平野寅次郎のYR散歩



 ウォーキングには「出会い・ふれあい」があると言われますが、このコーナーは2019年10月開催の「第16回IVVオリンピアード フランス大会」で私がJVAの川内会長にお会いしたご縁で依頼されました。平野寅次郎とは映画「男はつらいよ」の寅さんのように全国の大会を歩いていた時に妻の友人から命名され、ペンネームにしています。 ウォーキングは「誰でも・いつでも・どこでも・いつまでも」です。YR(イヤーラウンド)とは「通年歩行」で時間に制約されず、自分の都合で、いつでもウォーキングが楽しめ、IVV認定がされるコースです。JVAのHPには全国のコース一覧が掲載されています。 寅次郎のお好みの神奈川県・東京都のYRコースを紹介します。


No.1『湘南ふじさわウオーキング協会(FWA) 江の島コース12km』
No.2『JVA・JWA 九段・皇居コース 10km』
No.3『竹の湯コース10km』
No.4『靖国神社・迎賓館・清水谷公園・大使館・千鳥ヶ淵・北の丸公園 12km』
No.5『湯島天神と不忍池〜西郷どんコース 約5km』
No.6『小石川植物園・護国寺・小石川後楽園 13kmコース』
No.7『さんぽみち連絡 5km 東大コース』
No.8『神田明神・湯島天神・水天宮・日本橋コース 10km』
No.9『さんぽみち連絡 小石川後楽園コース 6km』
No.10『谷根千コース 5km』
No.11『第三玉の湯コース 10km』
No.12『東京スカイツリーコース Aコース 14km』
No.13『不忍池・西郷どん・神田明神・湯島天神  5km』
No.14『水天宮・日本橋・神田明神・湯島天神 コース 10km』
No.15『東京スカイツリーコース A-bコース 11km』
No.16『神楽坂―神宮外苑・国立競技場―外濠公園 20km』
No.17『文京の坂113 @湯島ブロック−1』
No.18『文京の坂113 @湯島ブロック−2』
No.19『文京の坂113 A水道橋ブロック 6km』
No.20『文京の坂113 B本郷ブロックー1』
No.21『文京の坂113 B本郷ブロックー2』
No.22『文京の坂113 C白山ブロック−1』
No.23『文京の坂113 C白山ブロック−2』
No.24『文京の坂113 D駒込ブロック 7km』
No.25『文京の坂113 E大塚ブロック 12km』
No.26『文京の坂113 F小石川ブロック−1』
No.27『文京の坂113 F小石川ブロック−2』
No.28『文京の坂113 G小日向ブロック−1』
No.29『文京の坂113 G小日向ブロック−2』
No.30『文京の坂113 H目白台ブロック−1』
No.31『文京の坂113 H目白台ブロック−2』
No.32『よこはま みなとみらい 10kmコース』
No.33『文京の坂めぐりコース 8km』





『湘南ふじさわウオーキング協会(FWA) 江の島コース12km』
ステーション:関水スポーツ店 JR東海道線・小田急江ノ島線 藤沢駅南口


 寅次郎が生まれ育ち、2011年まで住んでいた湘南の海を楽しむコースで、JWAの「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の神奈川14−6」です。
 寅次郎と湘南の海を見に行きましょう! 湘南の海は四季にわたり楽しめます。
 関水スポーツ店で受付、専用パスポートをもらい、奥田公園から境川沿いを歩きます。境川を渡る江ノ電に出会ったらラッキーです。
 小田急線「片瀬江ノ島」駅前から弁天橋を潮風に吹かれながら江の島に渡ります。参道を上がり赤鳥居左側の江の島エスカー乗り場がチェックポイント(パスポートに押す印が常設)で折り返しですが、上がって江島神社にお参りを! 幸福・財宝の招福や芸道上達のご利益が期待できます。奉安殿では「裸弁財天」にお目にかかれます。  参道両側は江ノ島名物のお店で賑やかです。生しらす丼(写真下左)・サザエのつぼ焼き・江の島饅頭・タコ煎餅に足止めです。復路で弁天橋手前を右手に行くと江の島ヨットハーバーで東京2020オリンピックのセーリング会場です。

 


生しらすの美味しい食べ方は生卵にしらす専用ポン酢を混ぜしらすの上にかけます。


 

 弁天橋に戻り、江ノ電「江ノ島」駅、湘南モノレール「湘南江の島」駅の脇を通って常立寺へ。しだれ梅の名所で蒙古襲来時の元使5人を葬った「元使五人塚」は隠れた名所です。横綱朝青龍・横綱白鵬ら大相撲のモンゴル力士が多く訪れています。あなたも現地でご覧ください。
 脇の坂を上ると片瀬山で富士山と湘南海岸の遠望が素晴らしいビューポイントがあります。この景色は歩いて来ないと味わえませんよ。片瀬山は昔ゴルフ場、今は高級住宅地です。


 山を下り、境川に出るとゴールの関水スポーツ店は間近です。ゴールの手続きをしてください。専用パスポートは参加回数でのFWA表彰制度があります。
 湘南の海や江ノ島の歴史が満喫できるコースで、乗り物マニア・撮り鉄(鉄道ファン)の方にもご満足いただけるコースでもあります。
 他のYRコースはFWAのHPの「YR・四季の道」をご参照ください。

 

平野寅次郎 拝




『JVA・JWA 九段・皇居コース 10km』
ステーション:神田セントビル3F JR総武線 秋葉原駅/御茶ノ水駅


 江戸時代からの都心、皇居周辺を歩くYRコースで見所が盛り沢山です。
 1.神田明神(写真下左)・将門塚(写真下右)のパワースポット
 スタートするとすぐ右手が「神田明神」です。ご祭神は一の宮 大黒様、二の宮 恵比寿様、三の宮 将門様で都心108町会の総氏神様です。ゴール近くの大手町にあるのが「将門塚」で朝廷に反旗を翻した東国の英雄 平将門が捕えられ、京に送られた首級が3日後に東方に飛び去り、この地に落ち「旧神田明神」創建の地となりました。「旧神田明神」は家康の江戸城拡張で江戸城の表鬼門の現在の場所に移されています。しかし、「将門塚」自体は「祟りを恐れ、この塚が動かせない」とビルの谷間に鎮座しています。動かそうとして災難にあった事実があるそうです。
 「神田祭」は湘南ふじさわウオーキング協会HP「ひろば 寅さん歩71江戸・東京の祭」をご参照ください。

 

 

 2.ランドマークは東京ドームのビッグエッグと靖国神社の大鳥居
 YRコースは地図を片手に歩きます。コース通りに歩いているか心配の時にランドマ−クになるのが、東京ドームの屋根と靖国神社の大鳥居です。

 

 

 3.靖国神社・千鳥ヶ淵周辺は桜の名所
 靖国神社の境内の桜は東京都の桜の開花日を決定する標本木になっています。
 千鳥ヶ淵の桜(写真右)は見事です。是非、桜の季節にもお越しください。


 

 4.司法・立法の最高機関と憲政記念館
 半蔵門から皇居のお濠の反対側を歩くと、国立劇場の隣が最高裁判所(司法権を担当する国の最高機関)です。
 道を挟んで見える国会(国の唯一の立法機関)とは高さを同じにしているとのこと。議会開設80年を記念して1972年開館の「憲政記念館」(入場無料)にも立ち寄ってください。庭には時計台や日本水準原点があります。

 5.桜田門・二重橋・皇居前広場
 皇居前広場は即位の礼で多くの人が訪れた場所です。コースは大手門方面に行き、「将門塚」から「神田明神」へ戻ります。

 

 

 今回YRを歩きながら「YRを歩くこと=人生の生き方と同じだ!」と痛感しました。
 ・建物=物事は正面を見ただけで終わりにしないで裏側も見ること。
 ・歩いて来た道は、たまには振り返ることも必要。
   神田明神の御社殿の裏には銭形平次の碑など数多くの見所がありました。
   靖国神社の拝殿の裏には名勝 神池庭園がありました。
   歩いて来た道を振り返ると、また違った景色が見えました。
 東京都は道端に地名の由来や史跡の説明板が多く設置されています。説明板を見つけたら、立ち止まり読んでください。周囲を注意深く見る訓練にもなりますよ。
 自分のペースで歩けるYRの良さを再認識した寅次郎でした。

 

平野寅次郎 拝




『竹の湯コース10km』
ステーション:竹の湯(南麻布1丁目) 都営大江戸線/南北線 麻布十番駅


 ウォーキングの後、お風呂に入って汗を流す快感は体験者にしかわかりません。
 寅次郎所属の湘南ふじさわWAでは「ウォーキングにプラスワンの楽しみを」とゴールがスーパー銭湯の例会やみかん狩りと温泉を楽しむバスウォークを企画しました。JVAのHPを見るとスタート・ゴールが銭湯のYRコースがあり、「麻布十番」の「竹の湯」を選びました。変貌する都心の光景と寄り道(神社も多くあり)が満載、そしてゴールのお風呂が楽しみなYRコースです。

 麻布十番駅から童謡「赤い靴」のモデルになった「きみちゃん像」を左折、直進して「善福寺」の先の「麻布山入口」信号を渡り、進むと、電柱に「竹の湯」の案内があります。営業は15時30分から月・金曜日は休み。寅次郎、着替えとタオル・石鹸を持って一番風呂のゴールを目指してスタートです。 地図はJVAのHPから取り出しました。「二の橋」交差点を渡り、左折、麻布通り右側を直進、「飯倉片町」交差点では右手に東京タワー、「六本木1丁目」では2002年竣工の「泉ガーデンタワービル」(写真下左)があり、上からガーデン(写真下右)が覗けました。



 

 

 1986年竣工の「溜池アークヒルズ」を過ぎると「霞が関官庁街」、「国会前」から「桜田門」・「皇居前広場」に入ります。「国会前庭」(写真下左の左右の緑地)は寄り道スポットです。「憲政記念館」もあります。

 

 

 「日比谷公園」も寄り道スポットです。写真右は日比谷公園の「首賭けイチョウ」(日比谷交差点の道路拡張で伐採寸前にあったところを日比谷公園生みの親、本多静六博士が「私の首を賭けても」と明治35年に移植させた大木で、「松本楼」の脇にあります)公園内の他のイチョウより黄葉が早いようです。(写真は11月15日撮影)



 

 園内の「雲形池」付近の紅葉・黄葉は時期が合えば写真下の光景が見られます。(11月30日撮影)

 

 

 霞が関の官庁街から桜田通りを進み、虎ノ門交差点の「虎」(写真左)を見て直進、左手は2014年6月開業の超高層ビルの「虎ノ門ヒルズ」(下左)です。東麻布での東京タワーです(下右)。




 

 

 ゴール近くには綱町三井倶楽部(写真下左)やオーストラリア大使館(写真下右)があります。

 

 

 ゴールの「竹の湯」(大正2年開業の老舗)には営業開始の15時30分前は20人が待っていました。定連のおじさん・おばさんに加え、場所柄、外国人 や若者の姿が目につきました。

 

 

 「麻布黒美水(こくびすい)温泉 ミネラルたっぷりの天然黒湯温泉、しっとり・すべすべ美肌の湯。効能(適応症)は神経痛、筋肉痛、関節痛、 腰痛、冷え症、疲労回復など」と記載。ウォーキング後のクールダウンにぴったりです。料金は大人470円。受付でYRと言い、別に200円を払う とIVV印がもらえます。冬場もポカポカして気持良いですが、夏場にも歩いて、お風呂で汗を流したいYRコースです。
 通りすがりにある神社は是非歩いて見つけてお参りしてください。

 

平野寅次郎 拝






『靖国神社・迎賓館・清水谷公園・大使館・千鳥ヶ淵・北の丸公園 12km』
ステーション:神田セントビル3F 最寄駅 JR 秋葉原駅/御茶ノ水駅


 千代田区の桜の名所と大使館をめぐるJVA・JWAのYRコースです。

 ステーションから御茶ノ水駅、明治大学駿河台キャンパス、神保町を経て九段下の「靖国神社」に向かいます。2020年の東京の桜の開花は東京管区気象台観測史上最も早い3月14日と発表、また3月22日満開と発表されました。この決定をした「桜の標本木」は靖国神社拝殿に向かって右手にあります。(写真下左で2020年3月23日撮影。本殿裏の「神池庭園」の桜(写真下右)も見事。



 

 市ヶ谷駅に出て市ヶ谷壕の土手「外濠公園」の桜並木を歩き、四谷駅から「迎賓館」(ここは港区)を横目でみて「紀之国坂」信号を左折、「喰違木戸跡」(現地に説明板)、「ホテル ニューオオタニ」の前を通過します。左手の「上智大学脇の桜並木」や「ホテル ニューオオタニの日本庭園」は別の機会にお立ち寄りください。「紀尾井坂」を下り、右折すると「清水谷公園」(写真下左)です。園内には紀尾井坂で1878年(明治11年)暗殺された「大久保利通公の哀悼碑」があります。清水谷公園は紅葉もお勧めです。



 

 公園脇の階段を上がり左折すると「バングラデシュ大使館」(写真下左)、「麹町四丁目」信号を渡り、左折、「参議院宿舎前」信号を右折すると、「ベルギー王国大使館」(写真下中)、「イスラエル大使館」(右手奥で写真撮れず)を過ぎて「女子学院」脇を行くと、「ローマ法王庁大使館」(写真下右)があります。



 

 「大妻女子大」脇を通過すると、「墓苑入口」信号で「千鳥ヶ淵緑道入口」です。旧江戸城の内濠で型が千鳥に似ているので「千鳥ヶ淵」と呼ばれたとのこと。昭和30年代植栽のソメイヨシノが育ち、東京屈指の桜の名所です。2018年4月2日撮影の写真です。2020年3月23日も撮影しましたが、満開度で負けました。





 

 「千鳥ヶ淵緑道」の終点左手には「インド大使館」(写真下左)があります。「田安門」(写真下右)から「北の丸公園」に入り、「日本武道館」周辺も桜の名所です。この写真は2020年3月23日撮影です。



 

 「日本武道館」・「北の丸公園」は工事中のため桜の写真は下の2枚です。



 

 日本武道館のHPからパノラマ写真をお借りしました。



 

 コースは「北の丸出口」から「平川門」、「一ツ橋」、「神田錦町」、「美土代町」、「小川町」を経て「聖橋」を渡りゴールです。桜と大使館三昧のYRでした。

 

平野寅次郎 拝






『湯島天神と不忍池〜西郷どんコース 約5km』
ステーション:神田セントビル3F 最寄駅 JR 秋葉原駅/御茶ノ水駅


 梅の名所 湯島天神から桜の名所 上野恩賜公園までのJVA・JWAのYRコースです。

 時期は異なりますが梅と桜を楽しめる、お散歩コースです。途中には思わぬ出会いもあります。ステーションから坂を下り、「神田明神下」を左折、「妻恋阪」交差点で「鳴門鯛焼本舗」に出会いました。1909年(明治42年)から受け継がれた伝統の製法(一丁焼き)で餡は鳴門金時入りの鯛焼き(220円)です。
10時開店の最初のお客さんとして熱々の鯛焼きを美味しくいただきました。



 

 直進して「湯島中坂下」を左折、「湯島中坂上」を右折で「湯島天神」です。

 湯島天神(湯島天満宮)
 458年に天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀り、創建と伝わる古社。南北朝時代の1355年に「菅原道真公」を合祀、「学問の神様」として多くの受験生に頼りにされています。江戸時代には境内で「富くじ」が売られ庶民にも親しまれました。また、境内の梅も有名で、この地の梅を歌った「湯島の白梅」は大ヒットしたとのこと。泉鏡花の「婦系図」もここが舞台です。



 

 お参りしたらコース地図の指示通り、「女坂」を下り、「春日通り」に出て「天神下」を左折すると目の前に「上野恩賜公園の不忍池」が広がります。

 上野恩賜公園の桜
 天台宗の僧侶「天海僧正」が江戸城の鎮護・徳川将軍家の菩提寺「東叡山寛永寺」を建立した時、上野の山の随所に桜の木を植えたことに始まり、桜の名所になったのは元禄期(1700年頃)とのこと。



 

 写真上左は不忍池入口の桜(2020年3月21日撮影)、奥に「弁天堂」が見えます。「弁天堂」までは池の中の桜並木を歩きます。「弁天堂」から道路に出る手前右側に「駅伝競走発祥之地」の碑(写真上右)があります。
1917年(大正6年)4月27日首都が京都から東京に移った50周年を記念して三条大橋から上野不忍池のこの碑のある当時の「大正博覧会」の正面玄関まで全長508Kmを23区に分けて関東勢(東京)、関西勢(名古屋・大阪)の2チームが丸3日かけてゴールの上野まで走りました。大阪は単独でチーム編成が出来なかったとのこと。この3年後に「箱根駅伝」が誕生しています。
道路を渡り、階段を上ると「上野の山」です。2020年のお花見は新型コロナウイルス感染拡大防止で宴会が禁止となっています。写真下は2015年3月28日に撮影したものです 。



 

 写真下は「東京国立博物館」日本庭園の一般開放時(2015年4月2日撮影)の写真です。2020年は新型コロナウイルス感染防止のため当面の間は臨時休館です。毎年春と秋に一般開放されますのでHPで確認願います。
 

 コースは「花園稲荷神社」、「上野大仏・パコダ薬師堂」、「五條天神社」、「上野東照宮」、「上野動物園」から「大噴水」(寛永寺の本堂があった場所)の手前で折り返し、「正岡子規記念球場」、「摺鉢山」から京都の清水寺を模した「清水観音堂」(写真下左)の舞台から琵琶湖になぞられた「不忍池」(写真下右)を見下ろしました。公園内には「東京国立博物館」、「国立科学博物館」、「国立西洋美術館」、「東京都美術館」、「上野の森美術館」、「東京文化会館」などがある文化の森です。



 

 西郷隆盛銅像
 薩摩藩士の西郷隆盛は江戸総攻撃を中止させ、江戸城無血開城で江戸の町を火の海から救った人。維新の三傑として明治政府では陸軍大将、政治家として活躍しましたが、意見の相違から下野し、西南戦争の指導者となり鹿児島県の城山で自刃。大日本帝国憲法公布の大赦で「逆徒」の汚名が解かれ、没後21年に顕彰を称える像が建てられました。像は高村光雲作、犬は後藤貞行作です。公開時に招かれた西郷夫人は「うちの主人はこんな人でなかった」と薩摩弁で言ったとのこと。軍服姿でなく、上野の山に建てられて「上野の西郷さん」と親しまれています。

 

 写真下左は上野広小路方面に下りる公園口の「しだれ桜」です。コースは「中央通り」を秋葉原駅まで直進して「神田明神下」に戻り、ゴールです。



 

 末広町駅近くの「外神田五丁目」交差点で「神田達磨 たい焼き」(写真上右)に出会いましたが、次回の寄り道とします。距離は短いですが、見所一杯のお散歩コースです。桜の季節を外して静かな時期に「歴史と文化」に触れ、そして「たい焼き」を楽しむお散歩もお勧めです。

 

平野寅次郎 拝








『小石川植物園・護国寺・小石川後楽園 13kmコース』
ステーション:神田セントビル3F 最寄駅 JR 秋葉原駅/御茶ノ水駅


 都心で四季に花が楽しめ、有名大学をめぐるJVA・JWAのYRコースです。

 ステーションから本郷の「東京大学赤門」に向かって一直線に歩きます。
「本郷三丁目」交差点左手に江戸時代の川柳で「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と詠われた「かねやす」があります。「東京大学」については他のYRコースで詳しくお話しします。「本郷弥生」交差点を横断、少し右へ行き、本郷税務署方面へ左折です。途中の右手に「ほうろく地蔵尊」、白山上を下りる途中右手奥に「白山神社」、下りて最初の道を左に入ると「八百屋お七の墓」があります。湘南ふじさわWAのHP寅さん歩49「健康ご利益めぐり-11文京区-2」を参照ください。湘南ふじさわWAはHPリンク集の加盟団体からリンクできます。「白山」交差点を直進して進むと「小石川植物園」の脇に出ます。

 小石川植物園
 正式名称は「東京大学大学院理学系研究科 附属植物園」です。この地は「白山御殿」(小石川御殿)と呼ばれ、三代将軍徳川家光の四男徳松(後の五代将軍綱吉)が住んでいました。兄の四代将軍家綱の死に伴い、御殿は廃止し、幕府の「小石川薬草園」となり、あかひげ先生のいた小石川養生所、青木昆陽が甘藷の試作、大奥女中のへちま水も作られたとのこと。明治になり国の薬園「東京帝国大学の植物園」となり、植物学の研究・教育実習施設となりました。
 約48000坪の広大な敷地に多くの植物が楽しめますが、特に春のソメイヨシノ(2015年4月2日撮影)が見事です。精子発見のイチョウ、ニュートンのりんごの木、メンデルの葡萄の木、薬園保存園、公開温室など見所一杯です。



 

 開館は1月4日〜12月28日の9時〜16時30分、休館日は各月曜日(祝日の場合は翌日)、入園料大人500円、小・中学生150円です。
「日本庭園」を歩き、写真下左の「旧東京医学校本館」の出口が開いていれば、ここから出て、YRコースに合流出来ます。「湯立坂」を茗荷谷駅方面に上る途中の右手に「占春園」(写真下右)があります。



 

 「占春園」は徳川光圀の弟を藩祖とする陸奥守山藩 松平家の上屋敷、中屋敷の地で、占春園は屋敷内の庭園の名残です。1903年(明治36年)「東京高等師範学校(戦後の東京教育大学、筑波大学)」校地の一部になりました。
上に行くと現在は「教育の森公園」となり、「筑波大学(大学院)」、「放送大学」の建物があり、コースに合流できます。「春日通り」に出て、「お茶の水女子大学」の前を過ぎて、「大塚三丁目」交差点を左折し、護国寺方面に向かいます。護国寺手前には「豊島ケ岡御陵」(皇族の専用墓地)があります。

 護国寺
 1681年(文和元年)五代将軍綱吉が生母 桂昌院の願いにより建立の真言宗豊山派総本山です。「本殿」は元禄時代の建築技術の粋を結集した建築物としてその雄大さは都内随一と称賛される国の重要文化財です。本殿向かって左の「月光院」は大津三井寺から移築。三条実美、大隈重信、山県有朋など著名人の墓があります。写真下左は「仁王門」、中は「不老門」、右は「本殿」です。



 

 「仁王門」を入り、右手には富士塚の「音羽富士」がありました。湘南ふじさわWAのHP寅さん歩25「東京の富士塚めぐり−2」を参照ください。
「不老門」をくぐると右手に「一言地蔵尊」があり、一言だけの願いを聞き届けるお地蔵さまに寅次郎、「新型コロナウイルス拡大の早期終息」をお願いしました。「護国寺」を出て直進、「江戸川橋」を左折、神田川沿いに進み、「白鳥橋」を左折、「牛天神下」、「小石川税務署」から「小石川後楽園」に向かいます。

 小石川後楽園
 1629年(寛永6年)水戸徳川家の祖である頼房が中屋敷(のちに上屋敷)に造ったもので、二代藩主光圀(水戸の黄門様です)の代に完成した、池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」です。中国の風物を採り入れ、庭園名の「後楽園」も明の遺臣「朱瞬水」の命名です。国の特別史跡・特別名勝の重複指定で、全国でも浜離宮恩賜庭園、金閣寺などごく限られています。

 開館は9時〜17時、休館日は年末年始(12月29日〜1月1日)です。入園料は一般300円、65歳以上150円、小学生以下及び都内に在住・在学の中学生は無料です。みどりの日(5月4日)、都民の日(10月1日)、シルバーウイーク(別途定める)の無料公開日があります。
 2020年の東京の桜の開花は観測史上一番早い3月14日と発表されました。
 写真下は園内にある「しだれ桜」でソメイヨシノより早い満開(2020年3月21日撮影)です。写真下右の桜の後の白い屋根は東京ドームです。



 

 桜の他、梅、花菖蒲、紅葉など四季の花が楽しめます。
 「小石川後楽園」から「飯田橋ハローワーク」、「東京ドーム」、「水道橋駅」を通過、「順天堂大学」、「東京医科歯科大学」、「湯島聖堂」の「近代教育発祥の地」を歩きます。湘南ふじさわWAのHP寅さん歩20「東京の発祥之地めぐり(学問・文化編―1)をご参照ください。「昌平橋」を左折するとゴールです。
 見所が多く、ゆっくり立ち寄りしているとゴール時間に間に合わなくなりそうなコースです。季節ごとのYRコースとして楽しんでください。
 寅次郎、秋に訪問して紅葉を楽しむ予定です。

 

平野寅次郎 拝






『さんぽみち連絡 5km 東大コース』
ステーション:神田セントビル3F 最寄駅 JR 秋葉原駅/御茶ノ水駅


 10kmのお散歩は少しきついという人やリハビリでの散歩には5km程度が良いという人が増えて来ています。IVV-JAPAN(JVA)・JWAのYRリストにワンウェイ5kmコースがありました。スタート・ゴールが異なります。残念ながら新型コロナウイルス感染拡大防止で東京大学構内へは関係者以外の立ち入りは出来ません。又、2020年の文京つつじ祭り(根津神社)は中止となっています。寅次郎は以前に訪問していますので紹介します。

 ステーションの受付でYR申込用紙に記載して地図をもらいます。申し込み用紙はゴールで提出、200円を払うとIVVがもらえます。現在は5KmでもIVVが出るようになりました。
 「本富士消防署」、「本富士警察署」の先を左折して「龍岡門」から「東京大学」の構内に入ります。構内は見所一杯です。「赤門」を入った受付に置いてある「本郷地区キャンパス ガイドマップ」が役に立ちます。

 

赤 門
 正式名称は旧加賀屋敷御守殿門。1827年(文政10年)建立の重要文化財です。



 

正 門
 浜尾総長の創意により青年の意気溌剌たる雄大な気概を表現。1912年(明治45年)竣工の登録有形文化財、赤門の先にあります。



 

三四郎池
 正式名称は旧加賀藩屋敷の「育徳園心字池」です。夏目漱石の小説「三四郎」以来、この名で親しまれています。



 

安田講堂
 安田善次郎氏の寄付により1925年(大正14年)に竣工。現在は式典、公開講座、五月祭などに使用されています。登録有形文化財です。




 

 構内には食堂、レストランが多くあります。寅次郎のお好みは安田講堂脇を下りる中央食堂(学食)の「赤門ラーメン」453円です。

 

 見かけは辛そうですが、食べてみると程よい辛さです。学食は11時30分〜13時30分は学生・教職員優先です。学食の1Fは生協購買部で日用品の他、東大の名入の学用品、クッキー、饅頭、チョコレート、赤門ラーメンなどが盛り沢山並び、学校訪問の父兄や高校生のお客さんが多いです。校章になっている「イチョウ」も東大名物です。
 湘南ふじさわWA HP寅さん歩196「東京の学食めぐり−5」を参照ください。リンク集からご覧いただけます。
 

 歩道橋を渡り、弥生キャンパス(農学部)の「農正門」(写真下左)近くには「上野博士と忠犬ハチ公」の銅像(ハチ公没後80年の2015年(平成27年)3月除幕)があります。東大農学部教授の上野博士はハチ公の飼い主で、1925年(大正14年)東大構内で急死されました。ハチ公は自分が死ぬまで10年間朝夕、上野博士の自宅(松濤)から渋谷駅に通い、博士の帰りを待っていました。

 

 東大構内を出て、「弥生式土器の発見地」、「サトウハチロー旧居跡」、「お化け階段」(写真下左、上りと下りで段数が異なる)を下りると、6代将軍徳川家宣の産土神「根津神社」、写真下右は重要文化財の社殿です。

 

 つつじの名所で、文京つつじ祭(2020年は中止)は多くの人で賑わいます。写真は2015年4月22日の撮影です。境内の下から見上げると写真下のようです。

 

 中腹にある「つつじ苑」(つつじ祭り中に開園)の入場料(寄進料)を払い、上に上がると花が近くで見られます。

 

 「湘南ふじさわWA HP寅さん歩―89 江戸・東京の祭−18(花の祭−4)」を参照ください。リンク集からご覧いただけます。

 ゴールの「さんぽみち総合研究所」の場所は「白山一丁目」の信号の前の「KRDビル」です。さんぽみち総合研究所は「バスでウォーク」で全国のウォーキング大会のツアーの企画をしています。寅次郎も全国大会に出かける時にお世話になりました。ここがスタート場所のYRコースもあります。IVV−JAPAN(JVA)のHPウォーキングステーション一覧の東京都を参照ください。
 5kmコースと侮れませんよ。入れなかった人も入らなかった人も「東京大学」に入って構内を満喫、「根津神社のつつじ」や周辺の文京区の史跡も楽しめるお散歩YRコースです。平穏な日常が戻ったら、ぜひ歩いてください。

 

平野寅次郎 拝






 

 都心を歩いて、見どころ・寄り道満載のYRコースです。

『神田明神・湯島天神・水天宮・日本橋コース 10km』
ステーション:神田セントビル3F 最寄駅 JR 秋葉原駅/御茶ノ水駅


 

 YRの歩き方の基本はコース地図をしっかり読みながら歩くことですが、今回のコースは「寅さん歩」シリーズ(湘南ふじさわWAのHPに連載)で歩き回ったエリアなのでコースの近くにある見どころにも寄り道して紹介します。
 本音を言うとコースを間違えて見つけた見どころもあります。
 スタートしてすぐの「神田明神」は「平野寅次郎のYR散歩―2」を参照ください。
 コースは清水坂下を左折するのですが、直進してしまいました。すぐ右側に「妻戀神社」を見つけました。説明板には「その昔、日本武尊が東征の折、この地で倉稲魂神(稲荷神)を祀ったことが起源。また日本武尊が三浦半島から房総へ渡る時、大暴風雨に遭い、妃の弟橘姫が海に身を投げて海神を鎮め、一行を救ったことから妃を船魂神(海神)としてここに祀った」と記載。
 写真下左は妻戀(恋)神社、写真下右は境内右奥のお稲荷さんです。

 

 「湯島天神」は学問の神様 菅原道真公を祀る神社で正式名称は「湯島天満宮」です。
 受験生のお願いの絵馬が盛り沢山ぶらさがり道真公も大変ですね。

 

 梅の名所としても有名で、梅の木の下に石標「奇縁氷人石」(写真下右)があります。
 江戸時代の「迷子知らせ石標」で、後半の「一石橋」で説明します。

 

 「天神下交差点」から「秋葉原電気街」を通り「万世橋」(写真下左)を渡り、「水天宮通り」を進みます。人形町の「甘酒横丁」入口の反対側の右奥にある寅次郎のお気に入りで行列ができる店「玉ひで」でランチの寄り道です。
 1760年(宝暦10年)創業で、お昼の部は11時30分〜13時30分です。写真下右は親子丼(進化)1800円、鶏だしスープ付きでトロトロの卵の中のしゃもの肉は並んでも食べたい美味しさです。日本の親子丼発祥の地で、湘南ふじさわWAのHP「寅さん歩」17東京発祥之地めぐり(グルメ編−1)を参照ください。

 

 写真下左は2016年(平成28年)耐震の改築が行われた「水天宮」の入口、写真下右は本殿です。カップルの参拝姿が目立ちました。

 

 「水天宮」は水難除けの神でしたが、現在は安産の神として有名。総本社は福岡県久留米にあり、久留米藩主 有馬頼徳が三田の江戸藩邸内に分社建立したのが始まりで、1872年(明治5年)に現在地に移ったとのこと。戌の日の帯は寅次郎の母も締めたと言っていました。「水天宮」にお参りした後は「水天宮交差点」を右折、直進します。
 「蠣殻町交差点」で兜橋方面に行くと、「東京証券取引所」(写真下左)脇の道に「兜神社」(写真下右)があります。1878年(明治11年)この地に前身の「東京株式取引所」を設立した時に関係者が鎮守として造成したとのこと。また、「兜」とは源義家が東征の折、この地で兜を岩に懸けて戦勝を祈願したことに由来するとのこと。

 

 「昭和通り」を横断、常盤橋方面に向かいます。室町三丁目「あじさい通り」の「おかめ桜」(写真下左)が満開(2020年3月3日撮影)、「三越本店地下」(「三越駅前」地下コンコースの壁面)で200年前の日本橋を描いた「熈代勝覧(きだいしょうらん)」(写真下右)は必見の寄り道、約17mの絵巻は常設展示です。

 

 「常盤橋」手前を左折(コースは直進)、「一石橋」の親柱(写真下左)脇に「迷子しらせ石標」が(写真下右)あります。正面「満(ま)よいひ子の志(し)るべ」、右側面「志(し)」らす類(る)方」、左側面「たづぬる方」、裏面「安政四丁巳年 十二月 御願済建之 西河岸町」と記載。江戸時代の「迷子告知板」です。

 

 「左面にいなくなった子の情報、右面に心当たりの子の情報を書いた紙を貼って知らせたとのこと。往来の多い場所に置き、湯島天神、浅草寺境内等に同様なものがあった」と説明板に記載。
 コースに戻り、進むと「駿河台下」に到着。ゴールの時間(平日は17時まで)に余裕があればコース沿いの「明治大学アカデミーコモン」地下2階にある「明治大学博物館」、「阿久悠記念館」(代表曲の視聴が出来ます)や「湯島聖堂」に寄り道してYRを楽しんでください。
 湘南ふじさわWAのHP「寅さん歩」121江戸・東京の祭―47(江戸らしい祭)、「寅さん歩」200東京の学食めぐり―8及び「寅さん歩」315東京の博物館めぐりー8(千代田区―2)を参照ください。リンク集からご覧出来ます。

 

平野寅次郎 拝






 

 ゴールのさんぽみち総合研究所まで片道6kmのYRコースです。
 平野寅次郎YR散歩―6で訪問した「小石川後楽園」の花菖蒲と小石川の名所を楽しみます。今回はコースにある説明板を読みながら歩きます。内容の詳細は現地でお読みください。説明板をゆっくり読めるのもYRの魅力のひとつです。

『さんぽみち連絡 小石川後楽園コース 6km』
ステーション:神田セントビル3F 最寄駅 JR 秋葉原駅/御茶ノ水駅


 

 ステーションから「神田明神」先の「湯島聖堂前」信号を左折、「東京医科歯科大学」に沿って歩くと「近代教育発祥の地」の説明板があります。その先の階段を下り右折、「神田川沿い(線路沿い)」をJR水道橋駅方面に向かって「お茶ノ水坂」(反対側の道路に説明板)を下ります。坂の途中には「神田上水懸樋(かけひ)跡の碑」があります。江戸時代、神田川の上に木製の樋を架けて神田上水の水を通して神田、日本橋方面に給水していました。「水道橋」信号を右折、「東京ドームシティ」(写真下右)側を歩きます。

 

 「ウインズ後楽園」(黄色いビル)の先を右折、「小石川後楽園」裏手門の手前を左折、白壁沿いの「緑道」を進みます。途中には「小石川後楽園展示室」(写真下右)が無料で覗けます。そして正門に到着です。6月1日から当面の間、開園は10時〜16時の時間短縮です。入場料は一般300円、65歳以上150円です。

 

 「小石川後楽園」は回遊式築山泉水庭園で国の特別史跡・特別名勝の二重指定を受けている名園です。水戸徳川家屋敷の庭として初代藩主頼房が着手、2代藩主光圀(黄門様)の代まで30年をかけて完成しています。ちなみに徳川幕府最後の第15代将軍慶喜は第9代藩主斉彬の7男としてこの地で誕生しています。
 明治2年の廃藩置県で邸宅とも陸軍省の所管となりますが庭園はそのままの姿で保持されました。園内奥では「花菖蒲」が一面に咲いています。写真下は2015年(平成27年)6月の撮影です。花菖蒲は初夏を告げる花で日本では梅雨を代表する花の一つです。花言葉はその姿に由来して「優しい心」「優雅」です。

 

 FWAのHP「寅さん歩」96 江戸・東京の祭―25(花の祭―7)を参照ください。リンク集からご覧になれます。
 「小石川後楽園」を出て右折、突き当りの道路を横断し左折、「小石川税務署」前を通過し、「牛天神下」の信号を渡り、最初の信号を右折、「牛坂」を上ります。源頼朝ゆかりの「北野神社(牛天神)」(写真下左)、写真下右は境内の末寺「太田神社・高木神社」があります。太田神社は元は貧乏の神、今は芸能の神・福の神、高木神社は五穀の神です)それぞれの説明板を参照ください。

 

 「春日通り」に出て左折、「傳通院前」の信号を右折すると「傳通院」の山門(写真下左)です。徳川家康の生母「於大の方」や2代将軍徳川秀忠の娘(家康の孫)で豊臣秀頼の妻の 「千姫」などが眠っている徳川ゆかりの寺です。「傳通院」の名は於大の方の戒名とのこと。写真下右は「本堂」で墓地は本堂左手にあります。入口の墓地案内板でお参りしたい方を確認してください。作家の柴田錬三郎、日本画家の長谷川明治、指圧師の浪越徳次郎などの墓もあります。

 

 写真下左はお於の方の墓(右手前には生涯が記録)、写真下右は千姫の墓です。

 

 山門を入り左には「指圧の心は母心 押せば命の泉湧く」で有名な浪越徳次郎生前寄贈の「指塚」(写真下左)がありました。「日本指圧専門学校」は山門手前右にあります。山門を出て左の「善光寺坂」を下ります。道の真ん中に「ムクノキ」(写真下右)があります。説明板を参照ください。

 

 「慈眼院」(写真下左)・「沢蔵司稲荷」(写真下右)の面白い内容の説明板があります。傳通院の修行僧の沢蔵司が蕎麦好きの稲荷大明神だったという話、前述のムクノキには沢蔵司がやどっているといわれ道路拡張の時に伐採できず、道をふたまたにしたという話が記載されています。

 

 坂を下り右折、「えんま通り商店街」を進むと右手が「源覚寺」です。寛永元年創建の浄土宗の名刹。老婆の眼病平癒の願いに閻魔大王が自分の眼を老婆に与え、お礼に老婆は大好物の“こんにゃく”を奉納し続けた由来から、「こんにゃく閻魔」として長く親しまれ、今もお参りに“こんにゃく”をお供えする人が多いです。地獄の蓋が開くお盆(東京では7月15日)には参詣者に“こんにゃく”がふるまわれます。お寺の話ではお供えされた“こんにゃく”ではなく新たに入手の“こんにゃく”を使うとのことです。
 説明板には「木造閻魔王坐像の右眼は黄色く濁っている。高さ100.1m、ヒノキ材の寄木造りで、彩色を施し、玉眼が嵌入してある。優れたできばえを示し、運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作と思われる。銘文によると寛永12年(1672)に仏師竹内浄正が修理している。彫刻美術品として優れているとともに、文京区所在の仏像の中で、古い作製年代に属するものとして貴重な文化財である。(一部略)」と記載。写真下右は閻魔像が奥にあるので、左手前に写真を置き、参詣者はその前に“こんにゃく”をお供えしています。

 

 境内には歯痛緩和の「塩地蔵」(寛永元年の開山以前よりこの地にあり、お身体に塩を盛ってお参りして身体健康を祈願)や小石川七福神の「毘沙門天」が祀られています。写真下左は「塩地蔵」、右は「毘沙門天堂」です。

 

 寅さん歩48 健康ご利益めぐりー10(文京区−1)、49 健康ご利益めぐり-11(文京区―2)寅さん歩99 江戸・東京の祭―28(江戸らしい祭−12)、寅さん歩120 お江戸の閻魔大王―2を参照ください。
 「こんにゃくえんま前」信号を直進、「白山通り」を横断、道なりに「西片二丁目」信号を進むと「本郷通り」の「本郷弥生」信号に出ます。左折して「東大農学部前」バス停の所に「将軍御成道 岩槻街道」の説明板を見つけました。
 向ケ丘1丁目13-6で「正行寺 せきどめ とうがらし地蔵」を見つけ、新型コロナ終息を祈願しました。「向ケ丘1丁目」信号前がゴールの「さんぽみち総合研究所」の建物(写真下右)です。通り過ぎないようにご注意ください。

 

 今まではさっと見て、通り過ぎていた小石川の多くの名所を説明板をしっかりと読んで学び直したYRでした。

 

平野寅次郎 拝






 

 文京区と台東区の境界にあたる中・津・駄木界隈の寺町を周遊する距離は短いですが、寄り道も多く、見所満載のコースです。「谷根千」と呼ばれる人気の散歩道です。

『谷根千コース 5km』
ステーション:さんぽみち総合研究所 最寄駅 南北線 東大前駅2番出口


 

 スタートして最初の信号「日本医大前」を右折するコースですが、左折して「夏目漱石旧居跡」に寄り道です。森鴎外も漱石が住む13年前に1年余り住んだという二大文豪の居住地です。旧居は犬山市の明治村に移築、保存とのことです。

 

 夏目漱石はイギリス留学から帰国後の3年10ケ月この地に住み、「吾輩は猫である」の創作の舞台となり「猫の家」と呼ばれました。塀の上は作り物の猫でした。 コースに戻り、「日本聖公会 東京聖テモテ教会(写真下左)」を左折、森鴎外の小説「青年」に登場した「新坂」(権現坂・S坂とも呼ばれる)を下ると「根津神社」(写真下右)です 。

 

 根津神社についてはNo,7 さんぽみち5km東大コースを参照ください。
 根津神社前には「菓寮 花小路 焼きかりんと」のお店があり「松任谷由美お気に入り」とのポスタ-がありました。不忍通りを横断して「谷中の寺町」に入ります。」途中には「大名時計博物館」(写真下左)と 日荷上人(にっかさま)を祀った「延壽寺 日荷堂」(写真下右)があります。日荷上人は横浜から身延山まで三日三晩、仁王尊二体を背負って奉納した「健脚の神様 足腰病守の神様」です。足を大事にするウォーカーの皆様はしっかりとお参りしてください。

 

 写真下左は谷中のシンボル「ヒマラヤ杉」と「みかどパン店」(三角地に建つので“みかど”とのこと)です。自然食材で作られた「ヒマラヤ杉ラスク」が売られていました。写真下右は前後左右がお寺の谷中の寺町風景です。

 

 やがて「谷中霊園」に到着です。写真下左は現在、右は桜満開の時期です。

 

 コースは霊園中央路を抜けますが、多くの著名人が眠っていますので代表して、「徳川慶喜墓所」に立ち寄り、お参りしましょう。徳川幕府最後の将軍慶喜は「自分は徳川家を潰した」と将軍家菩提寺の墓所には入らず、ここで眠っています。墓所へは案内表示があります。写真右の写真の中央が慶喜のお墓、右は正室、左は徳川家の墓(子孫用)です。

 

 コースに戻り、中央路を進むと、右手に「天王寺五重塔跡地」(写真下左)、正面には「天王寺」(写真下右)があります。「天王寺」は江戸時代前からの名刹ですが、幕府からは日蓮宗から天台宗に改宗させられ、寺名も「天王寺」に変更させられ、新政府からは大半の土地を召上げられ、「行人坂の大火」で焼失後、1791年(寛政3年)に再建、幸田露伴の小説のモデルにもなった「五重塔」は1957年(昭和32年)放火で再度焼失という波乱万丈の歴史です。

 

 日暮里駅脇から左折ですが、右の跨線橋は鉄道ファンの「鉄道博物館」です。

 

 御殿坂を上ると月見寺の「本行寺」(写真下左)、幕末の上野戦争で敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃を受け山門に銃弾の跡が残る「経王寺」(写真下右)が並んでいます。

 

 「経王寺」前の左路地を入ると近代日本を代表する彫刻家・彫塑家の朝倉文夫の「朝倉彫塑館」があります。コースは「夕やけだんだん」(写真下左)と「谷中ぎんざ」(写真下右))に向かいます。

 

 よみせ通り商店街を通り抜けると「団子坂下」、坂(写真下左)を上った所にある「森鴎外記念館」(写真下右)です。鴎外の終の棲家の旧家跡で「観潮楼」と呼ばれ、当時はここから海が見えたとのことです。「団子坂」の由来は近くに団子屋があったとか、悪路で転ぶと団子のようになったとか諸説があります。

 

 大観音通りを進むと、右手に「光源寺」があります。1589年(天正17年)神田四軒町に創建され、江戸城の拡張で慶安元年(1648年)現在地に移転しています。境内にある「駒込大観音」は1697年(元禄10年)造立の御丈約5mの「十一面観音像」でしたが東京大空襲で焼失し、1993年(平成5年)御丈約6mに再建されたとのことです。

 

 向丘二丁目交差点を横断し左折、本郷通りを進むと、まもなくゴールです。
「谷根千」の寺町を満喫しましたが、紹介を省略した多くの寺院があります。是非、現地で確認してください。又、桜の季節にもおすすめのコースです。

 

平野寅次郎 拝






 

 江戸の面影を残し、粋でお洒落な街 神楽坂をスタート、ゴールは神楽坂の「第三玉の湯」でウォーキングの汗を流すYRコースです。

『第三玉の湯コース 10km』
ステーション:第三玉の湯 新宿区白銀町1-4 最寄駅 南北線 大江戸線 牛込神楽坂駅A3出口


 

 「第三玉の湯」は「神楽坂上」交差点にある「安養寺」(写真下左)から大久保通りを交番方向に下ると左手にあります。スタートして神楽坂通りを進むと東西線神楽坂駅前に「赤城神社」(写真下右)があります。

 

 「赤城神社」は鎌倉時代の1300年(正安2年)上野国赤城神社を勧請した江戸時代から「牛込の鎮守」です。2009年(平成21年)再生プロジェクト(設計監修は国立競技場設計の隈研吾氏)でお洒落な社殿に生まれ変わりました。敷地内にはマンション(社殿の右手)も建っています。

 

 「狛犬」(写真上左)は江戸時代に流行った加賀白山犬でスフィンクスに似ています。写真上右は社殿手前にある菅原道真公を祀る「蛍雪天神」です。 YRで迷わないコツは次に行く地点を明確にして、交差点の信号の上の表示や道路にある案内地図板を見て歩くことです。道路の右・左側のどちらを歩くかも地点を早く見つけるポイントです。東京女子医大通りを抜け、防衛省先の合羽坂下から「津の守坂」の左側を歩き、坂の途中に案内表示がある「新宿歴史博物館」(写真下左)に立ち寄り、新宿の歴史を勉強しました。写真下右は江戸時代の「内藤新宿」の再現模型です。休館日は第2・4月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日〜1月3日、観覧料は一般300円です。

 

 甲州街道を横断し、直進、「円通寺坂」を下ると右手が「須賀神社入口」です。須賀神社に上がる石段はアニメ映画「君の名は。」で主人公の男女が再会するラストシーンに描かれた場所で映画ファンの聖地だそうです。 「須賀神社」は「新宿区ミニ博物館(新宿区内の文化財や史跡、伝統産業を担っている職人さんの仕事場などを展示・公開)で「社殿」(写真下左)の左側に「三十六歌仙絵」のレプリカ(写真下右)が解説付きで紹介されています。三十六歌仙絵を一人一人の絵に仕立てた優品で本物は社殿内に保管とのこと。

 

 社殿左の稲荷神社から出て直進、右折、「本性寺」先を右折すると「於岩稲荷 陽運寺」(写真下左)があります。「陽運寺」の説明板には[戯曲が世に広まり、貞淑な妻だった「お岩様」が庶民の畏敬を集めました。境内にある泰山木の下にお岩様縁の祠があったと伝えられ、陽運寺の起源とされています。「えんむすび」の寺、厄除け、芸道上達のご利益もあります]と記載。

 

 写真下左は女性参拝者を見込んだ陽運寺の週替わり「お寺ごはん 鶏そぼろ弁当」1200円で境内の庭で食べられます。さらに「田宮神社跡 於岩稲荷」(写真下右)が道を挟んであります。「田宮神社跡」の説明板によると[田宮家の邸にあった社で、初代 田宮又左衛門の娘 お岩が信仰し、養子 伊右衛門と共に家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」と呼ばれ次第に人々の信仰を集めたようです。鶴谷南北の戯曲「東海道四谷怪談」は実在の人物からは200年後の作品で、お岩夫婦も怪談話とは大きく異なり円満でした]と記載。湘南ふじさわWAのホームページ 寅さん歩222 東京にこんなところ−21 を参照ください。リンク集からリンク出来ます。

 

 来た道を「本性寺」まで戻り、左折し直進、「戒行寺」の先を右折、先にある「鉄砲坂」を左折、「学習院初等科」(写真下左)の裏に出ます。右手の「迎賓館」(写真下右)を眺めて、四谷見附(四ツ谷駅)方面に向かいます。

 

 外堀通りを歩きますが、「外濠公園」の中を歩くと車の騒音から逃れられます。 外濠公園の出口「国史跡江戸城外掘跡(市谷地区外濠)」の説明板(写真下左は当時の市谷見附の写真)を読み、「市ヶ谷橋」から現在の「市ケ谷壕」(写真下右)を見て、外堀通りを渡り、少し戻ると「市谷亀岡八幡宮」があります。

 

 「市谷亀岡八幡宮」(写真下左)は1479年(文明11年)太田道灌が江戸城築城の際に西方の守護神として「鎌倉鶴岡八幡宮」の分霊を祀りました。
 是非、階段上までお立ち寄りください。

 

 外堀通りの左側を歩くと、「東京理科大学」の校舎があり、写真上右の「モニュメント」に気付きます。説明板によると[名称は「坊ちゃんの塔」で夏目漱石の小説「坊ちゃん」の主人公が本学の前身の東京物理学校を卒業した数学教師に由来、人間味あふれる実力ある理系教師を輩出し、理学のさらなる普及の継承を期待して建設の鏡映対称な一対の五面体の「ペンタドロン」を組み合わせて構成]と記載。時間の余裕があれば左奥の東京理科大「近代科学資料館」にもお立ち寄り下さい。(開館状況は事前にHPで確認ください)
 「神楽坂下」から神楽坂通りを上り、コ川家康の意で創建され毘沙門天を祀る「善国寺」(写真下左で狛犬は石虎)にもお立ち寄りください。その前の小道を右に入ると写真下右のような「兵庫横丁」があります。
 コースは善国寺手前の「本多通り」を右折し「筑土八幡宮」に向かいます。

 

 「筑土八幡宮」(写真下左)は800年代に信仰心の厚かった老人の夢に現れた八幡神のお告げで祀られたのが起源の古社で筑後の宇佐神社の宮土を求めて礎としたのが命名の由来とのこと。境内には住居が裏手にあった「田村虎蔵」(童謡「金太郎」、「浦島太郎」を作曲)の顕彰碑がありました。ここも階段を昇り、是非立ち寄り下さい。ゴールの「第三玉の湯」(写真下右」はすぐ近くです。

 

 「第三玉の湯」は高濃度炭酸泉・弾力ジェットと露天風呂(大きくはありませんが)で「都会のオアシス」と人気の銭湯です。営業は15時からなので、途中での立ち寄りなどで時間調整をしてください。入浴料金大人470円を払い、ウォーキングパスポートを出すとIVVが押印されます。シャンプーもボディソープもありました。貸タオルもあるので手ぶらでも利用できます。寅次郎の風呂上りの定番は腰に手を当てて飲む「コーヒー牛乳」です。
 今回もコース途中に多くの寺院がありますが、紹介を省略しております。現地での説明板をご覧ください。「外堀通り」は桜の季節に歩くのもお奨めです。

 

平野寅次郎 拝






 

 2020年9月7日から日本市民スポーツ連盟の事務所は湯島ハイタウンA棟に移転しました。寅次郎、新YRコースを歩きました。

『東京スカイツリーコース Aコース 14km』
ステーション:湯島ハイタウンA棟208号   最寄駅 千代田線 湯島駅


 

 湯島ハイタウンA棟(写真下左はビル入口)に入り、右側の階段を2階に上がり事務所(写真下右)でYRの受付をしてスタートです。ビルを出て左折、御徒町駅方面に「春日通り」を進みます。

 

 左側に「アメ横」、右側に移るとレトロスポットの「佐竹商店街」、「三筋二丁目交差点」には「川柳発祥の地の碑」(写真下左)があります。柄井川柳がこの地で「万句合」の会を開いています。隅田川西岸にあった蔵前の米蔵の荷駄馬用の厩に因んだ名の「厩橋」(写真下右)を渡ります。

 

 「本所四丁目」を過ぎ、左にあるWCの先の「横川橋」手前の小道を下りると「大横川親水公園」です。しばらく歩いて「釣堀」の右側を上がると目の前の「東京スカイツリー」(写真下左)に圧倒されます。
 「業平橋1丁目」の信号を左折、「東武橋」方面に行くと、右側に「ソラマチ」と「東京スカイツリー」(写真下右)があります。

 

 道の左側を歩き「とうきょうスカイツリー駅」を右に見て、「小梅牛島通り」から「墨田公園」に向かいます。前ばかり見ていないで立ち止まり、後を振り返る(人生と同じです)と「東京スカイツリー」のビューポント(写真下左)。

 

 「墨田公園」は関東大震災からの東京復興事業の一環として計画・整備された公園で徳川水戸藩邸の庭園も残されています。園内にある本所の総鎮守の「牛嶋神社」(写真上右)には体だけでなく心も治すと信じられている「撫牛」(写真下左)が鎮座。でもどこを撫ぜれば心が治るのかは説明板には書いてありませんでした。

 

 コースでは後ろを通る「三囲(みめぐり)神社」(写真上右)は右に下りて立ち寄ってください。三井家(越後屋)の江戸進出の時に「三囲」の名にあやかって守護神とした神社です。当主はライオンがお好きだったそうで三越のシンボルライオン像(旧池袋三越から移したもの)、コンコンさん(おきつねさん)、狛犬が社殿を守っています。「墨田公園」の墨田区側と台東区側を結ぶ歩行者専用の優美な曲線とX字型の「桜橋」を渡ります。両岸の桜並木は5代将軍徳川吉宗の計らいで植えられたものです。橋の上から振り返って見る「東京スカイツリー」(写真下右)です。

 

 「台東パークサイドスポーツセンター」の脇を行き「いまどばし」(昔の山谷堀で江戸時代は吉原通いの水路)を右折、「今戸神社」方向に向かいます。「今戸神社」は招き猫発祥の地、今戸焼発祥の地、新選組沖田総司終焉の地です。

 

 写真下左は社殿の中の招き猫です。ランチは「今戸二丁目」のお食事処「イチカワヤ」に飛び込み、熱中症対策も兼ねた「塩サバ定食」(写真下右)750円。

 

 お弁当を持っていれば通過する、どこの公園でも食べられますよ。
 「今戸二丁目」信号左にある「本性寺」は痔の神様が祀られていて「痔平癒」のご利益があるとのことです。お悩みの方には社殿とお墓のお参りをお奨めです。「明治通り」に出て「泪橋交差点」を通過します。「泪橋」とは現在は暗渠の「思川」にかかっていた橋で右に行くと南千住で江戸時代の小塚原刑場です。罪人はこの世との別れの場、家族や身内は今生の別れの場で、お互いにこの橋の上で涙を流したことに由来します。「三ノ輪交差点」から「金杉通り」に入り、「東日暮里」から「鶯谷駅前」の左側の道を行き、線路手前の右側の階段を上がると「寛永寺陸橋」上です。「谷中霊園」を右に見て「言問通り」を進み、「旭ビル」(建物の上に記載、右側は浄名院)を左折すると「寛永寺根本中堂」(写真下左右)です。「上野恩賜公園」の大噴水あたりにありましたが、上野戦争で焼失してしまい、1876年(明治9年)から12年かけて川越喜多院の本地堂を移築しました 。

 

 「上野恩賜公園」は見所満載で別のYRコースがあります。今回はコース沿いにある歴史的建造物や史跡を紹介します。「国際子ども図書館」(旧帝国図書館)、「黒田記念館」、「京成電鉄博物動物園駅跡」(写真下左)、「鳥取藩池田家江戸屋敷の正門」(写真下右)を通過します。

 

 「東京国立博物館前の大噴水」(写真下左)から「上野動物園」や鳥羽・伏見の戦いで征討大将軍として参戦、戊辰戦争の指揮をとった「小松宮彰仁親王銅像」(説明板には兄宮が敵方の寛永寺最後の門跡に因んでここに建つと記載)を通過します。その先の「上野東照宮」は奥まで入ってください。ここまで(写真下右)無料で見られます。

 

 落ちない合格大仏と受験生に人気がある「上野大仏」(写真下左)、"鐘は上野か浅草か"の「時の鐘」(正午には鐘をつきます)などがあります。

 

 気取ってみたい方には「時の鐘」手前の「上野精養軒」で明治の文豪 森鴎外も食したと伝わるハヤシライス(サラダ付き1680円)をお奨めします。
コースは「五條天神社」の脇の坂を下りますが、「花園稲荷神社」参道(写真下左)から「五條天神社」(写真下右)に下りる道をお奨めします。

 

 「不忍池」の中の桜並木(江戸時代は茶屋が立ち並んだとのこと)を通り、ゴールへ向かいます。桜の季節はお花見YRです。以前に撮った墨田公園の桜(写真下左)、上野恩賜公園の桜(写真下右)です。

 

 「不忍池」から「弁天堂」に向かいます。参道入口左の柳の下に駅伝の発祥を記念した「駅伝の碑」(写真下左)がありますので見つけてください。
 写真下右は「弁天堂」の裏側です。正面は寄付提灯で社殿が隠れています。
 「不忍池」はハスの花が咲く時期が楽しみです。

 

 文京区、台東区、墨田区、荒川区を歩き回り、江戸・東京の歴史やいろいろな顔を見ることが出来ました。七福神の寺社も多いです。見学ポイントを絞って何度も楽しめるYRコースです。
 早足で歩いてお昼にはゴールの方には湯島ハイタウンA棟の入口右にある「喜代松」のランチ天丼(1040円)をお奨めします。
 文中の金額は訪問時のものです。
 また、湯島ハイタウンA棟の後方には「旧岩崎邸庭園」(岩崎彌太郎の長男で三菱第三代社長の久彌の本邸で重要文化財)があります。是非お立ち寄りください。前方にある「湯島天満宮(湯島天神)」は別のYRコースがあります。
 リンクできる「湘南ふじさわWA」のHP ひろば にはYRコース沿いにある話題の場所の詳細が記載されていますので、ご参照ください。
 寅さん歩11・15・23 東京発祥之地めぐり、寅さん歩37・38健康ご利益めぐり(台東区)、寅さん歩174 お江戸の時の鐘−1、寅さん歩301 東京の博物館めぐり−1

 

平野寅次郎 拝






 

 2020年9月7日から日本市民スポーツ連盟の事務所は湯島ハイタウンA棟に移転しました。従来あったコースですが、スタート・ゴールが変更になった新YRコースです。

『不忍池・西郷どん・神田明神・湯島天神  5km』
ステーション:湯島ハイタウンA棟208号   最寄駅 千代田線 湯島駅


 

 湯島ハイタウンA棟(写真下左は入口)を入り、右側の階段を2階に上がり事務所(写真下右)でYRの受付をしてスタートです。ビルを出て左折、「天神下」を左折、「不忍池」方面に向かいます。季節は異なりますが「桜」と「梅」と「鯛焼き」が楽しめる、お散歩コースです。桜の写真は以前に撮影したものです。

 

 目の前に「上野恩賜公園の不忍池」(写真下左)が広がります。「不忍池」の中の道を通り、「弁天堂」(写真下右は裏側)に向かいます。

 

 「弁天堂」から前の道路に出る手前、右後ろに「駅伝競走発祥之地」の碑(写真下右)があります。1917年(大正6年)4月27日首都が京都から東京に移った50周年を記念して三条大橋から上野不忍池のこの碑のある当時の「大正博覧会」の正面玄関まで全長508Kmを23区に分けて関東勢(東京)、関西勢(名古屋・大阪)の2チームが丸3日かけてゴールの上野まで走りました。大阪は単独でチーム編成が出来なかったとのこと。この3年後に「箱根駅伝」が誕生しています。

 

 「弁天堂」前の信号を渡り左折、「五條天神社」(写真上右)への坂を上ります。医薬祖神が主神ですが、菅原道真も祀る「天満宮」とのこと。「花園稲荷神社」、落ちないと受験生に人気の「上野大仏」、ここまでは無料で見られる「上野東照宮」(写真下右)、鳥羽・伏見の戦いで征討大将軍として参戦、戊辰戦争の指揮をとった「小松宮彰仁親王銅像」(説明板には兄宮が敵方の寛永寺最後の門跡に因んでここに建つと記載)、「上野動物園」と見所が多いです。

 

 また桜の時期は大混雑の場所です。上野の桜は天台宗の僧侶「天海僧正」が江戸城の鎮護・徳川将軍家の菩提寺「東叡山寛永寺」を建立した時、上野の山の随所に桜の木を植えたことに始まり、桜の名所になったのは元禄期(1700年頃)とのことです。
 2020年は新型コロナウイルス感染拡大防止でお花見の宴会が禁止となってしまいました。写真下は2015年3月28日に撮影したものです。

 

 「上野恩賜公園」の広場には洒落たコーヒー店が並びます。交番の右手にあるWC脇を行くと「正岡子規記念球場」、隣の公園管理事務所で上野恩賜公園案内図をもらってください。古墳時代の前方後円墳の「擂鉢山」、京都の清水寺を模した「清水観音堂」(写真下左)の舞台から琵琶湖になぞられた「不忍池」(写真下右)、を見下ろしました。「天海僧正毛髪塔及び供養塔」、「彰義隊墓所」、「西郷隆盛銅像」と続きます。また公園内には「東京国立博物館」、「国立科学博物館」、「国立西洋美術館」、「東京都美術館」、「上野の森美術館」、「東京文化会館」などがある文化の森です。

 

 薩摩藩士の西郷隆盛は江戸総攻撃を中止させ、江戸城無血開城で江戸の町を火の海から救った人です。維新の三傑として明治政府では陸軍大将、政治家として活躍しましたが、意見の相違から下野し、西南戦争の指導者となり鹿児島県の城山で自刃しました。大日本帝国憲法公布の大赦で「逆徒」の汚名が解かれ、没後21年に顕彰を称える像が建てられました。像は高村光雲作、犬は後藤貞行作です。公開時に招かれた西郷夫人は「うちの主人はこん人でなかった」と薩摩弁で言ったとのこと。軍服姿でなく、上野の山に建てられて「上野の西郷さん」(写真下左)と親しまれています。写真下右は上野広小路方面への公園口の「しだれ桜」です。

 

 コースは「中央通り」を秋葉原駅方面へ直進します。地下鉄末広町駅近くの「外神田五丁目」交差点の右側で「神田達磨 羽根付き たい焼き」(写真下左右)に出会いました。薄焼き鯛焼きの特徴を楽しみながら、皮そのものの美味しさも楽しめるように、羽根を付けたとのこと(登録商標)。北海道十勝産の小豆を使った粒あん入り(184円)。年中無休で12時からの営業です。焼きたての香ばしいうちにお召し上がりくださいとのことです。

 

 「ベルザール秋葉原」まで行き、右折、「神田明神」に向かいます。
 「神田明神」(写真下左)のご祭神は一の宮 大黒様、二の宮 恵比寿様、三の宮 将門様で都心108町会の総氏神様です。「神田明神」の創建の地は大手町にある「将門塚」(写真下右)です。朝廷に反旗を翻した東国の英雄 平将門は捕えられ、京に送られた首級が3日後に東方に飛び去り、「将軍塚」の地に落ちたとのこと。「神田明神」は家康の江戸城拡張で江戸城の表鬼門の現在の場所に移されましたが、「将軍塚は祟りを恐れ、動かせない」と現在もビルの谷間に鎮座しています。動かそうとして災難にあった事実があるとのこと。
 江戸時代から続く「神田祭」は山王祭、三社祭と並ぶ、江戸三大祭です。リンクの出来る湘南ふじさわWAのHPの「寅さん歩71・92 江戸・東京の祭」をご参照ください。

 

 コースは「神田明神」の脇を出て「清水坂下」から「湯島天満宮(湯島天神)」に向かいます。すぐ右側に「妻戀神社」を見つけました。説明板には「その昔、日本武尊が東征の折、この地で倉稲魂神(稲荷神)を祀ったことが起源。また日本武尊が三浦半島から房総へ渡る時、大暴風雨に遭い、妃の弟橘姫が海に身を投げて海神を鎮め、一行を救ったことから妃を船魂神(海神)としてここに祀った」と記載。写真下左は妻戀(恋)神社、写真下右は境内右奥のお稲荷さんです。

 

 さらに直進して進むと「湯島天満宮(湯島天神)」(写真下左)に到着です。
 458年に天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀り、創建と伝わる古社。南北朝時代の1355年に「菅原道真公」を合祀、「学問の神様」として多くの受験生に頼りにされています。江戸時代には境内で「富くじ」が売られ庶民にも親しまれました。また、境内の梅(写真下右)も有名で、この地の梅を歌った「湯島の白梅」は大ヒットしたとのこと。泉鏡花の「婦系図」もここが舞台です。園内の梅の木の下には写真下右の「奇縁氷人石」(江戸時代の「迷子のお知らせの石標」)があり、石の右側に「たずぬるかた」(迷子の特徴・服装など)、左側に「をしふるかた」(どこで見かけました、預かっていますなど)を紙などに書いた情報を貼り付けるとのこと。当時、日本橋や浅草寺にもあり、湯島天神も人が集まる繁華地だったことが偲ばれます 。

 

社 殿          湯島の白梅



 

   受験生のお願い満載の絵馬     奇縁氷人石    

 

 お参りしたら、右側にある、「女坂」を下り(男坂でも良いです)、「春日通り」に出ます。目の前はゴールの「湯島ハイタウンA棟」ですが、右の横断歩道まで行き、渡ってください。距離は短いですが、見所一杯で楽しめるお散歩コースです。桜や梅の季節を外して静かな時期に「歴史と文化」に触れるお散歩もお勧めです。
 早足で歩いてお昼にはゴールの天丼のお好きな方にはコースで「湯島天神」鳥居手前左にある「天庄」のランチ天丼又は「湯島ハイタウンA棟」入口の右にある「喜代松」のランチ天丼(味噌汁が付かない分、お安い)をお奨めします。
 また、「湯島ハイタウンA棟」の後方に「旧岩崎邸庭園」(岩崎彌太郎の長男で三菱第三代社長の久彌の本邸で重要文化財)(写真下)があります。是非お立ち寄りください 。



 

平野寅次郎 拝






 

 2020年9月7日から日本市民スポーツ連盟の事務所は湯島ハイタウンA棟に移転しました。従来あったコースですが、スタート・ゴールが変更になった新YRコースです。都心を歩いて、見どころ・寄り道満載です。

『水天宮・日本橋・神田明神・湯島天神 コース 10km』
ステーション:湯島ハイタウンA棟208号   最寄駅 千代田線 湯島駅


 

 湯島ハイタウンA棟(写真下左は入口)を入り、右側の階段を2階に上がり事務所(写真下右)でYRの受付をしてスタートです。ビルを出て左折、「天神下」を左折、「不忍池」方面に向かいます。季節は異なりますが「桜」と「梅」と「鯛焼き」が楽しめる、お散歩コースです。桜の写真は以前に撮影したものです。

 

 YRの歩き方の基本はコース地図をしっかり読みながら歩くことですが、今回はコースの近くにある見どころにも寄り道して紹介します。
 「天神下交差点」から「秋葉原電気街」を通り「万世橋」(写真下左)を渡り、「水天宮通り」を進みます。人形町の「甘酒横丁」入口の反対側の右奥にある寅次郎のお気に入りで行列ができる店「玉ひで」でランチの寄り道です。

 

 「玉ひで」は1760年(宝暦10年)創業で、お昼の部は11時30分〜13時30分です。写真上右は親子丼(進化)1800円、鶏だしスープ付きでトロトロの卵の中のしゃもの肉は並んでも食べたい美味しさです。日本の親子丼発祥の地です。リンク出来る湘南ふじさわWAのHP「寅さん歩」17東京発祥之地めぐり(グルメ編−1)を参照ください。
 写真下左は2016年(平成28年)耐震の改築が行われた「水天宮」の入口、写真下右は本殿です。カップルの参拝姿が目立ちました。

 

 「水天宮」は水難除けの神でしたが、現在は安産の神として有名。総本社は福岡県久留米にあり、久留米藩主 有馬頼徳が三田の江戸藩邸内に分社建立したのが始まりで、1872年(明治5年)に現在地に移ったとのこと。戌の日の帯は寅次郎の母も締めたと申しておりました。「水天宮」にお参りした後は「水天宮交差点」を右折、直進します。「蠣殻町交差点」で兜橋方面に行くと、「東京証券取引所」(写真下左)脇の道に「兜神社」(写真下右)があります。1878年(明治11年)この地に前身の「東京株式取引所」を設立した時に関係者が鎮守として造成したとのこと。また、「兜」とは源義家が東征の折、この地で兜を岩に懸けて戦勝を祈願したことに由来するとのこと。

 

 「昭和通り」を横断、常盤橋方面に向かいます。室町三丁目「あじさい通り」の「おかめ桜」(写真下左)が満開(2020年3月3日撮影)、「三越本店地下」(「三越駅前」地下コンコースの壁面)で200年前の日本橋を描いた「熈代勝覧(きだいしょうらん)」(写真下右)は必見の寄り道、約17mの絵巻は常設展示です。

 

 「常盤橋」手前を左折(コースは直進)、「一石橋」の親柱(写真下左)脇に「迷子しらせ石標」が(写真下右)あります。正面「満(ま)よいひ子の志(し)るべ」、右側面「志(し)」らす類(る)方」、左側面「たづぬる方」、裏面「安政四丁巳年 十二月 御願済建之 西河岸町」と記載。江戸時代の「迷子告知板」です。

 

 「左面にいなくなった子の情報、右面に心当たりの子の情報を書いた紙を貼って知らせたとのこと。往来の多い場所に置き、湯島天神、浅草寺境内等に同様なものがあった」と説明板に記載。
 コースに戻り、進むと「駿河台下」に到着。ゴールの時間(平日は17時まで)に余裕があればコース沿いの「明治大学アカデミーコモン」地下2階にある「明治大学博物館」、「阿久悠記念館」(代表曲の視聴が出来ます)や「湯島聖堂」に寄り道して楽しんでください。
 リンクが出来る湘南ふじさわWAのHP「寅さん歩」121江戸・東京の祭―47(江戸らしい祭)、「寅さん歩」200東京の学食めぐり―8及び「寅さん歩」315東京の博物館めぐりー8(千代田区―2)をご参照ください。
 「神田明神」は「隋神門」(写真下左)から入り、「御社殿」(写真下右)にお参りして、「清水坂下」から湯島天神方面に向かいます。

 

 すぐ右側に「妻戀神社」があります。説明板には「その昔、日本武尊が東征の折、この地で倉稲魂神(稲荷神)を祀ったことが起源。また日本武尊が三浦半島から房総へ渡る時、大暴風雨に遭い、妃の弟橘姫が海に身を投げて海神を鎮め、一行を救ったことから妃を船魂神(海神)としてここに祀った」と記載。
 写真下左は妻戀(恋)神社、写真下右は境内右奥のお稲荷さんです。

 

 「湯島天神」は学問の神様 菅原道真公を祀る神社で正式名称は「湯島天満宮」です。受験生のお願いの絵馬が盛り沢山ぶらさがり道真公も大変ですね。

 

 梅の名所としても有名で、梅の木の下に石標「奇縁氷人石」(写真下右)があります。「一石橋」で説明した、江戸時代の「迷子知らせ石標」です。

 

 お参りしたら、右側にある「女坂」を下り(男坂でも良いです)、「春日通り」に出ます。目の前はゴールの「湯島ハイタウンA棟」ですが、右の横断歩道まで行き、渡ってください。
 早足で歩いてお昼にはゴールの天丼のお好きな方にはコースで「湯島天神」鳥居手前の左にある「天庄」のランチ天丼又は「湯島ハイタウンA棟」入口の右にある「喜代松」のランチ天丼(味噌汁ない分、お安い)をお奨めします。
 また、湯島ハイタウンA棟の後方に「旧岩崎邸庭園」(岩崎彌太郎の長男で三菱第三代社長の久彌の本邸で重要文化財)(写真下)があります。是非お立ち寄りください。



 

平野寅次郎 拝






 

 2020年9月7日から日本市民スポーツ連盟の事務所は湯島ハイタウンA棟に移転しました。寅次郎、新YRコースを歩きました。

『東京スカイツリーコース A-bコース 11km』
ステーション:湯島ハイタウンA棟208号   最寄駅 千代田線 湯島駅


 

 湯島ハイタウンA棟(写真下左はビル入口)に入り、右側の階段を2階に上がり事務所(写真下右)でYRの受付をしてスタートです。ビルを出て左折、御徒町駅方面に「春日通り」を進みます。

 

 左側に「アメ横」、右側に移るとレトロスポットの「佐竹商店街」、「三筋二丁目交差点」には「川柳発祥の地の碑」(写真下左)があります。柄井川柳がこの地で「万句合」の会を開きました。隅田川西岸にあった蔵前の米蔵の荷駄馬用の厩に因んだ名の「厩橋」(写真下右)を渡ります。

 

 「本所四丁目」を過ぎ、左にあるWCの先の「横川橋」手前の小道を下りると「大横川親水公園」です。しばらく歩いて「釣堀」の右側を上がると目の前の「東京スカイツリー」(写真下左)に圧倒されます。「業平橋1丁目」の信号を左折、「東武橋」方面に行くと、右側に「ソラマチ」と「東京スカイツリー」(写真下右)があります。

 

 道の左側を歩き「とうきょうスカイツリー駅」を右に見て、「小梅牛島通り」から「墨田公園」に向かいます。前ばかり見ていないで立ち止まり、後を振り返る(人生と同じです)と「東京スカイツリー」のビューポント(写真下左)。

 

 「墨田公園」は関東大震災からの東京復興事業の一環として計画・整備された公園で徳川水戸藩邸の庭園も残されています。園内にある本所の総鎮守の「牛嶋神社」(写真上右)には体だけでなく心も治すと信じられている「撫牛」(写真下左)が鎮座。でもどこを撫ぜれば心が治るのかは説明板には書いてありませんでした。

 

 「牛嶋神社」を出て右へ「言問橋」(写真上右)に上がる階段を上り、橋を渡ります。
 14kmコースは直進して先の「桜橋」を渡るので間違えないように。
「言問橋」は墨田公園の墨田区側と台東区側を結ぶ橋で、両岸の桜並木は5代将軍徳川吉宗の計らいで植えられたものです。橋を渡って台東区側から見る「東京スカイツリー」です(写真下左)。「言問通り」を直進、「浅草観音堂裏」の信号を左折します。コースは「浅草寺」と「浅草神社」の間から「仲見世」を抜けますが、今回は浅草寺境内の見落しやすい場所を中心に紹介します。

 

 「浅草寺観音堂」裏には写真上右の第12代市川団十郎の歌舞伎十八番「暫」の像、写真下左の「銭塚地蔵堂」(妻が庭で掘り当てた壺に入った寛永通宝を使わずに埋戻し、一家が繁栄したのでその上に地蔵尊を祀った家内繁栄のご利益)、「浅草寺観音堂」前には写真下右の「迷子しるべ石」(江戸時代の迷子の告知板)があります。

 

 「浅草神社」右後ろには写真下左の「被官稲荷社」(江戸火消1番組頭の新門辰五郎が妻女の病全快で伏見から祭神を勧請して祀ったら出世のご利益)、「仲見世」手前の左には写真下右の「久米平内堂」(人を斬る罪を犯してきたので自分の姿の石像を参道に埋め、上から多くの人に踏んでもらい反省した。「踏み」が「文」になり縁結びのご利益)があります。寅次郎のお気に入りは「久米平内」です。

 

 写真下左は新型コロナと熱中症のダブルパンチでひっそりとした2020年9月9日の「仲見世」です。写真下右は2020年4月に新調の「雷門大提灯」です。

 

 江戸三大祭の「三社祭」は湘南ふじさわWA 寅さん歩をご参照ください。コースは「雷門」を出て右折、「雷門一丁目」を左折、「寿四丁目」を右折、仏具店が並ぶ「浅草通り」に出ます。右側には「かっぱ道具街」入口(写真下左)が見えます。「稲荷町交差点」の左側に大きな赤い鳥居があり、奥は「下谷神社」(写真下右)です。門の右側に「寄席発祥の地」の碑がありました。「稲荷町交差点」の反対側の右側角にある「永昌寺」は「柔道発祥の地」です。

 

 「浅草通り」には多くのお食事処があります。寅次郎、稲荷町駅手前の中華飯店「天福楼」のランチ(780円)をいただきました。以前に訪問した上野駅近くの「台東区役所」の食堂もお奨めです。
 階段を上がり「上野駅」に出て「上野恩賜公園」に行く通路の「パンダ橋」を進むと正面に「花園稲荷神社」参道(写真下左)が見えます。コースは「五條天神社」の脇の坂を下りますが、「花園稲荷神社」参道から「五條天神社」(写真下右)に下りる道をお奨めします。

 

 「不忍池」から「弁天堂」に向かいます。参道入口左、柳の下に駅伝の発祥を記念した「駅伝の碑」(写真下左)がありますので見つけてください。「不忍池」はハスの花が咲くが頃が楽しみです。写真下右は「弁天堂」の裏側です。正面は多くの寄付提灯で社殿が隠れています。

 

 「不忍池」の中の桜並木(江戸時代は茶屋が立ち並んだとのこと)を通り、ゴールへ向かいます。桜の季節はお花見YRです。以前に撮った「上野恩賜公園」の桜(写真下左右)です。

 

 文京区、台東区、墨田区を歩き回り、江戸・東京の歴史やいろいろな顔を見ることが出来ました。見学ポイントを絞って何度も楽しめるYRコースです。
 早足で歩いてお昼にはゴールの方には湯島ハイタウンA棟入口の右にある「喜代松」のランチ天丼(1040円)をお奨めします。
 また、湯島ハイタウンA棟の後方には「旧岩崎邸庭園」(岩崎彌太郎の長男で三菱第三代社長の久彌の本邸で重要文化財)(写真下左)があります。是非お立ち寄りください。前方にある「湯島天満宮(湯島天神)」(写真下右)は別のYRコースで歩いてください 。

 

 リンクできる「湘南ふじさわWA」のHP ひろば にはYRコース沿いにある話題の場所の詳細が記載されていますので、ご参照ください。
 寅さん歩15・22・23 東京発祥之地めぐり、寅さん歩37・38健康ご利益めぐり、
 寅さん歩71・93 江戸・東京の祭、寅さん歩249 官公庁の食堂めぐり-11。


 

平野寅次郎 拝






 

 2020年9月7日から日本市民スポーツ連盟の事務所は湯島ハイタウンA棟に移転しました。新事務所がスタート・ゴールの新20kmコースです。都心5区をめぐる見所満載のYRコースです。ロングコースなので先を急ぐウォーカーの皆様のためにコース上の寺社や史跡の説明も添えました。今回、良い写真が撮影できなかった場所は以前の訪問時の写真も使用しています

『神楽坂―神宮外苑・国立競技場―外濠公園 20km』
ステーション:湯島ハイタウンA棟208号   最寄駅 千代田線 湯島駅


 

 「文京区」の湯島ハイタウンを出て右折して進むと、右側に「春日局像」(写真下左)、「本富士警察署」の先に「富士浅間神社」(写真下右)があります。

 

 「春日局」は三代将軍徳川家光の乳母として江戸城内で権威をふるい大奥を整備し、「春日」の町名の由来にもなった女傑です。奥の「麟洋院」にお墓があります。本郷には富士山と呼ばれた小丘があり、「富士浅間神社」が祀られました。「駒込富士神社」はここから勧請しました。「本富士」の町名の由来になりました。本郷三丁目交差点先、右側には「桜木神社(桜木天神)」(写真下左)があります。太田道灌が江戸城築城の際に城内に菅原道真を勧請、その後、本郷に移転しています。コースは「文京シビックセンター(文京区役所)」、「東京ドーム」、「小石川後楽園」(写真下右)の脇を通過します。

 

 「小石川後楽園」は水戸徳川家の江戸上屋敷跡で国の特別史跡及び特別名勝に指定。写真上右の白い屋根は「東京ドーム」です。コースは「新宿区」に入り筑土八幡町交差点を左折、すぐの右階段(写真下左)を上った先に「築土八幡神社」(写真下右)があります。800年代に近くに住む信仰心の厚い老人の夢に現れた八幡神のお告げで祀られたのが起源とのこと。

 

 神楽坂上交差点を左折、神楽坂通りを進みます。右側に「善国寺」(写真下左)があります。毘沙門天を祀り、旧本山は大本山池上本門寺で開基は徳川家康とのこと。「善国寺」前の小路を入るとこんな静かな風景(写真下右)があります。

 

 神楽坂下交差点を右折、外堀通りを進みます。右側の「東京理科大学」校舎前にはモニュメント「坊ちゃんの塔」があります。現地で確認ください。夏目漱石の小説“坊ちゃん”の主人公が東京理科大学の前身の「東京物理学校」を卒業した数学の教師に由来しているとのこと。市ヶ谷見附交差点先の右にある階段(写真下左)を上がると「市谷亀岡八幡宮」(写真上右)です。

 

 太田道灌が江戸城築城の際に西方の守護神に鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀り、当初は「亀岡八幡宮」と称されましたが、江戸時代に現在の名称になったそうです。靖国通り・外苑西通りを進み、「新宿御苑」の脇を通過すると「国立競技場」が見えて来ます。コースは「新宿区」から一部「渋谷区」にも入り、又「新宿区」に戻ります。仙寿院交差点を左折する手前右側には「ラーメンの店 ホープ軒」の黄色の建物があります。ラーメン好きな方にはお奨めです。「国立競技場」に沿って進むと、2019年9月オープンの「日本オリンピックミュージアム」(写真下左)があります。1階は無料、2階展示は有料です。ミュージアムの前には「五輪の輪」(写真下右)があり、その右には「国立競技場」が見えます。東京・札幌で使用したオリンピック聖火台も展示されています。

 

 「明治神宮球場」の先から「港区」に入り、左側に「近代ボウリング発祥の地」の碑があります。碑には「1952年(昭和27年)わが国初のテンピンボウリング手動式設備の東京ボウリングセンターがこの地に誕生」と記載。現地で確認ください。外苑前交差点を左折し、青山通りに入ります。1926年(大正15年)の創建された「神宮外苑」の「いちょう並木」(写真下左)は毎年賑わいます。コースは又「国立競技場」(写真下右)の脇に出て、右折します。

 

 明治天皇の生涯の事業を描いた絵画を展示の美術館「聖徳記念絵画館」(写真下左)前を進むと突き当り右側に「あるけあるけ」の碑(写真下右)があります。日本ウオーキング協会が1964年(昭和39年)10月17日、ここで第1回大会を開催したウォーキング運動発祥の記念碑です。

 

 権田原交差点を左折、「新宿区」と「港区」の境を歩きます。左側は「明治記念館」(結婚式場等の総合集宴会施設)、右側(「港区」)は紀州コ川家の上屋敷跡地にある「赤坂御用地」(皇室の御所や宮邸)、敷地の一部は国賓などを迎え、接遇する施設「迎賓館(赤坂離宮)」(写真下左)で、館内(写真下右)は一般公開(事前予約で有料)しています。コース左側に「学習院初等科」(皇族が学ぶ学習院の小学校)があり、ここは「新宿区」です。

 

 四谷見附交差点先の四谷見附北信号を右に渡り、「外濠公園」(ここは「千代田区」)の中を歩きます。園内にはトイレもあり、休憩場所に最適です。公園の出口には「国史跡江戸城外濠跡(市谷濠地区))の説明板があります。現地で確認ください。市谷見附交差点を横断し右折、JR市ヶ谷駅に向かいます。写真下左は「市ヶ谷橋」から見た現在の「市ヶ谷濠」です。JR市ヶ谷駅左手の「外濠公園」の堤を終点まで歩きます。桜の時期は見事 (写真下右) です。

 

 「外濠公園」の堤を下りると、左に江戸城外郭門のひとつの「牛込見附」の一部(写真下左)が残されています。前はJR飯田橋駅西口です。JR飯田橋駅東口に下り、歩道橋を上り、右の神田川沿いを歩きます。左側は「文京区」で後楽園球場の地は「東京ドームシテイ」(写真下右)に生まれ変わっています。

 

 水道橋交差点を直進、お茶の水坂の途中右に「お茶の水分水路」・「神田川上水懸桶(掛樋)跡」(写真下左)の碑があります。江戸時代、神田川に樋を架け、神田上水の水を神田・日本橋方面に給水していました。お茶の水交差点を左折、御茶ノ水便局を通過、前のアーチ橋(聖橋)手前の階段を上ります。すぐ左に「近代教育発祥の地」の説明板があります。現地で確認ください。「東京医科歯科大学」があり、道路の右側は江戸時代の学問・教育の場所「湯島聖堂」(写真下右)で、ここは「文京区」です。

 

 湯島聖堂前交差点を右折して江戸城の鬼門を守る総鎮守の「神田明神」(写真下左)(ここは「千代田区」)にお参りし、「文京区」に戻り、清水坂を上がると右側に「妻戀神社」があります。荒れる房総の海に身を投げて海神を鎮め、夫 日本武尊の東征を救った弟橘姫命と日本武尊を郷民が祀った神社で境内にある稲荷神社は関東総司稲荷神社です。いよいよゴール手前の菅原道真を祀るの「湯島天神」(写真下右)に到着です。お参りして男坂又は女坂を下り、春日通りを渡り、ゴールの湯島ハイタウンに戻ります。お疲れ様でした。

 

 コース上の小石川後楽園(No6、No9)、神楽坂(No11)、神田明神(No2、No13、No14)、湯島天神(No5、No8、No13、No14)については、掲載済のYR散歩(Noを参照)でも詳しく紹介していますので、ご覧ください。


 

平野寅次郎 拝






 

 2021年1月から新企画「文京の坂 113坂を登ろう!」がスタートです。これは東京都文京区にあるウォーキングステーション「さんぽみち総合研究所(株)」が2017年8月に作製したアプリを使って「文京の坂113坂」を歩き、ブロック毎に日本市民スポーツ連盟がYRとしてIVVの距離・回数を認定する「新企画」です。ブロックは@湯島、A水道橋、B本郷、C白山、D駒込、E大塚、F小石川、G小日向、H目白台に分かれています。9ブロックを踏破すると86kmになります。詳しくはHPをご覧ください。
 アプリを操作し、どのブロック、どの坂から歩きだしてもよい「いつでも、どこからでも」のYRコースです。ウォーキングステーションでの受付はありません。アプリの「地図画面」で現在地(青点)と周辺の坂が表示され、近づいたら「坂選択」をすると「詳細表示」で「坂の由来」、「坂の写真」、「開始地点までとあと、○m」が表示されます。「坂選択」した後でも「地図表示」の緑色「詳細表示」を押すと、開始地点の距離と現在地からの距離が確認できます。
 「開始地点まで、あと0m」になったら、緑色に変わった「開始」を押すと「計測中画面」になりスタートです。「終了地点」が来ると「ブルブルの音でお知らせ」がありますので、緑色の「終了」と「OK」を押すと、「スタンプ帳画面に済の赤印」が押され、「あなたの113坂の踏破数や順位の記録」が表示されます。坂の場所を知っていれば「坂選択」から「開始地点までの距離」を見て歩くことも出来ます。
 ブロック内の坂の済印が揃うとブロックの踏破です。「さんぽみち総合研究所」で200円を払うと相当のIVVがもらえます。
 「文京の坂113」のためにスマホデビューをした平野寅次郎、慣れないスマホ操作でしたが、開始地点まであと、○m、終了地点まであと、○mと表示され、数字が減るごとに、わくわく・ドキドキしました。スマホ初心者やウォーキング初心者でも楽しめます。今までウォーキングに関心を示さなかった妻も始めましたが、「運動になる。済の赤印がもらえるとうれしい。順位が出るのは励みになる」と、はまったようです。是非、坂の周辺の建物・史跡・風景を眺めて、「歩きスマホ」はやめて、安全なマイペースのYRウォ−クを楽しんでください。ほとんどの坂には文京区教育委員会の説明板があり、略原文を掲載します。
 遅ればせながら「平野寅次郎」(本名は平野武宏)とは、全国のウォーキング大会(2006年全国47都道府県ウォーキング大会を完歩)を歩いていた頃に妻の友人から[映画「男はつらいよ」の寅さんと同じだ]といわれ、「平野寅次郎」と命名され、ウォーキングの紀行文を書く際の「ペンネーム」としました。
 まずは@湯島ブロックの19坂から歩きます。距離は11kmで一気に歩きましたが、19坂あるので2回に分けてレポートします。最寄駅は開始地点の近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『文京の坂113 @湯島ブロック−1』
 

 [1.相生坂(あいおいざか)] 延長303m、高低差8m 最寄駅 JR御茶ノ水駅聖橋口

 駅から左側を歩き「聖橋」を渡って左の階段を下ります。そこは「相生坂」ですが、開始地点は坂下なので左折します。開始地点は「史跡 湯島聖堂」(江戸幕府直轄の昌平坂学問所)(写真下左)前です。「聖堂」(ニコライ堂と湯島聖堂の二つの聖堂を結ぶ橋として名づけられた)をくぐり(写真下右)、終了地点は「東京医科歯科大学」前です。現在の「外堀通り」の一部に位置します。

 

 説明板には[神田川対岸の駿河台の「淡路坂」と並ぶので「相生坂」と呼ばれた。湯島聖堂の再建で道が入り組み、後年、「昌平坂」と呼ばれるようになった。「昌平」とは「湯島聖堂」に祀られている孔子の生誕地の「昌平郷」に因んで名づけられた。]と記載。説明板の坂名は(昌平坂)が併記されていました。
 

 [2.昌平坂(しょうへいざか)] 延長99m、高低差6m 最寄駅 JR御茶ノ水駅聖橋口

 開始地点は「湯島聖堂」前(「相生坂」の開始地点)です。すぐ左折し、「湯島聖堂」の脇を歩く「千代田区」と「文京区」の境界線上にある坂です。「昌平」の名は孔子が生まれた「魯国昌平郷」(現在の中国山東省曲阜県の東南)が由来です。説明板には[湯島聖堂と東京医科歯科大学一帯は、聖堂を中心に江戸時代の儒学の本山というべき「昌平坂学問所」の敷地であった。そこで学問所周辺の三つの坂をひとしく「昌平坂」と呼んだ。]と記載。
 写真下左は坂上の終了地点を臨み、写真下右は終了地点から坂下を振り返りました。右側は「湯島聖堂」の塀です。

 

 [3.湯島坂(ゆしまざか)] 延長268m、高低差10m 最寄駅 JR御茶ノ水駅聖橋口

 「昌平坂」は「湯島坂」に合流しますが、右折して坂下の開始地点に行き、また坂を上ります(写真下左)。左側は「湯島聖堂」の塀、右側は「神田神社(江戸の総鎮守の神田明神)」(写真下右)で、終了地点は「湯島聖堂前」交差点です。「湯島」とは江戸時代以前、海から見えるこの地があたかも島のように見えたことから呼ばれたとのこと。「湯島」にある坂なので、その名がついたようです。また、「神田明神」に因み「明神坂」の別名もあります。

 

 [4.樹木谷坂(じゅもくだにざか)] 延長92m、高低差5m 最寄駅 JR御茶ノ水駅聖橋口

 「湯島聖堂前」交差点を右折して、「神田神社」脇を下りて「蔵前橋通り」に出て左折、電柱の「湯島1-7」表示が開始地点(写真下左)です。左折し、「東京ガーデンパレス」の脇が終了地点で正面は「東京医科歯科大学附属病院」です。写真下右は終了地点を臨みます。

 

 説明板には[湯島1-7と10の間。徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂というので、「樹木谷坂」の名が生まれた。「地獄谷坂」と呼ばれたのは、その音の訛りである。]と記載。
 

 [5.妻恋坂(つまこいざか)] 延長192m、高低差12m 最寄駅 JR御茶ノ水駅聖橋口

 「樹木谷坂」を下りて「蔵前橋通り」に戻ると、そこは「新妻恋坂」の途中です。「妻恋阪」交差点まで下り、少し左にある細い坂道が開始地点(写真下左)です。終了地点は若いカップルが入ったホテルに並ぶ「妻戀神社」(写真下右)脇です。「戀」という字は「糸しい、糸しいと言う心」と書き、気に入りました。

 

 説明板には[大超坂・大潮坂・大長坂・大帳坂と別名を多く持つ坂である。妻恋神社の前なる坂で「妻恋坂」と呼ばれるようになったのは、坂の南側にあった霊山寺(開山 大超和尚)が明暦の大火(1657年)後、浅草に移り、坂の北側に「妻恋神社(妻恋稲荷)」が旧湯島1丁目辺りから移ってきてからであろう。]と記載。「妻恋神社」はその昔、「日本武尊」が東征の折、この地へ来て稲荷神を祀ったことが起源で、また日本武尊は房総の海に身を投げ、海を鎮めた妃の「弟橘媛命」を祀ったとのこと。江戸時代には関東総司の稲荷社に位置づけられた。]と記載。
 

 [6.新妻恋坂(しんつまこいざか)] 延長530m、高低差17m 最寄駅 JR御茶ノ水駅聖橋口

 大正12年(1923年)の関東大震災後の都市計画により生まれた坂で「妻恋阪」と並行していることからついた名前です。「妻恋坂」より道の幅員も広く、道路の機能も高く、交通量も多い坂です。写真下左は坂の始まり付近で、写真下右は終了地点を臨みます。現在の「蔵前橋通り」の一部に位置します。

 

 [7.清水坂(しみずざか)] 延長121m、高低差10m 最寄駅 JR御茶ノ水駅聖橋口

 「新妻恋坂」の途中にある「清水坂下」交差点が開始地点(写真下左)で右へ上がります。写真下右は坂の終了地点から振り返りました。
 説明板には[湯島2丁目と1丁目と3丁目1の間。江戸時代、このあたりに、霊山寺がありましたが、明暦の大火で焼失、寺は浅草へ移転した。明治になり土地は清水精機株式会社の所有になり、町の人達が清水家の徳を称え「清水坂」と名づけたとのこと。]と記載。「清水坂下」交差点は「蔵前橋通り」にあり、左へ行けば「神田神社(神田明神)」や「湯島聖堂」です。

 

 [8.横見坂(よこみざか)] 延長117m、高低差8m 最寄駅 JR御茶ノ水駅聖橋口

 「清水坂下」交差点の先、右側が開始地点です。「新妻恋阪」(蔵前橋通り)を挟んで左側は「樹木谷坂」です。写真下左は右に上がる坂の入口、写真下右は終了地点から振り返りました。

 

 説明板には[「横根坂」とも呼ばれ、かって、この一帯は樹木谷と言われ、樹木が茂っていた。この谷から湯島台に上る坂の左手に富士山が眺められた。町の古老は西横に富士山がよく見え、この坂を登る時、富士を横見するところから、誰いうことなく「横見坂」と名づけられたという。ここには明治30年頃、島崎藤村が住み、ここから信州へ移った。作品の「春」にもこの辺りの町が書かれている。]と記載。現在は写真上のようにビルの谷間です。
 

 [9.立爪坂(たてづめざか)] 延長64m、高低差4m 最寄駅 JR御茶ノ水駅聖橋口

 「妻恋阪」の途中にある坂で、アプリの坂説明では「つま先を立てて上る坂という意味の「立爪坂」で、つま先が上がった状態になるほどの急な坂」とあり恐る恐る、開始地点(写真下左)へ行きましたが、短い階段と途中は平地でひと安心です。写真下右は途中の平地から終了地点を臨みます。

 

 これにて@湯島ブロックー1の19坂のうち9坂を踏破です。残りの10坂は@湯島ブロックー2をご覧ください。
 

 [スマホデビューの平野寅次郎が学んだ教訓]
 

・「地図画面」での現在地(青点)は優れものです。行きたい坂のすぐ近くまで「青点」を頼りに進み、坂下で「詳細表示」にします。手前に道がある場合に早く画面を変えてしまい、手前の道を曲がり、開始地点まで苦労しました。次の坂の位置も確認できます。坂上から次に行く場合もありますので。  

・画面表示の「あと、○mは」数字が減るのが基本です。増える場合は前後左右に動いてみて正しい方向(減る方向)を確認してください。身体の少しの動きで数字が変わる場合もあります。  

・「計測中画面」が途中で消えてしまった場合は開始地点から計測のやり直しですので、スマホの取り扱いには気をつけてください。  

・せっかく踏破しても緑色の「終了」と「OK」の両方を押さないと踏破の記録がされません。「坂一覧」には記録した坂は済が表示されますので確認をしてください。スマホの操作は立ち止まって安全を確保して行ってください。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。@湯島ブロック19坂の残りの10坂をレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄駅は開始地点近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『文京の坂113 @湯島ブロック−2』
 

 [10.三組坂(みくみざか)] 延長224m、高低差17m 最寄駅 千代田線湯島駅

 湯島ブロックー1でレポートした9.「立爪坂」の近くが開始地点です。写真下左は開始地点からの坂上で、写真下右は終了地点からの振り返りです。

 

 説明板には[元和2年(1616年)徳川家康が駿府で亡くなり、家康お付きの中間・小人・駕籠方の「三組」の者は江戸へと召し返され、当地に屋敷を賜った。駿府から帰ったので、この辺りを駿河町と呼んだが、その後、元禄9年(1696年)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を「三組町」と改めた。この町内の坂なので「三組坂」と名づけられた。昭和40年(1965年)以降、湯島3丁目となっている。]と記載。
 

 [11.ガイ坂(がいざか)] 延長65m、高低差4m 最寄駅 千代田線湯島駅

 「三組坂」の開始地点に戻ると、そこが「ガイ坂」の「終了地点」です。坂下の開始地点(写真下左)の角は「日本薬科大学お茶ノ水キャンパス」の建物で、終了地点(写真下右)の左側にも「日本薬科大学お茶ノ水キャンパス」の建物があります。

 

 ガイ(芥)を捨てる場所にある坂なので、坂名も「ガイ坂」とのこと。江戸時代は簡単なゴミ捨て場を作り、ガイ(芥)を荷車で河岸まで運び、舟で埋め立て地へ捨てたとのことで、その費用は町内で担っていたそうです。
 

 [12.実盛坂(さねもりざか)] 延長27m、高低差11m 最寄駅 千代田線湯島駅

 「ガイ坂」の開始地点に戻り、進むと左の階段が「実盛坂」の終了地点(写真下左)です。階段上の開始地点からは、かなりの急阪(写真下右)です。

 

 説明板には[湯島3丁目20と21の間。実盛とは「長井斎藤別当実盛」のことで、長井庄(現在の埼玉県大里町妻沼町)を構え、平家方に味方した。寿永2年(1183年)源氏の木曾義仲と加賀の国篠原(現在の石川県加賀市)の合戦で勇ましく戦い、討たれた。この坂下の南側に実盛塚や首洗い井戸があったという伝説めいた話が江戸時代の書物にあり、坂の名がついた。]と記載。
 

 [13.中坂(なかざか)] 延長178m、高低差14m 最寄駅 千代田線湯島駅

 「実盛坂」の開始地点に戻り、左に進むと、「中坂」の開始地点(写真下左)です。写真下右は終了地点からの振り返りです。

 

 説明板には[湯島3-19と21の間。江戸時代に「妻恋阪」と「天神石坂」の中間に新しい坂ができると、「中坂」と名づけました。「仲坂」とも呼ばれます。]と記載。説明板の坂名には(仲坂)が併記されていました。
 

 [14.天神石坂(てんじんいしざか)] 延長20m、高低差8m 最寄駅 千代田線湯島駅

 学問の神様 菅原道真を祀る「湯島天満宮(湯島天神)」下の石段が開始地点(写真下左)です。手前右には「江戸名水 美髪・厄除の柳の井」(写真下右)があります。寅次郎、「もっと若い頃に来ていれば、ご利益があったのに!」と残念がりました。「柳の井」は写真右の左側の白い壁の前にあります。

 

 坂の説明板には[38段の石段坂。別名は「天神男坂」。すぐわきにある、緩やかな坂「女坂」に対して「男坂」という。江戸時代の書物には「湯島神社」天神参拝のための坂であったが、その後、本郷から上野広小路に抜ける通り道になったという。」と記載。説明板の坂名は(天神男坂)が併記されていました。
 

 [15.天神女坂(てんじんおんなざか)] 延長49m、高低差7m 最寄駅 千代田線湯島駅

 「天神石坂(男坂)」の終了地点は「天神女坂」の終了地点と同じです。左側には「講談高座発祥の地」の碑があります。「天神女坂」を下りた所が開始地点(写真下左)です。写真下右は終了地点から振り返りました。江戸時代に「男坂」より緩やかなので「女坂」と名付けられました。これは江戸時代の話、現代の男女の力関係ではいかがですかね?

 

 [16.天神夫婦坂(てんじんめおとざか)] 延長26m、高低差3m 最寄駅 千代田線湯島駅

 「湯島天満宮」の境内に入ると右側にあるのが「天神夫婦坂」の終了地点です。ここを下りて坂下の開始地点に行くか、「女坂」を下りて、「春日通り」に出るか、二つの行き方があります。写真下左は「春日通り」に面した開始地点、写真下右は終了地点からの振り返りです。「男坂」と「女坂」の中間にある傾斜なので「夫婦坂」と名づけられました。「湯島天満宮(湯島天神)」の本殿裏にあたります。「湯島天満宮(湯島天神)」は梅の名所で「湯島の白梅」で有名です。境内には「銅製の鳥居」や「奇縁氷人石」(江戸時代の迷子探しの伝言板)、「講談高座発祥の地」の碑等があります。富くじや講談が開催されて賑わいました。受験生たちの願いが多く吊るされていて「学問の神様」はお忙しいそうですが「文京の坂113」全踏破祈願もお願いして、次の坂へ向かいましょう。

 

 [17.切通坂(きりどおしざか)] 延長245m、高低差11m 最寄駅 千代田線湯島駅

 「天神夫婦坂」を下りて、左折して進むと、「春日通り」の湯島3丁目と4丁目の間が「切通坂」です。写真下左は開始地点、写真下右は終了地点からの振り返りです。

 

 説明板には「湯島の台地から、御徒町方面への交通の便を考え、新しく切り開いてできた坂なので、その名がある。初めは急な石ころ道だったが、明治37年(1904年)電車が開通して緩やかになった。本郷3丁目交差点近くの床屋の2階に間借りしていた石川啄木が朝日新聞社の夜勤の帰りに通った坂。」と記載。
 

 [18.無縁坂(むえんざか)] 延長177m、高低差8m 最寄駅 千代田線湯島駅

 「切通坂」の終了地点に着いたら、「湯島天満宮」の大鳥居の前の「春日通り」を横断、右折して下ります。「日本市民スポーツ連盟」の事務所がある「湯島ハイタウンA棟」の先を左折、三菱の創立者岩崎彌太郎の長男で三菱3代社長の久彌の本邸として造られた「旧岩崎邸庭園」(写真下右)先が開始地点です。 「旧岩崎邸庭園」は有料(一般400円、65歳以上200円)ですが、ジョサイア・コンドル設計の洋館内部が見学できます。ジョサイル・コンドルは日本政府の招聘で英国から来日、工部大学校造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)の初代教師に就任、日本で初めての本格的な西洋建築教育を行いました。門下には辰野金吾、片山東熊など近代日本を代表する建築家が数多くいます。

 

 説明板には[「御府内備考」に称仰院前道より本郷筋への往来の坂で往古 坂上にあった「無縁寺(現在の講安寺)」に因み「無縁坂」と命名とのこと。森鴎外の作品「雁」の主人公 岡田青年の散歩道ということで、多くの人々に親しまれた。]と記載。更に進むと「東京大学本郷キャンパス」です。
 

 [19.傘谷坂(からかさだにざか)] 延長139m、高低差2m 最寄駅 JR御茶ノ水駅御茶ノ水口

 「東京大学龍岡門」から「春日通り」に出て、横断、左折して、「湯島四丁目」から「サッカー通り」を下ると「サッカーミュージアム」(写真下左)があります。ここが開始地点で、また来た坂を戻ると、「サッカー通り」の途中が「傘谷坂」です。写真下右は終了地点から振り返りです。傘づくりの職人が多く住む窪地で傘谷から坂の名がついたとのこと。

 

 これにて@湯島ブロック19坂を踏破しました。19坂踏破のIVV認定距離は11kmです。
 

 「湯島天神」や「神田明神」については「平野寅次郎のYR散歩」のNo13、No14をご覧ください。
 リンクの出来る「湘南ふじさわWA」のHPひろばの[寅さん歩」71及び92では「神田祭」、「寅さん歩」121では湯島聖堂の孔子祭、「寅さん歩」330では「サッカーミュージアム」が掲載されていますので、合わせてご覧ください。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。A水道橋ブロックの8坂を歩きます。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄り駅は開始地点の近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『文京の坂113 A水道橋ブロック 6km』
 

 [20.油坂(あぶらざか)] 延長85m、高低差4m 最寄駅 JR御茶ノ水駅お茶ノ水橋口

 「お茶の水坂」上の「順天堂大学病院」が開始地点(写真下左)、大学病院の渡り廊下をくぐって行く短い坂です。写真下右は終点地点付近から振り返りました。

 

 名前の起こりは明らかではないようです。また「揚げ場坂」ともいわれ、神田川の堀端に町内の物揚げおろしをする場所があり、そこに通じる坂を「揚げ場道坂」といい、後に「揚げ場坂」となったといわれます。「あげば」が「あぶら」に訛ったのとか。
 

 [21.富士見坂(ふじみざか)] 延長85m、高低差4m 最寄駅 JR御茶ノ水駅お茶ノ水橋口

 「油坂」開始地点から「水道橋駅方面」に下り、右側にある「水道歴史館」・「本郷給水所公苑」の入口(写真下左)が開始地点です。
 「水道歴史館」では江戸から現代までの水道の歴史が紹介されています。「本郷給水所公苑」は明治25年(1892年)東京市が給水場を建設、明治31年(1898年)配水池を完成、配水池の上部を文京区が和風庭園(武蔵野の雑木林をイメージ)と洋風庭園(バラ園を中心に)を造成して公開しています。写真下右は終了地点で前方の横断歩道の先が「本郷給水所公苑」です。

 

 坂名は富士山か見えた坂だから、名づけられたようです。
 

 [22.建部坂(たけべざか)] 延長92m、高低差4m 最寄駅 JR御茶ノ水駅お茶ノ水橋口

 「富士見坂」の開始地点から、さらに「外堀通り」を下り、右側にある「元町公園」の角が開始地点です。写真下左は坂の入口です。写真下右は坂上から振り返りました。右側の銀杏は「元町公園」内の木です。

 

 説明板には[本郷1丁目と2丁目の間。坂名は幕士 建部氏の邸地があったので呼ばれた。現在の「元町公園」は、建部氏の屋敷跡。屋敷は河岸通りまであり、河岸の方は崖になって藪が茂り、鶯の初音が聞こえたことから「初音の森」と呼ばれるようになった。初音の森近くの坂なので「初音坂」ともいわれた。]と記載。説明板の坂名には(初音坂)が併記されていました。
 

 [23.お茶ノ水坂(おちゃのみずざか)] 延長589m、高低差11m 最寄駅 JR水道橋駅西口

 開始地点の「水道橋交差点」からの長く・広い坂です。終了地点は「順天堂大学」前です。写真下は坂の上りで、写真下右は坂の右側を歩くと見つかる「神田上水懸樋(掛樋)跡の碑」です。江戸時代、神田川に木製の樋を架け、神田上水の水を通し、神田・日本橋に給水していました、この辺りに架けられ、明治34年(1901年)まで江戸・東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として、大きな役割を果たしました。

 

 坂の上りの左側にある説明板には[水道橋から順天堂医院館の外堀通りの坂で、神田川の外堀工事は元和年間(1615〜1626年)に行われたが、それ以前に、ここにあった「高林寺」の境内で湧き水があり「お茶の水」として将軍に献上したことから地名になり、その上にある坂なので「お茶の水坂」と呼ばれた。]と記載。次の開始地点は坂下です。上りと下りは別の側を歩くと良いです。
 

 [24.忠弥坂(ちゅうやざか)] 延長154m、高低差15m 最寄駅 JR水道橋駅西口

 「お茶ノ水坂」を下りて、「水道橋橋」交差点を渡らずに右折、右側すぐの道が開始地点です。かなり急な坂で、湾曲しています。写真下左は上り、写真下右は下りです。説明板には[本郷1丁目3と5の間の坂。諸説がありますが、坂の上に丸橋忠弥の槍の道場があり、忠弥が慶安事件(由井正雪と共に幕府転覆を企てた)で捕えられた場所も近いので「忠弥坂」と呼ばれた。]と記載。
 終点地点は左側にある「桜蔭学園」脇です。

 

 [25.壱岐坂(いきざか)] 延長312m、高低差14m 最寄駅 JR水道橋駅西口

 「忠弥坂」を下りて「白山通り」に戻り、右折して「春日方面」へ進み、右にある「本郷1丁目20」住所表示の細い道が開始地点です。道なりに上がると、「新壱岐坂」と交差します。横断して、右折し、「東洋学園大学」手前の道(壱岐坂)を左折、「東洋学園大学5号館」付近が終了地点です。

 

 説明板には[「壱岐殿坂」ともいう。江戸時代からある古い坂である。近隣に屋敷があった武家の名前から坂名がつけられたとみられるが、江戸時代の書物には「彦坂壱岐守」の屋敷があったことにより名づけられたとか、「小笠原壱岐守下屋敷」があったことによって名づけられたとかあって、江戸時代においても諸説があった。この古い「壱岐坂」は、新しくできた広く大きな「新壱岐坂」に途中で分断される形となった。]と記載。
 

 [26.新壱岐坂(しんいきざか)] 延長338m、高低差15m 最寄駅 JR水道橋駅西口

 開始地点は「白山通り」と「春日通り」の交差点「壱岐坂下」(写真下左)で白い屋根は東京ドームです。広く、だらだらの坂です。終了地点は「本郷2丁目歩道橋」 (写真下右)です。

 

 説明板には[大正12年(1923年)関東大震災の復興計画によって新しくひらかれた昭和の坂。この坂の中ほどにある東洋学園大学のわきで、この坂と斜めに交差している細い坂道がある。「壱岐坂」という。壱岐坂の水道橋寄りに小笠原壱岐守の下屋敷があったので、この名がついたといわれる。江戸時代からあった古い坂である。ながい歴史のある壱岐(殿)坂の名をとって、この坂を“新壱岐坂“とした。現在は区の幹線道路としてひろく知られているが、もとになった「壱岐(殿)坂」の名は忘れられようとしている。]と記載。
 

 [27.新坂(しんざか)] 延長35m、高低差6m 最寄駅 JR水道橋駅西口

 坂を下り、「壱岐坂下」交差点を右に横断、すぐ右側にある階段の坂です。写真下左は開始地点、写真下右は終了地点から振り返りました。

 

 説明板には[区内には、新坂と呼ばれる坂が6つある、書物に「壱岐坂の北にありて小石川春日町に下るを新坂といふ」、「坂上北側には内藤外記という旗本の大きな屋敷があり、ゲキサカとある」、「外記坂(げきさか)」とも呼ばれたようだ。「新坂」というが江戸時代からある古い坂である。この坂一帯は、もと御弓町、その後、弓町と呼ばれ、慶長・元和の頃(1600年ごろ)御弓組の与力同心六組の屋敷がおかれ、的場で弓の稽古が行われた。明治の頃、石川啄木、斉藤緑雨、内藤鳴雪などの文人が住んだ。]と記載。説明板の坂名は(外記坂)が併記してありました。
 

 これにてA水道橋ブロックの8坂を踏破です。8坂踏破のIVV認定距離は6kmです。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。B本郷ブロックを歩きます。7kmで一気に歩きましたが12坂ありますので、2回に分けてレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。
 最寄り駅は開始地点の近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『文京の坂113 B本郷ブロックー1』
 

 [28.東富坂(ひがしとみざか)] 延長250m、高低差15m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「春日通り」と「白山通り」が交差する「春日町」交差点が開始地点(写真下左)です。広く、交通量の多い坂で、写真下右は終了地点付近です。

 

 「春日町」交差点の反対側の坂が「富坂」なので「東富坂」と呼ばれています。「富坂」はF小石川ブロックで歩きます。明治41年(1908年)に造られた新しい道で「真砂坂」とも呼ばれています。これは明治2年(1869年)〜昭和40年(1965年)まで付近の町が「真砂町」であったことに由来します。
 

 [29.旧東富坂(きゅうひがしとみざか)] 延長144m、高低差13m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 坂を下りて「春日町」交差点手前を左折、丸ノ内線のガードの下をくぐるとすぐ左側が開始地点(写真下左)です。左上は丸ノ内線です。写真下右は「東 富坂」と合流する終了地点です 。

 

 説明板には[むかし、文京区役所があるあたりの低地を二ケ谷といい、この谷をはさんで東西に二つの坂があった。東の坂は木が繁り、鳶がたくさん集まって来るので、「鳶坂」といい、いつの頃から「富坂」と呼ぶようになった。また二ケ谷を飛び越えて向き合っている坂であることから「飛び坂」ともいわれた。明治41年「本郷3丁目」から「伝通院」まで開通した路面電車の通り道として、現在の「東富坂(真砂坂)」が開かれるまでは区内通行の大切な道路のひとつであった。]と記載。「旧東富坂」の声が聞こえて来そうな説明板でした。
 

 [30.見送り坂(みおくりざか)] 延長62m、高低差1m 最寄駅 大江戸線/丸ノ内線 本郷三丁目駅

 「旧東富坂」終了地点から右折して「春日通り」を「本郷三丁目」交差点まで進みます。このように終了地点から坂を下りない場合がありますので、終了地点から歩きだす前に次の開始地点を確認してください。「本郷三丁目」交差点の「本郷通り」に坂があるとは知りませんでした。アプリの教えてくれた開始地点は写真下左、写真下右は約60m先の終了地点です。

 

 江戸追放の罪人をこの辺りから追い放したことからついた名のようです。「本郷もかねやすまでは江戸の内」の川柳を思いだしました。今でも「本郷三丁目」交差点に「かねやす」があり、川柳が書かれています。
 

 [31.見返り坂(みかえりざか)] 延長79m、高低差2m 最寄駅 大江戸線/丸ノ内線 本郷三丁目駅

 「見送り坂」があれば「見返り坂」ですね。追放された者が振り返ったので「見返り坂」と呼ばれました。写真下左は開始地点、写真下右は終了地点から振り返りました。

 

 [32.本妙寺(ほんみょうじざか)] 延長94m、高低差7m 最寄駅 大江戸線/丸ノ内線 本郷三丁目駅

 「本郷三丁目」交差点を右折、「春日」方面へ進み、「桜木神社」(太田道灌が江戸城内に創建、移って来た)を過ぎ、右側の道を入り、下ると開始地点(写真下左)です。終了地点は「男女平等センター」前(写真下右)です。

 

 説明板には[この坂は、本郷の台地から「菊坂」へ下る坂である。「菊坂」を挟んで真向いの台地には(現在の本郷5-16あたり)かって「本妙寺」という法華宗の寺があった。境内が広く大きな寺で、この寺に向かって下る坂であったことから「本妙寺坂」と呼ばれた。本妙寺は明暦の大火(振袖火事・明暦3年(1657年)の火元として有名である。明治13年(1880年)豊島区巣鴨5丁目に移転した。]と記載。
 

 [33.炭団坂(たどんざか)] 延長46m、高低差8m 最寄駅 大江戸線/丸ノ内線 本郷三丁目駅

 「本妙寺坂」を下り、[菊坂」に出て、左折して進み、左側に下りる小道に出て、住所表示「本郷4-32」を右に入ると、開始地点(写真下左)です。アプリの「現在地表示」の青点が大活躍です。写真下右は階段上から振り返りました。

 

 説明板には[本郷台地から菊坂の谷に下りる急な坂です。名の由来は「ここは炭団などを商売にするものが多かった」とか、切り立った「急な坂で転び落ちた者がいた」ということからつけられたといわれている。台地の北側の斜面を下る坂のためにじめじめしていた。今のように階段や手すりがないころは、特に雨上がりには炭団のように転び落ち泥だらけになってしまったことであろう。この坂上の右側の崖の上に、坪内逍遥が明治17年(1884年)〜明治20年(1887年)まで住み、「小説神髄」や「当世書生気質」を発表した。]と記載。
 

 これにてB本郷ブロックー1の6坂は踏破です。残りの6坂はB本郷ブロックー2をご覧ください。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。B本郷ブロック12坂の残りの6坂を歩きます。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄り駅は開始地点の近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『文京の坂113 B本郷ブロックー2』
 

 [34.梨木坂(なしのきざか)] 延長122m、高低差9m 最寄駅 大江戸線/丸ノ内線 本郷三丁目駅

 「炭団坂」から「菊坂」に戻り、左折して下ると、開始地点は右側にあります。写真下左は坂の入口、写真下右は坂の途中です。

 

 「説明板には[むかしは梨の大木があり、この坂の名とするとか、また江戸時代前期に歌学者が住み、梨本と称したとか、いっぽう、この周辺は菊の栽培が盛んで菊畑がひろがっていたが、この坂あたりから菊がなくなるので「菊なし坂」としたなどの諸説がある。戦前はこのあたりは古いたたずまいの学生下宿が数多くあった。]と記載。
 

 [35.鎧坂(あぶみざか)] 延長116m、高低差12m 最寄駅 大江戸線/丸ノ内線 本郷三丁目駅

 「菊坂」に並行した左側の道に出ると開始地点(写真下左)です。坂の途中には「言語学者金田一京助・春彦(長男)」の居住跡の説明板がありました。終了地点(写真下右)の左側の小道は「炭団坂上」に通ずる道と分かりました。

 

 説明板には[本郷台地から「菊坂」の狭い谷に向かって下り、先端が右にゆるく曲がっている坂である。名前の由来は「鐙の製作者の子孫が住んでいたからとか、その形が「鐙に似ている」ということから名づけられたなどといわれている。この坂の上の西側一帯は上州高崎藩主 大河内家 松平右京亮の中屋敷で、その跡地は右京山と呼ばれた。」と記載。
 

 [36.菊坂(きくざか)] 延長626m、高低差12m 最寄駅 大江戸線/丸ノ内線 本郷三丁目駅

 「菊坂」に戻り、下ると近くに住んでいた「樋口一葉」が苦しい家計のやりくりに通った「伊勢屋質店」(写真下左)が右側にあります。開始地点は更に下り、「菊坂下」交差点(写真下右)です。

 

 「菊坂」はこの辺りのメインの長い坂です。写真下左は坂途中、終了地点(写真下右)は「本郷通り」で「見返り坂」・「見送り坂」の辺りです。

 

 説明板には[本郷四丁目と5丁目の間。このあたりは菊畑があって菊を作る人が多く住んでいたので「菊坂」と唱えた。今は、「本郷通り」の文京センターからの西横から、旧田町、西片1丁目の台地の下までの長い坂を「菊坂」といっている。また樋口一葉が父の死後、母と妹の三人家族の長として、菊坂下あたりに住んだのは明治23年(1890年)です。]と記載。
 

 [37.胸突坂(むな(ね)つきざか)] 延長 117m、高低差12m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「菊坂下」交差点の手前にある急な坂です。写真下左は開始地点、写真下右は終了地点付近からの振り返りです。「胸突坂」は急な傾斜の坂を上る時の姿勢から名づけられたとのこと。本日一番の急坂でした。

 

 [38.新坂(しんざか)] 延長 72m、高低差11m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「菊坂下」交差点を右折、右側にある坂が開始地点(写真下左)です。 写真下右は終了地点付近からの振り返りです 。

 

 説明板には「区内にある新坂と呼ばれる6つの坂の一つ。江戸時代の書物に谷に下る、新坂というと書かれている。名前は新坂だが、江戸時代にひらかれた古い坂である。このあたりは、もと森川町と呼ばれ、金田一京助の世話で、石川啄木が、一時移り住んだ。二葉亭四迷、尾崎紅葉、徳田秋声などの文人が多く住んだ。この坂は文人の逍遥の道でもあったと思われる。」と記載。近くにある坂より新しいから「新坂」としたとのこと。
 

 [39.石坂(いしざか)] 延長200m、高低差14m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「菊坂下」交差点に戻り、右に渡り、左折すると右側が開始地点(写真下左)です。大きく曲がりくねった坂道(写真下右)です。

 

 説明板には「江戸時代から石坂と呼ばれ、この一帯は、備後福山藩(11万石)の中屋敷を幕府の御徒組、御先手組の屋敷であった。明治以降、東京大学が近い関係で多くの学者、文人が居住した。夏目漱石(小説家)、佐々木信綱(歌人・国学者)、和辻哲郎(倫理学者)も居住、西片町は学者町といわれた。」と記載。江戸時代になぜ「石坂」と呼ばれたのかは不明です。
 

 これにてB本郷ブロックの12坂を踏破です。12坂踏破のIVV認定距離は7kmです。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。C白山ブロックを歩きます。距離は12kmで一気に歩きましたが、16坂ありますので2回に分けてレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄駅は開始地点近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『文京の坂113 C白山ブロック−1』
 

 [40.新坂(しんざか)] 延長126m、高低差13m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 駅から「白山通り」右側を「白山」方面に進むと、「樋口一葉の終焉の地」の碑があります。「菊坂」からこの地に移り、明治29年(1896年)24年の短い生涯を閉じました。その先を右に入ると開始地点(写真下左)、写真下右は下りです。

 

 説明板には[新撰東京名所図会に「町内 (旧駒込西片町)より西の方、小石川掃除町に下る坂あり、新坂といふ」とある。この坂上の台地にあった旧福山藩主の阿部屋敷へ通じる、新しく開かれた坂ということでこの名がつけられた。また福山藩にちなんで「福山坂」ともいわれた。「新坂」と呼ばれる坂は区内に6つある。坂上一帯は学者町といわれ、夏目漱石はじめ多くの文人が住んだ。西側崖下一帯が旧丸山福山町で樋口一葉の終焉の地です。]と記載。説明板の坂名は(福山阪)が併記されていました。
樋口一葉についてはリンクできる湘南ふじさわWAのHP「寅さん歩107江戸・東京の祭―36」をご覧ください。
 

 [41.曙坂(あけぼのざか)] 延長28m、高低差5m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 開始地点に下りて、右折して進むと、次の開始地点(写真下左)をアプリの「現在地」の青点が教えてくれます。短いが急な階段坂です。(写真下右)

 

 説明板には[「江戸砂子」によれば、今の白山、東洋大学の北西は、里俗に鶏声ケ窪といわれるところであった。明治2年(1869年)の町ができて、鶏声暁にときを告げる所から、あけぼの(暁と同じ)を取り、町名にした。この坂の場所と、旧曙町、鶏声ケ窪とは少し離れているが、新鮮で、縁起の良い名称を坂名としたのであろう。この坂と西片と白山を結び、人びとの通学や生活に利用されてきた。昭和22年(1947年)には旧丸山福山町・曙会の尽力により石段に改修された。]と記載。
 

 [42.胸突坂(むな(ね)つきざか)] 延長71m、高低差7m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 アプリの「現在地」青点を頼りに住宅街の入り組んだ道を進みます。写真下左は開始地点、写真下右は終了地点です。名前ほど急阪ではありませんでした。

 

 説明板には[西片2-15と白山1-24の間。「丸山新町と駒込西片町との界にある坂をいふ、坂道急峻なり、因って此名を得、左右石垣にて、苔滑か」(新撰東京名所図会)。台地の中腹から、本郷台地に上る坂、坂上から白山通りを隔てて、白山台を臨む。「胸突阪」とは急な坂の呼び名で区内に三か所ある。この坂のすぐ南の旧西片町一帯は、福山藩の中屋敷跡で「誠之館」と名づけた江戸の藩校があった所である。]と記載。説明板の坂名には胸突坂(峰突坂・新道坂)と併記されていました。
 

 [43.中坂(なかざか)] 延長57m、高低差8m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 白山1丁目24と28の間にあり、住宅街の中にある坂です。「胸突坂」と次の「浄心寺坂」の間に並行してあるので「中坂」と呼ばれたそうです。
写真下左は開始地点、写真下右は上り途中です。

 

 [44.浄心坂(じょうしんじざか)] 延長179m、高低差10m 最寄駅 三田線 白山駅

 「旧白山通り白山下」交差点を右に入ると開始地点です(写真下左)すぐ左側にある「円乗寺」には「八百屋お七の墓」(写真下右)の墓石が3つあり、左側は近所の有志が270回忌の供養で建立。中央は寺の住職が供養のため建てた。右側は寛永年間に岩井半四郎(役者)がお七を演じて好評だったので建立。
「八百屋お七」は井原西鶴の「好色五人女」に書かれ、語られているが異説が多いとのこと。天和の大火(1682年)で「円乗寺」に避難し、寺の小姓と恋仲になり、また会いたい一心でつけ火をし、捕えられ、天和3年(1683年)数え16歳で火あぶりの刑に処せられたのは本当の話です。寅次郎、中学校時代に担任の先生から「八百屋お七の歌」(数え歌)を教わり、大学時代に部活の先輩から替え歌(成人向)の指導を受けて、持ち歌としました。お七の恋心を歌う長い歌ですが、呆けて来てもこのような歌詞は忘れないものですね。

 

 写真下左は坂途中から振り返り、写真下右は終了地点です。

 

 説明板には[「小石川指ケ谷町より白山前町を経て東の方、本郷駒込東片町へ登る坂あり、浄心寺坂といふ」(新撰東京名所図会)。また、坂下に「八百屋於七」の墓所がある「円乗寺」があることから「於七坂」の別名もある。」]と記載。坂上に「浄心寺」という寺があったことからついた坂名です。
リンク出来る湘南ふじさわWAのHPひろば「寅さん歩49 健康ご利益巡り 文京区―1」をご覧ください。
 

 [45.薬師坂(やくしざか)] 延長283m、高低差11m 最寄駅 三田線 白山駅

 「白山下」交差点(写真下左)が開始地点、「白山上」交差点が終了地点で、交通量が多い坂道です。写真下右は坂途中からの振り返りです。 説明板には[坂上の「妙清寺」に薬師堂があったので、「薬師坂]と名づけられた。また、坂下に「浄雲院心光寺」があったので、「浄雲坂」とも呼ばれた。また、近くに「白山神社」があり、旧町名が白山南町で「白山坂」ともいわれたなど、別名の多い坂の一つである。この「薬師堂」は特に眼病に霊感あらたであったようだ。]と記載。説明板の坂名は(  )の表示で上記の坂名が併記されていました。「白山神社」はあじさい寺、歯の神様の寺として有名です。

 

 [46.伊賀坂(いがざか)] 延長18m、高低差14m 最寄駅 三田線 白山駅

 写真下左は開始地点です。坂の入口右側はケーキ屋さんでした。写真下右は「指ケ谷小学校」前を曲がりくねって上がる忍者の坂道でした。

 

 説明板には「白山2丁目28−29.白山台地から白山通りに下る坂で、道幅は狭く、昔の儘の姿を思わせる。この坂は武家屋敷にちなむ坂名の一つである。伊賀者の同心衆の組屋敷があったとか、真田伊賀守屋敷があったという二つの説がある。東京名所図会では真田伊賀守説をとっている。伊賀者は甲賀者と共に、大名統制のための忍者としてよく知られている。」と記載。
 

 [47.蓮華寺坂(れんげじざか)] 延長207m、高低差11m 最寄駅 三田線 白山駅

 「伊賀坂」を下りて「白山通り」の左側を上ります。写真下左は開始地点で左側に「蓮華寺」があり、傍にあることから「蓮華寺坂」と呼ばれるようになりました。写真下右は最終地点で左側は「東洋大学京北中等学校・高等学校・京北学園白山高等学校」の正門です。

 

 「蓮華寺」は天正15年(1587年)創建の日蓮宗のお寺で武士の檀家が多く、「武士寺」と呼ばれました。写真下左は「白山通り」に面した正門、写真下右は「蓮華寺」で「蓮華寺坂」の右側を下ると、脇から入れます。

 

 これにてC白山ブロックの16坂のうち8坂を踏破です。残りの8坂はC白山ブロックー2をご覧ください 。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。C白山ブロック16坂の残りの8坂を歩きます。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄駅は開始地点の近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『文京の坂113 C白山ブロック−2』
 

 [48.逸見坂(へんみざか)] 延長82m、高低差7m 最寄駅 三田線 白山駅

 「白山通り」の左側を上ります。左側に開始地点(写真下左)があります。写真下右は終了地点付近から振り返りました。

 

 説明板には[白山4-32と34の間。「白山神社裏門の南、小石川御殿町と指ケ谷の間を南に下る坂あり。逸見坂といふ。旧幕士 逸見某の邸、坂陰にありしより、此の名に呼ぶなり」(東京名所図会)武家屋敷にちなむ坂名である。このあたり「旧白山御殿町」で「逸見坂」はその北はずれにあたる。町名の由来は、白山御殿(後の五代将軍になった舘林侯 綱吉の屋敷)からきている。御殿廃止後、幕府の薬園(現在の小石川植物園)となる。]と記載。
 

 [49.暗闇坂(くらやみざか)] 延長61m、高低差8m 最寄駅 三田線 白山駅

 「白山通り」を横断、左折して、「白山通り」を上ります。「東洋大学」脇を過ぎたら開始地点入口です。「東洋大学」の裏手にあたります。昔は樹木が茂った暗闇坂でその名がついたようですが、現在は住宅に挟まれた坂道です。

 

 [50.暗闇坂(くらやみざか)] 延長181m、高低差6m 最寄駅 千代田線 根津駅

 もう一つの「暗闇坂」へ向かいます。「旧白山通り」の「東洋大学正門」に出て、「白山上」まで行き、「本郷通り」を「東京大学」方面に進みます。このアプリを作製した「さんぽみち総合研究所」脇(向ヶ丘1丁目)を過ぎて「東京大学農学部」隣の交番のある交差点を渡り、左折、「言問通り」に入り、「東京大学」の塀が終わる所が「暗闇阪」の終了地点です。坂を下り、右側にある「東京大学弥生門」(写真下左)が開始地点で、また、「暗闇坂」を上ります(写真下右)。樹木が茂る薄暗い坂で、その名がついたようですが、現在は東大生が行きかい、坂下には弥生美術館、竹久夢二美術館があって人通りが絶えない坂道です。

 

 [51.弥生坂(やよいざか)] 延長165m、高低差9m 最寄駅 千代田線 根津駅

 「暗闇坂」の終了地点の「言問通り」を右折、下ります。「弥生坂」は「言問通り」の一部に位置します。開始地点は坂下の「不忍通り」と交差する地点で、ここから「弥生坂」を上ります。写真下左は坂の上り、終了地点の近く左側に「弥生式土器ゆかりの地」碑(写真下右)があります。

 

 坂の説明板には[弥生1丁目と2丁目の間。かって、この辺り一帯は「向ヶ岡弥生町」といわれた。江戸時代は御三家水戸藩屋敷、小笠原信濃守屋敷、加賀藩前田の屋敷であった。明治2年(1869年)これらの土地は明治政府に収公されて大学用地となった。明治5年(1872年)この周辺は町屋が開かれ、向ケ岡弥生町と名づけられた。その頃、新しい坂道がつけられ、町の名をとって「弥生阪」と呼ばれた。また、坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので「鉄砲坂」ともいわれたとのことです。]と記載。説明板の坂名は(鉄砲坂)が併記されていました。
 

 [52.異人坂(いじんざか)] 延長123m、高低差9m 最寄駅 千代田線 根津駅

 「弥生坂」を下りる時は左側を歩き、「不忍通り」との交差点手前が「異人坂」入口の開始地点です。写真下左は上り、写真下右は下り、かなりの急阪です。

 

 説明板には[弥生2-13北側。坂上の地に明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。ここに住む外国人は、この坂を通り、不忍池や上野公園を散策した。当時は、外国人が珍しいことも手伝って、誰いうことなく外国人が上り下りした坂なので、「異人坂」と呼ぶようになった。外国人の中には、有名なベルツ(ドイツ人)がいた。明治9年(1876年)ベルツは東京医学校の教師として来日し、日本の医学の発展に貢献した。ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。「異人坂」を下りきった東側に、明治25年(1892年)「高林レンズ工場」が建てられた。今の2丁目13付近の地である。その経営者は朝倉松五郎で日本のレンズ工業の生みの親である。]と記載。
 

 [53.お化け階段(おばけかいだん)] 延長19m、高低差7m 最寄駅 千代田線 根津駅

 「異人坂」坂上から前に進むと右側に階段があります。下りた所が開始地点です。上りと下りの段数が異なるので「お化け階段」と呼ばれています。
 上りと下りの階段数を数えてください。写真下左は上り、写真右は下りで寅次郎、数が1段違いました。また、大学の裏側なので樹木が茂り薄暗く、お化けが出るような場所だったかも知れません 。

 

 [54.新坂(しんざか)] 延長292m、高低差15m 最寄駅 千代田線 根津駅

 「おばけ階段」を下りて、道なりに進むと開始地点の「根津神社」参道口の大鳥居の前(写真下左)です。説明板には[「根津1丁目21と28の間。本郷通りから、根津谷への便を考えて作られた新しい坂のため「新坂」と呼んだ。
 また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので「権現坂」ともいわれました。森鴎外の小説「青年」(明治43年作)でこの坂を「S坂」と書かれており、旧制第一高等学校の生徒は「S坂」と呼んだとのことです。」と記載。
 説明板の坂名は(権現坂・S坂)が併記されていました。写真下左は開始地点、写真下右は上り始めから振り返りました。

 

 左手に「東京大学」を見て「青年」の散歩道の看板(写真下左)前が終了地点で、右側には教会があります。写真下右は終了地点から振り返りました。

 

 [55.根津裏門坂(ねづうらもんざか)] 延長322m、高低差14m 最寄駅 千代田線 根津駅

 「新坂」の開始地点に戻り、「根津神社」にお参りし、西門又は北門から出て右折、「不忍通り」との交差点が開始地点です。写真下左は開始地点付近、写真下右は坂の左側にある「根津神社」北口です。説明板には[根津神社の裏門を、根津谷から本郷通りに上る坂道である。根津神社(根津権現)の現在の社殿は宝永3年(1706年)五代将軍綱吉によって、世継ぎの綱豊(六代将軍家宣)の産土神として創建された。国の重要文化財である。坂上の日本医科大学の西横を右に曲がると夏目漱石の住んだ家(猫の家)があった。]と記載。

 

 写真下左は「根津神社」境内にある有名な「つつじ園」です。写真下右は終了手前地点で、右側の建物は「日本医科大学付属病院」です。

 

 これにてC白山ブロックの16坂を踏破です。16坂踏破のIVV認定距離は12kmです。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。D駒込ブロックの6坂を歩きます。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄り駅は開始地点の近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『文京の坂113 D駒込ブロック 7km』
 

 [56.団子坂(だんござか)] 延長192m、高低差13m 最寄駅 千代田線 千駄木駅

 開始地点は不忍通り「団子坂下」交差点です。写真下左は坂上り口でS字のかなり急な坂道です。車の通行も多いので歩く際は注意してください。
 坂右側にある説明板には[千駄木2丁目と3丁目の間の坂。潮見坂、七面坂の別名がある。団子坂の由来は、坂近くに団子屋があったといい、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれた。又、七面堂が坂下にあったことから「七面坂」の名が生まれ、坂上から東京湾の入江が望見出来たので「潮見坂」ともいわれた。坂上には森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。森鴎外邸の跡地は「森鴎外記念館」(写真下右)となっている。]と記載。

 

 [57.大給坂(おぎゅうざか)] 延長128m、高低差10m 最寄駅 千代田線 千駄木駅

 「団子坂」を下り、左折、「不忍通り」を「千駄木3丁目」信号の先の「千駄木3-27」(電柱に表示)が開始地点です。左折して上る、かなりの急坂で、この辺りに大給家があったことからついた名前で根津神社から富士神社を通り、旧日光街道(現・本郷通り)に抜ける間道だったとのこと。写真下左は坂入口付近、写真下右は坂上から下を振り返りました。

 

 [58.狸坂(たぬきざか)] 延長151m、高低差13m 最寄駅 千代田線 千駄木駅

 「大給坂」を下りて、「不忍通り」を左に進み、「道灌山下」交差点の手前の道が開始地点です。左折して坂を上ります。説明板には[千駄木3丁目12と20の間の坂。昔は「千駄木山」といって雑木林が多く、坂上は「狸山」と呼ばれていた。その狸山の坂なので「狸坂」と名づけられた。坂下は根津の谷で谷戸川(現在は暗渠)が流れ、日暮里の台地と対していた。]と記載。写真下左は上り口、写真右は坂上から下を振り返りました。

 

 [59.動坂(どうざか)] 延長148m、高低差8m 最寄駅 JR 田端駅

 「狸坂」を下りて左折、「不忍通り」を進み、「動坂下」交差点が開始地点です。交差点を渡り、左折、坂の右側を上ります。説明板には[本駒込4と千駄木4の間の坂。元和年間(1615〜1624年)万行上人が伊勢の国赤目山で不動明王を授けられ衆生済度のため諸国を回り、この地に庵を設けた。その後、庵は三代将軍徳川家光より現在の本駒込1丁目に移された。現在の「南谷寺」で 江戸五色不動の「赤目不動」です。庵の跡地に「日限地蔵堂」が建てられ、「堂坂」と呼ばれた。また「不動坂」の略称でも呼ばれているうちに「ふ」という音が無くなったらしい。]と記載。説明板には動坂(同坂)と併記されていました。写真下左は坂の前方、写真下右は上り口の動坂交差点方面です。

 

 [60.稲荷坂(いなりざか)] 延長297m、高低差11m 最寄駅 JR 駒込駅

 「動坂」を下りて、左折、「不忍通り」を進み、「駒込稲荷坂下」信号が開始地点です。左折して坂の左側を歩きます(写真下左)。写真下右は坂の途中から振り返りました。

 

 説明板には[坂の名は、かってこの辺りにあった「宗十郎稲荷」に由来する。伝承では、宗十郎稲荷は「おこり(瘧、間欠熱の一種で多くはマラリアを指す)」にご利益があり、「おこり」の罹患者が平癒の願いをかけ、全治すると履いて来た草履を脱いで「宗十郎稲荷」の祠前に奉納したという。この坂道は「宗十郎稲荷」の杉林の中に出来た道であり、坂下の田端方面から駒込土物店へ野菜などを出荷するために百姓が毎朝急いで通った近道であったという。]と記載。
 

 [61.神明坂(しんめいざか)] 延長360m、高低差11m 最寄駅 JR 駒込駅

 「稲荷坂」を下りた「駒込稲荷坂下」信号が開始地点で、左折して「不忍通り」を進みます(写真下左)。「神明坂」は「不忍通り」の一部に位置し、近くにあった天祖神社(神明社)にあやかって付けられた地名「神明町」の名をとった坂で大正11年(1922年)に開設された比較的新しい坂道とのこと。写真下右は終点地点を振り返りました。

 

 終了地点の先は「本郷通り」と交差する「上富士」交差点です。右折すると都立庭園・特別名勝の「六義園」で、脇を過ぎるとJR駒込駅です。
 

 これにてD駒込ブロック6坂を踏破です。6坂踏破のIVV認定距離は7kmです。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。E大塚ブロックを歩きます。ここは寅次郎の住まいの最寄駅JR大塚駅から歩いて行けるエリアです。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。
 最寄り駅は開始地点の近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『文京の坂113 E大塚ブロック 12km』
 

 [62.網干坂(あみほしざか)] 延長265m、高低差14m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 駅から「湯立坂」を下り、「千川通り」を横断、直進した所にある「簸川神社」と「小石川植物園・東京大学総合研究所小石川分館」の間が開始地点(写真下左)です。右の赤い建物は「東京大学総合研究所小石川分館」です。やや急な坂で終了地点は「小石川植物園」の塀が終わる地点で写真下右は坂上から振り返りました。左側の塀の中は「小石川植物園」です。

 

 説明板には[白山3丁目と千石2丁目の間の坂。白山台地から千川の流れる谷に下る坂道。小石川台地へ上がる「湯立坂」に向かいあっている。むかし、坂下の谷は入り江で舟の出入りがあり、漁師がいて網を干したのであろう。 明治の末頃までは千川沿いの一帯は「氷川たんぼ」といわれた水田地帯であった。その後、住宅や工場が増え、大雨のたびに洪水となり、昭和9年に「千川」は暗渠になった。なお、「千川」は古くは「小石川」と言われたが、いつの頃か「千川」と呼ばれるようになった。]と記載 。
 

 [63.氷川坂(ひかわざか)] 延長214m、高低差12m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「網干坂」を下り、「簸川神社」(氷川神社から改名)を右に行くと、開始地点で細くやや急な坂(写真下左)です。終点地点から少し下り、左に入ると「簸川神社本殿」(写真下右)に出ます。お参りして階段を下りると「網干坂」の開始地点に出ます。説明板には「氷川神社(現在の呼称は簸川神社に接した坂ということで、この名がついた。簸川神社の創建は古く、第5代考昭天皇の頃と伝えられ、源義家も奥州平定の祈願をしたといわれ、小石川・巣鴨の総社として江戸の名所だった。もとは現在の小石川植物園の地にあったが、白山御殿造営のため元禄12年(1699年)この地に移った。]と記載。説明板の坂名は(簸川坂)が併記されていました。小石川植物園の正式名は東京大学大学院理学系研究科附属植物園で江戸時代は幕府の薬草園として「赤ひげ先生」がいた養生所がありました。また青木昆陽が甘藷の試作をした所です。

 

 [64.湯立坂(ゆたてざか)] 延長450m、高低差17m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「仙川通り」に戻り、前にある「窪町東公園」脇が開始地点です。坂の右側には「教育の森公園」(旧東京教育大学の跡地)、「占春園」(松平家の下屋敷庭園)、「筑波大大学院」、左側に「旧磯野家」(実業家の銅御殿)があります。 写真下左は坂の途中で右の建物は筑波大学院の校舎です。終了地点は「春日通り」との合流地点(写真下右)で丸ノ内線茗荷谷駅はすぐ近くです。 説明板には「この坂下は千川があり、氷川神社(今の簸川神社)に渡ることが出来ないので神社の氏子は川の手前で湯花を捧げたので、この名がついた。」と記載。縄張り争いがあって対岸の氷川神社に行けないので、この坂でお湯を沸かし(湯立をし)お茶を飲んだとの説もあるようです 。

 

 [65.宮坂(みやさか)] 延長298m、高低差13m 最寄駅 丸ノ内線 新大塚駅

 「千川通り」に戻り、左折して進みます。開始地点は「千川通り」から左に入った「南大塚1-2付近」(写真下左)で坂の左側は豊島区で区境にある坂です。名前の由来は明治期 有栖川宮熾仁親王が21年にわたり、この辺りにあった屋敷の風趣を好んで住んだことから呼ばれました。昭和49年に作られた新しい坂で、写真下右は坂の途中地点です。終了地点は突き当りの道と交差する所です。

 

 [66.砂利場坂(じゃりばざか)] 延長296m、高低差14m 最寄駅 丸ノ内線 新大塚駅

 「仙川通り」に戻り、左折して進み、「千川通り」から少し入った「氷川下町児童公園」脇が開始地点(写真下左)です。「護国寺」の造営の時に砂利が置かれた場所から、ついた名とのこと。住宅地の中を上がる、やや急な坂です。

 

 [67.猫又坂(ねこまたざか)] 延長281m、高低差13m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「千川通り」に戻り、左折して進み、「不忍通り」と交差する「千石3丁目」交差点が開始地点です。交差点を横断しての坂の右側(写真下左)を上がります。上り始めると右側に「猫又橋の親柱」(写真下右)があります。終了地点は坂を上がった「千石1丁目15」辺りで、「不忍通り」の一部に位置する坂道です。

 

 説明板によると[不忍通りは千川谷に下る(氷川下交差点)長く広い坂である。現在の通りは大正11年(1922)頃開通したが、昔の坂は、東側の崖のふちを通り、千川にかかる「猫又橋」につながっていた。この今はない「猫又橋」にちなむ坂である。むかし、この辺りに狸がいて、夜な夜な赤手拭をかぶって踊るという話があった。ある時、若い僧が、食事に招かれての帰り、夕暮れどき、すすきの茂る中を、白い獣が追ってくるので、狸かと、あわてて逃げて千川にはまった。そこから、「狸橋」、「猫貍橋(ねこまたばし)」、「猫又橋」と呼ばれるようになった。「猫貍」とは妖怪の一種である。]と記載。
 

 [68.白鷺坂(しらさぎざか)] 延長537m、高低差17m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「千石三丁目」交差点まで戻ると、開始地点です。終了地点は「春日通り」と交差する「大塚3丁目」交差点(写真下左)です。坂の右側の大塚小学校石垣にある説明板には「この辺り一帯はかって伊達宇和島藩主の下屋敷であった。大塚小学校地は池を中心とした伊達屋敷の庭園部に当り、明治時代を迎え、荒廃し白鷺の集巣地となったとのこと。この白鷺に魅せられたアララギの歌人が通いつめ短歌を作ったといわれる。明治末期の道路整備で出来た坂名は白鷺に因んで呼ばれた。」と記載。写真下右は坂の途中から開始地点を振り返りました。

 

 [69.富士見坂(ふじみざか)] 延長425m、高低差11m 最寄駅 有楽町線 護国寺駅

 「白鷺坂」の終了地点から直進の坂は「富士見坂」ですが、開始地点は坂下の「護国寺前」(写真下左)」です。「護国寺」は5代将軍徳川綱吉が生母桂昌院の願いで建立した桂昌院の祈願所(後にコ川家の祈願所)です。写真下右は坂の途中から振り返りました。

 

 坂の左側を歩くと「護国寺惣門」や皇族(天皇・皇后を除く)の墓所「豊島岡墓地」があります。説明板には「大塚3丁目と5丁目の間の坂。坂上から良く富士山が見えたのでこの名がある。坂上の標高28.9mは区内の幹線道路では最高地点となっている。昔はもっと狭く急な坂であったが大正13年(1924年)市電の開通で整備され坂は緩やかに、道幅は広くなった。」と記載。終了地点は「春日通り」と交差する「大塚3丁目」交差点です。
 

 [70.開運坂(かいうんざか)] 延長141m、高低差10m 最寄駅 丸ノ内線 新大塚駅

 「富士見坂」を下り、右折し、「坂下通り」を進み、「開運坂下」が開始地点(写真下左)で左折して坂を上ります。坂の説明板には「大塚5丁目と6丁目の間の坂。坂名は講道館の創始者の嘉納治五郎によって名づけられたとされる。かっては坂上北側に講道館の道場があり、開運坂道場と呼ばれた。坂の突き当りには嘉納治五郎邸もあった。講道館とは柔道の道場で、柔道の研究教授とその普及発展を図る教育機関として発展、全国から多くの柔道家が集まり研鑽が積まれた。また大正期にはここで女子の柔道指導が本格的に開始された。開運坂道場は小石川の下富士坂道場から建物を移築、明治12年(1879年)に開始、昭和8年(1933年)に水道橋に移転した。」と記載。写真下右は終了地点から下を振り返りました。坂名の由来は良くわかりませんが、「運を開く吉兆を意味する、めでたい名を付けたものだろう」とのようです。

 

 これにてE大塚ブロック9坂を踏破です。9坂踏破のIVV認定距離は12kmです。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。F小石川ブロックを歩きます。距離は11kmなので一気に歩きましたが、11坂ありますので2回に分けてレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄駅は開始地点近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『F小石川ブロック−1』
 

 [71.富坂(とみさか)] 延長534m、高低差17m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「白山通り」と「春日通り」が交差する「春日町」交差点が開始地点です。文京シビックセンター脇の「富坂下」から上り(写真下左)、「富坂上」(写真下右)が終了地点です。「春日通り」の一部に位置する交通量の多い坂道です。

 

 説明板には[春日1丁目と小石川2丁目の間。「とび坂は小石川水戸宰相光圀郷のお屋敷のうしろ、えさし町より春日御殿町へ下る坂、元は此処に鳶が多くいたので、女童の、手に持たる肴をも舞い下りてとる故とび坂と云」と書かれている(紫一本)。鳶が多くいたので、「鳶坂」、転じて「富坂」となった。又、春日町交差点の谷(二ケ谷)をはさんで、東西に坂がまたがって飛んでいるため「飛坂」ともいわれた。そして、伝通院の方を「西富坂」、本郷の方を「東富坂」ともいう。都内に多くある坂名の一つである。]と記載。
 

 [72.牛坂(うしざか)] 延長99m、高低差13m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「富坂上」を左に入ると「北野神社(牛天神)」脇に出ます。そこは終了地点なので、坂を下ると開始地点です。写真下左は上り(右側が北野神社)、写真下右は途中からの振り返りです。

 

 説明板には[北野神社(牛天神)の北側の坂で、古くは潮見坂・蠣殻坂(かきがらざか)・鮫干坂(さめほしざか)など海に関連する坂名でも呼ばれていた。中世は、今の大曲辺りまで入江であったと考えられる。「牛坂」とは、牛天神の境内に「牛石」と呼ばれる大石があり、それが坂名の由来といわれる。「牛石」はもとは「牛坂」下にあった。「江戸志」には、源頼朝の東国経営のとき、小石川の入江に舟をとめ、老松につないで、なぎを待つ。その間、夢に菅神(菅原道真)が、牛に乗り衣冠を正して現われ、ふしぎなお告げをした。夢さめると牛に似た石があった。「牛石」がこれである。]と記載。写真下左は「北野神社」、写真下右は「牛石」です。境内には「貧乏神」を祀っていたが、江戸の頃、この近くに住む貧乏旗本の窮状を救ってからは、「福の神」として庶民の信仰を集めるようになったという伝説が残っている「太田神社」があります。お参りください。

 

 [73.安藤坂(あんどうざか)] 延長304m、高低差16m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「牛坂」の終了地点から「北野神社」にお参りして、石段を下ると「牛坂」下に行けます。目の前が「安藤坂」です。開始地点(写真下左)まで下ります。終了地点は「春日通り」の「護国寺前」交差点です。写真下右は終了地点を臨みます。広い幅の交通量が多い坂道です。

 

 説明板には[この坂は伝通院前から神田川に下る坂である。江戸時代から幅の広い坂道であった。傾斜は急であったが、1909年(明治12年)に路面電車(市電)を通すに当たり、ゆるやかにされた。坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因んで、戦前は「安藤殿坂」、戦後になって「安藤坂」と呼ばれるようになった。古くは坂下のあたりは入り江で、漁をする人が坂上に網を干したことから、また江戸時代に御鷹掛の組屋敷があって鳥網を干したことから「網干坂」とも呼ばれた。]と記載。
 

 [74.堀坂(ほりさか)] 延長126m、高低差12m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 今回は坂を下らずに「安藤坂」の終了地点から、右折して「富坂下」交差点まで戻り、左折します。「こんにゃく閻魔」で有名な「源覚寺」の手前を左に入ると開始地点です。説明板には[堀坂は中富坂町の西より東の方、即ち餌差町に下る坂をいふ、もと其の北側に堀内蔵助(2300石)の邸ありしに因れり。今坂の中途に“ほりさか”と仮字にてしるしたる石標あり。此坂は従来「宮内坂」又は「源三郎坂」と唱へたるものにて、「堀坂」いへるは基後の称なりといふ](新撰東京江戸図絵)。この場所の北側に旗本 堀家の分家利直(後に利尚、通称 宮内)の屋敷があったことから、この坂は別名「宮内坂」と名づけられた。また、当地の名主鎌田源三の名から「源三坂」ともいわれた。「堀坂」という名称は、文政(1818〜30)の頃、堀家が坂の修復をして「ほりさか」と刻んだ石標を建てたことからいわれるようになった。坂下に”こんにゃく閻魔”の伝説で名高い「源覚寺」がある。]と記載。説明板には坂名には(宮内坂・源三坂)が併記されています。写真下左は開始地点、写真下右は坂下を振り返ります。

 

 [75.六角坂(ろっかくざか)] 延長146m、高低差10m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「堀坂」を下りて左折して進むと、開始地点(写真下左)です。写真下右は坂の途中の曲がりです。

 

 説明板には[「六角坂は上餌差(かみえさし)町より伝通院の表門に出る坂成り。古くは高家 六角氏の屋敷の前なる坂故にかくいへり」とある。餌差町は慶長年間に鷹狩りの餌になる小鳥を刺しそろえることを司る「御餌差衆」の屋敷がおかれた所である。]と記載。
 

 これにてF小石川ブロックの11坂のうち5坂を踏破です。残りの6坂はF小石川ブロックー2をご覧ください。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。F小石川ブロック11坂の残りの6坂をレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄駅は開始地点近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『F小石川ブロック−2』
 

 [76.善光寺坂(ぜんこうじざか)] 延長276m、高低差16m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「六角坂」を下りて、すぐ左の道が開始地点(写真下左)です。写真下右は坂途中にある「善光寺」です。

 

 説明板には[小石川2丁目と3丁目の間。坂の途中に「善光寺」があるので、寺の名をとって坂名にした。「善光寺」は慶長7年(1602年)の創建と伝えられ、「伝通院」(徳川家の菩提寺)の塔頭で、「縁受院」と称した。明治17年(1884年)「善光寺」と改称し、信州の善光寺の分院となった。したがって明治時代の新しい坂名である。坂上の歩道の真ん中に椋(むく)の老木がある。古来、この木は坂の北側にある「稲荷」に祀られている「澤蔵司(たくぞうす)」の魂が宿るといわれている。なお、坂上の「慈眼院」の境内には礫川や小石川の地名に因る松尾芭蕉の句碑が建立されている。”一しぐれ 礫や降りて 小石川”はせを(芭蕉)。 また、この界隈には幸田露伴、徳田秋声島木赤彦、古泉千樫らの文人・歌人が住み活躍した。]と記載。写真下左は「慈眼院」、写真下右は「椋の大木」です。

 

 写真下左は終了地点で、右奥に見えるのが「伝通院」、写真下右は「伝通院」の山門です。

 

 リンクできる湘南ふじさわWAのHPひろば「寅さん歩48 健康ご利益めぐり 文京区−1」をご覧ください。
 

 [77.三百坂(さんびゃくざか)] 延長181m、高低差7m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「伝通院」からはアプリの現在地の青点を頼りに進み、住宅街の細い道をくねくね行くと、「三百坂」の坂上に出ました。開始地点は坂下(写真下左)で、終了地点は坂上の「学芸大学附属の学校」の北門(写真下右)前です。

 

 説明板には[「江戸志」によると松平播磨守の屋敷から少し離れた所にある坂である。松平家では、新しく召し抱えた「徒の者」を屋敷のしきたりで、早くしかも正確に、役に立つ者かどうかをためすために、この坂を利用したという。主君が登城のとき、玄関で目見得させ後、衣服を改め、この坂で徒の列に加わらせた。もし坂を過ぎるまでに追いつけなかったときは、遅刻の罰として三百文を出させた。このことから、家人達は「三貊(さんみゃく)坂」を「三百坂」と唱え、世人もこの坂名を通称とした。]と記載。昔の文人は「三貊坂」と書いていたそうです。案内板の坂名には(三貊坂)が併記されていました。
 

 [78.御殿坂(ごてんざか)] 延長185m、高低差14m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「三百坂」の開始地点に戻り、「小石川植物園」を目指しました。写真下左が開始地点で左側が「小石川植物園」です。写真下右坂は途中からの振り返りです。

 

 説明板には[戸崎町から白山の方にのぼる坂なり、この坂の上に白山御殿あり故にこの坂の名に遺れり、むかしは大坂といひしや]、「享保の頃は、この坂の向ふに富士峰能く見えし故に富士見坂ともいえ」とあり(江戸志)。「大坂」・「富士見坂」の別名があります。「白山御殿」は五代将軍徳川綱吉が将軍就任以前、館林侯時代の屋敷で、もとの「白山神社」の跡であったので「白山御殿」といわれ、また地名を取り「小石川御殿」といわれた。綱吉の将軍就任後、御殿跡は「幕府の薬園」となった、享保7年(1722年)園内に“赤ひげ”で有名な「小石川養生所」が設けられた、青木昆陽が甘藷の試作をした。明治に入り東京大学の植物園になった。]と記載。
 「小石川植物園」は四季の花が楽しめますが、桜(写真下左2019年4月1日撮影)やカエデの紅葉(写真下右2014年11月30日撮影)は特に見事です。また、日本庭園や大温室があります。

 

 「小石川植物園」については「平野寅次郎のYR散歩」No6をご覧ください。
 

 [79.吹上坂(ふきあげざか)] 延長459m、高低差19m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「小石川植物園」の前の小道から「千川通り」に出て右折、「播磨坂下」へ行くと二本ある坂の左側が「吹上坂」の開始地点(写真下左)です。写真下右は「春日通り」と合流する終了地点(写真下右)です。広く・長い坂です。

 

 説明板には[このあたりをかって吹上村といった。この地名から名づけられたと思われる。「吹上坂」は松平播磨守の屋敷の坂をいへり(改選江戸志)。なお、別名「禿(かむろ)坂」で禿は河童に通じ、都内6カ所にあるが、いずれもかっては近くに古池や川などがあって寂しい所とされている地域の坂名である。
 この坂も「善仁寺」から「宗慶寺・極楽水」のそばへくだり、坂下は「播磨たんぼ」といわれた水田であり、しかも「小石川」が流れていた。この水田や川は鷺の群がるよき場所であり、大正時代でもそのおもかげを止めていた。]と記載。坂の途中(写真下左の茶色の建物)には「宗慶寺」(写真下右)があり、徳川家康側室の茶阿局(ちゃあのつぼね)の墓碑がありました。

 

 [80.播磨坂(はりまざか)] 延長452m、高低差18m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 長い坂を下り、戻ると、「播磨坂」の開始地点(写真下左)です。桜の名所で写真下右は2019年4月1日撮影です。終了地点は「春日通り」との合流地点です。

 

 説明板には[播磨坂は戦災復興事業に於いて付近一帯の土地区画整理によって都市計画道路環状3号線の一部として造られた。坂名は江戸時代に松平播磨守の上屋敷があったことに由来する。千川(小石川)が流れる低地一帯は「播磨田んぼ」が広がっていた。現在は坂の中央に遊歩道が整備され、お花見が楽しめる。]と記載。
 

 [81.団平坂(だんぺいざか)] 延長144m、高低差8m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「播磨坂」の上から左側を下り、坂の途中で左折すると開始地点(写真下左)です。写真下右は終了地点で右側は「竹早公園」です。

 

 説明板には「団平という米つき商売をする人が住んでいたので、その名が付いた。何らかで名の知れた人だったであろう。庶民の名が付いた坂は珍しい。 この坂の一つ東側の道の途中(小石川5-11-7)に薄幸の詩人「石川啄木の終焉の地」がある。北海道の放浪生活を後、上京し、文京区を移りかわって、4カ所目。明治45年(1912年)4月13日26歳の若さで短い一生を終えた。」と記載。
 

 これにてF小石川ブロック11坂を踏破しました。11坂踏破のIVV認定距離は11kmです。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。G小日向ブロックを歩きます。距離は8kmですが、16坂あるので2回に分けてレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄駅は開始地点近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『G小日向ブロック−1』
 

 [82.金剛寺坂(こんごうじざか)] 延長139m、高低差16m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「春日通り」から「安藤坂」を下り、「巻石通り」を「江戸川橋」方面に向かうと、右側の「住所表示春日2-4」が開始地点(写真下左)で、写真下右は坂の途中です。

 

 説明板には[春日2-4と5の間。江戸時代この坂の西側、「金富小学校」寄りに「金剛寺」という禅寺があった。この寺の脇にある坂道なので、この名がついた。小石川台地から、「神田上水」が流れていた「水道通り」(巻石通り)に下る坂の一つである。この坂の東寄り(現・春日2-20-25あたり)で明治12年に生まれ、少年時代をすごした永井荷風は、当時の「黒田小学校」(現在の旧第五中学校のある所、昭和20年廃校)に、この坂を通ってかよっていた。荷風は昭和16年ひさしぶりに、この坂を訪れ、むかしを懐かしんでいる様子を日記に記している。]と記載。
 

 [83.新坂(しんざか)] 延長215m、高低差17m 最寄駅 大江戸線/三田線 春日駅

 「金剛阪」の開始地点に戻り、右折して進むと、右側にある「金富小学校」脇が開始地点(写真下左)です。左側は「国際仏教学大学院大学」で、徳川最後の将軍「徳川慶喜の終焉の地」です。終了地点近くの下は地下鉄丸ノ内線が地上を走っています。写真下右は坂途中から振り返りました。

 

 説明板には[春日2-7-8の間。仔細は分からないが、江戸時代の正徳(1711年〜16年)に開けた坂で当時としては新しい坂が名のおこり。別名「今井坂」の名のおこりは坂の上の蜂谷孫十郎殿屋敷の内に兼平桜(今井四郎兼平の名にちなむ)と名づけた大木があった。これにより「今井坂」と呼ぶようになった。この坂の上西側一帯は現在、「国際仏教学大学院大学」になっている。ここは徳川最後の将軍、慶喜が明治34年(1901年)以後に住んだところである。慶喜は自分が生まれた、小石川水戸屋敷に近い、この地を愛した。慶喜はここで、専ら趣味の生活を送り、大正2年(1913年)に没した(享年76歳)。現在、その面影を残す物は、入り口に繁る大公孫樹(おおいちょう)のみである。]と記載。説明板の坂名は「今井坂(新坂)」と書かれていた。
 

 [84.荒木坂(あらきざか)] 延長73m、高低差8m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「新坂」の開始地点に戻り、右折、さらに進むと開始地点(写真上左)です。写真上右は坂の途中から振り返りました。

 

 説明板には[小日向1丁目と4の間。称名寺の東横を、「小日向台地に上がる坂である。坂の上に荒木志摩守殿屋敷があったが今はない」(江戸砂子)。この坂下、小日向台地のすそを江戸で最初に造られた「神田上水」が通っていたことから、地域の人々は、上水に沿った通りを“水道通り”とか“巻石通り”と呼んでいる。「神田上水」は、井の頭池を源流とし、目白台下「大洗堰」(大滝橋付近)で水位を上げ、これを開渠で水を導き、「水戸屋敷」(後楽園)へ入れた。そこからは暗渠で神田、日本橋方面へ配水した。明治11年頃、水質を保つため、開渠に石蓋をかけた。その石蓋を“巻石蓋”と呼んだ。その後、神田上水は鉄管に変わり、飲料水として使用は明治34年1901年までで、以後は水戸屋敷跡に設けられた兵器工場(陸軍砲兵工廠)の工業用水として使用された。]と記載。荒木志摩守殿屋敷があったため「荒木坂」と呼ばれた。
 

 [85.庚申坂(こうしんざか)] 延長51m、高低差11m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「荒木坂」の終了地点に戻り、右折して、地下鉄丸ノ内線下のトンネル(写真下左)をくぐった先が開始地点です。地下鉄丸ノ内線はここでも地上を走ります。前の階段(写真下右)が「庚申坂」で、階段を上がると「春日通り」に合流です。

 

 説明板には[「小日向第六天町の北、小石川同心町の界を東より西へ下る坂 あり・・略」。この坂を「切支丹坂」というのは誤りなり。本名“庚申坂”昔、坂下に庚申の碑あり・・」(東京名所図会) 庚申信仰は庚申の日(60日毎)人が眠ると三戸の虫が人の体から出て天に上り天帝にその人の罪を告げるというところから、人々は一晩中夜明かしをした。この信仰は中国から伝わり、江戸時代に盛んになった。したがって「切支丹坂」はこの坂の地下鉄丸ノ内線下のトンネルの向側の坂のことである。「・・両側の藪の間を上る坂あり・・これが真の「切支丹坂」なり。(東京名所図会)]と記載。
 

 [86.切支丹坂(きりしたんざか)] 延長162m、高低差11m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「庚申坂」開始地点が「切支丹坂」の開始地点(写真下左)で、地下照丸ノ内線下のトンネルをくぐり、坂を上ります。終了地点を右折すると、「切支丹屋敷跡」の碑(写真下右)があります。

 

 説明板には「キリシタン屋敷は正保3年(1646年」に宗門改役 井上筑後守政重下屋敷に建てられた、転びバテレンの収容所です。江戸幕府はキリスト教を禁止し、多くのキリシタンを処刑していましたが、島原の乱をへて、転ばせたバテランを収容し閉じ込める施設として新しく造ったものです。牢屋と長屋があり、この中では一応無事な生活が許されていました。幕府がバテレンの知識を吸収する場にも利用されていました。最後の潜入バテレンとなるシドッティ(シドッチ)もここに収容され新井白石の尋問を受けています。シドッチ後は収監者もなく、享保9年(1724年)に焼失し、以降は再建されず、寛政4年(1792年)に屋敷は廃止されました。」と記載。切支丹屋敷があったことから呼ばれた坂です。
 

 [87.藤坂(ふじざか)] 延長78m、高低差11m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「切支丹坂」の開始地点に戻り、左折し、進むと右側が開始地点です。 写真下左は開始地点付近、写真下右は終了地点で、正面は「春日通り」です 。

 

 説明板には[藤坂は箪笥町から茗荷谷へ下る坂。「藤寺」のかたわらにあり、「藤坂」といわれた。「藤寺」とは坂下の曹洞宗伝明寺。又、江戸名所絵図では「三大将軍家光が鷹狩りに御成りの時に道筋のこの寺に立ち寄り、庭一面の藤を見て藤寺なりと上意があった」と伝える。昔はこの坂から富士山が望めたので「富士坂」、ここは清水が湧き、一帯は低湿地で、禿(かむろ)(河童のこと)がいたので「禿坂」ともいわれた。]と記載。
 

 [88.釈迦坂(しゃかざか)] 延長85m、高低差5m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「藤坂」の開始地点に戻り、右折し、進むと、開始地点です(写真下左)。 左は地上を走る地下鉄丸ノ内線です。写真下右は坂途中です 。

 

 説明板には[小日向4-1徳雲寺裏。「春日通り」から「徳雲寺」の脇を茗荷谷に下る坂である「徳雲寺」に釈迦の石像があってこれを見て坂名としたとのこと。「徳雲寺」は臨済宗円覚寺派の寺で寛永7年(1630年)に開山された。境内には大木の椎の木があり、元禄年間に五代将軍綱吉が、このあたりに御成の時、「椎木寺」なりと台命があった。そこで、この寺を「椎木寺」と呼ぶようになった。椎の木は火災で焼けしまったが、根株から芽が出て大木に成長したが、明治時代に、枯れてしまった。「徳雲寺」境内には「六角堂」があり「弁財天」が祀られ、近年、「小石川七福神」の寺になっている。]と記載。
 

 [89.蛙坂(かえるざか)] 延長66m、高低差8m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「釈迦坂」の開始地点に戻り、左折して「藤寺」開始地点まで行くと、右側の「稲荷」脇が開始地点(写真下左)です。坂の右側には「貞静学園短期大学」があります。写真下右は坂途中の振り返りです。

 

 坂名の由来は坂の東一帯はひどい湿地帯で蛙が池に集まった、又向かいの馬場六之門抱屋敷内に古池があり、ここにも蛙がいた。ある時、坂の中ほどで左右の蛙が合戦をしたからとのこと。
 

 これにてG小日向ブロックの16坂のうち8坂を踏破です。残りの8坂はG小日向ブロック-2をご覧ください。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。G小日向ブロック16坂の残りの8坂をレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロック-1」をご覧ください。最寄駅は開始地点近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『G小日向ブロック−2』
 

 [90.茗荷坂(みょうがざか)] 延長215m、高低差18m 最寄駅 丸ノ内線 茗荷谷駅

 「蛙坂」の開始地点に戻り、左に進むと、開始地点(写真下左)です。正面は「拓殖大学」で、右の坂を上ります。写真下右は坂の途中からの振り返りです。

 

 説明板には[「茗荷谷より小日向へのぼる坂なり云々」(改撰江戸志)。これによると「拓殖大学」正門前から南西へ上る坂をさすことになる。今日では地下鉄茗荷谷駅方面に上る坂をもいっている。「茗荷谷」をはさんでの坂のことであるので両者とも共通して理解できる。茗荷谷の地名については「昔、このところへ多く茗荷を作りし故の、名なり云々」とある。自然景観と生活環境にちなんだ坂名の一つといえよう。]と記載。
 

 [91.薬罐坂(やかんざか)] 延長127m、高低差9m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「巻石通り」に戻り、左に進みます。「小日向1-6」の住所表示が開始地点です。写真下右の左側の「生西寺」を過ぎたあたりが終了地点です。野狐のことを薬罐といったそうで、この辺りは狐が出そうな寂しい坂からそうした名が付いたとのことです。

 

 [92.横町坂(よこちょうざか)] 延長111m、高低差9m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「薬罐坂」を下る途中を右折した辺りが開始地点で写真下左は坂途中から開始地点を振り返りました。写真下右は終了地点です。横町にあるのでこの名が付いたとのこと。

 

 [93.服部坂(はっとりざか)] 延長105m、高低差11m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「横町坂」の終了地点は「服部阪」の途中なので坂を下り、開始地点(写真下左)へ行きます。右側には「江戸川橋体育館」があります。写真下右の右側の道は「横町坂」の終了地点です。正面が終了地点で、手前左側には「小日向神社」があります。

 

 説明板には[小日向1-7と2-16の間。坂の上には江戸時代、服部権太夫の屋敷があり、それで「服部坂」と呼ばれた。服部氏屋敷跡には、明治2年(1869年)に「小日向神社」が移された。永井荷風は作品に「ここは眺望のよい所と・・」と書いている。坂下にある「旧文京区立第五中学校」はもと「黒田小学校」といい、永井荷風も通学した学校である。戦災で廃校となった。]と記載。
 

 [94.大日坂(だいにちざか)] 延長231m、高低差20m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「服部坂」を下り、「巻石通り」に出て右折、進むと開始地点(写真下左)です。
 少し上ると右側に坂の名になった「大日堂」(写真下右)があります。

 

 説明板には[「大日堂」とは寛文年間(1661年〜73年)に創建された天台宗寛王山妙足院の大日堂のことである。坂名はこれに由来するが、別名「八幡坂」については現在小日向神社に合祀されている田中八幡神社があったことによる。この一帯は寺町の感のする所である。]と記載。写真下左は坂の途中、写真下右は終了地点です。

 

 [95.鷺坂(さぎざか)] 延長68m、高低差7m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「大日坂」を下り、「巻石通り」に出て右折、進むと「小日向2-19」の住所表示が開始地点(写真下左)です。正面に石標と説明板があります。左に曲がり上ります。写真下右は終了地点からの振り返りです。

 

 説明板には[この坂上には、徳川幕府の老中職をつとめた旧関宿藩主 久世大和守の下屋敷のあった所である。そのため地元の人は「久世山」と呼んでいまもなじんでいる。この久世山も大正以降は住宅地になり、堀口大学)詩人・仏文学者]やその父で外交官の堀口九万一も居住した。堀口大学や、近くに住んでいた詩人の三好達治、佐藤春夫らによって山城国の久世の鷺坂と結びつけた「鷺坂」という坂名が自然な響きをもって世人に受け入れられてきた。足元の石碑は、久世山会が昭和7年7月に建てたもので、文学愛好者の発案なる「昭和の坂名」として異色な坂名といえる。]と記載。
 

 [96.八幡坂(はちまんざか)] 延長90m、高低差17m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「鷺坂」を下り、「音羽通り」に出て右折、「今宮神社」の脇が開始地点(写真下左)。かなり急な石段の坂です。写真下右は終了地点からの振り返りです。

 

 説明板には[「八幡坂は小日向3丁目より屈折して、今宮神社の傍に下る坂をいふ。安政4年(1857年)の切絵図にも八幡坂とあり。」と東京名所絵図にある。明治時代のはじめまで、現在の今宮神社の地に田中八幡神社があったので、「八幡坂」と呼ばれた。坂上の高台一帯は「久世山」といわれ、かつて下総関宿藩主 久世氏の屋敷があった所である。]と記載。
 

 [97.鼠坂(ねずみざか)] 延長120m、高低差19m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「八幡阪」を下り、音羽通りを右折、音羽1丁目のバス停辺りが開始地点(写真下左)で階段の坂です。写真下右は終了地点からの振り返りです。

 

 説明板には[音羽1丁目10と13の間。音羽の谷から小日向台地へ上る急坂である。鼠坂の名の由来について「御府内備考」には「鼠坂は音羽5丁目より新屋敷ヘのぼる坂なり、至てほそき坂なれば鼠穴などいふ地名の類にてかくいふなるべし」とある。森鴎外は小説「鼠坂」でこの坂を「鼠でなくては上がり降りが出来ないと云ふ意味で附けた名ださうだ」と描写している。また、“氷見坂”とも呼ばれていたという。この坂上からは、音羽谷を高速道路に沿って流れていた、弦巻川の水流が眺められたからである。]と記載。
 

 これにてG小日向ブロック16坂を踏破しました。16坂踏破のIVV認定距離は8kmです。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。H目白台ブロックを歩きます。距離は12kmで一気に歩きましたが、16坂あるので2回に分けてレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄駅は開始地点近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『H目白台ブロック-1』
 

 [98.目白坂(めじろざか)] 延長440m、高低差24m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 駅から「江戸川公園」に向かい、神田川を渡り、「音羽通り」の最初の左の坂が開始地点(写真下左)です。長い坂で、右側に寺や神社が並んでいます。

 

 左側にある「関口小学校」の先が終了地点(写真下左)、その先の左側には「ホテル椿山荘東京」(写真下右)があります。

 

 説明板には[西方清戸(清瀬市内)から練馬経由で江戸川橋北詰に抜ける道筋を「清戸道」といった。主として農作物を運ぶ清戸道は目白台地の背を通り、このあたりから音羽谷の底地へ急傾斜で下るようになる。この坂の南面に、元和4年(1618年)大和長谷寺の能化秀算僧正再興による「新長谷寺」があり本尊を「目白不動尊」と称した。そもそも三代将軍家光が特に「目白」の号を授けたことに由来とある。坂名はそれによって名付けられた。かっては江戸時代「時の鐘」の寺として「寛永寺」の鐘とともに、庶民に親しまれた。寺も明治とともに衰微し、「目白不動尊」は豊島区の「金乗院」にまつられている。]と記載。
 

 [99.目白新坂(めじろしんざか)] 延長440m、高低差21m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「目白坂」を下り、開始地点に向かいますが、上る時と反対側を歩いて違った景色を見てください。「目白坂下」を左折すると、開始地点(写真下左)です。「目白通り」の一部に位置し、バスも通り、交通量が多く広く長い坂道です。写真は車が来ない時を待って撮影しています。

 

 写真下左は坂の途中、写真下右は終了地点で、左側から来る「目白坂」と合流します。明治時代に開削された新坂で、「目白坂」のバイパスになった坂です。

 

 [100.鉄砲坂(てっぽうざか)] 延長135m、高低差17m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「巳白新坂」を下り、「音羽通り」に戻り、左折します。これからは「音羽通り」の左側にある坂を歩きます。開始地点は「音羽通り」起点が多いですが、0mにならない場合は一本左側に入った道まで行ってください。開始地点はアプリが指定しますので。写真下左は開始地点、狭い坂道(写真下右)入口でした。

 

 説明板には[関口3丁目と目白台3丁目の境。この坂は音羽の谷と目白台を結ぶ坂である。坂下の東京音楽大学学生寮のあたりは、江戸時代には崖を利用して鉄砲の射撃練習をした的場(角場・大筒角場ともいわれた)であった。その近くの坂ということで「鉄砲坂」とよばれるようになった。」と記載。
 

 [101.三丁目坂(さんちょうめざか)] 延長222m、高低差19m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「鉄砲坂」を下りて「音羽通り」に戻り左折、進むと、左側の「大塚警察署」の手前が開始地点で坂を上ります。写真下右は終了地点からの振り返りです。

 

 旧音羽三丁目から西の方目白台に上る坂とのことで「三丁目坂」と呼ばれた。坂下の首都高速道路の下はかって「弦巻川」が流れていたとのことです。
 

 [102.鳥尾坂(とりおざか)] 延長120m、高低差18m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「三丁目坂」を下りたら、「音羽通り」の1本手前の道を右折して首都高速道路沿いに「関口台公園」先まで進むと開始地点で、上は首都高速道路です。写真下右の右側の緑地は「関口台公園」です。

 

 写真下左は坂の途中、写真右は終了地点で、右は「独協学園中学校・高等学校」、その先の白い塔は「東京カテドラル関口教会」です。

 

 説明板には[関口3-9と11の間。この坂は直線的なかなり広い坂道である。坂上には「独協学園」、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」がある。明治になって旧関口町192番地に鳥尾小弥太(陸軍軍人、貴族院議員、子爵)が住んでいた。西側の「鉄砲坂」は人力車にしても自動車にしても急坂すぎたので、鳥尾家は私財を投じて坂道を開いた。地元の人々は鳥尾家に感謝して「鳥尾坂」と名づけ、坂下の左わきに坂名を刻んだ石柱を建てた。」と記載。
 

 [103.七丁目坂(ななちょうめざか)] 延長145m、高低差21m 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅

 「鳥尾坂」を下りて、右折、首都高速道路沿いに進み、「関口3-1」の住居表示が開始地点(写真下左)です。写真下右を上りきると終了地点です。旧音羽七丁目と八丁目の間を通る坂なので「七丁目坂」と名づけられたとのこと。

 

 [104.胸突坂(むねつきざか)] 延長109m、高低差20m 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅

 「七丁目坂」を下りる途中から右折して、「目白通り」(目白新坂)に出て、坂の左側を上がります。「ホテル椿山荘東京」の前を通過し、「講談社野間記念館」の角を左折、「永青文庫」前から下ると開始地点(写真下左)で、坂の右側は「芭蕉庵」です。写真下右は坂途中からの振り返りです。都電荒川線早稲田駅から来る場合は神田川・関口庵を目指します。

 

 坂を下り開始地点に行く時、急坂を駆け上がってきたお嬢さんに思わず「頑張れ!」と声を掛けたやさしい寅次郎でした。終了地点の「永青文庫」は肥後熊本の大名 細川家が約700年の間に蒐集した歴史資料や文化財、美術品の博物館で一般公開しています。説明板には[関口2-11と目白台1-1の間。目白通りから蕉雨園(もと田中光顕旧邸)と永青文庫(旧細川下屋敷跡)の間を神田川の駒塚橋に下る急な坂である。坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれる。東は「関口芭蕉庵」である。坂が険しく、自分の胸を突くようにしなければ上がれないことから、急な坂には江戸の人がよくつけた名前である。ぬかるんだ雨の日や凍りついた冬の日に上り下りした往時の人々の苦労がしのばれる。]と記載。写真下左は「神田上水」の改修工事に参画した松尾芭蕉が住んだといわれる場所に建てた「芭蕉庵」、写真下右は「胸突坂」坂下前の「神田川桜並木」で見事です。左奥の建物が「ホテル椿山荘東京」です。

 

 [105.幽霊坂(ゆうれいざか)] 延長259m、高低差20m 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅

 「胸突坂」の開始地点に戻り、右折し、右側の塀沿いに歩き、肥後細川藩主細川越中守の下屋敷跡の「肥後細川庭園」を右折して進むと開始地点(写真下左)で、右側は「肥後細川庭園」の塀、左側は「目白台運動公園」です。写真下右は終了地点手前で、右側は実業家 前川喜作が設立した男子学生寮「和敬塾」です。

 

 まだ一部は「幽霊坂」の名を思わせる、木の覆い繁る細い坂です。終了地点は「目白通り」との合流地点です。近くには「故田中角栄首相邸(目白御殿)」や「日本女子大学」があります。
 

 これにてH目白台ブロック8坂を踏破しました。残りの8坂はH目白台ブロック-2をご覧ください。


 

平野寅次郎 拝






 

 アプリを使ったYR「文京の坂 113坂を登ろう!」です。H目白台ブロック16坂の残り8坂をレポートします。アプリの操作については、「@湯島ブロックー1」をご覧ください。最寄駅は開始地点近くの代表例です。写真は以前の訪問時に撮影したものも使用しています。

『H目白台ブロック−2』
 

 [106.豊坂(とよさか)] 延長256m、高低差20m 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅

 「幽霊坂」を下り、右折して進みます。右側に「稲荷」(写真下左)が見えますが、この道ではなく、次の道が開始地点(写真下右)です。

 

 坂は大きく曲がり(写真下左)、終了地点は「目白通り」との合流地点(写真下右)で、正面右は「日本女子大学」です。

 

 説明板には[目白大1丁目7と9の間。坂の名は坂下に「豊川稲荷」があることから名づけられた。江戸期この一帯は、大岡主膳の下屋敷で、明治になって開発された坂である。坂を下ると神田川にかかる「豊橋」があり、坂を上ると「日本女子大学」前に出る。坂下の神田川は井之頭池に源を発し、途中、善福寺川、妙正寺川を合わせて、水量を増し,区の南辺を経て、隅田川に注いでいる。江戸時代、今の「大滝橋」のあたりに「大洗堰」を築いて分水し、小日向台地の下を素掘りで通し、江戸市民の飲料水とした。これが「神田上水」である。」と記載。
 

 [107.小布施坂(おぶせざか)] 延長273m、高低差20m 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅

 「豊坂」を下り、開始地点に戻り、右折して進みます。「豊川浴泉」(写真下左)が開始地点で脇の道を行きます。終了地点(写真下右)は「目白通り」との合流地点です。

 

 説明板には「江戸時代 鳥羽藩主 稲垣摂津守の下屋敷と、その西にあった岩槻藩主 大岡主膳勝正の下屋敷の野良道を、宝暦11年(1761年)に新道として開いた。その道がこの坂である。坂の名は、明治時代に株式の仲買人で財をなした小布施新三郎という人の屋敷がこのあたりに一帯にあったので、この人の名がとられた。古い坂であるが、その名は明治のものである。」と記載。
 

 [108.日無坂(ひなしざか)] 延長232m、高低差18m 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅

 「小布施坂」を下り、開始地点に戻り、右折すると、「目白台1-13」の住所表示が開始地点(写真下左)です。写真下右は坂の途中で、豊島区と区境の坂です。

 

 途中からは階段に変わります。写真下右は終了地点からの振り返りです。狭い上に樹木に覆われて日の光もまばらだったことから名がついたようです。

 

 [109.幽霊坂(ゆうれいざか)] 延長126m、高低差4m 最寄駅 都電荒川線 鬼子母神前駅

 先ほど同じ名前の坂を歩いて来ました。今回は終了地点から前に進みます。「目白通り」に出て「不忍通り」との合流点流点から「不忍通り」の右側を歩きます。ここは「清戸坂」途中で「清戸坂」の説明板近くの右側の道が開始地点(写真下左)です。写真下右は坂の途中で平坦な坂です。

 

 かっては坂の西側に「本住寺」があり、その墓地が竹垣の間から見えたため、この名が付いたとのこと。坂の近くは江戸時代には旗本屋敷で、明治34年(1901年)「日本女子大学校」(現在の日本女子大学)が設立されました。
 

 [110.薬罐坂(やかんざか)] 延長228m、高低差7m 最寄駅 都電荒川線 鬼子母神前駅

 「幽霊坂」の開始地点に戻り、右折し、下ります。「目白第3-1」の住所表示が開始地点です。2本の道がありますが、右の広い道です。途中左側には明治後期から昭和戦前に建てられた和洋折衷の「村川家住宅」(西洋史学者村川氏宅)が文化財として残されています。

 

 説明板には[目白台2丁目と3丁目の境。江戸時代、坂の東側は松平出羽守の広い下屋敷であったが、維新後、上地され国の所有となった。現在の筑波大付属小学校一帯にあたる。また、西側には広い矢場があった。当時は大名屋敷と矢場に挟まれた淋しい所であった。「やかん坂」のやかんとは、野狂とも射干とも書く。犬や狐のことをいう。野犬や狐の出るような淋しい坂道であったのであろう。また、薬罐のような化物が転がり出た、とのうわさから、「薬罐坂」と呼んだ。別名の「夜寒坂」の起こりは、この地が「夜さむの里道」と、風雅な呼び方もされていたことによる。この坂を挟んで、東西に大町花月(評論家・随筆家)と窪田空穂(歌人・国文学者)が住んでいた。]と記載。説明板の坂名は(夜寒坂)が併記されていました。
 

 [111.清戸坂(きよとざか)] 延長645m、高低差12m 最寄駅 有楽町線 護国寺駅

 「不忍通り」に戻り、右折して進むと、首都高速道路手前が開始地点(写真下左)で、広く長い坂を上ります。終了地点は「目白通り」との合流地点(写真下右)です。

 

 説明板には[目白台2-9と2-10。延宝4年(1616年)御三家 尾張コ川家の御鷹場が、中清戸(現在の清瀬市)に造られた。将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。これが現在の「目白通り」である。「首都高速道路(5号線)護国寺出入口」(護国寺側)から「目白通り」に向かっての広い坂の道は昔から“清戸道に登る坂”ということで「清戸坂」といわれた。江戸時代、この坂の北側一帯は、雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地)で坂の道に沿って雑司ヶ谷清土村百姓町があった。明治10年代から雑司ヶ谷の北側は牧場と牛舎が建ち、平田牧場といった。牛乳を売る小売店があり、人々が休憩をした。旗竿には「官許の牛の乳」とかな名とローマ字で書かれていたという。]と記載。説明板の坂名は(清土坂)が併記されていました。
 

 [112.小篠坂(こざさざか)] 延長 199m、高低差7m 最寄駅 有楽町線 護国寺駅

 「清戸坂」の左側を下りて交差点を横断、「護国寺」の墓地に沿った道が開始地点(写真下左)です。写真下右は終了地点近くです。

 

 説明板には[豊島区との境を接する坂である。この坂道は、江戸のころ、護国寺の北西に隣りあってあった。“幕府の御鷹部屋御用屋敷”から、坂下の「木浄寺」(豊島区雑司が谷)に下る道として新しく開かれた。往時は笹が生い繁っていたことから、この名がついたものであろう。坂下一帯は、文京の区域も含めて、住所表示改正まで、雑司ヶ谷町と呼ばれていた。]と記載。説明板の坂名は(小笹坂)が併記されていました。
 

 [113.希望の坂(きぼうのざか)] 延長66m、高低差8m 最寄駅 有楽町線 護国寺駅

 「小篠坂」の開始地点に戻り、左に少し進むと、開始地点(写真左)です。 最後の113坂目にふさわしい名前です。希望に向かって上りました。左側は「護国寺」の墓地、正面の終了地点は「区立青柳小学校」・「区立青柳幼稚園」でした。この坂の名は青柳小学校の皆さんから募集、坂道は子どもたちが楽しく学べる通学路であり、希望に満ちた子どもたちの将来を願って「希望の坂」としたとのことです 。

 

 これにてH目白台ブロックの16坂を踏破です。IVV距離認定は12kmです。
 文京113坂も全踏破(合計距離86km)です。お疲れ様でした。
 アプリの記録帖の「完登証」を押すと「完全登坂証」が出てきます。


 

 [“文京の坂113”を歩いた平野寅次郎の感想]
 

・文京区には何と名のついた坂が多いことを思い知りました。むかしの方々、毎日の生活で上り下りされる今の方々の足腰は鍛えられますね。  

・このアプリの基本は坂下から上り、次の坂へはいったん坂を下りで向かいます。たまにはそのまま前に進む場合もありました。どこから歩いても良いのですが、坂の番号は次に行きやすい設計で付けられているようですので、番号順にまわりました。多分、距離もこのコースで設計されていると思います。  

・スマホを持ちながら、坂を上ったり、下りたり、迷ったりしていると、「どうしましたか?」、「どこへ行きたいのですか?」と、多くのご親切な方々に声を掛けていただきました。お騒がせをいたしました。  

・スマホデビューの寅次郎でしたが、アプリの現在地(青点)に助けられて何とか113坂を踏破(完登)することが出来ました。  

・文京区教育委員会の坂の説明板は大変勉強になりました。記載内容は往時の人々の気持ちがよく表れているので、出来るだけ原文を記載しました。特に坂の名前の由来がいろいろあり面白かったです。  

・一番苦労したのは開始地点に来ているのに「あと0m」にならず、行ったり来たりしたことです。  

・1ブロックは一気に歩ける距離ですが、分けて歩く時のために開始地点近くの代表例の最寄駅(バスを除く)を書きました。でも、かなり離れている場所があります。  

・「コロナ禍」にあっては「密にならないアプリを使ったYRは新しい歩き方」として、もっと広まって欲しいと思いました。


 

平野寅次郎 拝






 

 今回は寅次郎が70年間過ごした神奈川県のYRコースを紹介します。日本の文明開化の先駆けとなった「みなと よこはま」のYRコースです。このYRコースを歩いた時期は2020年1月中旬です。2月初旬にクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」が横浜港に到着。船内に新型コロナウイルス感染者が確認されて、大騒ぎになりました。

『よこはま みなとみらい 10kmコース』
ステーション:スポーツオーソリティ MARK ISみなとみらい店   最寄駅 みなとみらい線 みなとみらい駅 B2F

 

 YRはいつでも歩けるコースですが、コース上の見所の状況を事前に確認して出かけると楽しさは増大します。今回のコースは横浜港大さん橋の豪華客船の入港予定をネットでチェックすると良いです。みなとみらい駅はB3Fです。改札を出てMARK IS入口からB2Fへ上がるとスポーツオーソリティの売り場があります。CASHERでYRの受付を行い、地図(19kmと一緒)をもらって1Fから出ます。正面は「横浜美術館」で左折して進むと「帆船日本丸」(写真下左)が係留されています。全国の商船学校の練習船として54年間の任務を終え、1985年(昭和60年)から旧横浜船渠第一号ドッグに現役のまま保存されている国の重要文化財です。船内の見学(有料)も出来ます。写真下右は現役時の写真、今でも帆をはる訓練が行われるとのこと。

 

 「横浜ランドマークタワー」を左手に見て、写真下左の「汽車道」(旧横浜駅と新港埠頭を結ぶ臨海線の廃線を利用した道)を歩き、「赤レンガ倉庫」(写真下右)へ向かいます。1911年(明治44年)建築の歴史的煉瓦造りの倉庫で、中は雑貨や飲食のお店になっています。前の広場では各種イベントが開催され、冬にはスケートリンク場が出来て賑わう場所です。

 

 赤レンガ倉庫の手前左端に「海上保安資料館横浜館」(写真下左)があり、2001年(平成13年)12月九州南西海域で発生した不審船事件で沈没、引き揚げられた北朝鮮の工作船が展示されています。コースから外れますが、必見の価値があります。休館は月曜日(祝日の場合は翌日)入場無料です。

 

 「開港の道・山手臨港線プロムナード」(写真上右)を進むと、右手には「横浜三塔」が見えます。昔は入港時の目印になっており、外国人船員達によりトランプに例えた愛称で呼ばれたとのこと。見える順番は写真下の左から「横浜税関」(クイーン)(写真下左)、「横浜市開港記念会館」(ジャック)(写真下中))、「神奈川県庁本庁舎」(キング))です。以前は三塔ともプロムナードから見られましたが、県庁の渡り廊下が出来てジャックが隠れてしまい、プロムナードを下りて撮影しました。

 

 プロムナードの左手は「横浜港大さん橋」、運が良ければ写真下左の光景です。

 

 東京竹芝を夜出港の東海汽船大型客船の一部は横浜港に寄港します。写真上右は寅次郎が伊豆大島に行った時に船上から撮影した横浜港の夜景です。  プロムナードを歩き終わると、IR(カジノを含む統合型リゾート施設)の候補地の「山下公園」です。童謡「赤い靴をはいてた女の子」像(写真下左)の先に1930年(昭和5年)建造、北太平洋航路を長く航海した現存する唯一の貨客船「氷川丸」(写真下右)が1961年(昭和36年)から係留されています。国の重要文化財で船内見学(有料)も出来ます。休館は月曜日(祝日の場合は翌日)です。

 

 コースは「港の見える丘公園」から、横浜ベイブリッジを眺め(写真下左)、「石川町駅」方面へ下り、ステーションへ戻ります。「中華街」(写真下右)はコースから外れますが、ご自由にお立ち寄りください。見所、立ち寄り先が満載のYRコースです。

 

 皆さんも、地元の MY YRコースの紹介をIVV JAPAN(JVA)にお送りください。


 

平野寅次郎 拝






 

 2021年1月からスタートしたアプリウォーク「文京113坂」、9ブロックのコラムは終了しましたが、ウォーキングステーションのさんぽみち総合研究所に「文京の坂めぐりコース」を見つけ歩いてみましたのでご案内します。

『文京の坂めぐりコース 8km』
ステーション:さんぽみち総合研究所 最寄駅 南北線 東大前駅2番出口

 

 スタートして最初の信号「日本医大前」を右折、「新坂」に向かいます。[「青年」の散歩道]の看板(写真下左)の角を左折します。左側は教会です。

 

 説明板によると文京区1丁目と28の間で本郷通りから、根津谷への便を考えて作られた新しい坂のため「新坂」と呼びました。また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので「権現坂」とも言われました。森鴎外の小説“青年”(明治43年作)でこの坂を「S坂」と書かれており、旧制第一高等学校の生徒は「S坂」と呼んだとのことです。

 

 不忍通りに出て、根津1丁目交差点を右折すると「弥生坂」です。説明板によると弥生1丁目と二丁目の間で、かって、この辺り一帯は「向ヶ岡弥生町」と言われました。江戸時代は水戸藩や加賀藩の屋敷があり、明治時代に入り大学用地となり、新しい坂道を「弥生阪」と呼びました。また、坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので「鉄砲坂」とも言われたとのことです。

 

 「弥生式土器発掘ゆかりの地の碑」(写真上右)を過ぎたら、左折、緩やかな「暗闇阪」(写真下左)を下ります。名前の由来は昼間でも暗く鬱蒼と樹木が茂り狭い坂道を覆いかぶせたことから言われます。都内には数か所同名の坂があります。右側は東京大学です。道なりに進み、旧岩崎邸庭園の三叉路を右折すると「無縁坂」(写真下右)です。

 

 「無縁坂」の説明板には「御府内備考」に称仰院前道より本郷筋への往来の坂で往古 坂上に無縁寺があり、そう呼んだとのこと。森鴎外の作品「雁」の主人公岡田青年の散歩道ということで、多くの人々に親しまれたとのこと。坂を上りきり、東京大学のレンガ塀に沿って進み、龍岡門から春日通りに出て左折「湯島天神の大鳥居」(写真下左)をくぐって「清水坂」(写真右)を下ります。

 

 「清水坂」は湯島1丁目と3丁目1の間で、江戸時代に霊山寺がありましたが、明暦の大火で焼失、寺は浅草移転しています。明治になり土地は清水精機株式会社の所有になり、町の人達が清水家の徳を称え「清水坂」と名付けたとのこと。本郷通りに出て湯島聖堂の塀に沿って右折すると「昌平坂」(写真下左)です。坂の下まで下りて右折すると「相生坂」(写真下右)です。

 

 「昌平坂」は右側の湯島聖堂との間で千代田区と文京区境界線上にある坂です。昌平の名は孔子が生まれた魯国昌平郷(現在の中国山東省曲阜県の東南)が由来です。
 「相生坂」は神田川対岸の駿河台の「淡路坂」と並ぶので「相生坂」と呼ばれたとのこと。湯島聖堂の再建で道が入り組み、後年、「昌平坂」と呼ばれるようになったそうだ。
 聖橋をくぐり、水道橋方面に進み、順天堂大学を過ぎたあたりからは「お茶の水坂」(写真下左)です。水道橋交差点を右折、すぐ右折すると急な上りの「忠弥坂」(写真下右)です。

 

 説明板には「お茶の水坂」は水道橋から順天堂医院館の外堀通りで、神田川の外堀工事は元和年間(1615〜1626年)に行われたが、それ以前に、ここにあった高林寺の境内で湧き水があり「お茶の水」として将軍に献上したことから地名になり、その上にある坂なので「お茶の水坂」と呼ばれたと記載。
 「忠弥坂」は諸説ありますが本郷1丁目3と5の間で、坂の上に丸橋忠弥の槍の道場があり、慶安事件(由井正雪と共に幕府転覆を企てた)で捕えられた場所も近いので「忠弥坂」と呼ばれたとのこと。
 東洋学園大学の右脇から真砂坂上交差点に出て、文京ふるさと歴史館の先が階段の「炭団坂」(写真下左)です。下りて細い道を左折、正面が急阪の「胸突坂」(写真下右)です。

 

 「炭団坂」は本郷台地から菊坂の谷に下りる急な坂です。名の由来は「ここは炭団などを商売にするものが多かった」とか[切り立った急な坂で転び落ちたものがいた]ということから付けられたと言われます。昔は今の階段はないので雨上がりに転んだら炭団のように泥だらけになったことでしょう。
 「胸突坂」は急な傾斜の坂を上る時の姿勢から名付けられています。文京区内には同名の坂があります。最後に本日一番の急坂でした。
 コースは本郷通りに戻り、東京大学正門、農正門を右側に見ながらウォーキングステーションの「さんぽみち総合研究所」へ戻ります。
 今回歩いた12の本郷の坂は2021年1月からスタートの文京区113坂アプリでは4ブロックに分かれています。
 坂の途中には文京区教育委員会の説明板がありますので注意して見てください。説明板のない坂もあります。


 

平野寅次郎 拝





新着情報

・2021.9.16更新
 IVV50,000q表彰式延長のお知らせ

・2021.9.16更新
 大会開催のお知らせ

・2021.9.16更新
 文京113坂アプリウォーク完歩者

・2021.9.14更新
 大会延期のお知らせ

・2021.9.14更新
 大会中止のお知らせ

・2021.9.14更新
 ウォーキングステーション情報

・2021.9.14更新
 寄附金受領報告

・2021.9.1更新
 子どもウォーキングパスポートの充実について

・2021.7.15更新
 夏季休業のお知らせ

・2021.6.3更新
 埼玉県・千葉県・神奈川県YR30全コース完歩者の方 ホームページ達成者名簿にP表示をします

・2021.6.1更新
 IVV50,000km表彰特別対応について

・2021.6.1更新
 IVV 80,000q・100,000q・200,000q表彰の新設について

・2021.5.13更新
 湘南ふじさわウオーキング協会からのお知らせ

・2021.5.6更新
 神奈川県YR30特別企画パスポート電話番号訂正のお願い

・2021.5.1更新
 IVV距離認定で100kmと300kmを新設のお知らせ

・2021.4.21更新
 神奈川県YR30特別企画コース追加のお知らせ

・2021.4.6更新
 川内会長のウォーキング徒然草『○○老いなき世界』

・2021.4.2更新
 ウォーキングステーション情報

・2021.4.1更新
 イヤーラウンド(R)ウォーキングコース2021年干支(丑・牛)企画実施中

・2021.3.23更新
 プレスリリース『文京113坂アプリウォーク』

・2021.3.18更新
 KKML2021年度認定・表彰特例措置内容

・2021.3.1更新
 文京113坂完歩された方に

・2020.11.27更新
 スマホアプリ「文京113坂」でIVV認定始めます

・2020.11.5更新
 IVV参加認定・距離認定の充実に向けて

・2020.10.1更新
 IVV参加認定・距離認定改定のお知らせ

・2020.8.21更新
 事務所移転のお知らせ

・2020.8.1更新
 日本市民スポーツ連盟事務所移転の案内

・2020.8.1更新
 YR30北海道特別企画完歩達成第一号

・2020.8.1更新
 IVV距離認定500km達成喜びの声










Copyrightc 2010-2021 日本市民スポーツ連盟 All Rights Reserved

JVA head office  〒113-0034  東京都文京区湯島4-6-11 湯島ハイタウン A棟208号
TEL:03-6240-0792  FAX:03-6240-0793   E-mail:jva@ivv-japan.jp