました。

 
檄をとばす保育園児たち        常呂川の河川敷へ






『2013・6・7「でっかいどうオホ−ツクマーチ(第1ステージ)」』
 「でっかいどうオホーツクマーチ」の第1ステージは網走市を中心として、第2ステージは北見市を中心として、4日間連続して開催されます。
 第1ステージの「オホーツクあばしりツーデーマーチ」は、2013年6月7,8日に行われました。天候不順が続いていた北海道にようやく春が訪れ、みんなが喜ぶ快晴に恵まれた初 日でした。35q、20m、13qコースは、見晴らしの良い丘を南に向かって歩き、オホーツク海沿いの道を北上して戻ります。残念ながら霞がかかっていて斜里岳がぼんやり見える だけで、知床連山すべてを眺めることはできませんでした。しかし、オホーツク海を眺めながら歩く海沿いの道には、海藻のにおいのする潮風が心地よく吹いていました。
 2日目は15qコースを歩きました。知床半島と網走湖が見渡せる「天都山」に向かって上ります。展望台で一休みして後半は下りです。途中のチェックポイントは、「網走監獄 」を移築した博物館の入口にあります。
 そこを下ると、網走川へ出ます。川の土手には、よく整備された遊歩道が市街地まで続きます。途中新築された「網走刑務所」が、川の向こうに見えます。とても日差しの強い 1日でした。

 
              オホーツクブルーと呼ばれる海と空    網走監獄博物館





『2013・6・1「加賀百万石ツーデーウオーク」』
 第10回という記念すべき「加賀百万石ツーデーウオーク」が、2013年6月1,2日に開催されました。金沢駅の地下イベント広場“もてなしドーム”がスタート、ゴールとなるの で、実行委員会は雨が降るのを心配しないで準備ができます。
 金沢市の中心、金沢城公園、兼六公園を挟むように、犀川(男川)と浅野川(女川)という2つの川が流れています。初日は、西側を流れる犀川沿いのコースです。ロンドンオ リンピック柔道金メダルの松本薫選手の“檄”に励まされて、30q、20q参加のウォーカーがスタートするのを見送った後、10qコースの出発式で挨拶し一緒に歩きました。
 市内を流れるきれいな用水沿いに“長町武家屋敷”の残る街並みを歩きます。犀川を渡ると“にし茶屋街”から、“寺町寺院群”と呼ばれる52の寺院のあるところのせまい曲が りくねった道を歩き、再び犀川を渡ってチェックポイントです。ここから広々とした芝生の川沿いをゴールへと戻ります。ちょうど数10万人が街頭を埋め尽くす「金沢百万石まつ り」と重なっていて、ゴールは勤労者プラザでした。ゴールすると完歩証が渡されます。完歩証には番号がふってあって、当選するといろいろな石川県の名産が当ります。幸運に も、県知事賞の九谷焼のマグカップをもらえました。
 2日目は、東側を流れる浅川沿いのコースです。8q歩きました。浅川大橋を渡ると“卯辰山麓寺院群”と呼ばれる37の寺院が並ぶ曲がりくねった道を歩きます。そこから“ひが し茶屋街”という茶屋様式の町屋へ出ます。“にし茶屋街”に比べ保存状態がよく、たくさんの観光客が見物していました。また、“親子コース”6qが用意されていて、子ども を連れたほほえましい親子を見ながら、歩くことができました。
 再来年の12回大会は、北陸新幹線開通と重なり、より大きな大会へと発展することが期待されます。


   
         親子コース参加の親子      浅野川沿いの道      用水に沿って歩く




『2013・5・25「TOKYOウォーク2013」』

 東京の魅力がつまった5つの地域を歩く「TOKYOウォーク2013」が、東京都と日本ウオーキング協会と共催で5月25日開催されました。今年の5つのすべての地域を完歩すれば金メ ダル、4つ完歩すれば銀メダル、3つ完歩すれば銅メダルが贈呈されます。
 第1回目となる“晴海・豊洲”地域は、東京湾に面した埋め立て地です。5月にしては暑い日が続いていましたが、当日は気温も下がり絶好のウォーキング日和となり、当日参加 の人もたくさんいました。
 巨大な国際展示場“ビックサイト”近くにある“東京臨海広域防災公園”がスタートとゴールです。新木場の貯木場から、若洲ゴルフリンクスの周囲を回ってくる24qコース、 豊洲から晴海大橋を渡ってくる13qコース、“アーバンドッグららぽーと”、“ガスの科学館”を回る7qコースの3つです。
 埋め立て地であるため、いくつもの堀がめぐらされ、それらを渡って新しい高層のマンションを眺めたり、広々とした公園を通り抜けたりと、ここでしか設定できないウォーキ ングコースで、午後になって歩き終わった人たちが、芝生の上で暫しの休憩をしていました。



TOKYOウォーク2013




『2013・5・17「なかしべつスポーツアカデミー」』

 北海道道東に位置する中標津町は、人口24,000人です。空港が近くにあるせいか、周囲の市町に比べ活性があり、人口の減少が見られないといいます。
 この町に総合型地域スポーツクラブ「NPOなかしべつスポーツアカデミー」が創立されて7年目を迎えました。事務所のある中標津町運動公園には、芝生のラグビー場を中心に、 野球場が2面、冬季スケートリンクになるグランドがあります。それらの周囲を巡るようにウッドチップを敷きつめた遊歩道やコンクリートのそれなどがあります。
 この場所以外に、室内温水プール、体育館、陸上競技場などがあります。これを管理する一般財団法人中標津文化振興財団は、40名の常勤と30名の非常勤の若いスタッフが運営 に当たっています。発足当時から2回ほど、町民にウォーキングの指導をしてきましたが、現在町の「歩こう会」には70名近い会員がいて定期的にイベントを開催しているとい うことです。
 今回はTOTOの補助金を受けて教育委員会と振興財団が後援して、「ノルディック・ウォーク講演会&講習会」が2013年5月17日の午後に行われました。金曜日の昼からという時 間帯でしたので、お年寄りばかり30名が参加しました。健康の話を短時間ですませた後、初めてのノルディック・ウォークに挑戦していました。
 当日は、寒かった長い冬からやっと春がきたことを思わせる暖かさで、日差しのまぶしい快晴の下でのウォーキングでした。


  
          遊歩道を歩く       終わってからの集合写真    高齢者の坂の下りる様子。
          歩幅を狭く。       





『2013・5・11〜12「野沢温泉菜の花パノラママーチ」』

 第8回となる「野沢温泉菜の花パノラママーチ」が、2013年5月11,12日に行われました。このマーチは、“日本・温泉と健康ウオーキングリーグ”(ウオーカーの間では温泉リ グと呼ばれています)に加盟していて、開催前日に第11回総会が行われ、2012年度事業及び決算報告と2013年度事業計画及び予算案が承認されました。
 その中で残念ですが8年間同リーグに加盟していた「下呂温泉里山あるきツーデーウオーキング大会」が、地元の事情により一時退会したい旨提案があり了承されました。一方 、前回の総会で提案された「おごと温泉・びわ湖パノラマウォーク」が、昨年の大会運営を視察した第三者の判断に基づき、新規加盟が了承され本年9月22,23日に開催すること になりました。
 野沢温泉は、「故郷(ふるさと)」、「朧(おぼろ)月夜」などの作詞家である高野辰之のゆかりの地です。小学校唱歌として採用されて99年になるのを記念して、「おぼろ月 夜の館」で唱歌を歌う夕べが初日の夜行われ、70名近い人たちが集いピアノの伴奏に合わせて合唱しました。
 「菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端、霞ふかし。」この菜の花は、野沢温泉の健命寺の住職が関西での修業を終えて持ち帰った“天王寺蕪”が突然変異したとされる野沢 菜の花です。大阪四天王寺から野沢温泉までの野沢菜伝来の北陸街道を歩くイベントが、今年の10月から11月にかけて行われることが決まったそうです。街道沿いの皆さんも日時 を調べ一緒に歩いたらどうでしょう。
 初日は小雨模様でしたが、地元中学生バンドの演奏で先生の指揮に合わせ、参加者一同“おぼろ月夜”を合唱した後、スタートしました。予報通り途中から雨の降りが強くなり ましたが、気温は下がらずようやく雪解けが終わった新緑の中を楽しく歩くことができました
 2日目は、気圧の谷が離れ快晴となりました。スタートから南東にむかって北竜湖畔まで上り一周して帰る10qコースと、さらに戦国時代の古道にある風切峠を越えて、千曲川 を見下ろす“菜の花公園”まで行く20qコースが設定されていました。まさに、風薫る五月の新緑と菜の花に包まれたウオーキングでした。

  
       種々のテーマを掲げた大会      スタート前の合唱       強くなった雨にも負けず       




『2013・5・3〜4「東京ウオーキングフェスタ」』

 第18回「東京ウオーキングフェスタ」が、五月晴れの下で開催されました。天候不順続きのせいか、いつも見慣れた花々が全体に少ない気がしました。しかし、「みどりの日」 にふさわしく、会場の広場を囲む木々の緑は鮮やかでした。
 初日、国際市民スポーツ連盟(IVV)の歩行記録認定を、50,000qまで延長して表彰することにしました。スタート前に集まったたくさんのウォーカーの前で、当日参加されて いた3名の達成者は、誇らしげに表彰状を受け取っていました。
 初日は「さくらコース」10qを歩きました。小金井公園から玉川上水に沿って五日市街道の遊歩道を歩き、右折して“あかしあ通り”を西武新宿線の小平駅へむかい、そこから 自転車専用道と遊歩道が並行する道を花小金井駅の先まで歩きゴールです。サクラとケヤキの並木が強い日差しをさえぎり、すがすがしいウオーキングでした。
 2日目、JR中央線の事故で、参加者の集まりが遅れましたが、アンカーの出発時刻を遅らせ対応しました。私は「ハナミズキコース」10qを歩きました。街中の道をJR中央線の 下をくぐって整備された野川の川沿いへ出ます。そこから遊歩道を上流へとむかいます。途中の家々には、よく手入れされたバラがとてもきれいでした。ところで、小金井リハビ リテーション病院のスタッフが担当医とともに、リハビリ用のノルディック・ウォークのポールを持って参加していました。
 大都市東京で、広い公園と遊歩道が整備された環境の中、10,000名を超す人びとがウオーキングを楽しんだゴールデンウイークの2日間でした。

  
        初日のスタート           野川の遊歩道を行く    リハビリ病院のスタッフも参加     



『2013年4月27日「飯田やまびこ マーチ」』

 日本で2番目に古いウオーキング大会「飯田やまびこマーチ」が、第27回目を迎えて 、4月27,28日に開催されました。これまで“あめふりマーチ”と雨に祟られてきましたが、今年は2日間とも快晴に恵まれました。有名なりんごに加え梨、桃、杏などの花が一斉 に咲き誇り、木曽谷のむこうに雄大な南アルプスの峰々が眺められる爽快なウオーキングでした。
 ほとんどのウオーキング大会では、5kmから40kmまで距離別にいくつかのコースが設 定されています。ところが「やまびこマーチ」では、別に「大平コース」という木曽谷へと抜ける大平街道に残る無人の古民家に一泊して帰る往復40kmコース、「船下りコース」 という天竜峡の急流を船下りして帰る20kmコース、そして“手作りのおむすびを持って家族で歩こう”と呼びかける8kmの「PTAコース」が設定されていました。
 初日の10kmコースは、スタート地点から北に向かって「野底山森林公園」へ上がりま す。ちょうど、“公園祭り”と重なっていろいろな行事が行われていて、ウォーカーたちにも“おむすび”と“豚汁”がふるまわれました。やや下りてくると眼下に飯田の市街地 、木曽谷、そのむこうに頂に雪が残る南アルプスが一望できる果物畑の高台へでます。
 しばらく歩くと「かざこし子ども森林公園」へ出ました。山の斜面に芝生が敷きつめ られ、いろいろな遊具が設置されています。そこで「PTAコース」の子どもたちと合流しました。子どもたちは、歓声を上げて遊びまわっていました。
 ところで、「飯田やまびこマーチ」と韓国の「原州国際ウオーキング大会」と友好締 結を2年前に締結し、3年目の今年も6名の韓国人が参加され大会を盛り上げていました。
また、各スタートに合わせて、長野県歌“信濃の国”が放送されました。長野県の自然 と歴史が読み込まれた歌で、長野県人、長野県出身者はだれでも知っている歌です。

         
66年前の大火の後子どもたちが植えたリンゴの並木   のぼりを先頭に子ども、 親、先生が歩く

梨の花を眺めながら



『2013年4月21日 「大阪 ハウスファミリーウォーク」』

 16年目を迎える「ハウスファミリーウォーク」の大阪大会が、2013年4月21日 に開催されました。ますます人気が出てきて、今年の応募者は8,000名を越え、3,000名に参加証を交付したそうです。
 夜明けまで大雨でしたが、夜が明けるとともに止み、徐々にベビーカーを押し ての若い夫婦、孫の手を引く老人など、ファミリーの名にふさわしい人たちが、大阪城公園へ集まってきました。
 雨に濡れた公園内の樹木の新緑は輝き、満開の紅白のハナミズキが彩りをそえ ていました。場内から市街地を通り、川の道“はちけんや”から中之島へ渡り、島の中の遊歩道を市役所まで、ぐるりと回ります。川の流れを眺めながら、人工的に整備された中 之島は歩きやすく、日曜日とあって観光客もたくさん歩いていました。
 スタート時に渡されたビンゴカードのチェックポイントが5か所にあって、参 加者は最後まで、ビンゴが完成するのを楽しみに歩き通しました。ゴールでは、恒例の袋が渡され、ハウス食品から手に一杯のお土産をもらって皆さん大喜びでした。
 今年は、全国10か所で行われる予定です。ファミリーでウォーキングが楽しめ る大会が今後ますます広がることを希望しております。なお、ウォーキング大会に慣れない人たちに、曲がり角ごとに立って適切に助言する大阪地区のウォーキング協会の人たち に、長時間にわたるご協力を仰ぎました。

   

    大阪城を眺めながら          ゴー ルでおみやげをもらう




『2013年4月13日 松山ノルディック・ウォーク』

  「道後湯けむり俳句の道&春の六ヶ寺遍路道」とい名称を改め、IVVの公認 を受けノルディック・ウォークプレミアリーグの1つとして第2回大会が4月13、14日開催されました。大会プログラムに祝辞を頼まれて次のように書きました。「伊予は“菩薩の 道場”と言われ、仏教の究極の悟りを得るところです。参加者の皆さんも、心の底になにかしらの宗教的な思いが残るのではないかと期待しています。加えて道後湯けむり俳句 の道“とあります。私も、想像して下手ですが句をつくってみました。皆さんも試してみてはどうでしょう。
  ・悟れるや春爛漫の遍路道  ・年老いてストックついての寺巡り
 初日は淡路島でやや強い地震があって、松山市も震度3で早朝に起こされ てしまいました。快晴の下、堀之内公園にポールを持った人がたくさん集まってきました。10qコースは公園を一周した後松山城に上り、正岡子規の句碑がところどころに立つ市 街地を通って、五十一番札所石手寺を訪れ、道後温泉がゴールです。5qは山の上に立つ松山城は上らないコースです。
 [皆一緒]という和尚直筆の短冊が、ウォーカーの皆さんへ手渡されまし た。ゴールではお汁粉が振る舞われ、1500円を出して申し込んだ人は、道後温泉ホテル椿別館で、大きな浴槽のある温泉に入り、お好みのものが選べるバイキング式の昼食をお腹 いっぱい食べることができました。 “お接待文化”の地ならはでの至れり尽くせりのサービスでした。
 ところで、この大会のマスコットは、“たぬき”で参加記念のバッチ、完 歩記念のストラップに印刷されていました。地元では、“おさん狸”と呼ばれ、高井八幡神社に祭られている“狸”からイメージされたものです。日清・日露戦争時代に出征前に お参りした近隣の人たちは、すべて無事帰還したのは、“おさん狸”のお蔭だと伝えられています。
この大会の開会式には、愛媛県知事、松山市長をはじめとして、行政の方々 がたくさん出席されていました。しかし、市の行政にかかわる職員は直接応援することは無く、すべて民間のボランティアだけで運営されていました。大きなウォーキング大会で はあまり見かけないことですが、実行委員長の松本陽子さんの人脈と組織力が可能にしてくれたものといえるでしょう。“歩く”はもちろんですが、温泉、仏教、文化と多様に楽 しむことのできる、日本では希有の大会です。これからも県、市の応援を得て全国へ発信してもらいたいという思いを強くしました。
とにかく、葉桜でしたが、春真っ盛りのすばらしい大会でした。

  

松山城へ         短冊を手に喜ぶ          おさん狸



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